第百七十七譚 魔界の空、消えない想い
魔界には昼も夜もない。
幾年月が経とうとも、赤紫色に禍々しく薄暗いままの世界。
植物も育たず、空気さえ澱んでいる。
魔族にとってそれは特別気にならないらしいが、それ以外の――人間たちにとっては少しばかり厳しいものがある。
主には体調面だ。
この魔界にやって来てからというもの、体が重く疲れやすくなっているのを感じる。
セレーネたちも体調を崩し、今は寝室で休ませてもらっている。
時間の感覚もわからないから、眠気も気が付かない。
せめて今が昼か夜かはわかると楽なんだけどな。
「こんな場所で何してるんですか」
「この綺麗な空に想いを馳せてたんだよ――キーラ」
声の主の方を向きながら、俺は冗談交じりに口を開く。
「そんな事これっぽちも思ってないくせに」
笑みを浮かべ、キーラはこのテラスへと足を進めた。
俺の隣に立った彼女は、遠くの空を見つめながら手すりに寄りかかる。
「作戦、リヴェリア君はどう考えます?」
「まあ、五分五分ってところかな。あとは聖王側がどう出てくるかにかかってる」
今から少し前、聖王討伐に向けての作戦を練り終えたけど、それが万全のものかと言われたらそうとは言い切れない。
全ては向こうの出方次第。作戦としては愚策だけど、これが今一番の策だというのには変わりない。
「聖王の居城が魔界には無いって話、驚いたよ。まあ、考えてみたら女神アディヌが手を組んでるんだから、空間を創り出す事ぐらい可能なんだろうってわかるんだけどさ」
「私も女神アディヌの存在を聞いて納得したんです。あの空間はそういう原理だったんだって。空間が別ではどうしようもないと思ったけど、それでも弱点はある……」
「奴らは魔界に来るとき、必ず同じ場所から現れる。どこにでも好きな場所に移動できるわけじゃない――聖王の居城と魔界を繋ぐゲートのようなものからしか移動ができない。そこを逆手にとって、だろ?」
俺の確認に、キーラは小さく頷いた。
魔王軍はこれまで苦戦を強いられてきた。それはただ数だとか強さだとか、そういう問題だけじゃない。
聖王軍の居場所がわからなかったことが大きな原因だろう。
それでも、ようやく掴んだ聖王の居城。この好機を絶対に逃したくない、そう言っていた。
なら、俺たちもそれに応えないわけにはいかない。同じ目的を持つ者同士――共に戦った仲間として。
「……そういえば、あの日も今みたいに二人で話しましたよね」
「あの日、って魔王と戦う日の前日か。懐かしいな」
「憶えてます? 私が何を話したか」
「えっと……ごめん、なんだっけ?」
「もう、酷い人ですねー。もしも魔王を倒したらどうするかって話ですよー」
そう言って頬を膨らませるキーラを見て、俺は改めて懐かしさを覚えた。
昔からこうだった。いつも年上ぶってるのに、時々子供っぽくなるのが可笑しくて。それを指摘するとまた子供みたいに拗ね始めて。
今思えば、俺はきっとキーラを――。
そこで俺は考えることを止め、手すりにもたれかかった。
「……キーラ。お前、今の姿で拗ねるとちょっと不気味だぞ」
「あーまたそういうこと言う! 私だって傷つくんですからね!」
そして、俺たちは顔を見合わせて笑い合う。
こんなやり取りも、随分と懐かしかった。
「――ねえ、リヴェリア君。気付いてました?」
微笑みを浮かべながら、キーラがこちらを見つめる。
「私、リヴェリア君の事、好きだったんですよ?」
「え――」
上手く言葉が出なかった。
何を言えばいいのか、何と言ってあげればいいのか。
まさかキーラが――いや、気付かないのも当たり前か。いつも自分の事ばかりだった俺が他人の気持ちに気づけるはずがなかったんだ。
もし、気付けたとしても俺にそんな資格はないだろう。
「もう今となっては遅いんですけど、言いたくなっちゃいました。ああ、スッキリした」
「……ありがとう。お前にそう言ってもらえるなんて、『リヴェリア』は幸せ者だな」
「え? それってどういう……」
「俺たち転生者は、言ってみれば過去の亡霊だ。今にいない過去に囚われ続ける者……。でも、それじゃあ駄目なんだって気付いた。未来――今をこの瞬間を精一杯生きていかないといけないんだ。今の俺と過去の俺は違う。リヴェリアとしての俺は、あの日にもう終わってる」
「――ふふっ、なるほど。いつまでも過去に囚われ続けてはいけない……確かに、リヴェリア君の言う通りかも。私たちは今を生き続ける者たちと共に今日を歩かないと駄目なんですね……彼らの進む道がより良い未来に続くように」
俺たちはこの世界にとってイレギュラーな存在。過去が置いて行ってしまった忘れ物だ。
そんな俺たちが出来ることは唯一つ。
今を生きる者に未来を託すこと。俺たちが残してしまったものを俺たちの手で片を付けること。
それが俺たちの――俺の役目。
「さて、そんなところに隠れてないでこっちに来たらどうですか?」
と、俺が黄昏ているその時。キーラが後ろを振り返って誰かを呼んだ。
その誰かはゆっくりと足音を立てて近づく。
「ごめんなさい。隠れるつもりはなかったのですが出ていく機会を伺っていて……」
おずおずとバツの悪いようにセレーネが立っていた。
「セレーネじゃないか。体調の方はいいのか?」
「はい、おかげさまでもう大分良くなりました。ここの空気にも慣れてきましたし――それでは、部屋に戻りますね。お邪魔してしまってごめんなさい」
そう言って、そそくさと退散しようとするセレーネに、
「待ってください」
と、キーラが優し気な表情で呼び止める。
呼び止められたセレーネはこちらを振り返り、不思議そうにキーラを見つめた。
そんなセレーネにゆっくりと近づいたキーラは、慈しむように優しく頬に触れる。
「あの……私の顔に何か?」
セレーネの問いに小さく首を振る。
「違うんです。どこか……妹と面影が重なって」
「妹さん……ですか?」
「あ、とは言っても私が人間だった頃の話なんですけどね。旅をしている間に、よく手紙を送ったりしていたんですよ」
懐かしそうに語るキーラを見て、俺は昔の事を思い出していた。
街に寄るたび、行商人に何かを渡していたキーラ。何を送っているのかと尋ねたら手紙だと言っていた。手紙なんていつ書いてるんだろうと気になった俺は、その日の夜に寝たふりをして起きていたんだ。
皆が寝静まった後、部屋の隅に灯りがともったからふと覗いてみると、そこには手紙を書くキーラがいた。
俺たちに遠慮して毎晩書いていたらしいが、本人曰く恥ずかしかったと。
そこで知ったんだ。キーラに遠い故郷に残してきた妹がいるって事を。
「もし妹に孫がいたら、きっと貴女ぐらいの年齢なんでしょうね……」
「そういえば、妹さんが婚約したって話いつ頃だったっけ?」
「確か……魔王に挑む数日前でしたね。『リリールニス』という家に嫁ぐと手紙に書かれてました」
「リリールニス……?」
反射的にセレーネの方へ顔を向ける。
セレーネは面食らったように口を開き、固まったまま、
「リリールニスは、私の……家名です――」
と、震えた口調で言葉を発した。
それを聞いたキーラがハッとしたような顔で、セレーネに体を向けた。
「あ、貴女はまさか――」
その時だった。
このテラスに勢いよく駆けこむ影が一つ。
「魔王様! 報告ですねえ!」
魔王の側近――髑髏頭のスカルウェインが慌てた様子で跪く。
「聖王の軍勢が――!」
刹那。丘の向こう側から銅鑼の音が微かに響いた。
俺は手すりから身を乗り出し、丘の向こうに目を凝らす。
そこに見えたのは、丘向こうまで続く巨大な軍勢。
「嘘、だろ――」
聖王軍は、すぐそこにまで迫っていた。
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