第21話 flux

 存在感を薄め、時に認識されない。

「隠匿」の能力ブーケを持つ青年は、死の恐怖から遠ざかる代わりに、孤独と隣り合わせの生を得た。


 一族の長として、有力な候補であった従兄弟、セザール・エカルラートの死、さらには次いで候補であったアラン・ルージュの発狂、出奔により、意図せずしてヴァンパイア達の長となった青年。

 その名と顔を、はっきりと思い出せる者はほとんどいない。




 ***




「どうしたよロベール」

「クロードのバカ……節操なし……色男……」

「そりゃ褒めてねぇだろ」

「褒めてるように聞こえる!?」


 涙目のロベール相手に軽口を叩きつつ、クロードはちらと木製の校舎を見やった。

 犬上流呪術については詳しくなく、「結界」の精度についても齧った段階だが……「上手くできているな」と、その程度の感想は抱いた。


「ロベール。朝方にも言ったが昼休み、校庭な」

「……朝方にも言ったけど、変な騒ぎ起こさないでね?」

「おうよ、勿論だ」


 悪ぃ、もう起こした。……と、心の中で舌を出しつつ、クロードはちらと晃一を見た。

 どこからどう見ても一般的な日本人の30代男性だが、確かに体格は比較的がっしりとしており、背丈も高い。……が、やはり、取り立てて戦闘能力が高そうには見えない。


 ……と、視線がかち合う。今度はにこりと微笑まれ、背筋に寒気が走る。細められた視線は、獲物の前の蛇やワシのように、鋭い輝きを放っていた。


「……おお、怖い怖い」


 今度は、奈緒と語らうシャルロットの方に視線を戻す。


「奈緒ちゃん、クロードさんは絶対本気にしてないよ。遊ばれてるだけだよ……」

「ホントー?でも、あたしだって遊びだよ?殺し合いっていう本気の遊び」


 ……耳が痛くなったので、会話に聞き耳を立てるのはやめた。

 晃一がどういうつもりで保護しているのかは知らないが、シャルロットはああ見えて警戒心は強い方だ。懐いている時点で、まだ危害を加えられてはいない……と、予測ならできる。


 だが、ロベールの母……アンヌのこともある。

 ……彼女は壊れた。無惨な責め苦に耐えかねて、自ら愛してはならない「何か」を愛してしまった。


 そのことを、クロードが忘れたことはない。……いや、忘れられないのだ。


「それでは、私はこれで」

「ありゃ、いいの? 無理やり連れて帰らなくて」


 探るような視線が、クロードを射る。


「……戦略的撤退ですよ。また、すぐにお会いできるでしょう」


 流れるような仕草で礼をし、クロードはシルクハットを目深に被る。

 雨上がりの強い陽射しに目を細め、何事か会話する美和と次郎にちらと視線を投げた。


「昨日は悪かった。……その、まだ理由はよくわからないんだが……気に障ることを言ったのには違いないだろうからな」

「……いえ。私のも、八つ当たりみたいなでしたし」


 ほんのりと頬を染めた少女の仕草に、ははーん……と、思いを察する。……その面影に既視感はあれど、正体には思い至らないまま、カツカツと靴を鳴らして立ち去っていく。


「……デンシチ。今夜、お暇ですか?」


 すれ違いざま、欠伸をする青年にボソリと声をかけながら。




 ***




 昼休みの鐘が鳴り、ロベールは言いつけ通り校庭に向かった。

 待ち合わせ場所は決まっている。陽射しの強い校庭をわざわざ指定したのだ。……日光に弱い彼らが集まれる場所は、自然と限られる。


 メタセコイアの大木の影に、倉庫がある。昼間はちょうど大木の影と、倉庫の影が日光から逃れる隙間を作り出していた。

 そこに、青年は立っていた。

 両目を覆い隠した前髪は、シャルロットと同じ栗色。トマトジュースのパックを口にしながら、大柄な青年はぼんやりと地面を見つめている。


 ロベールはその姿を確認し、隣に立った。待ち人はまだか……と、ぼんやり思案して、はたと気付く。

 ……その目立つ容貌を「誰だっけ、この人……」で済ませられることが、そもそも「彼」である証。気付くのに、30秒ほどを要してしまった。


「ヴィクトルさん、話って何?」


 ヴィクトル・エカルラート。……陽岬に住まうヴァンパイア達の現リーダーだ。

 ちら、と、青みがかった瞳が栗色の前髪から覗く。季節外れのコートをガサゴソとまさぐり、ヴィクトルは手帳を取り出した。


「ミシェルさんからの言伝なんだけど……」

「……おばあちゃんから?」

「そう。……例の殺人鬼について」


 ごくり、と、ロベールの喉が鳴る。

 几帳面に整った文字を、無骨な指先がなぞる。昼時の眩しさに目を細めながら、ヴィクトルはその言葉を読み上げた。


「『ロベール、責任を感じているのはよく分かりました。けれど、それはあなたが背負うべきことではありません。……我らは神を騙る忌まわしき者達に目をつけられています。本来はあなたを気軽に外出させるのも不安なくらいです。どうか、危険な行動は慎んでください』……以上」


 パタリと手帳を閉じ、ヴィクトルは「心配してるんだろうね」と、つけ加えた。……文字で、しかも他者の手で記された言葉ならば、ミシェルが宿した「狂乱」の能力ブーケは意味を成さない。


「……どうして、今なの?」

「この学校にも、奴らがいるのは知ってるでしょ。……大上家との協定で、大人しいけど」

「……暁十字の会……」


 誰が「そう」なのか、ロベールは把握していない。……けれど、わざわざ釘を刺しに来たということは、接触してしまっているのだろう。

 再び、ヴィクトルが手帳を開く。今度は己を落ち着かせるよう、ページだけをパラパラとめくり、息をつく。


「明日、情勢が変わる」


 えっ、と、ロベールの視線が上方に向く。

 ヴィクトルの指は、静かに震えていた。


「……流行って怖いね」


 それ以上、ヴィクトルは何も語らなかった。

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