さがしもの 三 榴月堂の主人は低血圧

 問志と槐がくだんの怪異から無事抜け出した次の日、新聞やラヂオは朝草寺の敷地内に発生した怪異を報道こそしたものの、”怪異完全消滅ニヨリ危険性ナシ。該当怪異ノ所有者ハ随時捜索中”というキキョウ局からの声明で締めくくられ、それ以降報道媒体の話題に上がることはなく、二人の安否をうかがえるような情報は何もなかった。


 もっと大事にでもなりそうなものだと問志は思ったが、槐曰く、怪異による事件事故は帝都では日常茶判事であるのだという。

「怪異の出現期間や被害がもっと大きければ多少ハ話題にでもなったんだろうが、帝都じゃこんナものさ。観測された場所が場所だったからニュースになっただけで、どっかの路地裏で発生していたら報道自体さレたかどうか怪しいね」とのことだ。


 問志が食事を終える頃にはニュースは音楽番組へと変わり、耳心地のいい歌声が響いていた。ここ最近、ラヂオばかりではなく家庭用 受像機テレビでもこぞって紹介されている新進気鋭の歌姫の声だ。

 透明感と強かさを併せ持ったその声は、音楽に明るくない問志でも希少なものだと分かる。


 問志が丁度マグカップの中身を空にしたタイミングで、食堂の扉が開いた。

 室内へと入ってきたのは、榴月堂の店主、糸魚真朱いといしんしゅだった。

 起きてきた直後なのだろう、結っていない長い髪を無造作に背中や胸へと流し、茶煙草を咥えたまま気だるげに扉近くにある柱に身体を預ける彼女。丈の長い、淡い色をしたネグリジェを纏っただけで、化粧の一つも施していない筈なのに、その姿は女優のブロマイドのようにひどく様になっている。


 そんな彼女が、纏う気だるさに似つかわしい声色で問志に声を掛けた。

「……おはよう問志ちゃん。お湯、余ってる?」

「おはようございます。薬缶に沢山余ってますよ。大丈夫ですか僕入れますよ?目、開いてます?」

「……今日は平気よ」


 返答がある。ということは、本人の申告通り今日は調子がいいようだ。

 問志が榴月堂で暮らし始めてから二カ月弱。その間で知ったことだが、真朱は非常に朝に弱い。毎朝どうにか食堂にまでは降りてくるものの、問志か槐が声を掛けるまで突っ伏していることも少なくない。そういう事情もあって、問志が来るまで朝食は槐、昼食は真朱が受け持っていたとか。


 真珠は棚から自身のコップを取り出すと、つい最近市場に出回りだしたのだという即席珈琲の粉をスプーンでどっさりと掬い入れた。それに、きちんと粉が溶けきるか怪しいだけの薬缶の湯を注いで、ぐるぐるとスプーンで混ぜる。真朱は問志の向かいの椅子に腰かけると、とろみさえ感じるどす黒いそれに口を付けた。


「……粉の量、さすがに多くないです?」

「普通の量じゃ足りないんだもの。飲んでみたいならアタシの入れてる五分の一でもいいわよ。……ふむ、楽だし目は覚めるけど、苦いだけであんまり美味しくないわね」


 真朱は顔をしかめながらテーブルの上のシュガーポットを自身の近くに引き寄せると、蓋を開け、いくつかの角砂糖を黒い液体に沈み込ませて再び掻き混ぜていく。


「それより今日、例の彼と遊びに行くのでしょう?行く所は決まったの?」

 珈琲ですっかりいつもの調子を取り戻した様子の真朱は、愉しげに目を細める。

「真朱さんがおすすめしてくれた朝草に、という所まではまとまったんですが、具体的なことはなにも」


 本来であれば今日、初めて朝草の土を踏む予定だったのだが、数日前に全くの不可抗力で叶ってしまった。しかしそれはそれだ。


「いいんじゃない?あの街は娯楽であれば、旧いものから目新しいものまでなんでもあるもの。適当に歩けば興味の沸くものの一つや二つ、簡単に見つかるわ。それに彼、帝都は長いんでしょう?」

「はい、そう聞いています」

「なら問題ないわね。あそこは帝都一の繁華街、治安の良くない場所があるのも確かよ。でも、多少なりとも土地勘のある人間が一緒なら、そうそう厄介事に巻き込まれることもないでしょう」

 余程自分達から首を突っ込まなければね、と言って、真朱は再び自身のコップに口を付けた。


「それで、引き留めておいてなんだけどそろそろ準備しないと間に合わないんじゃない?現地集合なんでしょ?」

「え、」


 真朱が指差した壁掛け時計の秒針を見れば、それは問志が想定していたよりもずっと進んでしまっていて。

 慌てて立ち上がる問志を余所に、真朱は優雅に懐から取り出した新しい茶煙草に火を付けようとしていた。


「洗い物は後でまとめてやっておいてあげるから、支度してらっしゃい」

「すみませんお願いしますっ」

「ごゆっくりー」

問志は空いた食器を流しに入れると、洗面所を経由してから自室へと急いだ。




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