第23話 conflit

 ゆっくりと、晃一が顔を上げる。

 クロードに向けられた瞳は、背筋をねぶるように冷たい光を放っていた。


「……放ったらかしたくせにヒーロー気取り?」

「そちらこそ、たぶらかしたくせに救世主気取りですか」


 晃一の笑みが強まり、クロードの瞳が赤く染まる。

 シャルロットはじっと成り行きを見守っていた。今、声を上げたところで何も変わりはしない。彼らは元より、殺し、殺される間柄なのだから。


「誑かした……ねぇ。俺は本気だよ。……助けようと思ってるし、何なら幸せになって欲しい」


 晃一の口元は、へらへらとした笑みを崩さない。

 彼らは元より殺し、殺される間柄だ。……それでも、同じ少女に違う情をかけた。


 クロードはシャルロットを救おうとはしただろう。孤独な身の上を憂い、「ブラン」と、ヴァンパイアの中で蔑まれる姓を持った己と重ね、手を差し伸べようとはしただろう。

 ……だが、そこまでだ。


 クロードはシャルロットを救う道を選ばなかった。単純な話、彼には大切なものがあまりに多すぎた。


「そうかもしれませんね」


 クロードは晃一の言葉を肯定した。へぇ、と、晃一は続きを促すよう息をつく。


「けれど……あなたには守れません」


 それは、ただの放言だろうか。……それとも、根拠に基づいた主張だろうか。


 クロードの紅い瞳が爛々と輝く。……「聡明」の能力ブーケが階段を降りるたび、じわりじわりと晃一を捕らえ、蝕む。


「守れません」……と、たった一言が、真実の予言として足を絡め取る。

 隙としては、充分だった。


「……ッ」


 階段上から身を踊らせた影は、そのまま晃一の肩を掴み、壁へと叩きつけた。

 ぎりぎりと爪が広い肩幅に食い込み、晃一の顔が珍しく苦痛に歪む。


「クロードさん」


 クロードの背後より響いた声が、今度はクロードの動きを止めた。……カタカタと、小刻みに指が震え、足が震え、力が抜けていく。


「……あらら、随分と怖がりみたいだね。クロード・ブラン」


 その腹に、晃一の蹴りが叩き込まれた。


「ごふッ」


 手すりに背中を打ちつけ、クロードはよろよろと立ち上がる。……視線の先に、シャルロットを捉える。


「シャル……」

「助けに来た、と言ってくれて嬉しかったです。……でも、口実なんでしょう?」


 震える声で、シャルロットは真っ直ぐな視線を向けた。

 赤い瞳が交錯する。クロードは乾いた笑みを漏らし、そのまま俯いた。


「ああ、その通りだよ。……情けねぇ話、俺にゃお前を救う方法なんざ思いついちゃいねぇ。……だが、その男はいずれ殺さなきゃならねぇ……。意味、わかるだろ?」

「……わたしが晃一さんのそばにいることは、それだけで「敵対」と同じ……。そういうことですか?」

「物わかりが良いねぇ……」


 くく、と項垂れながら、クロードは自嘲気味に「守れねぇのは俺だってのにな」と呟いた。


 ざわざわと近くの教室が騒がしい。晃一はちらとその方角を見やり、「早苗ちゃん、よろしくね」と小声で囁く。

 つかつかとクロードの方に歩み寄り、そのまま、なんの躊躇いもなく腹を踏みつけた。


「が……ッ、ぐぅッ」

「……ッ!?晃一さん!?」

「ごめんねシャルちゃん。俺さ、今仕事中だから」


 感情のない声音が空気を冷やす。晃一は再び足を上げ、今度は、胸を踏みつけた。

 バキ、と嫌な音を立て、クロードの口元からたらりと血の混じった唾液が溢れる。


「……ッ、強い……です、ね……!ヒトの中では、やはり……あなたが……ッ、脅威です……」


 がしりと足を掴み、クロードは無理やりに前傾姿勢をとる。バキ、と、また嫌な音を立て、そのまま足に齧り付いた。


「……害がないとは言えねぇわ。例の殺人鬼の話だってあるでしょ?」

「危険がある以上、狩られる側なのは仕方ない……。ふ、ふふふ、まったく、その通りですよ……」


 晃一はまだ足を退けはしない。

 クロードの口の端からは、飲み下し損ねた血と吐血が混ざり合って流れ落ちる。やがて脚を掴む手に、徐々に力がこもる。


「シャルちゃん、まだ子供なのにさ、こんなこと言うの悪いと思うんだけど……」


 晃一の声に、温もりが帰ってくる。


「自分を救わないなら……「敵」でいいんじゃない?」


 シャルロットは既に、幾度も「恐怖」の能力ブーケを使おうとした。二人ともの動きを止めようとした。

 ……けれど、その度に動きが鈍るのはクロードのみだ。晃一はなんの恐れも抱かず、粛々とクロードをしようとしている。


 だが、


「は……ッ、なら、「暁十字の会」はあなたを救ったのですね……!」


 確かに、隙は生まれた。

 クロードは力が緩んだのを見計らい、体を捻って抜け出した。そのまま胸元から、光る「なにか」を投げ放つ。


「な……っ」


 晃一は目を見開き、咄嗟に受け止める。そんなはずはない……と、息を飲んだ。ここには限られた武器しか持ち込めず、だからこそ晃一達も苦心して……

 思案のさなか、銀紙の巻き付けられた枝が視界に入る。そして、脇腹に鈍い衝撃が走った。


「……よくできていますね。ここの結界セキュリティは。……身一つ滑り込ませるのが限界でした」

「……ッ、そうだねぇ……本気の蹴りだったら、オジサン、今頃内臓やられてたかも、ね……」


 そのまま、晃一は膝をつく。クロードも、よろよろと壁にもたれかかった。

 シャルロットは立ち尽くしたまま、言葉を発することができずにいた。

 クロードの言葉で、自らの状況を思い知らされる。

 結局、ヴァンパイア達はシャルロットを同胞とは見なさなかった。……見捨てていない、というのは、あくまでクロード個人に限った話なのだ。


「……シャル……こんなこと、俺が言えた義理じゃねぇが……」


 ぎり、と、歯噛みし、クロードは灰色に変わった視線をシャルロットに向けた。


「どうにか……どうにか、……1人でも、幸せになってくれ……!……すまねぇ……」


 どれほど無責任な発言か、そんなことは、彼自身がよく分かっている。

 ……それでも、「親代わり」としての最後の役目のように、クロードは縁ごと呪縛を切り捨てた。青白い手がシルクハットを探すが、届く場所には落ちていない。……隠されることのなかった涙が頬を流れ落ちるのを、シャルロットはしかと見た。


「……今まで、お世話になりました」


 シャルロットの頬を伝う涙は、感謝にしては虚しく、悲嘆にしては温かかった。

 晃一はふらふらと立ち上がり、また、手近な教室をちらりと見る。


「……早苗ちゃんが来る前に、退散した方がいいんじゃない?」


 いつものように軽い調子で、そう告げた。




 ***




「竹田女史、外が騒がしいのですが」


 異変に気付いたのは女子生徒……九曜くようだけではない。授業を受けていた中で、物音に気付いたものは少なくなかった。

 選択教室とは言えど、大抵は何かしらの授業で使われている。……それでも晃一は、「人目につかない場所」としてその近くを選んだ。


 分かっていたからだ。上司の手腕を。


「皆さん、聞いてください!」


 教卓に手を付き、眼鏡の女教師はよく通る声を張り上げる。九曜には、短い黒髪が波打ったかのようにも見えた。


「じ、実は……!私……」


 物々しい様子に、生徒達は廊下の喧騒よりも、目の前の教師に集中を奪われていく。

 息の溜め方、声の張り上げ方……そのすべてが調和して、教室の緊張感を高める。


「先日、テレビ局の人と話ができたんです!」


 ……それは、うら若き青少年の気を引くには、充分な話題と言えた。

 教員の名は竹田早苗たけださなえ。担当は外国語。……旧姓は、須藤すどう

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