第二十六譚 目的地はすぐそこに

「ここで何話してた・・・・・んだ?」


 俺の口からするりと抜け出した言葉は、風に乗ってセレーネの耳へと届く。


「何の話ですか? 私は何も話していませんよ……?」


 セレーネは小さく首を傾げる。


 徐々に心拍数が上がっていく。

 彼女は誰かと話していた。これは多分本当の事だ。そうじゃなければ、セレーネは独り言の凄い痛い子って事になる。

 いや、寧ろ今はそれでもいい。


 俺の心が少しでも晴れさえすれば……。


 これは俺の自己満足にしか過ぎないのだろう。

 裏切られたくないから。信じたいから。セレーネにはこうであってほしいからという俺の傲慢。


 なんで俺もここまで疑い、信じたいと思うのかはわからない。

 二度も生き返ってしまったからなのか、人生を二度もやり直してしまっているからなのか。それもわからない。


 でも今は、今だけは――


「じゃああれは独り言なのか? 随分と凄い独り言だったけど」


 俺がそう問いかけると、セレーネは小さく微笑む。


「もし何か聞こえたのであれば、それは私の独り言です。昔から独り言が凄いと言われていますので……。自覚はないのですけどね……」

「……そっか、悪いな。変な事聞いちゃって」

「いえ、きっと疲れているのです。さあ、戻ってもうしばらく休憩しましょう?」


 俺はセレーネの元に向かって歩きながら、「ああ」と一言。


 そう、きっと俺の勘違いなんだ。

 少し寝ぼけて幻聴でも聞いたんだろう。


 でも、俺は気付いている。いや、気付いてしまった。

 先程、セレーネは微笑む前に一瞬だけ真剣な表情になったのを。


 俺の質問の意図が理解できずに真剣な表情になったのか、聞かれてはいけない事を聞かれたからなのか、それとも別の……。


 今は、前者であることを願うばかりだ。






□■□■□






 トゥルニカを出て二十日目、遂に俺達は“フェアリーレイク”に辿り着いた。


 エルフィリムはもう目の前に見えている。

 このまま“フェアリーレイク”を右に回り込めば、エルフィリムに続く入口である橋がある。そこを渡れば到着、というわけだ。


「やっとだ……。宿行こう宿。宿行って寝よう」

「駄目ですよ。まずは炭鉱族の事やエルフィリムの現状についての調査が先です。元々それ目的でここまで来たのですから」

「セレーネのいけず……」

「それにしても、ここから見る限りでは特に変わった様子はありませんね……」

「なるほど、これが貴様の無視技スルースキルということか」


 セレーネの言った通り、外見は特に変わりない。

 一つ挙げるとするならば、五十年前に来た時よりは大樹が大きくなってることぐらいか。


 エルフィリムは、一つの大きな大樹の下に創られた国であり、城の役目は大樹が担っている。つまり、大樹の中に城を造ったというわけだ。

 “フェアリーレイク”は別名『妖精の海』と呼ばれるほどに広い。

 そんな“フェアリーレイク”の約七割を占めるエルフィリム――その象徴でもある大樹は、国を覆い隠せる程に大きく巨大だ。


 寧ろ、自然要塞と言った方が正しいのだろう。


 以前、妖精族の女王から聞いた話だが、大樹は年々大きく丈夫になっていくらしく、その言葉通り五十五年経った今見てみると、あの頃よりも高くなっているように思える。


 一体どこまで成長するつもりなのか。

 いずれ、ある滅びの言葉により宇宙そらに浮かび上がるんじゃないかと心配になってたりする。


「あっ、見えましたよ、アル様」


 そう言って彼女が指さした方向には小さな橋が見えた。


「……なんか様子がおかしくないか?」

「……橋の前に大勢の人達が並ばされていますね……。一体何をしているのでしょうか?」


 俺達は少しだけ歩く速度を速め、橋前の行列に向かう。


 数分後、行列に辿り着いた俺達は、一人の商人に声を掛けた。


「ちょっといいか?」

「ん? なんだあんちゃん。あんちゃんらも旅人か?」

「一応な。それで? これって何待ちなんだ?」


 俺がそう問いかけると、商人のおっちゃんは親指を立てて行列の先頭を指さした。


「何でも不法入国者が出たらしくてよ、一人づつ通行手形を確認されてるって訳なんだよ。まったく、迷惑な話だよなぁ」


 その言葉を聞いた俺達は顔を青ざめる。


「へ、へえ。不法入国者、ねぇ……」


 間違いない。俺は犯人が誰だか知っている。


 無論、俺達である。


 いや、ちょっと待ってくれ。俺の話を聞いてほしい。

 俺がリヴェリアだった頃、そんなものは存在しなかった。通行手形だとか不法入国だとかそんな単語を聞いた事がなかった。


 どういう事なんだ? この五十年の間、世界に何が起こったというんだ……。


「どうしましょう……? 私達の事ですよ、その不法入国者……」


 耳元でセレーネが小さく囁く。


「いや本当にどうすんのこれ。流石に二度目の牢屋は嫌だぞ俺」


 商人のおっちゃんが不思議そうにこちらを見ているが、今はそんな相手をしてる暇なんてない。

 今はどうするか考えないと。


「というかセレーネさんよ、もしかして手形が必要とか知ってた?」

「…………」

「おいちょっと待て知ってたなこいつ」

「し、しかし思い出したのが関所を超えてから十二日後だったので……」

「いやそれ今日だよね? 思い出す気ゼロだったよね?」


 こんなやり取りを繰り返し続けて数分、遂に俺達の順番が回ってきた。


「では、手形か登録証を見せてもらおう」


 見張りの兵士と思われる妖精族の男は、俺達に向かって片手を差し出す。

 だが、俺達に出せる物は何もなかった。


 どうする……? 手形もないし登録証とやらも持ってないぞ……。


「……どうした? 早く出してもらおう」


 兵士の疑いの視線が投げられる。


「ご、ごめんなさい。奥の方に引っ掛かってしまっているみたいで……」


 セレーネが、あたかも手形を持っているかのようにリュックの中に手を突っ込んで時間を稼いでくれているが、それほど長い間待ってはくれないだろう。


「早くしろ。まだ後ろが控えているんだ」


 考えろ。考えるんだ。

 普段はバカな事ばかり考えているこの頭で。今何ができるのか。何が得策かを。


 ……駄目だ。普段からバカな事しか考えてないから、こういう大事な時に限って妙案が出てこない。


 ここを強行突破して女王に会いに行く……ってのは無しだな。危なすぎる。

 大道芸を見せて気を引く……のも駄目だな。だから何だって話になる。


「……お前達、本当に手形を持っているのか?」

「え、えっと……あはは……セレーネ?」


 俺は静かにセレーネと視線を合わせる。

 直後、セレーネは不安そうに首を縦に振る。


 なに。心配はない。今のアイコンタクトで俺の考えは伝わったようだからな。


「兵士さん」

「ん?」


 俺は兵士の肩に手を置き、爽やかな笑顔で微笑みかける。


「アイキャンセイグッバイ!!」


 その言葉と共に、俺は兵士を『妖精の海』に放り投げた。

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