第18話 熱情

 どうして、と問われたらわからない。

 年端も行かない少年は初恋の代わりに、また、下世話な話に色めく代わりに、


 つんざくような断末魔に、心を奪われた。


 その音色こそが何よりも魅力に思えて、何よりも誘惑に感じた。

 悲痛な叫びを聞くことだけが、仁藤亮太にとっての愛欲に等しかった。


 その歪みの根源は、まだ本人にも分からない。




 ***




 一度は止んだ雨音が、再び鳴り始める。

 太郎右近は耳をそばだて、床の間から刀を手に取った。

 ちらと畳にあぐらをかいたアランを見、向かい合う伝七にも視線を移す。


「……不気味さで言うと似たようなもんですぜ?印象操作……みたいな能力があるってんなら、余計に同じでしょうし……」


 黄ばんだ白い仮面と、爛れた顔面を見比べながら、伝七は呟く。


「はぁ?美的感覚センスどうにかなってんのか。触り心地がもう違うっつの」


 アランは唸るように牙をむき、取り返そうと火傷まみれの腕を伸ばす。ひょいひょいと避けながら、伝七は太郎に言葉を投げかけた。


「……仁藤は、やっぱり脅威ですかい?」


 その言葉の持つ重量を、太郎も、アランも悟った。

 太郎は首を縦に振って肯定し、アランは隙を見て己の仮面を奪い取る。


「欲の中で、もっとも厄介なものは愛欲の類いよ。何も色恋とは限らぬが、こればかりは理屈が通じぬ。……なにせ、わが胸の内で滾る「神」の思念とて……そういった性質ゆえな」


 金の瞳が燃える。……その輝きには、紛れもない激情が宿っていた。

 いずれこの土地すらも焼き尽くしかねないほどの、

 根深く、激しい衝動が揺らめく。


「あの男が抱える熱は、捨て置けぬ」


 カチリと刃が音を立てる。

 同時にアランの赤い視線が、目のない仮面に覆われる。


「ただのイカレポンチにあれこれ説明が要るのかよ」


 裂けた仮面の口元からは、冷淡な、それでいて空虚な言葉が吐き出された。


「アレがそんな高尚なもんか。オレと同じで、死ななきゃ止まらねぇ本物のバケモンだ」


 くっくっと、喉から自嘲すら込めた笑いが漏れる。ゆらりと、幽鬼のように……いや、ほとんど幽鬼と化した男は立ち上がる。足首から剥き出しになった骨で、ふらつきながら身を支える。

 嘆いているような、それでいて歓ぶような、掠れた声が響く。

 稲光が、異形の姿を照らし出す。


「ああ、ああ、最高だな。今更「自分」ってのを取り戻した感覚はよぉ!!誰彼構わずぶっ殺してぇくらい頭に血が上って……反吐が出る」


 雷鳴が轟く。

「左様か」と言葉を返し、太郎はスラリと刀を抜く。稲光が刀身を照らし、再び、轟音が部屋を揺らす。

 チカチカと、まだ真新しい蛍光灯が瞬いた。


「貴君は、未だ血に飢えておるのか?」

「あぁ、飢えてるね。ヒトを何人殺そうが、俺らは人里に降りてきた動物と似たようなもんだ。……駆除したいってんなら、するといい」

「それは生きるためか。……それとも、怨みゆえか」

「どっちもだ。て芸を教えたいんなら諦めろ」

「……なるほど、クロードとやらの言う通り、気風のいい男と見た」


 ぴく、と、アランの指が動く。隠された視線が、わずかに矛先をぶれさせる。……少なくとも、太郎はそれを視た。


「ああ、そんなにびっくりすることないですぜ。単にクロードとは俺が飲み仲間でして……」


 伝七の軽い声が、さらに動揺を誘う。


「同盟を結ぶ用意ならばある。……されど、今の長は未だ「隠匿能力」にて姿を隠し、手の内を見せぬ」


 ごとり、と、太郎は畳の上に刀を置いた。


「我らはどちらも、滅びる順を後にするか、先にするかといった種族。……なればこそ、共に足掻くのも悪くはあるまい」


 ふと、アランは「新天地」に希望を見出した愚かな男の姿を思う。

 ……きっと、似た声で祖父は同志を募り、この土地に辿り着いたのだろう。


 ゆっくりとぼろぼろの手を差し出す。

 このまま灰に帰るよりは、まだ、夢の続きが見たかった。




 ***




「あ、晃一さんおかえりなさい。雷、すごいですよね……」


 玄関で少女が出迎えてくるのは、やはり、なかなか慣れるものではない。

 いくら晃一がちゃらんぽらんに生きていても、いや、だからこそ、繰り返せば繰り返すほど不自然に思えてくる。


「……そうだねぇ。怖かったら一緒に寝る?」

「……良いんですか?」

「いやいや冗談だから!ちょーっと自制心揺らぐから怯えた目で見るのはやめようね!!」


 冷や汗をかきつつ、晃一は差し出されたタオルを手に取る。

 ……そういえば、セザールが死んだのもこんな日だった。最期まで太陽に愛されない人だったな、と……ぼんやり思う。

 背後では、シャルロットが見ていた「殺人鬼」のニュースが流れている。




 お父さんはその人じゃないよ、シャルちゃん。

 だってセザールさんは、俺が殺しちゃったはずだし。




 ……そう、正直に告げることができたなら、いくぶん身軽になれただろうか。

「あの」と、意を決したシャルロットの声が、思考を現実に戻した。


「……卵焼き、作っていいですか?」

「あー、分かる分かる。モヤモヤした時って卵割るの楽しいよね。でもそれこっちの得意料理よ?俺、卵焼きにはうるさいよ?」

「じゃあ……教えて欲しいです」


 シャルロットは照れたようにはにかんで、大きすぎるエプロンをつけてキッチンに向かう。

 ……晃一はその姿から、耐えきれず目を逸らした。




 漠然としたこの「恐怖」は、

 きっと、能力ブーケのせいではないのだろう。

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