其之七 消し炭! 怪奇探索部!

 寺生まれなんてものを何年もやっていると、信仰心が完全に麻痺してくる。意外なような気がするけれど、寺だの仏だのというものは身近すぎるとかえって神秘性が薄れてしまうものらしい。


 一番身近な聖職者は小さい頃から親父だったし、その親父は妻帯していれば酒も煙草もよくやった。


 だから僕は、かなり最近まで家と直結した本堂を広い部屋としか思っていなかったし、墓場についてもかくれんぼに適した庭くらいの認識しかなかった。兄貴は眉をひそめたけれど、何回正されてもそういう認識は変わらなかった。小さい頃は、友達と遊びまわることに忙しかったし、その時だって僕に注意を払ってくれる人は、ちゃんと――。


 ざりざりざり。


 学校に入って、世の中の寺生まれに対するイメージがなんとなくわかってきた頃、親父に詰め寄ったことがある。


「つまりこういうことか。『うちの寺はいい加減すぎる』、『もっとちゃんと仏サンを敬った方がいいんじゃないか』と」


 スウェットの足を組んで、親父はビールの缶を煽った。あごの下をちょっと撫でて、親父はあっさりと言った。


「まァ、俺もそう思ってた時期はあるな」


 じゃあ、と言い掛けた僕の声をさえぎるように、親父は言い放つ。


「意味ねえ」


「……意味ないって」


「ああ、言い方が悪かったな。まァ聞け、透」


 酒臭い息を吐いて、親父はもう一度ビールを煽る。ヤニとオヤジ臭さが空気に混じって、棟が悪くなったのを覚えている。


「仏サン……っつーか、神サンとかも含めてその辺の連中はな、こっちのことなんざ気にも留めちゃいねえんだ。見えちゃいるんだろうが、あいつらにとっちゃ人間なんかは背景よ。用水路のメダカみてえなもんだ。居るのはわかっても、区別なんかついちゃいねえ」


「でも、でもさあ」


「もちろん、しかるべき手順を踏めばこちらに注意を払わせることはできるし、上手いこと力を使わせることもできる。ある種のヤカラはそれを奇跡と呼ぶんだろうが……」


 ひゅうう、と親父は酔っ払い特有のため息をついた。


「ホントの信仰はそこにはねえし、俺達が全うに生活しようとするなら、檀家のヤツ等に“ホントの信仰”を求めるのはあんまり良い手じゃねえ。結局のところ、コレが一番現実的なやり方ってわけだ」


 そう言って、親父はビール缶の下から札をつまみ上げて、ヒラヒラやった。




 この時は「なんて酷い男だ」と思ったし、実際そんな台詞を吐いた覚えがる。でも、思い返してみれば、親父はかなり真面目にやっていたんじゃないだろうか。どんなに深酒した次の日でも、親父が作務をサボっているところを僕は見たことがない。もちろんそれは、煙草を吸いながらだったり、過剰なほどの休憩を挟みながらだったりしたけれど――。


 ひょっとしてこれは、走馬灯というやつか。


 目で見ている世界の時間が酷く鈍化して、色彩を欠いている。思考ばかりが冴えていて、真弓が炎の中に飲み込まれるのがゆっくり、ゆっくり見えていた。それから、僕の背中。


 僕の背中?


 強烈な気配を感じて、こわばった顔の僕が振り向く。はるか彼方と言うには近すぎて、巨大すぎる存在と、目があった。


「わ」


 僕自身の世界が戻ってくる。


「わあああああああああ!」


 単調な声を上げている口を閉じるのも忘れて、僕は恐怖の直視に震えた。“本堂”からの視線が、僕を寄り代に使ったのが、遅れて理解できた。


 体の内側から恐慌が膨れ上がった瞬間、巨大存在は目を閉じた。直後、不意に辺りが光に包まれた。少なくとも、僕にはそのように見えた。


 ぎええ、と振袖が声を上げた。録画を逆回ししたみたいに真弓のところから炎が逆流して、振袖が燃えていた。


「ああ」


 燃える、と山崎翔子の口を動かすには、炎は尋常のものに過ぎた。フル稼働のスプリンクラーから吹きだした水が、たちまち小火をかき消す。


「……先輩」


 振袖がぶすぶす黒い煙を上げた。原形はとどめていたけれど、梅乃の振袖……少なくとも、そう推測されたそれは、半分かた、炭に変わってしまっていた。


 終わってみれば、なんだか馬鹿みたいな光景だった。無傷のまま水浸しになった部屋に、服だけ燃やしてしまって、僕らはぼんやり突っ立っていた。


「放してくれませんか」


 僕らの髪先から、ボタボタ水滴が落ちた。そういえば、スプリンクラーはどうすれば止められるんだろう、なんてことを思った。


 遅れて崩れ落ちた生身の少女に、真弓が駆け寄るのが視界の端に見えた。


    ◆


『……てるか?』


 電話の向こうからは、憔悴しきった親父の声が聞こえてきている。僕はスマホの音量を上げて、聞き返した。


「ごめん、なんて?」


『生きてるかと聞いたんだ。お前は無事らしいな』


「まあね」


 思わず、右腕をさする。焼け爛れていた腕は、光を浴びてからこっち、綺麗に治ってしまっていた。焼け落ちた袖は復活しなくて、僕は片腕だけ袖なしのパンクスタイルに着替えたみたいになっている。


『怪我人の有無だけ、ざっとでいいから確認してくれ。家を出る前に、手配しておきたい』


「怪我人っていうか……目撃者が、三人くらいいる」


『三人か』


 まずいな、と親父が呟いたのが聞こえた。ほとんど間を置かずに、親父が続ける。


『一人は、お前の友達か?』


「や、それ以外に三人。今は全員寝てる。見たところ、怪我はしてないみたいだけど」


『わかった。その三人は、適当にしとけ。お前は何もしないでいいから、じっとしてろ』


 俺も今から行く、と電話を切ろうとする親父を、僕は引きとめた。


「ちょっと待った。来るときに、タオルとジャージを持ってきて欲しいんだけど」




「……電話はすみましたか」


 隣の教室の扉が細く開いて、真弓が半分だけ顔を出した。


「ああ。だいたいね」


「私の服は頼んでくれましたか」


「一応な。今日は僕のジャージを着て帰ってくれ」


「ええ……他になんかないんですか?」


「しょうがないじゃん、うちには女物の服なんか無いんだから。文句言うなら、真弓家に電話すればいいじゃないか」


「駄目です」


「なんで」


「休日に先輩と出かけてたなんて言ったら、母さんに殺されます」


 その声のトーンがあまり冗談には聞こえなくて、僕は思わず口をつぐんだ。表情に影を落としたまま、真弓は廊下のベンチを見やる。


「……翔子ちゃんのことは、上手いことしてくれたんですね」


「風邪くらいは引くかも知れないけどな」


 濡れ鼠の山崎翔子と世古さん、それからほったらかしにしてあった伊藤さんは、廊下のベンチを引っ張ってきて作った簡易ベッドに寝かせてあった。


「後始末は、親父に任せたよ。霊障とかもあっても、困るし」


「わかりました」


 真弓はこっくりうなずいて、顔を引っ込めた。どん、と扉が揺れて、向こう側に座り込んだのが分かる。


「翔子ちゃんが、あんなに思いつめてるなんて」


「ありゃ、振袖のせいだろ。普段から放火魔だったわけじゃない。片想いが高じてたのにつけこまれたのは、確かだろうけど」


「振袖……あれはやっぱり、梅乃のそれだったんでしょうか」


「さあな。もう焼けちゃって、何が何だかわからない。今は、被服部の存続を心配した方がいいかも知れないぜ」


「それより、翔子ちゃんのことを心配してもらえませんか? これ、人事不省ってやつでしょう。ちゃんと回復するんですか」


「そっちのほうは含福寺と近代医学を信用してもらうしかないな」


 まだ湿っているスマホを、残っている方の袖で拭う。とにかく、火元を絶った以上は、辺りの小火騒動も収拾がついた、ということになるはずだ。


「少なくとも、身体自体は全く健康体のはずだ。最後のアレ、わかっただろ」


 壁越しに、真弓が身じろぎしたのを感じた。


「……なんだったんですか、あれ」


「うちの本尊のご利益だよ。一応、含福寺は薬師如来をいただいてる。対象を絞って直撃させれば、あのくらいのことは出来る」


「薬師如来、ですか」


 やや遅れて、「あれが」と呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。まあ、気持ちは良くわかる。僕ですら感じた強烈な姿を、真弓がどのように“視た”のか、僕には想像もつかない。


「お陰で、生きていられる。互いにな」


「そうですね」


 無神経を装って放った台詞に、帰ってきた言葉はひどく淡白だった。ただでさえ顔の見えない状況で、ひどく居心地の悪い気分を味わう。


「遅いな、親父。もう着いてもおかしくないはずなんだけど」


「混んでるんじゃないですか。連休の初日なんですから」


「そうかな」


 真弓の言うことは、別に的を外してるわけじゃない。高速道路のほうは、今朝にはもう、いくつか事故が起きて通行止めになっているらしい。でも――。


 不意に、スマホが震えて、画面に真新しい通知が表示される。当の親父からのメッセージが、短く表示されていた。


 “逃げろ”


 真剣な割りに現実味のない通知に、妙な笑いが先に来た。大体、怪異の元凶をやっつけた今、何から逃げろって言うんだ?


「真弓。今、なんか見える?」


「閉まったブラインドと、湿った壁と、湿った床が見えます。あとは、炭になった振袖と……今、外に車が停まったのが聞こえました。心配しなくても、何も変なものは見えませんよ」


「だよな」


 車と言うのは、僕のいる廊下側の窓からも良く見える道に停まった、黒いジープだろう。親父が通勤に使っている、黒いチェロキーだ。


「お」


 親父に手を振ると、親父は顔をしかめて見せた。助手席の誰かに向けて、一言二言、声をかける。


 失礼な人だ、と思った時、助手席にかけた誰かが顔を上げた。影になってよく見えないけれど、女だ、とわかった。次いで、その女と目が合う。若い。僕か、真弓と同じくらいだ。ブレザーを着て、波打つ長い髪を胸の辺りまで伸ばしている。


「……真弓?」


 ガラス張りの壁から後ずさって、半開きの扉に声をかける。


「なんですか」


「何か着るもの、その辺にないか」


「ないから、頼んだんじゃないですか。強いて言うなら、梅乃の振袖がありますよ」


「それでもいいから、何か羽織れ。ここから移動するぞ」


「移動って……ちょっと、入ってこないで下さいよ!」


 僕は燃え上がった後水浸しになった振袖を床から拾い上げて、雑巾みたいに絞った。床に引きずる裾の長さがなくなって、ちょっと羽織るのにはいい感じになっている。


「なんですか。え、なんなんですか?」


 真弓のセーラーワンピースはあちこち焦げていたけれど、上から振袖を引っ掛ければ、ちょっと珍妙なファッションくらいには見られるようになる。少なくとも、通りに出た途端に警察のお世話にならない程度にはなんとかなるはずだった。


「いいから。逃げないとまずいんだ」


 廊下のほうから軽い足音がいくつも聞こえてきた。くそ、思ったより数が多い。親父の車に同乗する以外にも、自前の車に何人か乗せて来ていたに違いない。


「先輩、説明を――」


「後で!」


 真弓の手を引いて学の教室から飛び出しかけた時、鼻先にひやりと切っ先を突きつけられて、僕の足は止まった。一足遅かった、と飲み込めるまでに、数秒を要する。


 その間に、刀を構えた女は切っ先の圧力で僕らを教室に押し込んでいた。反対側の扉から、スーツの男が二人、血相を変えて飛び込んでくる。


「津守さん……」


「黙って」


 何か言いかけた男たちを片手で制して、女は僕の鼻に刀を押し付ける。いささかの沈黙の後、女は口を開いた。


「まだ除霊、してたんだ」


「まあ、たまにな」


「ふーん……」


 再び、いささかの沈黙があった。それから、刀がすっと引かれて、僕の鼻先はひりひりした圧力から解放される。


 刀を腰の鞘に納めて、女はスーツ連中に言った。


「藤堂透は三等執行者として処理して下さい。そこの子は協力者扱いで構いません。外の人たちはここの管理者に任せて……今のうちに、記憶処置の準備をお願いします」


「はい」だの「承知しました」だの言って、スーツ連中は、今度は落ち着いた足取りで出て行った。女はそれをつまらなそうに見送って、毛先を指でいじった。


「あのさあ」


 女の口調は、まるきり普段通りの、やる気のないものに変わっている。


「こういうの、良くないと思うなあ」


 昔から、こいつのこういう所が苦手だった。血の気が多くてすぐ手が出るくせに、何を考えているのかは、全然読めない。


「……知り合いですか」


 真弓が低い声で、耳打ちしてきた。僕も低い声で返す。


「まあね」


 僕の嫌いな少女が、顔をしかめた。


「なに話してんの。わたしの話、聞いてる?」


「聞いてるよ」


「お兄、今は素人なんだからさ。あんまり現場に首突っ込んでこないでよね」


 真弓の視線が後頭部に突き刺さるのを感じる。


 こいつ――津守つぐみは、おまけに僕の妹だ。やりにくくって仕方がない。

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