わすれもの
わすれもの 一 帝都の午後
「この後、どうしようかなぁ」
陶器製のコップに注がれた暖かい紅茶で暖を取りながら、眼帯の少女、
彼女がいるのは
季節は如月も終わる頃。西出雲の山での騒動から、二週間ほど経過したある日の午後のことだった。
その日、東雲問志が住み込みで働く榴月堂は定休日であり、上京してからバタバタと忙しなく過ごしていた問志は、久しく得たゆったりとした時間をやや持て余し気味に過ごしていた。
榴月堂は扱っている商品の
そしてもう一つが、人間の血液の売買である。
「うちはきちんと国からの許可と登録が済んだ、安心安全な店よ」というのが、真朱の主張であった。尤も、真朱の主張は特段この國では奇怪なことでもなく、人間の血を取り扱う店というものは全国に少なからず存在していた。鬼と共存することを選んだ極陽國ならではの商売と言える。
むしろ、特区との仲介業務の方が商売としては珍しい部類であった。
問志は慣れない仕事に戸惑いこそあったものの、今まで家族と住んでいた山中の家と、町の行き来とで鍛えられた体力と好奇心由来の勤勉さでなんとか業務内容を飲み込んでいた。
そんな問志の密かな楽しみの一つが、休憩時間や終業後に二階の書庫から外の景色を眺めることだった。
榴月堂は帝都の中心部から少し離れた街に店を構えている。その場所は坂の街で、そして昔ながらの比較的背の低い建物が今でも多い地区だった。榴月堂は個人の持ち家兼住宅としては多少珍しい3階建てで更に丁度坂の上に建っていることもあり、見晴らしは悪くなかった。
その為、何にも遮られず帝都の空がよく見える。
春が少しずつ近づいてきている帝都の空は薄青い。薄く雲のかかる淡い空には、巨大な鯨が悠々と泳いでいる。
無論、それは本来海を泳ぐ哺乳類である鯨ではない。真鍮で出来た骨格を晒し、絡繰の心臓を持った飛行する人工的な模造品であった。正式名称は飛行型音波送信機。俗称がいこつ鯨である。
簡単に説明してしまえば、ラヂオの音波を各家庭の受信機へと送り届ける装置である。地方では
問志が二週間前まで住んでいた西出雲町はお世辞にも都会とは言えない。本の中でしか見たことのないがいこつ鯨の姿は、問志の心を掴んで離さなかった。
しかし、この日ばかりはそれだけでは済まず、がいこつ鯨はひどく遠い場所へ来てしまった事実を少女へ突きつけた。問志の心に忙しさで見ないふりをしていた心細さと現状への不安が顔を出す。
(結局、何もわからないままなんだよなぁ)
問志がつらつらと思い出していたのは、自身の運命を大きく動かした故郷での騒動とその顛末であった。
騒動の後、真朱達によって半強制的に帝都行きの蒸気機関車に乗車させられた問志は、真朱からの説明を受けて暫くしてから育ての親である
強いて言えば、羽鐘はあの地下工房に在った人形のことも、大空洞の地面を穿つ巨大なうろの正体のことも、知っていて問志に現状話すつもりがないと言うことだった。
”巻き込んだオレには説明する義務があるし、巻き込まれた問志は識る権利がある。が、説明するにも一筋縄じゃあいかないんだ時間をくれ”そう捲し立てた通話機越しの羽鐘の声に明らかな疲労の色を感じてしまった問志は、それ以上追及することは出来なかった。
(…あの鬼が言っていた、”
「…駄目だなぁ。此れは駄目だ。なんとかこう、切り替えよう。うん」
問志は、命が終わる瞬間に何もできない無力感を思い出し、重く沈み込んでしまいそうになっている自分自身に気が付いて強くかぶりを振った。そうして、気を紛らわせるために読書でもしようか、それともいっそ
「.....なにかいる?」
ベランダから妙な音がした。ベランダの柵に金属がぶつかる甲高い音と、僅かな羽ばたきの音。音源は、問志の座っている場所から死角にいるようで確認できない。
好奇心に背中を押され、音の正体を確認するべく問志は腰掛けていた木製の椅子から立ち上がる。
そして問志がベランダと室内を隔てる硝子戸を横に引いた途端、鋭い声が問志の耳を貫いた。
「危ない!!!」
「っ⁈⁉︎」
問志が状況を確認するより先に、"それ"は問志へ勢いよくぶつかってきた。
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