其之一 真弓千聡の日記 #4
4月30日 くもりのちはれ
翔子ちゃんに頼まれて、着物の撮影に行った。天気が持つかな、と思っていたけど、着物は部屋の中だったし、全然関係なかった。それにその後起こった火事とか、翔子ちゃんのこととか、含福寺の本尊のこととかを考えると、天気なんて本当に、全然関係なかった。
今日のことを思い返してみると、なんだか一日にいろんなことが起こりすぎていて、頭の中がわやーっとする。順番に思い返してみると、梅乃の振袖と話したこととか、片葉の葦を見たこととかは大した話じゃないから、やっぱり最後に見られたのが効いているんだと思う。
あれはなんだったんだろう。
詳しく思い出そうとすると、今も頭の中にもやがかかったみたいになる。先輩は本尊だとか、薬師如来の力だとか言ってたけど、絶対あれはそういう、やさしい感じのものじゃない。
焼かれたとき……絶対に死んだと思ったし、実際に死ぬくらいの火傷を負った私を引き戻したのはあの視線の持ち主だ。私の火傷を全部消して、梅乃に炎を逆流させた。
でも、薬師如来にしてはちょっと気が効かないんじゃない? 梅乃が取り憑いてたのは他でもない山ちゃんなんだし。ご利益にしては、片手落ちな気がする。
そうでなくても、私の治り方が変だった。すごく大きな瞳から、ものすごい視線が私に来て、それから無菌室みたいに不健康な元気が体の中から湧いてきた。録画を逆戻しするみたいに火傷が消えて、服が半分焼け落ちた。
あんなのがどのお寺にもいるのかな。だったらこの世はもう終わりだと思う。
今日の晩ごはんはお母さんが作ってくれたささみのサラダ。マヨネーズの黒酢和えをかけて食べる。これ、私はあんまり好きじゃない。
そういえば服で思い出したけど、学校に行く用の服を買いなおさないといけない。
今日は先輩のジャージを借りて、先輩の家の車で送ってもらった。お母さんもおばあちゃんも居たから、またけんかになるのを覚悟して家に戻ったけど、意外なことにどっちも何も言わなかった。先輩のお父さん……っていうか含福寺の住職さんから先に連絡があったんだって。
とりあえず、近いうちに服を買いにいかなくちゃ。バイト代を取って置いてよかった。
5月1日 はれ
嫌な夢を見て起きた。ベッドの周りにたくさん人が立って、私を見下ろしてる夢。こっちに引っ越してきてからは見てなかったのに。最近はいろんなことがあったし、ちょっと疲れてるのかもしれない。
今日は予定通り、服を買いに行った。一緒に行くって聞かないお母さんを断って(これも予定通り!)、ふわふわしてる彰さんを捕まえた。
そういえば近頃はかなり霊視に慣れてきたみたいで、かなり好きなところにピントをあわせて視られるようになってきてる。あんまり嫌なものを視て気分が悪くなることも少なくなってきた。やっぱり反復練習は正義だと思う。
そう言うと、彰さんはすごく嫌そうな顔をした。
「いいことなの、それって」
「すごく良いです。快適にすごせますから」
彰さんも前と比べるとずっと濃くなって、安定してきているみたいだった。一瞬視たくらいだと、普通の人と間違えかねないくらい。空中に浮いてる時点でおかしいってわかるけど。
「私は見える人じゃなかったから、わかんないんだけど」
と前置きして、彰さんはべらべら喋った。いつもは聞かれたことにしか答えませんっていうか、聞かれても気が向かなきゃ答えませんって感じの人が、今日は良く喋っていたと思う。
「そういうのって、よくないんじゃないかしら。幽霊がたくさん視えても、いいことばかりじゃないでしょう? 私が言うのもなんだけど、死んでるくせに現世に残ってるような人なんて、ろくなものじゃないわ」
「お説教ですか」
「そうかも」
彰さんは眉を八の字にして、いたずらっぽく笑った。
「でも、私は彰さんといて楽しいですよ。けっこう、ろくなほうなんじゃないですか」
「私も楽しいわ。でも、死んでも死に切れないって嫌なものよ」
珍しくおしゃべりの彰さんは、珍しく後ろ向きなことを言った。それこそ死んでるんだから当たり前なのかもしれないけど。
「未練ってやつです?」
「それらしいものは、思いつかないけどね。一人でいると、人生について考えちゃうわ。幽霊同士でおしゃべり、って感じでもないし」
「話、しないんですか」
肩をすくめて、彰さんは手を広げた。この人がこういう仕草をすると、凄く絵になる。見かけが良いっていうのは、死んでも特だと思う。二歳しか違わないはずなのに、再来年にこんな風になれるとは思えない。
「話して楽しそうな人、いないんだもの。皆、つまんなさそうにして、じーっとしてて。そうでなくても、近寄り難い人ばかりなのに」
言われてみれば、私も愉快な幽霊にあったのは初めてだと思う。近づいてきた幽霊の話はあんまり思い出したくないものも多い。……し、私は覚えてないものも多い。とすると、よく視えるようになってるのは素敵なことってわけじゃないのかも。
「でしょう?」
でも、やっぱり私は視えるのが好きだ。ジェットコースターに乗るのと同じで……どちらかと言うと高速道路でぶっ飛ばす手合いに近いのかも知れないけど。
危険を承知で怪異に接近するたび、何度でも私の胸は高鳴るのだ。
これは誰にも言わないでおこう。先輩にすら、どんな顔をされるかわからない。
彰さんと一緒に二回電車を乗り換えて、S市のイオンにまで足を伸ばした。知り合いには会わないと思ったから。
今日の服は、ちょっと気合が入ってないって言うか、服を買いに行くのに恥ずかしくない服じゃない。鏡に自分の姿が映るたび、自分の冴えなさにうんざりした。隣でふわふわしている彰さんが垢抜けたままで死んでるから、余計に一緒に歩きたくなかった。 もちろん、誰も二人連れだなんてわからないんだろうけど、それでも。
「どの店行けばいいですかね」
思わず声を潜めてしまった。道を歩いてるときはスマホで通話してる風にしてるけど、お店の中じゃそれも変だし、こういう時は難しい。
彰さんはちょっと考えて、「とりあえず全部回ろう」って言った。なんて人だ。
私はいつもの安いところで済ませるつもりだったのに、彰さんが入ろうって言うところは(私の感覚では)めちゃくちゃ値段の高いところばっかりで閉口した。でも彰さんが言うには「このくらい普通」らしい。
「今まで遣った額を総合で考えてみて? 千聡ちゃんの買うフィルムのほうがよっぽど高いじゃないの」
って言われたけど、フィルムと彰さんの勧める服じゃ一度に使う金額が違う。違いすぎる。
「そうでなくても、千聡ちゃんは着たきりスズメなところがあるんだから。ちゃんとしたのを買いなさい」
私は彰さんが道中「服は毎年買うものよ」って言ってたのを忘れてなかった。けど、この台詞は結構理があると思って、結局いくつか見繕ってもらったものにお金を払って、服を買った。
一万円を越える買い物に、頭がくらくらした。
でもその場で着替えて、試着室の鏡に映った自分を見ると、さっきよりはかなりシャンとして見えた。「この世界に存在を許可します」のビザが更新された気分になる。誉めてもらおうと思って外に出たら、彰さんは影も形も視えなくなっていた。
いきなり成仏したのかな、と思って店内をうろついてたら、知ってる顔と会った。
「こんな所で買い物するんだ」
へえー、と言って覗き込んできたのは、昨日の、先輩の妹だって人。刀を振り回す危ない女って印象だったけど、今日はもちろんそんなのは持ってなくて、代わりに服屋の袋を提げていた。
「ああー、もしかしてあそこに居るのはあなたの連れ? よっぽどやっつけちゃおうかと思ったんだけど」
眠そうなまぶたを眉毛ごとちょっと上げて、先輩の妹は親指を立てた。つられて天井を見上げてみると、「見つかった!」って顔の彰さんがいた。
「そう……ですよ。いきなり襲ったり、しないでくださいね」
「そんなことはしないけど」
あんまり誉められた話じゃないなあ、と言って、先輩の妹はそっぽを向いた。先輩に似ないで、この人も大した美人だ。長い髪がゆったりウェーブしているのが、うらやましい。
ふわふわしながら、おっかなびっくり降りてきた彰さんは決まり悪そうな笑顔を作った。
「ごめんね、一人にしちゃって……危ない気配の人がいたから、つい」
「正しい感覚ですよ。昨日はこの人、刀を振り回してたんですから」
先輩の妹は、むっ、と顔を曇らせた。
「いつでもああしてるわけじゃない。仕事のときだけ」
「……とりあえず、今は平気っぽいね」
私の後ろに隠れながら、彰さんが呟いた。それが終わるのを待たずに、先輩の妹が口を開いた。
「そいつ、いつもあなたのそばにいるんだ?」
「まあ……時々、ですけど」
私に直接聞けばいいのに、後ろで彰さんがぼやいた。
「お兄に、何か言われてないの」
「最近は、あんまり」
雑なことしやがって、と呟いた声が、私にも聞こえてきていた。床に向かって舌打ちした顔を上げて、先輩の妹は私の顔と、それから私の肩の向こうをちょっと見た。
「結構たくさん、買い物したんだね」
「そうですね」
「それも除霊で稼いだの」
「まあ、そうですね」
先輩の妹は目を細めて、
「ふうん」
とだけ言った。
「私ももう会計しちゃうからさあ、ちょっと待っててくんない? その辺でお茶でも飲もうよ。見えない彼女もさ」
その台詞で、彰さんは私の後ろでさらに縮こまった。萎縮した空気が伝わってくる。
彰さんを背負ったまま、私は先輩の妹に喫茶店まで連れ込まれていた。私は奥ゆかしく、一番安いウインナーコーヒーを頼む。
「お兄と違ってさあ」
一番大きいコーヒーと、一番大きいパンケーキを頼んで、先輩の妹はメニューを閉じた。
「私は“いる”のは音でわかるんだよね。話もちょっとなら聞こえる」
「はあ」
「あなたは、随分良く視聞きできるんだって?」
「……自覚は、あんまりありませんけど」
「かもね。自分の感覚の話だし」
あっという間に運ばれて来たコーヒーを受け取って、先輩の妹はちょっと笑った。それから視線を窓にそらして、コーヒーをすする。
「見たところ……っていうか、聞いたところじゃ、そこのカノジョは悪玉ってわけじゃない」
「当たり前でしょ」
彰さんが頬を膨らませた。聞こえなかった振りをして――本人が話したところによると、意図して無視していることになる――先輩の妹は続けた。
「でも、死人とこういう付き合い方をするのは良くないと思うなあ。いつか身を滅ぼすの、わかってるでしょ? お兄に防御式組んでもらってるみたいだけど、いい加減なものじゃないの」
「えーっと?」
私が「何言ってるのかわからないです」って顔をしていると、あからさまにため息をついて、先輩の妹はコーヒーにミルクを入れた。
「お兄も涙ぐましいことを……まあ、いいや」
一口飲んだコーヒーに今度は砂糖を入れて、先輩の妹はマグカップをふーふーやった。冷めるまで時間がかかりそうなのを見て取ったのか、カップを置く。
「私も、お兄と同じでお祓いが得意なんだよね。ただ、ちょっと現地のお祓い屋と折り合い悪くてさあ」
やりにくいんだよねえ、と先輩の妹はぼやいた。
「まあ、これは含福寺のことなんだけどね」
「先輩の妹さんじゃなかったんですか」
「いろいろあるんだよね、こっちも。ま、結論から言うと、現地の協力者が欲しい。強力な霊視者なら、なおさら」
最初は断るつもりだった。第一印象のせいもあって、この人にはろくなイメージが無い。
「報酬は弾むけど」
かなり心が揺らいだ。いや、それでも。
「なんだったかな。写真部で部誌、作ってるんだって? 心霊写真の撮り方もレクチャーしてあげられるよ」
ちょろい話だけど、これで、この人はそんなに悪い人じゃないのかもしれないと思った。私にとっては先輩の妹でしかない人だけど、刀を振り回して人の鼻先に突きつけるような人だけど、私の作る“怪”を真面目に捉えて、手伝ってくれるというのなら。
口先だけかも知れないけど、でも――。
「わかりました」
彰さんは「えーっ?」って言ったけど、ほとんど流されるようにして、私はうなずいていた。
「その丁寧語、やめていいよ。ほとんどタメじゃん、私たち」
私は「そうですね」って言って、ウインナーコーヒーを飲んだ。カップに乗っかったクリームはかなり溶けて、水面より下のブラックコーヒーはもう、かなりカフェオレになっていた。
「真弓千聡です。こっちは冬柴彰さん」
先輩の妹はちょっと顔を歪めて、短く言った。
「津守つぐみ。よろしく」
つぐみさんは手を差し伸べて、私たちは儀式みたいに握手をした。
その後、ちょっと明日の話をして、別れた。「友達と遊んできたよ」って言ったら、おばあちゃんもお母さんも、普段私の話を聞いている時よりずっと嬉しそうな顔をしていた。
今日の晩ごはんはちらし寿司とあおさのお味噌汁。久しぶりにお刺身を食べた気がする。
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