第39話 灯

 息を切らしつつも、少女はしっかりとした足取りで、悠然と居を構える屋敷の前に立った。

 沈みかけた太陽が、じりじりと身を焦がす。


「晃一さん」


 呼びかける声は、震えている。


「ここに、いるんですか」


 それでも、シャルロットの茶色い瞳は、固く閉ざされた門扉もんぴを真っ直ぐ見据えていた。




 ***




「暁十字の会」で事件が起こった翌日。

 シャルロットはあちらこちらを走り回り、晃一の居場所を尋ねた。


「えっ、東郷先生、いなくなったの……!?」


 美和は身体の弱かった姉が異国で命を落としたらしく、葬儀の準備等で忙しそうにしていた。

 それでもシャルロットが訪れると、その相談に真摯しんしに耳を傾けてくれた。


「……うん」

「……大上先生も、最近様子がおかしいのよね。何かあったのかしら……」

「これから、色々聞いて回ろうかなって……」


 そこで、美和はシャルロットの小刻みに震える手を握り締めた。


「待って! 私も手伝うわ!」

「……良いの? 美和ちゃんも大変そうだけど……」

「良いのよ! 友達が困ってるのに、放っておけないわ。……じゃ、行ってくるわね!」


 両親に断りを入れ、美和は自らシャルロットの手を引いて外に出る。


「美和! 足の怪我は!?」

「枝で切っただけって言ったでしょ! 心配しすぎ!」

「待ちなさい! 紗和に続いて、あなたまで何かあったら……」

「さ、行くわよ。シャルちゃん」

「え、え。……ご、ごめんなさい! 後で連絡するよう伝えますから……!」


 あるいは、少しでも気を紛らわせたいという意図が美和にはあったのかもしれない。……姉の死を無惨な悲劇として嘆く両親から、距離を取りたかったのかもしれない。


「どしたのー? なんか忙しそーじゃん」

「あ、奈緒ちゃん……」

「ちょうど良かった。奈緒も手伝って」

「へっ?」


 途中、ジョギング中だった奈緒も加わり、シャルロットの周りは一気に賑やかになった。

 学校は休むつもりでいたが、晃一が来る可能性を考え、登校する素振りは見せて授業の方を交代でサボることに。


「……うーん……居なかったわ……」

「京極センセーに聞いたけど、東郷センセーも大上センセーも、なんなら竹田センセーまでお休みしてるらしいよ」

「……そう。大上先生もなの……」

「あ、あれ? 竹田先生は結構前から休んでなかったっけ……?」

「そだっけ?」


 三人で手分けをし、学校を一通り探したが、晃一は見つからなかった。

 その晩、シャルロットと美和は奈緒の家に泊まることにした。「明日も一緒に探そう」と、約束をして……


「大丈夫よ。お通夜までには戻るわ。……姉さんは、悲しそうな顔で傍にいられても喜ばないと思うわよ」


 美和が両親に電話したのを見、シャルロットも静養中のクロードに連絡を入れる。


「そうかい、楽しんできな」


 ……と、快い返事が帰って来た。


「枕投げしよーっ!」

「私はパス。勝てそうにないもの」

「ま、負けないよ、奈緒ちゃん……!」

「きゃー! 頑張ってシャルちゃん!! 奈緒なんかに負けないで!!」

「ちょっとちょっと美和! 応援すんの片方だけ!? シャルちゃんも普通に投球強いしぃ! ……あはは、楽しくなってきたァ!!!」


 シャルロットにとって初めての「お泊まり会」は、夜が更け、皆が疲れて眠るまで盛り上がった。


「恋バナしましょ、恋バナ」

「えー! そこは怖い話でしょ」

「……ねぇねぇ、奈緒ちゃんって、ロベくんのことどう思ってるの?」

「へっ? なんで今アイツの話になんの?」

「……奈緒、さすがにロベール君が可哀想だわ」

「ええっ? なんでぇ!?」


 大きな不安も悩みも、三人で笑い合った時だけは、忘れていられた。




 翌日、シャルロット達はヴァンパイアの拠点へと三人で向かう。

 出迎えたヴィクトルとロベールは、突然の来訪に目を白黒させていた。


「……トウゴウさんか……。えっと……実は、アランが……」


 その後、シャルロットはヴィクトルから、アランが晃一を殺すつもりでいたことを聞かされる。

 ミシェルやアルフォンスは晃一を恨んでいるだろうから、あまり大声で名前を出さない方がいい、とも。


「……ごめんね。僕に、それ以上のことは分からない」

「……そう、ですか……」

「イヌガミの人……デンシチさん、だったかな。あの人に話を聞いた方がいいかもしれない。あの人が、アランと一緒に計画を主導してたから……」


 もしかしたら、既に殺されてしまった後かもしれない。嫌な予感を無理やり抑えつけ、シャルロットは「ありがとうございます」と頭を下げた。


「……シャルロットちゃん。僕らにこんなこと、言う資格ないかもだけど……」


 ヴィクトルは気まずそうにしつつも、長身を屈めてシャルロットに目線を合わせる。

 前髪に隠されたあおい瞳は、真っ直ぐにシャルロットの瞳を見ていた。


「僕達、ヨーロッパに帰ろうと思うんだ。良かったら、一緒においでよ」

「……帰る、ですか……」


 シャルロットが産まれたのは、神奈川県陽岬市だ。

 嫌なことも、辛いこともたくさんあった。……それでも、彼女にとっての故郷は、ヨーロッパの見たことも訪れたこともない街ではない。


「嫌だったら、別にいいんだよ。……だけど、僕は……」


 それでも、ヴィクトルは伝えたかった。

 彼女に上手く手を差し伸べられなかったのは、自分に余裕と力量が足りなかったからであり、決して悪意あってのことではないのだと。

 ……決して、見捨てたくはないのだと。


「僕は、今度こそ、君と仲間になりたいんだ」


 長い前髪の隙間から、真っ直ぐな瞳が見える。

 シャルロットは俯き、そっと視線を逸らした。


 その光に縋るのは、まだ早いと思ったのだ。


「……おとpa……ええと、クロードさんに、伝えてからにします。傷の具合が良くないみたいで、休ませてるから……」


 シャルロットがそう言うと、ロベールとヴィクトルの目がきょとんと丸くなる。遅れて、奈緒も「ん?」と首を捻った。


「……待って。今、クロードって言った!?」


 顔を見合わせ、先に口を開いたのはロベールの方だった。


「えっ、どうしたのロベくん。クロードさんなら、大怪我して大上先生のマンションに……」


 シャルロットの説明に、今度はヴィクトルが割って入る。


「あいつ、生きてたのか……! もしかして、今もそこに!?」

「え、ええと、今は大上先生のお宅じゃなくて、お友達のお店ですけど……。居酒屋さん……あれ、定食屋さんだったかな……? 泊めてもらってるみたいで……」


 続いて、奈緒が「あーっ!」と声を上げ、膝を打った。


「そーいや、東郷センセがどっかに運んでんの見た見た! 生きてたんなら言ってくれりゃ良いのにさぁー!」

「オーギュスタさんにも知らせないと……! オーギュスタさん、今は寝てる!? それともアルフォンスさんを診てるんだっけか……!?」


 一気に騒然とした場の空気に、シャルロットは思わず固まってしまう。

 そんな彼女を守るようにして、美和が一歩前に進み出た。


「……シャルちゃん、ここは私たちに任せて、犬上家の人……ええと、伝七さん? に、話を聞いてきたら?」

「そーいやそっか。急いでるっぽいし?」


 美和の言葉に、奈緒も頷く。


「……ありがとう。二人とも」


 美和と奈緒の厚意に甘え、シャルロットは、大上邸に向かうべくその場を後にした。




 後に、美和はシャルロットについてこう語る。


「最初仲良くし始めたのは、あまり良い理由じゃなかったわ。同情心に近かったかしら。でも……健気なところとか見てると、どんどん応援したくなっちゃって……。後、すっごく可愛いし。見た目だけじゃないわ、中身もよ。……ここからは長くなるけど、聞いていく?」


 奈緒の方も、こう語った。


「ぶっちゃけ、最初はキョーミ本位? ってヤツだったんだけどさぁ。シャルちゃん、絡んでたらチョー良い子じゃん? かわいい妹って感じぃー。あ、でも、今はお姉さんか。……や、おぎあねさん? あり? 義姉ってどう読むんだっけ?」


 シャルロットにとって、陽岬での暮らしは過酷だった。

 それでも、生涯の友を得ることができた。大切な思い出を、胸に刻むことができた。

 ……愛されていたと、知ることができた。




 陽が落ち、空が赤色に染まっていく。夕暮れは、もうすぐそこだ。

 大上邸に近付いたところで、一つの影が行く手を遮った。


「東郷を探してるんですかい」


 ヘラヘラと笑う男の顔に、見覚えがある。

 何度も学校に訪れていたこと、次郎と話していたことが、シャルロットの脳裏に過ぎる。


 ……彼が、ヴィクトルの言っていた「犬上伝七」だと気付くのに、そう時間はかからなかった。


「はい。……晃一さんは、どこにいますか」

「そうですねぇ……。大上邸に行きゃあ、会えるには会えると思いやすぜ」


 生死のはっきりしない表現に、シャルロットの表情が強ばる。

 それでも、彼女は伝七に向けてぺこりと頭を下げた。

 なるべく「恐怖ちから」を出してしまわないよう、気を付けて。


「分かりました。ありがとうございます」


 そのまま大上邸に向かおうとする彼女を、伝七は「ああ、そうそう」と呼び止める。

 軽い口調ではあるが、その目は笑っていない。


「東郷が門から外に出ようとしたら、その時は止めた方がいいですぜ」


 シャルロットが言葉を紡ぐ前に、伝七は畳み掛けるように告げた。


「信じるか信じないかはご自由に」


 そのまま、伝七は何もない空間に手をかざす。次々に湧き出た犬の影に身を委ねるようにし、あっという間に姿を消してしまった。


「勝手に死なせたら、腹切りモノやきのう……。……ああ、つまらんつまらん」


 そのぼやきを、シャルロットが聞くことはなかった。




 ***




「晃一さん、いるなら返事してください」


 幾度目かの呼びかけで、閉ざされた門扉がかすかに動く。

 ぎぃ、と音を立て、門扉の間にわずかな隙間が生じた。


 その隙間の奥に、見覚えのある姿を見つけ、シャルロットははっと息を飲んだ。


「……! 晃一さん……!」


 走り寄ろうとするシャルロットを、晃一は手で制する。


「どうしたんですか? わたし、迎えに来ました。一緒に帰りましょう……!」


 シャルロットの叫びに、晃一の心が揺らぐ。一歩だけ、門の方へ足を踏み出して……

 明らかに強くなった激痛に、二の足を踏んだ。

 ……シャルロットの方も、伝七の言葉を思い出していた。


 ──東郷が門から外に出ようとしたら、その時は止めた方がいいですぜ


 衝動をぐっとこらえ、震える声で問いかける。


「……もしかして……出られない理由があるんですか?」


 茶色い瞳が、泣き出しそうに揺らぐ。

 晃一は言葉を詰まらせ、静かに語り始めた。


「俺……シャルちゃんのこと好きだ」


 その「好き」がどういう意味を持つのか。

 シャルロットは、不思議と惑うことなく理解していた。


「好きだから、幸せになって欲しい。だけど……それは、たぶん、俺じゃダメなんだよ」


 晃一の吐息が、次第に荒くなっていく。

 押さえた腹部が痛むのだろう。


「シャルちゃんがもっと大人になって、色んな人と出会って、それでも俺が良いって……こんなろくでなしが良いって言うんなら、その時に……」


 それでも、伝えたい言葉があった。

 苦痛に耐え、晃一は、言葉を絞り出す。


「その時に……また、会いに来て」


 シャルロットも、何とはなしに理解していた。

 今、言葉を挟めば、二度と彼の真意を聞くことはないのだと。


「俺のことを……君を、命を賭けてでも守りたいって思った野郎がいたことを、忘れないでくれよ」


 赤く色づき始めた瞳の中。

 門の奥に見える影が、がくりと片膝をつく。


「君が、こんなにも愛された存在だってこと……ずっと……ずっと、覚えてて」


 赤く染まった西陽が、流れ落ちる涙を照らした。


「シャルロット、好きだよ。愛してる。……だから……だから、さよなら」


 晃一の言葉に呼応するよう、門扉が閉ざされていく。


「待って……待ってください! 何があったんですか、晃一さん……! それは……もう、会えないってことなんですか……!?」


 シャルロットが閉ざされゆく門に縋りついたところで、重い門はビクともしない。

 人ならざる「何か」の力はシャルロットの抵抗などものともせず、門扉を再び固く閉ざした。


「どうした、久住」


 その時。

 背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。


「書き置きなら読んだぞ。ぐっすり寝ていたんだが、仁左衛門から電話が来てな。一度、帰ることにした」


 つかつかと足音を立て、声の主が近付いてくる。


「晃一は、『暁十字の会』の信者に撃たれたらしくてな。弾丸に猛毒が仕込んであったらしい。……本当は、門を開けておくのさえあまり良くはない。『結界』の力が薄れるからな」


 結界。

 ただならぬ単語に、シャルロットはさあっと青ざめる。

 伝七の忠告が、再び脳裏に過ぎる。詳しい説明がなくとも、理解できてしまう。


 別れの時が来たのだ、と。


「……お見舞いも……ダメ、ですか」

「良くないだろうな。どうもお前がいると、晃一は格好つけたがるし、無理をするらしい。死んでもいいと思ってしまうんだろう」

「……晃一さん……」


 次郎は相変わらず歯に衣を着せることなく、所感をそのまま語る。

 片膝をつき、苦しそうに呻いた晃一の姿を思い出し、シャルロットは言葉をつぐむしかなかった。


「安心しろ、久住! 例の毒に関しては、以前より研究を続けている」


 次郎は平然と、いつもと変わらない明るい語調で答える。

 その表情に、深刻な気配は一切感じられない。


「晃一なら、治験にも手を貸してくれるだろう。いつになるかは分からないが、解毒できてから会いに来るといい!」


 晴れやかな笑顔で、青年は胸を張る。


「……それは、何年後ですか」

「何年かはハッキリとは言えないが、少なくとも数年はかかる。……いや、下手をすると数十年か」

「そんなに……」


 数十年。

 次郎はしれっと語るが、シャルロットにとっては気が遠くなるほどの時間だ。

 今すぐ扉を開いて駆け寄りたかった。

 大きな身体を抱き締めて、「そばにいたい」と叫びたかった。


 けれど、晃一はそれを望まなかった。


 ──シャルちゃんがもっと大人になって、色んな人と出会って、それでも俺が良いって……こんなろくでなしが良いって言うんなら、その時に……


「……大人に、なったら」


 唇を噛み締めて。


「また、会えるんですよね」


 拳を握り締めて。

 シャルロットは、涙が溢れ出すのを堪えた。


「ああ! 何年か経ってまだ会いたいと思っていたなら、もう一度来るといい! 許可を出すのは俺ではなく、仁左衛門になるだろうけどな」


 そう答えるや否や。

 次郎は軽やかに地面を飛び、塀の上に降り立った。


「とはいえ、もう大丈夫だろう! 久住は、晃一がいなくても生きていけそうだ」


 平然と告げられる言葉は、正しい。正しいが、やはり

 ひらりと白衣をなびかせ、次郎は敷地の中へと身を踊らせる。

 後には、ぽつんとたたずむシャルロットと、長く伸びきった影だけが残された。


「晃一さん、さようなら」


 夕陽は沈んでいく。

 赤い空が、紫色に染められていく。

 シャルロットの瞳から、大粒の涙がボロボロと溢れ出し、ぱたぱたと地面に落ちた。


「……また、会う日まで」


 抑えきれない嗚咽おえつをしゃくりあげながら、少女は呟く。

 その日、未来にわずかな希望ひかりを残し、幼い恋は終わった。

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