麻朝のおかしな日常

a-stone.

第1話 召喚士の成人

「ロンダー、何処へ行ったんだろう」


死期を悟った飼い猫は人知れず飼い主の元を去る。


そんな話がふと胸を過ぎるが、しかし麻朝(まあさ)は思い直す。

あの気紛れネコのことだ、すぐ帰って来るに決まっている。

それより今日の分がまだだ。それに日は高い。


秋物のコートを羽織り、革製のブーツに足を通す。お気に入りの黒いトンガリ帽子を被り、網籠を手にすると、麻朝はいつもの小道へと出た。

秋の山は黄や橙に染まり、収穫を待つ果物がそこかしこに生っている。

全てを採る必要はないが、冬への備えも必要だ。

貯蔵庫の加減を思いながら、麻朝は果物を選定した。


麻朝の仕事は「召喚士」である。


隔世遺伝の特別な力により、果物を使った召喚術を扱うことができる、希少な人材であった。元々は麻朝の母方のVaissie家の伝承に残る程度の、人知れぬささやかな術であったが、13歳の誕生日に思わぬ形で発現したのがことの起こりであった。


召喚術と聞けば、この世のものでない、何かしら恐ろしい印象を受ける。果物とは言え、贄を捧げて、呪術的な召喚を行うのだ。人に知られる所となれば、良くて変わり者、悪ければこの世ならざる者として迫害を受けるやも分からぬ。そんな召喚を、若干13歳の少女が発現させたのだ。一家は騒然となった筈である。


そう、筈であった。


今にして思えは、良い意味で偶然が重なったと言う事だろう。麻朝の生まれた家は、古くから続く洋菓子店であり、父志栄(しえい)は本場で学ぶためにフランスへと渡った職人である。母Patricia(パトリシア)も職人で、二人はそこで出会ったらしい。帰国後二人は店を継ぎ、数年後に麻朝が生まれた。当然、麻朝の生活は、洋菓子と共にあったが、これが功を奏した。麻朝の初めて召喚は13歳の誕生日だったが、召喚に驚きこそすれ、誰も恐れを抱かなかったのは、正にこの家の生業の為であった。アップルパイだったのである。


誕生日の主役の娘が何を思ったか、差し入れのリンゴを片手に呪文を唱え始めたときは、普段冷静な志栄も戸惑いを覚えた。しかし、次の瞬間に現れたそれは、職人である志栄の目から見ても、まぎれもないアップルパイであり、焼き色、香り、食感、味共に、納得の仕上がりであった。妻パトリシアから聞いていた伝承と我が娘の結び付きに気付いた時、彼は感涙し、気が付けばむせび泣いていた。一方、流石Vaissie家の人間と言うべきか、或いは母親とはかくも現実主義者であるかと感心するべきか、娘の召喚術を目の当たりにしたパトリシアは落ち着いたもので、これでお婆様もお喜びになるわと無邪気に笑った。


召喚の成功には、幾つか条件があるらしい。らしい、と言うのは、伝承には不明確な部分も多く、実際に試してみて初めて分かることが少なくなかったからである。成人を迎える今の時点で分かっていることは「旬の果物であること」「農薬を使っていないこと」「加工していないこと」の3点が確実で、後は神の気紛れか、10回に1回程、真っ黒な何かになることが分かっている。例えるなら焦げたパン生地の様相で、苦みはあるが毒性はない。今では「炭」と呼んで、肥料にしている。


「さてと、このくらいで良いかな」


飼い猫は遂に姿を見せず、しかし手籠の一杯になった麻朝は、その足で厨房を目指した。麻朝は13歳のあの日から、この家に一人で暮らしている。召喚術の向上に、十分な場所が必要なのも、今となっては理由の一つだが、元々彼女は菓子職人となるべく、自分専用の厨房で、気兼ねなく修行したいと言う願望をもっていた。


家と土地は、友人の伝手もあり、実家の近くに、離れのような形でもつことができた。始めの数年は、普段は実家で過ごし、修行をこの家でと言う生活だったが、次第に修行に掛ける時間が長くなり、気が付けば、こちらで生活するようになっていた。両親に学んだ職人の技を基礎に独自の技を磨く中で、自身に開花した摩訶不思議な力と、どうにか折り合いを付けているのが今の麻朝であった。


『13歳になったら、独り立ちをするのよ』


この一文が、彼女の人生を決めたと言ってもいい。


確か、学級文庫の一冊だったか。古い映画の原作とかで、家で過ごす一人の時間には丁度良いだろうと、手に取った一冊だった。彼女の家は、老舗の洋菓子店で、仕事熱心な両親は、終日厨房に立つ生活であった。両親の仕事に興味はあったものの、そこは長子の性格か、邪魔にならないよう、一人で過ごすことが多くなっていた。職人気質で気難しい父と、社交的で快活な母。そんな二人が熱心に働く気配を背中に感じながら、勉学と読書とに、彼女は時間を費やした。


幼い頃に読み聞かされた数々の童話の影響か、やや幻想を含む、児童文学を好んだ。近くに居ながらも、共に過ごす時間の限られた生活は、幼心に、寂しさを宿らせたのかも知れない。本を開き、想像の世界に浸る間、彼女の心は満たされていた。今から思えば、分岐点となったその本は、思春期を目前にした彼女の心情に、特に合っていたのだろう。老舗を支える菓子職人の両親。憧れはあるけれど、今の自分にその力は無い。でもいつか叶えて見せる。半人前の魔法使いが、社会に出て成長していく姿に、自分の未来の姿を重ねていたのだろう。魔法使いに憧れて独り立ちを夢見る少女、波手井麻朝(ぱていまあさ)。実際に家を出て行く、一年半程前のことであった。


「行ってきます。」「行ってらっしゃい。」


用意された食事を一人で済ませ、厨房に声を掛け、両親の声を聞き、朝の通りに出る。川沿いの桜は既に花を落とし、薄い黄緑から緑へと、新緑の時期に向かい始めている。少し湿った明け方の大気の向こうから朝日が降り注ぎ、寒さを和らげつつ、晩春の風景をくっきりと浮かび上がらせる。溶けた朝露が、草の香りを乗せて立ち昇っていく。この時間が、彼女は好きだった。足取りが軽くなれば、短めに切った髪が合わせて揺れる。陽射しに映える少し赤味掛かった髪は、彼女の自慢だった。修行先の地で出会い、国際結婚した両親から、血を受け継いだ証であり、菓子職人の証でもある。髪色が変だとからかうクラスメイトもいたが、持ち前の明るさと芯の強さとで跳ね返すうちに、味方の方が多くなった。


「ウチの事務所が空いているよ」


夏休みを控えた、夕刻と呼ぶには明るい帰り道である。クラスメイトで仲が良く、加えて方角が同じならば、同行するのは自然なことだろう。学校から商店街を抜け、住宅街へと続く道が、彼女らの通学路であった。麻朝のクラスメイト金盛愛璃(かなもりめぐり)は、麻朝がいつか家を出ると言う話を聞き、それならば力になれるよと、一つの提案をした。地主の一人娘で、父親は幾つも会社をもつ、優秀な経営者の一人である。本人も、お嬢様然とした清楚でおっとりとした見掛けとは裏腹に、かなりの切れ者である。意表を突く発言でクラスを沸かせる存在であった。


「いきなり一人って大変じゃないかなあ」


同行していたもう一人のクラスメイト、土師伽純子(はしかすみこ)が、率直な感想を述べた。愛璃とは逆に、こちらは庶民肌だった。目立つことを好まず、常識的に、堅実に物事を進めたいタイプで、大人の庇護なしに一人で暮らすなど、子どもである自分達には無理だとういう本質を突いていた。


「必要な物は用意させるし、設備にも問題はないわ。けれどそうね、仕送りは必要よね」


少しだけ考えて、愛璃はそう言った。生まれながらの資産家は何一つ不自由なく暮らしてきたから世間知らずだろう、と言う一般論は、彼女には当てはまらない。教育が行き届いているのだろう。先行投資を惜しまない姿勢は、幼い娘にも、しっかりと受け継がれていた。


「来年の誕生日に引っ越しね。お父様に声を掛けておくわ」

「ありがとう愛璃」


すっかりやる気の麻朝と愛璃の会話だが、何一つ現実味を感じられず、伽純子は言った。


「え、本当にやるの」


背負った太陽は彼女の顔に影を落としたが、向かいに居る肝心の二人は良く照らされて、意気揚々と別れの挨拶を交わしたのだった。伽純子の心配を他所に、麻朝の独り立ち計画は、愛璃の力を得て、具体的に動き出した。


「お誕生日おめでとう!」


魔法の釜、とでも呼ぶべきだろうか。麻朝の13歳の誕生日は、愛璃の用意した事務所で祝われた。金盛家の計らいもあって、実家に近く、ちょっとした離れのような新居である。父である志栄(しえい)は、娘の一人暮らしを心配したが、本場のパティシエで、逞しく修行時代を過ごした母パトリシアの「まあ、早すぎるってことはないでしょう」の一声で全てが決まった。麻朝自身、この一年で菓子作りの基礎の学びを進めており、自分の厨房をもっていても、おかしくはなくなっていた。身内と愛璃と伽純子とのささやかなお祝いの後、両親から基本的な調理器具が送られた。その後、金盛家の計らいで提供されたのが、冒頭の魔法の釜である。


「本場から取り寄せた一級品だってお父様は仰っていたわ。お店の人が言うには、素材を一つ入れるだけで一品できる伝説の釜によく似ているんだって。まあ噂だけどね」


偶然の産物。事実は小説よりも奇なり。いや、これは集まるべくして集まったと言うべきか。麻朝は何を思ったか、差し入れられたリンゴを手に取ると釜に掲げ、彼女の人生を決めた学級文庫の魔法使い、その呪文を口にした。魔法の釜、新鮮なリンゴ、Vaissie家の血筋。まるでそうなることが決まっていたかのように、釜は輝きだし、投じられたリンゴは姿を変え、その場に居た全員が我に返ったときには、テーブルの上にアップルパイが、でんと鎮座していたのである。

当然全員が訝しんだ。しかしここは一家の長、加えて老舗の看板を背負う私が見定めると、志栄がアップルパイへと近づいた。後は先に記した通りである。この日を境に麻朝はVaissie家の力を自覚し「召喚士」としての人生を歩むことを決めた。


「暫く南瓜は見たくない」


成人を控えた今となっては、既に笑い話だが「召喚士」の始まりは、全てが順調だった訳ではない。初めての召喚から1年経とうかという10月末のことである。収穫祭のお供えを頼まれた彼女は俄然やる気を見せた。親の伝手とは言え、公の依頼を受けるのは初めてである。

成人を迎える1年と、13歳の少女が過ごす1年は、まるで感覚が違う。あの頃は若かったなと今では思えるが、1年に満たない修行の成果を、あたかも一大事業のように誇ってしまった麻朝が居た。結果から言うとやり過ぎてしまったのである。


召喚自体は上手くいった。増長していたのは否めない。併せて、周囲が希少な人材に、過大な期待を掛けたのも原因の一つだっただろう。釜の神が居るのなら、その怒りに触れたのかもしれない。


魔法を使う少女と光輝く釜。収穫祭を盛り上げるのには打ってつけの構図だ。既に希少となった儀式だから、物珍しさもあっただろう。


この町では伝統的に、収穫祭で南瓜を祭る。農家で大きさや出来栄えを競うものだから、大量の南瓜が出回る時期でもある。町は例年、出回り過ぎる南瓜を、祭りの後にどうするか苦慮していた。


そこで白羽の矢が立ったのが魔法の釜の召喚士、麻朝である。


老舗洋菓子店「波手井(ぱてい)」としても、召喚士の存在とその理解を進めたかったので、志栄とパトリシアは町と相談し、正式な依頼として、麻朝へと伝えたのだった。


思春期の少女が、大人扱いされた喜びは計り知れない。彼女が張り切り過ぎてやらかしたとしても、一体誰が責められようか。


迎えた麻朝の一大舞台。失われた召喚士の公での初仕事。魔法の釜にも限度はあった。調子に乗って召喚を繰り返した結果、釜は憂いの色を帯び、遂に南瓜自体を大量召喚。祭り会場を埋め尽くし、その後1か月に渡り、町の住人は、朝昼間晩と南瓜料理で過ごすことになったのだった。


「取り置きはこれくらいかな」


収穫に出歩き、菓子を研究し、召喚の精度を高める。実家を通じて、成果を町に還元する生活は、質素そのものである。ここ数年は、納品の時くらいしか顔を合わせない家族だが、最大の研鑽相手でもあり、近くに居ると言う安心感もある。

金盛家と土師家とも、かつてクラスメイトだった二人を通じて関係があり、大人になった今も、時々会っている。愛璃と伽純子は、二人で事務所を立ち上げたそうだ。伽純子によると、金盛家の事業の一環らしい。町の相談窓口をしているとかで、困ったことがあればいつでも来てと声を掛けられている。

あの南瓜事件以来、私の関心は、召喚士の術がいつになったら安定するのか、その一点である。当面の困りごとと言えば、召喚の失敗であり、伝承にも当たっているが、今の所はやり方を探り、数をこなすしかない状態だ。


「調子はどうだ」


成人を迎える朝、一番に出会ったのは父志栄であった。


「どうしたのお父さん。こんな時間に」


仕込みは終わっている時間だが、開店準備をしなければならないだろう。そこで麻朝は、違和感を覚えた。


「どうしたの、正装なんて」


麻朝の覚えている限り、父はいつでも割烹着であった。仕込みも接客もそうだった。例の祭りの時でさえ、やることは変わらず、衣装もそのままだったことを覚えている。むしろ、父が正装を持っていること自体驚きであった。


「大会、は無かったよね。あればお母さんが黙ってないし」


「麻朝」


麻朝が思考を巡らせていると、志栄は娘の名を呼んだ。真剣な面持ちに、麻朝は数年ぶりに緊張を覚えた。


「お前は召喚士として独り立ちできるか」


「え」


「お前も知っていると思うが、伝承によると術は思春期に発現しその後成人まで継続する」


「うん。自分のものにする為には、その間に研鑽を重ねて、術を安定させるんだよね」


「そうだ」


志栄は一呼吸おき、そして続けた。


「そして麻朝、お前は今日成人を迎える。私は、お前を見定めに来た」


「どういうこと」


真剣な面持ちで、志栄は娘の顔を見つめた。そして知りえた事実と己の意思を伝える言葉を探った。ここを訪れるまでに何度も考えた筈だが、いざ目の前にすると、うまく言葉が出てこない。この子にとって必要なことだ。頭では分かっているのだが、志栄にとっても初めての事態であり、理解が十分だとは言えなかった。


「私に、全力を見せてみなさい」


父として、とか、職人として、とか、他にも言いようはあったのじゃないかなどと志栄は思ったが、出て来た言葉は要点だけであった。娘に意図は伝わっただろうか。不器用な父は己の乏しい語彙を呪った。


「分かった」


麻朝の理解は、それで正しかったのか、今となっては分からない。ただ一つ言えることは、このとき行われた3回の召喚が、彼女の人生を再び分岐させたということだけである。


「厨房を借りるぞ」


召喚の準備をする麻朝に声を掛けると、志栄は、信じられない速度で割烹着に着替えた。父の早着替えに度肝を抜かれた麻朝だったが、よく考えたら着替えるところを見たのは初めてである。厨房に立つ父の姿は知っているが、今日は纏った気迫が違う。幼い頃に大会応援で見た父は座席から遠く、朧げにしか覚えていない。しかしその時は気付かなかったが、もしかしたらこれが、本当の父の実力なのかも知れない。次の瞬間にはボウルと泡だて器を、恐ろしい速度で正確に回し始めていた。


「負けない」


鬼の如き気迫を感じ、一度は気圧された麻朝だったが、ここは召喚士の矜持の示しどころ。収穫したばかりの選りすぐりの実を掴むと、深く呼吸をして釜の前に立つ。最近作った中で会心の出来だった菓子を思い浮かべ、いざ投入。釜は穏やかに光りを放ち、本日の果物、オータムアップルはマフィンへと姿を変えた。出来は上々。今の精神状態なら次も行ける。心の均衡を崩さぬよう、麻朝は次の果物へ手を伸ばした。


チーン


オーブンの音に精神を乱され麻朝は召喚失敗。例の炭を呼び出してしまった。しかし挫けて居る時間はない。少なくともマフィンは成功したのだ。だが、父を満足させるにはパンチが足りない気がする。そもそも見定めるとは何だ。父は何を以て私と勝負をする気なのだ。


選ぶ果物に暫し逡巡する麻朝。旬の果物で、無農薬で、加工していない。これは最低条件。製菓の技量が影響していることは確認済み。だが、後は何だ。何か、何かが足りない気がする。このお菓子の召喚術は、誰が何の為に。


「仕上げだ」


実際に声が聞こえた訳ではない。父の情熱が感じられた、と言った所だろうか。菓子作りに向ける情熱。それは何処に向かっているのだろう。


『お誕生日おめでとう!』


不意に脳裏を過ぎったのは、あの日の言葉。初めて召喚したアップルパイ。父はあの日、むせび泣いて食べていたっけ。


そうだ、私、嬉しかったんだ。

この摩訶不可思議な召喚の力で、皆を笑顔にしたかったんだ。


そうだ。


お菓子を美味しくしたいのは、食べる誰かを笑顔にしたいからなんだ。


「迷いが、消えた」


怒涛の勢いで菓子を仕上げた志栄は、そこで初めて、娘の気迫の変化に気付いた。


「これは」


「分かったよ、お父さん。召喚士の求めた、本当の術の使い方」


成人を迎える日。それはかつて家族から独り立つ日であり、何より誕生を祝う日であった。菓子の召喚とは、単なる贄との交換ではない。その菓子が渡る先に向けられた思いを具現化することが、召喚士の本質だったのだ。


「おめでとう、麻朝」

「ありがとう、お父さん」


バースデーケーキが、堂々と鎮座していた。


「ふ、そこに気付くとは」


「誰」


麻朝が初めて聞く声に、その主を求めて凝視してみれば、行方をくらましていた飼い猫が、その本性を現していた。


「漸く本当の話ができる」


しゃべるネコが、そこに居た。

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