スノードロップの向こう側

ティー

 私が空野翼という人間に初めて会ったのは、いつのことだっただろうか。

 思い出せないほど昔だ。ただ、白い病院にいた真っ白な彼は不確かで、いつだって消えてしまいそうなほど危うかった。

 そのくせ、いつだって笑っている。

 辛いなら泣けばいいのに、怒っているなら怒鳴ればいいのに。

 自分の身の不幸を、どうして受け入れて諦めているんだ。

「なんでそこまで色々あるのに笑ってられるのさ」

 何もしない彼が苛立たしくて、一度だけ言ったことがある。

 すると彼は表情を消して、俯いた。

「……そうだな。お前がいるときは楽しいんだ。俺が忘れられてないって思えるから」

 笑ってばかりの人間は嫌いか?

 笑顔に戻って尋ねる彼の声は縋るようで鎖のようで、心許なくて悲しかった。

 私はもう、何も言えなかった。

 ただため息をついて、同じような顔で笑うことしか、できなかった。


 そんなことを話すと、暁はぶっきらぼうに、そうか、とだけ言った。

 不器用な彼と、私とは背中合わせだと思う。

 誰よりそばにいるはずなのに、触れられない。

 そういう関係は翼だけで十分なのに。健康なはずの暁とさえそんな関係だなんて、皮肉だよなぁとなんとなく思う。

 ただ、彼は彼なりに私を大切にしてくれているのも知っている。

 この話をした後で、彼はペンダントを買ってくれたから。

 赤色が似合う暁らしい、ルビーのペンダント。渡す時に耳まで赤かった彼が愛おしかった。大切にするね、というと顔を逸らすのは、照れたからだと知っている。

 幸せだったのは、そこまでだった。ペンダントを買ってもらった少し後のことだったんだ。

 空野翼が、死んだのは。

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