第二十四譚 雨風の中、洞窟に二人

 トゥルニカを出て十八日。俺達はエルフィリムのすぐ近くまでやってきていた。

 長く続いた森での生活も、あと少しで終わりを迎える。


 この森林地帯を抜けた先には大きな湖がある。

 “フェアリーレイク”と呼ばれるその湖の真ん中に位置するのがエルフィリムだ。

 しかし、その湖はバカでかいにも関わらず、エルフィリムへと続く橋は一つしかない。そのため、回り道をして入口まで行かねばならないのだ。

 最低でもあと二日、三日ぐらいはかかるだろう。


 食料に関しては問題ない。

 トゥルニカで多少は食料を買い込んでいたし、ここには植物という名の食材が大量にある。

 食べられる物とそうでない物の違いはよくわからないが、見た目的にアウトな物を選ばなければ大丈夫だろうし、かつての知識を使えばどうとかなる。


「あ~っと、エルフィリムまでもう少しだぁ」

「……そうですね」


 問題はこの空気である。


 俺の数歩後ろを歩き、声音に少し恐怖を覚えるほどだし、会話は続かず目さえもろくに合わせてくれない。

 もうなんというか気まずい。


 エルフィリムまであと二、三日? 

 無理無理、俺が持たない。


 こうなった理由はわかっている。

 八日前のアレが原因だ。


 確かに、覗きは悪い事だと思う。日本だったら捕まるぐらいには悪いと思ってる。

 だが、同時に仕方がないじゃないかとも思う。

 だってそうじゃない! 覗きは男のロマン、ラッキースケベは男の夢じゃん!


 ある登山家はこう言った。そこに山があるから登るんだ、と。


 だから俺達男だって、そこに女体があるから覗くんだよ。覗くしかないんだよ。

 それともあれか? 女という体にそびえる双丘を登れと?


 無理だからああして覗くしかないんでしょうが。


 いや、悪かったなって思ってるよ。思ってるけどさ、なんか違う。

 もっとこう、ハーレム王まっしぐらみたいなさ、展開になると思ってたわけなんだけどさ。


 その結果がこれだよ。笑っちゃうよ。


 覗いてから一、二日目は本当に酷かったけど、ここ最近は少しづつ喋ってくれるようになったから時間さえ経てば許してくれると思う。

 でも、だ。俺は八日耐えた。八日も耐えた。


 それなのにこれだよ。ここまで来ると笑えないよ。


 かつて、こんな言葉を聞いた事がある。一度失った信頼は簡単に取り戻せない、と。

 まさか異世界に来て、その言葉を痛感させられるとは思ってもいなかった。


 どうにかして信用取り戻さないと、これからの旅がヤバい事になる。

 特に俺の胃が死ぬ。






□■□■□






「よし、今日はここで休もう」


 夜も更けてきた頃、俺達は小さな洞窟の中に腰を下ろした。


 洞窟の外では、大きな雨粒が絶え間なく地面に落ち続け、時折一瞬の光と大きな音が響き渡る。

 中で火を焚いている俺達でさえも肌寒さを覚えるほどに風も強く、天候は最悪だ。


 できれば今日中にもう少しだけ進んでおきたかったんだけど、この雨風の中ではろくに歩けないだろう。

 ましてや、激しい雨風の中、暗い森の中を歩くのは危険すぎる。


 俺が怪我する分にはまだいい。

 だが、もしセレーネの身に何かが起こった場合の事を考えると、このまま進むことはできない。


 むしろ近くに洞窟があってよかった。ここなら雨風は凌げるし、寒さもある程度は緩和できる。

 明日の朝には晴れていることを祈りつつ、今日はゆっくりとしよう。


「じゃ、じゃあ、俺は少し外を見てくるよ。近くに池とかあるかもしれないしな」


 俺はそう言って、無言続きの空間から去ろうと立ち上がる。

 しかし、立ち上がった俺の袖を何かが掴んでいた。


「……えっと、セレーネ?」


 袖を掴んでいたセレーネは、俯きながら小さく震えていた。


「……お、お願いします。少しだけ……傍にいてください……」

「もしかして……雷、恐いのか?」


 俺がそう問いかけると、セレーネは小さくこくんと頷いた。


 予想外の展開に俺は少しだけ驚いていた。

 まさかセレーネが雷を恐いだなんて言うと思わなかったし、もしかしたらこれを機に元のセレーネに戻ってくれるのではないかと内心期待もしていた。


 俺はゆっくりと座り、セレーネの傍まで近づく。


 二人の距離はおよそ拳一つ分。

 もう少し近づけば肩が触れるほどの距離だ。


 洞窟の中にしばらくの沈黙が流れる。


「……あの」


 先に口を開いたのはセレーネだった。

 パチパチと燃える火を眺めながら、俺は「どうした?」と言葉を発する。


 そこからまたしばらくの沈黙が続く。

 耐えかねた俺はちらりと横を見る。

 その俺の目に映ったセレーネの表情は悲しげで、口をキュッと結んでいた。


「……どうしたんだよ?」

「……ごめんなさい」


 セレーネの口から出たのは、意外にも謝罪の言葉だった。


「……えっ?」


 俺は驚きを隠せずに、素っ頓狂な声を上げる。


 そりゃあ驚くだろう。

 謝られる事なんかされた憶えはないし、むしろ謝るべきはこっちの方なんだから。


「なんでセレーネが謝るんだ……?」


 そう問いかけると、セレーネは俺の方にゆっくりと顔を向ける。


「本当は……もうとっくに怒っていないのです……」


 近くに雷が落ちる。

 それと同時に、俺の身体にも電流が走る。


 今、セレーネは怒ってないって言ったよな? 聞き間違いじゃないよな、うん。


「……えっと、いつから?」

「……二日目、でしょうか」

「二日目」


 つまり、だ。

 俺がセレーネの裸を見た日から二日経った頃には怒りなんてなかったと。


「今日までの六日間は?」

「……引っ込みがつかなくて、何と言って話を切り出そうかと迷っているうちに……今日を迎えました……」

「ほう、引っ込みがつかなくて」

「あの……やっぱり、怒ってますよね……あのような態度を取られたら……」


 俺はゆっくりと寝そべり、片腕で自分の両目を隠した。


 しばらくの間無言だった俺は、急に笑い出す。


「そっかぁ、もう怒ってなかったのかぁ」


 驚いた表情でこちらを見ているセレーネを置き去りに、俺は笑い続ける。


「……そっかぁ、良かったぁ」

「えっ……?」


 今にもにやけてしまいそうになるのを堪え、起き上がりながらセレーネの方を向く。


「実はさ、俺もう嫌われたんじゃないかなって思って内心ビクビクしてたんだよ」

「そっ、そのような事はあり得ません!」


 その言葉を聞いたセレーネは、否定するように手を横に振り、必死な表情で弁解しようとする。


「た、確かに、裸を覗かれたのは事実ですが、そのような事で嫌うはずがありません!」


 彼女は本当の事を言っている。目を見れば分かるんだ。


 俺は今までに数々の人と出会ってきた。

 善人、偽善者、悪人と様々な人達に。

 だからこそ分かる。この目は本物だと。その気持ちは本当なのだと。


「……ありがとう。俺をそんなに想ってくれて」

「……いいえ。私は、ただ本心を言ったまでです」

「それと、ごめん。俺が悪かったです」


 俺はそう言いながら頭を下げた。

 覗いた時にも謝ってはいたが、ちゃんとした謝罪じゃなかったと思う。


 だからもう一度、ちゃんと誤りたい。せっかくセレーネが勇気を出して話してくれたんだから。


「あ、頭を上げてください。もう気にしていませんから……!」

「いいや、俺の気が済むまで謝らせてくれ」

「こっ、困ります……!」


 この謝る、謝らない論争はしばらく続いた。

 気付けば、いつの間にか雨風は止んでいた。

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