walpurgis

鹿路けりま

 文化祭の時期が近づいてきた。クラスでの出し物についてホームルームで話し合う機会がもたれ、とりわけて声の大きいことが取り柄である女子が、この一大イベントをかならず有意義なものにしようと言ってクラスメイトを煽り立てる、あの眩暈のような文化祭の時期が。

 こうした実行委員からの呼びかけも形式的なものとはいえ、いまいましい教師の口から語りきかされる教説にくらべればよほど共鳴できるところがあるのだろう、そうだそうだ、と賛同の声が次々と上がり、やがてこの鶏鳴にも似た黄色い声に教室全体がみたされてゆくころ、ひとりの、これがたんなる付和雷同や惻隠の情によるものではないとみずからに証明する意志からか、座席から勢いざまに立ち上がり、みなにむけて発言をかまえる女子の姿があった。


「これが高校最後の文化祭なんだし、サイコーの思い出、つくるっきゃないよね!」


 この痩せて小柄な、眼のおおきい生徒の名を観崎映子という。派手好きで通っている演劇部の元カリスマ的存在なのだけれど、おなじみの媚びるような声色を使い、最後、という部分に過剰なアクセントをのせてうたうように話すものだから、男どものなかには容易に感化される者もいれば、これを疎んじて鼻をつまみたくなる者もいるようだった。けれどもだいたいは旗色をうかがうことに優れた生徒たちであり、かれらはまずおのれのうちに惰弱な自我を見出してから、これを打ち消さんとする後出しの良識によりかえって主体的に行動しようとしはじめる。結果的には話は早く、演劇をやる、ということに関して異議を唱える者はだれひとりいなかった。過去の上級生たちの「充実」をその目で見てきたかれらとしても、やはりこうした慣例にあやかることはやぶさかでもなかったらしい。


 準備自体はさほど大きな問題もなく進められており、廊下、それに階段の踊り場といった地帯には(およそそれを見て夢のふくらまない者はいないような)作りかけの書き割りやら大道具やらが無造作に並べられ、連日放課後になると金槌をたたく音が校舎に響き渡るようになった。演劇の要といえる脚本も(およそ二十パーセントほどの満足度で)なんとか初稿が上がり、役者たちはそれをもとに稽古に入っている。秋風が暦をめくり、徐々に日脚が短くなって、チョークで黒板に書きつけられた残り日数も朝登校するとかならずひとつ減っている、そんな風景をたどりつつ、いま目の前で新聞紙上のベニヤ板に色が塗られてゆくさまを眺めることは、総監督を自任する映子にとって、まさにあの大きな灌漑事業を指揮するのにも劣らないよろこびだ。弱められた日が西から校舎に射しこんで、人工石の廊下を黒光りさせている、特別な感覚。汗をさらっていく乾いた風。彼女はそれらをいとおしく思う。


 横からふと声がかかり、ふりむけば、ホームセンターのビニール袋を両脇に提げて例の混野が立っている。彼は袋を踊り場の隅に置き、その中から無造作に缶のコカコーラを取り出すや、まるで嫌がらせのように映子に投げてよこしてくる。それを片手でキャッチして慎重に栓をあけ、噴き出す泡をこぼさぬようまずは一口。それから爽快な息を吐き、ついでに、買い出しごくろうと言った。混野は肩を落とし、脚本係の次は雑用係だよと愚痴をこぼしている。いい気味だと映子としては言いたい。こうして親しく話しながらも、かれらは特別仲が悪かった。そして愚痴には愚痴で返すのが映子である。彼女の不満は、役者たちの練度がなお充分な水準に達していないということだ。それは肉体よりもっと内的な問題であるかもしれなかった。役者たちの動きがかたいのは、かれらが役にたいして無自覚に抵抗しているからではないか。だから役のほうもかれらに反発するのだ。

 ……仕方ないよ、と混野が顔をくもらせて言う。みんなが同じ心を持ってるわけじゃないんだから、と。だがそんなことはもうわかってはいたし、じっさい、今日の稽古にも参加していない生徒はいる。おおかた塾などの用事でいそがしいのだろうが、それならそうと連絡を入れればいいものを、それさえしない。来たら来たでなあなあでろうとする。本気を出さない。とくに男子。ほとんどがつまらなそうな、しかも感謝をもとめるような顔をするのである。じぶんの本来の居場所はここではないとでも言いたげに。あたかも立派な自我でも持っているかのように。

 映子がここまで苛々しているのにも理由がある。ほんとうは、彼女がいちばんやりたかったのは主役だったのだ、またあの日のように舞台に立ち、脚光を浴びて拍手に包まれてみたかったのだ。けれども皮肉なことに、相応の能力と気概とを要する監督という役目に彼女ほどふさわしい人物もまたいなかった。だから意地になってやることにした。だから文句も言わないできた、のに。


「まあようするにさ、リリース・マイセルフができてないってことなんだ、あたしが言いたいのは。みんな自分がかわいくて、そのくせ自分のことをなにもわかっちゃいない。変えることも隠すこともだから無理なんだよ。変わることが、隠すことが芝居なのに……」

「妥協も必要だよ。みんな素人なんだ」

「いや、あたしがやるからには完璧な瞬間つくるよ。で、最優秀賞取るの」


 舞台は映子にとって、この世で唯一神聖な場所だ。だからそこに立つ役者はその使命を、生を全的に引き受けるべきであり、軽い気持ちで演ろうなどという甘い考えは断じて許されるものではない。混野の意見では「自由にさせたほうがいい」とのことだが、それさえ彼女には疑問だ。自由を与えれば与えるほど、かれらはそれを持ち腐れさせる。教科書のように台本を読む。そこに魂はない。だから真の自由を発現させるためには、むしろその反対のことをさせねばならないのだと、彼女はそう考えている。これが最後なんだ――映子はじぶんに言い聞かせるようにそう繰り返し、そして、おのれの野心がそこに立つ腐れ縁の男にも共有されたことをひそかに期待して、その眼のうちに同じ思想を読み取ろうとした。

 ……が、当の男はただただ抜け殻のような微笑みをうかべているだけであった。



 混野の書いた一幕ものの芝居は、文化祭当日のとある高校を舞台にしたもので、生物研究会の展示室から脱走した一匹の〈カメレオン〉が、人の姿に次々と化けながら、その他の部員に向かって、あることないことを吹聴していくというあらすじだ。描かれるのは部員たちがだんだん疑心暗鬼になって相互不信に陥ったり、逆に〈ほんもの〉が〈カメレオン〉のふりをした上でじぶんの本心を吐露したりする滑稽な様子。「色恋沙汰があらねば芝居にあらず」というかの劇作家の言葉を額縁どおり受け取って、混野は台本をどろどろの人間模様に仕立て上げてみせたのだった。中にこんな科白がある。


「知らないでしょう、あなたは、わたしが何度あなたを想って泣いたことか、わたしがどれだけこの恋を凍りつかせようとしたことか、わたしがどんな気持ちであなたに気のないそぶりを見せつづけていたことか――」


 これがどうしてもうまく言えないのだ、と森本樹里亜は悲嘆に暮れた表情で映子にうちあけていた。彼女はこの言葉で想い人役を演ずる佐藤に愛を告白する手筈なのだ。しかし本人が言うには、たとえ劇中であっても、このような恥ずべき科白を口に出すことには抵抗があるというのだった、しかもそれがあの佐藤相手だからなおさらであると。

 佐藤は樹里亜がまだ混野とつきあっていたころから横恋慕をいだきつづけてきた男で、これまで幾度となく無謀な求愛を試みては断られるというかなしい運命にあった。決定的だったのは今年の夏休み前、美術部の才を活かしてノートに描きためてきた樹里亜の絵を焼却炉の前でひろげて見せ、だめだというなら燃やして捨てると言い放ったことである。ちょうどそれは蝉たちの相聞歌が響きわたる大掃除の時間だった。けっきょく彼は入魂の絵を焼却炉に捨てざるを得なくなるのだが、それでもまだ諦めていないということは、今回の演劇において分不相応でさえある立役者にみずから名乗り出たことからも明らかであった。

 そんな次第だったから、樹里亜はますます顔色を変え、挙句の果てにはヒロイン役を降りたいとまで言い出した。そもそも自分は目立つのがきらいなのだと。映子がどんな心境であったか言うまでもあるまい。しかし監督者であるてまえ、そこはぐっとこらえ、樹里亜を元気づけることに精神を費やさねばならなかった。にんげん生きている以上、期待されることは仕方ないけれど、それは考え方しだいで不幸にも幸福にもなるんだよ、すべてを背負い込むことはないけれど……。彼女はそう話した。

 ――あいにくにんげんの評価はなにを背負い込んでいるかでしかきまらない、そしてそれが「信用」とかいうやつなのだ――もちろんそこまで言ってはいないが、映子だってよくよく理解はしていた、ヒロインとして求められているのは自分のほうではなく、あくまで樹里亜なのだということは。それが器量の差というものであった。


 あとから樹里亜がこう言っていたと混野にもいちおう伝えに行くと、そこは重要なくだりだから変更はできない、と彼は言ってはばからなかった。それは冷淡な態度ではあったけれど、その姿勢に映子はどこか安堵をおぼえたものだ。それに、彼はこうも言っていた。


「そもそもその科白は〈カメレオン〉のときの言葉じゃないか。直後にほんものとまた入れ違いになってごまかされるだろう。だからこそ大仰にやる意味があるんだよ」


 それは実際そのとおりだ。ただ、演じる人間にとっては〈カメレオン〉と「ほんもの」の両方の役をやらなければならず、それがこの困難の原因にもなっているということについては、かれらはとうとう無自覚のままだった。



 稽古が大詰めを迎え、本番同様の舞台装置と衣裳とに包まれて練習できるようになってくると、ようやく役者たちの士気も上がってきて、静寂のつかの間にすべての効果が集中するような、全身に染みわたる心地よい緊張がまれながらにも生まれるようになり、そういうときには、芝居が一匹の蜥蜴になっておのずからおどりだし、かならず高い完成度を見せた。それは映子のストイックな演出指導の賜物でもあっただろう。彼女は紛うことなき劇場の支配者だったから、自分の思い描く絵画的な瞬間が表現されるとすっかり気をよくして、ぬるくなったコーラを豪快に飲み干した。もっとも何かが欠けていたり余分であったりして、全員の息がそろわず、どうにも不格好な蛙になってしまうこともままあるし、そうなるとかならずメガホンを持ってストップウォッチを止め、生きてることを自覚しろだの、腐った己を叩き出せだのと、妙に遠大な言い回しで喝を入れながら何度でもやり直しをさせるので、そんな日の稽古は尾を引いて長くなるばかりであったが。

 むろんそれで反発がないわけもなく、このいわば潔癖症的な映子の理想は、誰もがすべからく持ちあわせている人間臭さの利害と必然的に対立するものであり、ほとんど生理的とも言うべき嫌悪感を示す生徒の数も少なくなかった。ある男子などは演技中の身体のゆれを何度も注意され、それでも直らないので、すっかり自信をなくしてしまっている様子だ。というよりは、そのあわれな多動症こそかれの自信のないことの表れだったのだが、歯に衣着せぬ映子にとってこれを切って捨てるのはあまりにもたやすかった。

 あんた自分に自信ないのか――そんな声が体育館には響きわたっている。

 それはもちろん必要上の注意を言ったまでのことではあったが、しかしある種の嗜虐癖がなかったわけでもあるまい。なにせ明確な効果を狙って、他の生徒の目の前で批判されたものだったから、このありふれた、クラスの基層をなす繊細な一生徒は、かれが最も回避したかったところの事態に陥る羽目になったのである。よほどの恥辱であったことは、かれが唇を震わせている様子から見ても明らかであった。自尊心をひどく傷つけられたと感じたためであろうか、かれはこう言いかえしている。


「な、なんだよその言い方。こ、こっちだってこんな役とか、好きでやってるわけじゃあないんだよ!」


 この男の発言は明らかに場の空気を無視したものであったし、またそれを意図してもいた点で、かれは間違いなく異分子となっていただろう。だがこの男の考えとは裏腹に、このときそうするほかに残されていなかったという点で、じつのところそれはかれ自身の意志ですらなかった、この種の反応は筋肉に刺戟を与えれば痙攣が起こるのとほぼ同じ理屈で、ほとんど自動的に発動される類のものなのだ。しかもそれでいて当の本人を助けるわけでもなく、かえってかれの立場をますます苦しめるよう作用する。映子をはじめ、だれもが口をぽかんと開けて眉をひそめるのを見て、かれは先の失言を取り消したいとさえ願ったかもしれない。しかしこういうとき、肉体はなにより素直である。肉体がかれをして、映子のことを「スターリン」と呼んで非難せしめた。自信がないとまで言われ、彼はおのれの限界におそらく立ち会い、そこでもがいている。


「……だいいち、やり方が気にくわないね。そう、……なんでもかんでも自分の思い通りにさせようとしてさ。ただの傲慢だろ、それは。……人を、人をなんだと思ってるんだ!」


 必死の形相でそう主張してしまうと、かれはどこか勝ち誇ったような、言ってやったぞという顔になった。ただその矛先を向けられた映子について言えば、彼女はすこしも動じてなどいなかった、それというのも、この男が水際で防衛しようとしているものこそ、彼女にとってまさしく唾棄すべきものにちがいなかったからである。彼女は短く訊ねた、じゃああんたは役を降りるのかと。それでもう何者でもなくなるけどいいのかと。かれはなにも答えなかった。だまって背を向け、舞台装置から降りている。感情が昂ぶってしまい、映子は声を張り上げていた、逃げんのか――と。


「そうやって一生逃げてろよ、芝居からも、人生からも!」


 またそのとき、ずっと様子を見守っていた樹里亜がにわかに口を開き、去っていく背中に向かって、、と呼びかけた――かれは土壇場で一度だけ振り返った、すぐさまそれを恥じるように早足で出て行ってしまったが、その愛憎に歪められた顔は、だれもが認めるところであった。


 後に公開処刑と呼ばれることにもなる佐藤のこの退場事件について、運が悪かったんだ、とつぶやくのは混野である。佐藤なきあと、かれの重要な役柄を新たに演ずる人物をただちに決めなおす必要があった。これまで役者のうち誰かが不在だったとき、主にその代役を務めてきたのは映子であるが、いくらその天稟によって誰よりもうまくその役になりきり、劇の進行をなんら損なうことなく機能させつづけてきた彼女といえども、性差まで偽装することは困難なのであり、また稽古の残り時間が少ないことからも勘案するに、その人物はあらかじめ劇の全体を把握している男でなければならなかった、すなわち必然的に、脚本家みずから代役を務めねばならないということが発見されるのである。

 これを聞かされたとき、樹里亜はほとんど失神寸前になり、体調を崩してしばらく寝込んでしまった。かれらにはどうしようもない過去があったのである。だが復帰してきたときには、もう覚悟をきめた女の顔になっていた。樹里亜と混野との間に無駄な会話は一言も挟まれない。ただ義務的に腕を振り、口を動かすのみである。にもかかわらず、それが舞台の上にのせられると、ふしぎなことに、かれらの間には真のパートナー同士のなかにしかあらわれないような、濃密であり、人を圧倒する、一種媚薬的ななにものかがしばしば見出されるのであった。そして演技がおわると、またいつもどおりよそよそしく他人同士にもどるのだ。そこに映子が介入しうる余地はほとんどといっていいほどない。彼女はただふたりの悪趣味な芝居を母親のように眺め、炭酸を飲み、甘い息を吐き出して、そうだよ、とひとりつぶやくだけである。

 樹里亜は舞台の上で日に日に美しくなっていった。その様子を見てほかの役者たちの意気も上がる。こうして、芝居はいまや脱皮を重ね、みずからの尾を噛み、その反復強化の毒を全身に巡らせるところの、一匹の蛇だ。ここでついに理想の楽園はひとつの完成を見る。つまりそれ以上先へ進むことはもうなくなった。

 ちょうどそのころ、学校では化学薬品の盗難事件が起こっていたらしい。配布されたプリントによると、何者かが理科準備室に不正侵入し、強塩酸入りの壜を一本持ち去っていったということだった。ただ生徒たちの関心はもっぱら文化祭のほうに向けられていたから、次の日にはもう誰も覚えていなかったのだが。

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