四章 別れ

第九十四譚 嵐の中


 暗く、とても暗い場所に私はいた。


 ただ一人、逃げることのできない暗黒の世界。

 神は私を救おうとはしなかった。いや、元々神なんて曖昧な存在はいなかったのかもしれない。


 それでも私は、神にすがった。神を信じた。

 この暗黒の世界から救い出してくれることを望んだ。


 今になって考えてみると、本当は誰でもよかったのかもしれない。

 あの暗闇から救ってくれる人ならば誰でも。


 だが、誰一人として私を救ってくれる人はいなかった。

 神など存在しなかったのだ。


 だから、私は逃げ出した。


 全てを捨て、あの世界から――。






□――――中広海:船上 【アルヴェリオside】






「急げ! さっさとしねえと持ってかれんぞ!」

「何してんだ! 船首を風上に向けろォーッ!」


 海に出て三日が過ぎた頃、俺たちはある問題に直面していた。


「アルヴェリオ! このままじゃ危険だ!」

「分かってる! とりあえず余分な荷物は投げ捨てろ!」


 航海中に出くわす危険。

 嵐だ。


 今から数分前に突然やって来た嵐により、俺たちを海に引きずり落とそうとするかのような激しい風と横殴りの雨に襲われていた。

 強烈な風により一層激しさが増す波が容赦なく襲う。


 今まででこんな経験は初めてだ。

 航海中の嵐はこれほどまでに酷いのか……。


「ぜ、前方にもの凄え高え波が!」


 一人の船員の言葉に、全員が前方を向く。


「な、何よ……アレ……」


 アザレアが声を震わせながら言葉を発する。


 向いた先には、まるでそこに壁があるんじゃないかと思えるほどに高い波が押し寄せてきていた。


「頭ァ! 何かにしがみついて下せえ! あれを喰らったら船が無事でも人間は持ってかれちまう!」


 船員の言葉が耳に届く。


 だけど、船の三倍ほどある高さの波なんか喰らったら絶対に無事じゃすまない。

 きっと転覆するだろう。


 嵐の中で転覆するのは死と同じだ。

 奇跡でも起こらない限り助からない。


 ならどうすればいい。俺は何をしたらいい。

 考えろ。考えるんだ。

 

 これまでの記憶を全て使って。この状況を打破できる方法を考えるんだ。


「……アザレア! あの波に風穴開けられるか!?」

「穴!? 無理よ! そんな強力な風魔法なんて使えないわ!」

「なら一部分だけでもいい、船の正面部分を凍らせられるか!?」


 俺の問いにアザレアは首を傾げる。

 

「凍らせるって言ったってアンタ、あの大きさの波をどうこうできるわけないじゃない!」

「凍らせられるかどうかって聞いてんだ!」

「ま、まあ少しだけなら……」

「よし、じゃあ今すぐに詠唱してくれ! 今のお前の全魔力で凍らせるんだ!」


 俺がそう言うと、アザレアは頷いて詠唱を始める。

 それを確認し、すぐさまジオのもとへと駆け寄った。


「俺の合図で波に向かって風魔法を使ってくれ! 全力でだ!」

「え!? ちょっと待ってくれ、僕は魔法専門じゃないんだ! そんな簡単に言われても困るよ!?」


 必死に柱にしがみついているジオが首を横に振る。

 そんなジオを柱からはがし、視線を詠唱するアザレアに向かせた。


「――なるほど、そういう事かい! わかった、僕に任せてくれ!」

「ああ、頼んだぜ!」


 ジオはすぐさま船首で詠唱を始めた。

 アザレアの周りには凄まじい程の魔力が溜まっていて、いつでも大丈夫そうな感じだ。


「アルっち! わたしに何かできることはない!?」

「船から落ちないように何かにしがみついといてくれ!」

「戦力外ってこと!? そんな、あんまりだよ!」

「とりあえずその元気を他の事に回せ!」


 シャッティは若干いじけながら、すぐ傍のロープを握る。


 高波との接触まであと約十秒くらいか。

 そろそろだな。


「アザレア、今!」

「――凍れッ! “凍てつく世界フリーズ・ワールド”!」


 アザレアは魔力を前方に解き放ち、迫る高波にそれをぶつける。

 高波は一瞬で凍り、勢いが止まった。


「ちょ、ちょっとしか、持たないわ!」

「ジオ!」

「了解、“爆風ブラスト”!」


 ジオは自身の左腕を正面に伸ばして魔法を唱えた。


 その瞬間、目の前の凍る高波がはじけ飛び、ほんの少しの隙間が現れる。


「あの隙間に突っ込め!」


 船はそのまま正面を進み、その隙間を通って高波を抜け出そうとする。

 だが、徐々に凍った部分にヒビが入り始めた。


 もってあと数秒……それに対してこっちの速度だと高波を抜けるまで十秒――。

 

「――ッ!? 全員、何かにしがみつけ!」


 直後、凍っていた部分が割れて一気に海水が流れ込んでくる。

 もの凄い威力で叩き付けられた海水が、船の舷縁を破壊しながら後方に流れていく。


 間一髪というべきか、ギリギリのところで高波を抜け出す。

 

「ぬ、抜けた……! 抜けたぜこんちくしょー!!」

「イヤッホー! やったぜー!!」


 歓喜の声が聞こえてくる。

 だけど、まだ終わりじゃない。


「まだだ! この嵐が終わるまでは油断はできないから気を引き締めるんだ!」


 俺がそう言葉にしたその時だった。


 俺の隣の舷縁がみし、という音と共に崩れ、括り付けてあったロープが切れる。 

 

「え……?」


 そのロープを掴んでいたシャッティが崩壊に巻き込まれた。


「シャッティ――!」


 考えるよりも速く足は動いていた。

 徐々に視界から消えていくシャッティのもとへと全力で。


 激しく揺れる船上で、俺はシャッティの腕を間一髪のところで掴んだ。


 だが、海は優しさなど持ち合わせていなかった。


 横波が急に襲い掛かり、船が一気に傾く。

 俺とシャッティを舟に繋ぎとめている舷縁が嫌な音を鳴らした。


 バキ、という何かが剥がれた音と共に、俺の身体は海に引き寄せられる。

 咄嗟にシャッティの体を引き寄せ、船へと投げ込んだ。


「アル――!?」


 シャッティを投げた反動により、俺は荒れ狂う海目掛けて落ちていく。


 冷たいという感覚が伝わってくる。

 暗く冷たい海の中で、俺はただ静かに目を閉じた。

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