第百二十三譚 さよなら


 アルヴェリオたちが二角の騎士と戦闘を開始した直後、海鳴りの地に妖精族の軍勢が到着した。


 妖精族は北の戦場が停戦状態にあるという報せを受けていたが、それを信じていなかった。


 しかし、トゥルニカの兵士たちの話を聞き、海鳴りの地で停戦協定が結ばれたと知った妖精族は、すぐさま海鳴りの地へとやって来たのだ。


 妖精族を率いていた先頭の女妖精が、足早にムルモアとシャールに近づく。


 その女妖精を見たシャールは、笑顔で駆け寄った。


「アザレー!」

「その様子だと上手くいったみたいね」


 飛びついてきたシャールを片手で止め、呆れた表情で言葉を発したアザレア。

 そんなアザレアを見たムルモアは、何かを思い出したかのように声を上げた。


「む、貴様は――」


 その声により、アザレアはムルモアの姿を捉える。

 瞬間、二人の間の時が止まったかのように、静止する。


 そして、アザレアが大声を上げた。


「アンタ、武闘大会ではよくもやってくれたわね!?」

「待て、落ち着くのだ。止めろ、魔法を詠唱しようとするな」

「無効よ無効! あの時の試合は無効よ!」

「……何度やろうとも結果は変わらぬであろう?」

「テメエ今なんつった!? 燃やすぞオイ!」


 完全な素が出てしまったアザレアを見た周囲の人間が凍り付いたかのように黙る。

 アザレアは我に返ると、どうにか誤魔化そうと笑うが、特に意味は無し。


「ア、アザレー? どうしたの、何か変な食べ物食べた?」

「貴様、まさか我に負けたストレスでそれほどまでに変わってしまったのか……?」

「いや、ほほほ。な、何でもないのよ」


 その様子にむしろ心配されてしまい、居心地が悪くなったアザレアは話題を変える。


「え、えっと、リヴァは? 一緒じゃないの?」

「あ、うん。それは――」


 それから数分後、事情を聞いたアザレアは馬に乗って東の戦場へと大急ぎで向かって行った。


 言葉で言い表しきれない、何とも言えない胸騒ぎを感じたからだ。

 彼女の胸騒ぎは、ナファセロの時から外れた事はない。


 つまり――百発百中。

 何か良からぬ事が起きるということになる。


 それが外れるよう祈りながら、アザレアは必死に東の戦場を目指して駆けた。






□――――ドフタリア大陸:ドモス平原:東の戦場【アルヴェリオside】






「もういい、死ね」


 ギルヴァンスの剣が容赦なく俺に振り下ろされる。


 俺は力の限り地面を転がり、間一髪でその一撃を避けた。

 だが、その一撃により大地は悲鳴を上げた。


 地面は抉れ、土の塊が円のように辺りに飛び散る。

 遅れて風圧が発生し、強烈な風圧が俺を襲った。


「――避けるな、死を受け入れろ」


 二角の騎士はそう呟いた。

 

――死を受け入れろ?

 その言葉が、俺の心に引っ掛かる。


 俺はまだこの人生を謳歌してない。

 今までの人生でやれなかった事を、全然出来てない。


 聖王とも決着をつけていないし、勇者の存在を全世界に認めて貰えていない。

 普通に誰かと恋をして、結婚して幸せな家庭を築いて――楽しく、幸せに暮らせてもいない。


 そんな俺に、死を受け入れろだって?


「……ふざ、けんな」

「……何?」


 俺は地面に肘を付き、体を支えながら起き上がろうとする。

 途中、腹部の痛みに襲われながらも、ゆっくりと立ち上がった。


「そんな簡単に、受け入れて堪るか。俺は、まだやるべき事が――やりたい事が沢山残ってるんだ……! それを諦めて、俺は死ねない、後悔したくないんだ……!」

「立派だな。だが、そんな感情は戦場では一切通用しない。貴様は私に斬られて死ぬ、そう決まっている」

「違うね、運命は他人に決められるものじゃない……! 自分で決めるものだ……!」


 俺は落ちている長剣を拾い、ギルヴァンスに向けて構える。

 

「興ざめだ、一瞬で殺してやろう」


 また、あの音が聴こえてくる。

 ふらつく足に鞭を打ち、左に跳ぶ。


 しかし、先程のダメージが疲れていた身体に響いたのか、上手く体を動かせなかった。

 そのため――


「うぐっ……!」


 斬撃が俺の右脇腹を掠める。

 そこから血が噴き出し、尋常じゃない痛みが俺を襲った。


「掠っただけで……、この威力、かよ……」


 地面に倒れた俺は、すぐに脇腹を押さえながら立ち上がる。

 

 めまいがする。足がふらつく。今にも倒れてしまいそうだ。

 でも、立ち止まる訳にはいかない。


「まだ……こっから……!」

「見苦しいな、これで終わりだ」


 ギルヴァンスが剣を振りかざそうとしたその時、俺の目の前に一人の女性が飛び出した。


「セレー、ネ……?」


 セレーネは、両手を広げて俺を庇うように立っている。


「この方は――アル様だけは殺させはしません……! 今度は私が貴方を守る番です……!」

「どけ……! やめろ……!」

「ほう、美しい絆だな。反吐が出そうだが。いいだろう、まずエネレス、貴様からあの世へ送ってやる」


 俺の頭が真っ白になる。


 このままだと、セレーネは死ぬ。死んでしまう。

 また、目の前で大切な人がいなくなってしまう。


 決めたんじゃないのか、今度は守るって。俺の大切な人たちは殺させないって。

 なのに、それを守れずに何が勇者だ。


 思うように体が動かない。

 頼む、動いてくれ。一度でいい。この一回だけでいいから――。


「アル様。短い間でしたが、貴方と過ごした日々は――とても、楽しかったです。きっと、私の人生の中で一番輝いていた日々だと、私は思っています」


 やめろ。


「初めて会ったあの日から、全ては始まりましたね。たった二ヶ月のはずなのに、とても長い時間を過ごしていたような気がします」


 やめろ。


「そんな素敵な日々をくれた貴方は、やはり本物の勇者様なのでしょうね」


 やめろ。


「信じています。貴方は、歴代最強の勇者であると……。だから、きっと――きっと世界を救って下さいね」


 もうやめてくれ。そんな別れの台詞は聞きたくない。

 俺はまだ、お前に伝えられてない感謝の言葉が沢山あるんだ。


 それなのに、なのにどうして。

 言葉が――身体が動かないんだよ……!


「すぐにその男も送ってやろう。それがエネレス、貴様に対するせめてもの情けだ」


 ギルヴァンスが剣を振りかざす。

 セレーネは顔をこちらに向けると、いつもの様に微笑んだ。


「アル様……本当に、本当にありがとう――さよなら」


 次の瞬間、俺は咄嗟に行動を起こしていた。


 僅かに回復していた魔力を全て使い、“|飛躍(リーピング)”でセレーネの頭上に跳び、ギルヴァンス目掛けて落下していった。


「やめろォォオオ!!」

「何!?」


 ギルヴァンスが咄嗟に放った斬撃は、俺の左肩を掠めた。

 だが、いくら俺の身体が壊れようとも、どうだってかまわない。

 仲間を――大切な人を守れるなら俺の体なんてくれてやる。


「チィッ、外したか!」


 俺はギルヴァンスを押し倒すと、そのまま二人で地面を転がった。

 

 この東の戦場は、海側に向けて下り坂になっている。

 だから――転がる勢いは止められない。


 勢いが止まるのは、終着点に着いたその時だけ。

 つまり、海に落ちるその時だ。


 俺はギルヴァンスを離さないようしっかりと組み、この坂の終着点。崖下に落ちていく。


 だが、ギルヴァンスは落下直前に懐の短剣を壁面へと突き刺した。

 俺はギルヴァンスにしがみつき、落下しないよう耐えていた。


「貴様っ! 離せ、このまま二人まとめて海に落ちるつもりか!」

「それはそれでいいかもな……。だけど、この戦いは俺の勝ちだ」


 俺はギルヴァンスの懐から魔道具を奪い取る。


「馬鹿な!?」

「……さあ、一緒に地獄に落ちるとしようぜ」


 俺はギルヴァンスの首を腕で挟んで絞めると、崖に足を付いて思い切り海へと蹴り出した。


 その瞬間、崖に突き刺さっていた短剣が外れ、俺たちは宙に放り出される。

 俺はギルヴァンスを土台に蹴りあがると、魔道具に手をかけた。


「貴様ァ! アルヴェリオォォォォ!」


 ギルヴァンスの叫び声が聞こえる。

 直後、崖の上からセレーネが顔を覗かせた。


「どうして! アル様ッ、早く手を! アル様!」


 セレーネが必死な顔で涙を流しているのが遠目でもわかる。

 それにセレーネ。そんな遠くじゃあ手を伸ばしても届かないって――。


「ごめんな、皆。セレーネ、約束……守れそうにないや」


 俺は手に持っていた魔道具を空向けて放った。

 魔道具は大きな光の弾を飛ばし、上空で真っ赤に輝いた。


「――ああ、ちくしょう。信号弾なのに綺麗じゃんか」


 三度目も、これで終わりか。

 結局、何もできなかったな。


 もし、もしも次があるなら――今度は普通に、幸せに暮らしたいなあ……。


「ありがとう、皆」


 そして、俺は海に打ち付けられ、沈んでいく。

 遠のく意識の中、俺はセレーネとの――皆との日々を思い返していた。

 その記憶は、ふざけたものばかりだったけど。


 本当に、楽しかったなあ。

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