第五話 ニヴルヘイム寮

 クラス全員がバラバラに帰っても結局は同じ様な場所に帰る。俺は学園の敷地内にあって、学園北の外れにある寮に戻るのだ。


 マルタ魔導学園があるドラシル島の北の端に《ニヴルヘイム寮》があり、そこに俺の部屋があった。ドラシル島にあって方角などはあまり意味をなさないが、一部の人間には拘りがあるようだ。寮母さんはモーズさんと言い、小柄なお婆さんだった。


「あら、おかえりなさい。入学式大変だったんじゃないかい?」


 モーズさんは寮母として長くやっているらしいので、学園の事情には通じているのだろう。それにこのニヴルヘイム寮に来る生徒の大半が、嫌がらせなどを受けたりしている人達なのは今日の一連の流れを見て初めて知った。


「まぁ、悪くはないよ。この位ならさ」


 正直なところを包み隠さずに言うとモーズさんは笑顔で「そうかい」と言ったきり、台所へと引っ込んでいった。


 ニヴルヘイム寮はぼろいながらも、建物としてはしっかりとしている。隙間風が吹き込むことは無く、一人に一部屋を与えられているのは正直有難かった。そして、俺の部屋は二階の奥から三番目の部屋が与えられている。


 部屋に入るや鞄を机に投げ置く、それから長袍を脱ぎ捨てる。制服はあったが、自由という事なので動きやすい服を選んだ。それにどうにもこの学園の制服は俺には息が詰まる。体も動かしにくいし、自由ならカンフー服か長袍を選んだ。

 時間は午後の三時を回っていた。小腹が空いてきたので、適当に木箱を漁って中から干し梅を口に放り込む。酸っぱいな。余計に腹が空いてくる。飯の時間まではまだある。

 木箱の中から部屋着を取り出すと着替える。着替え終わるとプライベートタイムに完全に移行した気分になる。正装でもそこまで堅苦しい物ではなかったけど、雰囲気が息苦しさを後押しした。初めて感じるものだったが、あれが人酔いとでも言うのだろうか。


 思考を現状に移す。部屋には俺が一人。当然ではある。それに知らん奴がいるならば、ゾッとする。


「部屋も思ったよりも悪くないが」


 風が吹くたびに窓がカタカタと音を立てて鳴る。完全な密閉空間ではないようだ。風が止んで、しんと静まり返る部屋の中で外をじっと眺める。近くに川があり、川岸にはイチョウの木が植えられている。葉っぱはまだ青々としていて、まだ夏が終わっていない事を感じる。川には橋が架かっていて、橋を越えると女子寮の《ムスペルヘイム寮》がある。地図で見ただけだが、大体の地形は覚えた。そして、鍛錬を積むのにちょうど良い場所の目星を付けた。そこの周囲は木に囲まれていて、その中央はぽっかりと穴が開いていた。後はそこを見に行く、それだけだ。


 視線を室内戻すと木箱の整理に入る。荷物は全部あったが、足りない物は現地で買おうと思っているので、まずはそのチェックだ。


 カン。


 風で舞った小石でも窓に当たったのだろう。気にしない。着替えは何処だったかな。ん? ここは二階のはず。だったら、誰が?


「おーい」


 外を覗くと拳大の石を持った先輩が居た。目元を軽く吊り上げて、不機嫌な様子である。


「ホンファ、先輩。どうしたんですか?」


 先輩という言葉でホンファ先輩は不機嫌を一瞬で吹き飛ばした。何だか可愛らしいとさえ思えるが、そんなことない、はず。


「うんうん。良いな。先輩という響き」


 何度か頷く先輩を見下ろしながら、


「どうしたんです? それだけのために来たわけでは無いのでしょう?」


 それよりも何故、ここが分かったと聞きたいがぐっと堪える。今の先輩はとにかくよく分からない。ただ、「先輩」と呼べば機嫌を良くするくらいで、その内元に戻るだろう。


「あぁ、そうね。昔、私のせいで八極拳から離れてしまったでしょう」


 気にしていない様に見えたけど、気にはしていたのか。俺も忘れない。というよりも忘れてはいけない。全てはそこから始まったのだ。


「まだ、套路は続けているの? まだ、続けていると言うのなら、私に見せてくれない、かな?」


 いつになくしおらしいホンファ先輩である。視線を上向けているが、俺には向いていない。というよりも、向けられない? ますます分からない。


「遠慮しておきます。ホンファ先輩は何か負い目があるのか知らんけど、俺には何もないですから」


 突き放す様に言うと「そう」と一言だけ言って去って行った。背中には何処か寂しそうな雰囲気を漂わせている。


 去った後はそれを考えまいと荷物の整理に没頭した。荷物自体は少ないので、夕暮れ前に全てを終えたと思った。


「あぁ言ったが、続けていますとは言えんよな」


 基本の金剛八式と八極小架等、個人で出来るものは続けて来た。それ以外は渦巻きに費やしたけど。


「しかし、近くに居るのなら套路をやる際は気を付けないとな」


 時計を見ると六時を回っている。当然、陽は傾いていた。俺の体内時計と現実の時間の違いに驚愕したが、この場は食欲の方が勝った。下に降りて夕飯を頂くことにする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る