第二十三譚 勇者は幸運助平
トゥルニカを出てから十日が経った。
未だエルフィリムには着かない。
以前、この世界の地図を見た事がある。
元の世界の地図よりも全然地図らしくなく、大まかな形しか描かれていない。
だが、それでも大まかな位置や距離などはわかるため、テッちゃんの父――先代国王に複製をお願いしたのだ。
それが出来たのは聖王が魔王を倒した後。そうテッちゃんは言っていた。
しかし、あれから五十年が経ち、人々は勿論道具だって進化した。
『魔法地図』と呼ばれるそれは、世界の大陸や国名全てが明確に描かれており、自分の現在地を小さな火の玉が照らしてくれる便利な魔法道具だ。
これを制作したのは、妖精族の『イラディエル』という男らしい。
やはり妖精族は他の種族よりも魔法に精通しているため、数多くの便利アイテムを世に放っていた。
この時代では当たり前になってきている『
発明品はどんどんと増え続けている。もっと便利な魔法道具ができる日だってそう遠くはないはずだ。
俺的には自動車系の乗り物を発案してほしいと願うばかりである。
もしかしたら空を飛ぶ乗り物ができるのが先かもしれないな。それはそれでありがたいし。
「――しっかし、エルフィリムまで半分もあるのかぁ……」
俺は座ったまま樹木に寄りかかり、『魔法地図』に目を通す。
現在、地図が指し示すのはエルフィリムとトゥルニカのちょうど真ん中辺り。まだまだ道は険しそうだ。
やっぱり馬を借りるべきだったか? でもこれ以上金を使うのはなあ。
「ま、なんとかなるだろ」
地図をバッグの中にしまい、地面に横になる。
今、俺達がいるのはエルフィリム領の森林地帯。
草木が生い茂り、太陽の光もあまり届かない場所だ。
木漏れ日から察するに、太陽はまだ昇ってきたばかり。まだ朝というわけだ。
本来ならば、朝のうちに出発して辺りが暗くなる前には野営の準備を始める。
しかし、今日は普段よりも出発が遅い。
理由は一つ。
セレーネが水浴びをしているためだ。
そう、水浴びをしているのだ。もう一度言おう、水浴びだ。
トゥルニカからエルフィリムにかけて、中継地点となる町はない。そのため、豪華な食事はもちろん。風呂やベッドなんかにはありつけない。
だから、二日に一回はこうして水浴びの時間をつくったのだ。
ありがたい事に、この森林地帯は海に挟まれている。さらに、森林地帯にはちょっとした池や湖などがそこそこ存在している。
池や湖が見つかれば、そこから少し離れたところに拠点を置き、見つからない場合は地図を見ながら海沿いに拠点を置く。
そうすることで、二日に一回の水浴びが可能なのだ。
そして今日はその水浴びの日。この場所から少し離れた所にある小さな湖でセレーネが水浴びをしている。
だが、俺は紳士だ。ベストオブ紳士。
だからこそ、この邪念を捨て去らなければならない。無になるのだ。裸が何だ。獣の裸を見て興奮しないだろう俺は。
「さて、と」
気付けば俺は立ち上がっていた。
仕方がないじゃないか。ラッキースケベは男のロマンだろう。一度ぐらい経験してみたいじゃないか。
さらに、それを行う事によって数多の男達は女性達と結ばれてきた。
何故だかはわからない。でも、理屈じゃないんだ。これは、気持ちなんだ。
十日も我慢できた俺を褒めてやりたい気分だ。
「行こうか、胸――幸運を掴みに……」
勇者が覗きなんて、とか言ってくる奴だっているかもしれない。誇りはないのかと言ってくる奴だっているかもしれない。
だがしかし、だからなんだという話だ。
勇者の誇りなど知った事か。魔王に一度負けてる時点で誇りも糞もないだろうが。
□■□■□
頭の中で行われた凄まじい葛藤の末、俺は湖の近くまでやってきた。
音を立てずに木々の間をゆっくりと潜り抜けた先に見えたのはきらめく水面。
俺は近くの樹木に寄りかかり、耳を澄ます。
葉の擦れる音、鳥たちの囀り、木々を通り抜けて吹く風の音。それらの中に混じる水の滴る音。
この木の裏には彼女がいる。そう考えるだけで脈が速くなる。
これがバレたらセレーネは二度と口を聞いてくれなくなる可能性がある。
しかし、もし俺が偉大なるハーレム王達やラッキースケベ様達と同じような事が出来ればあるいは……。
覚悟を決めろ、誇りを捨てろ。
俺の後ろにロマンが――すぐそこに秘宝が眠っているんだ。
よし、俺は行くぞ……!
樹木から少しだけ顔を出そうと体を動かした瞬間だった。
「だ、誰ですか!?」
身体に電流が走った。
速い。いくらなんでもバレるのが速すぎる。物音ひとつ立ててなかったぞ。
気配を消して近づいたはずなのにどうしてバレた……?
そんな時だ。
「えっと……ごめんなさいね。覗くつもりはなかったんだけど……」
俺のいる場所とは反対の方向から女の声が聞こえてきた。
「あ、貴女は一体……?」
「えっと、アタシの名前はアザレア。ここには調査をしに来ていたところなの」
樹木に体を隠したまま、声のした方に目をやる。
肩にかかる程の金髪。緑を基調としたローブを身に纏い、手には先端に石の付いたスティックを持っている。
そして、特徴的な長い耳。
妖精族だ。
「調査……」
「そう、実は最近アタシたちの国で騒動があってね、それの大元の――いけない。時間がないんだった」
セレーネに向かって軽く頭を下げ、急ぐように妖精族の女は去っていく。
よくは聞こえなかったんだが、調査がどうたらって言ってたな。
やっぱり八皇竜の襲撃は本当の事だったって事か? だとすると炭鉱族の話も……。
いや、今考えていても仕方ないな。どのみちエルフィリムに着いたら嫌でもわかるんだし。
こうしちゃいられない。さっさと準備して一日でも早くエルフィリムに行かないと。
俺は勢いよく立ち上がり、拠点に向かって歩き出そうと一歩踏み出す。
その時、俺は考えることだけに集中しており、自分がどういう状況にいたのかすっかり忘れていた。
「……あ」
「え……?」
俺の視線が、もう一つの視線と交差する。
視界に入ったのは、水に濡れ、白く艶のある体がどこか色っぽく見える女性。
普段はローブを着ているためか、あまり体のラインがわからなかった。
しかし、透き通るような白い肌に美しい丸みを帯びた胸。腰のくびれに足の細さ。一目見ただけでわかる抜群のプロポーション。
瞬時に浮かび上がった言葉は、その姿にピッタリなものだと思った。
「女神……」
「――っ!!」
その直後、気付いた時には目の前が真っ青だった。冷たい感触が俺を包み、奥底まで連れていかれそうな感覚を覚え、徐々に沈んでいく。
周りに集まる魚たちは、俺を慰めてくれるかのように寄り添っている。
こんな感覚も……たまには悪くないかな。
……イイモノ、見せてもらったよ。
俺はそのまま、水の中で意識を手放した。
□――――エルフィリム領:森林地帯
「――おかえり、アザレア。何か収穫はあったかい?」
その言葉と共に木の上から飛び降りてきた妖精族の男に対し、アザレアと呼ばれた妖精族の女は不機嫌そうに言葉を発する。
「アンタ何サボってんのよ……。そんなことより、ちょっと先の湖に女が一人いたわ」
「僕は君を待っていただけだよ。それで? 何か関係はありそうだったのかい?」
先程まで笑顔だった妖精族の男は、急に真剣な表情になって話し始める。
男の問に答えるかのように首を横に振るアザレアは、「でも」と言葉を付け足して話す。
「こんな森の奥に女一人で来るとは到底思えないわ。だから周囲の気配を探ったんだけど全然ダメ。他の人間の気配が見当たらなかったのよ」
「君は昔から抜けている事があるから、きっと見過ごしたんじゃないのか?」
「んな訳あるかよ!」
男の馬鹿にしたような発言が頭に来たのか、先程とは別人のような口調でアザレアは怒鳴った。
その口調を聞いた男は、怒っているような表情でアザレアを睨む。
「乱暴な言葉遣いは駄目だって言っただろう」
そんな男の様子に委縮したのか、アザレアは舌打ちをして黙る。
「……まあいいさ、とにかく調査はここで終わりにしておこう」
「なんでよ? まだ何も見つけてないじゃない」
「いいや、僕が見つけたから帰るんだよ」
男の言葉に不思議そうな顔をするアザレア。
「何を見つけたのよ?」
「国に戻ったら教えてあげるさ」
妖精族の二人は、そのまま森の中へと消えていった。
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