いつか、ここにいる全ての人がいなくなるとして
神取直樹
前置きに代わる短い話
千年程前の話である。一人の少女が、暗い森を彷徨っていた。金糸に碧眼の、人形のような少女であった。歳は十かそこらであったが、母も父も兄弟姉妹も、「魔女」「悪魔の手下」と呼ばれて、皆生きたまま焼かれて死んで逝った。彼女の後ろを追う黒衣の男たちも、家族と自分を社会から淘汰した者共と、同じ者である。
木は黒く深い緑に覆われて、嵐の前兆たる風を咆哮する。長く伸びた草に、スカートの裾と靴が脱げて露わになった足の皮膚を切る。そこから流れ出す赤い血が、彼女を人間であると主張していた。ただ、その血は、彼女の逃げる先すらも、鼻の良い狩人共の犬に、主張を続ける。
――――神様、私達が何か、悪いことをしたのでしょうか。
そんな事はないはずです。毎日貴方に祈りました。村の皆を癒す力を貸してくださる、貴方への祈りを、絶やした日などありません。母も父も姉も兄も、百年以上、貴方を慕い、貴方から借りた力を人々に無償で使いました。私も、いつか、貴方から授かった力を、愛する人々の為に奮うのだと思っていました。
けれど、どうでしょう。貴方の使いと名乗る人達は、その力を悪魔の力と罵るのです。貴方にあだなすものと言うのです。
貴方が授けた力なのに! 何故私達が貴方の使いに殺されるのですか! 貴方の為に使ったのに! いつかエデンに行くために! 一族全員! 貴方に六百年も奉仕したのに! 何故平気で殺しという罪を犯す彼等ではなく! 私達を罰するのですか! 貴方は本当にそこにいるのですか! ちゃんと見ていらっしゃるのですか! 愉悦に浸ってはおりませんか! もがいてもがいて救いを求める私達を! 嘲笑っているのではないのですか!
もしそうなら、もし、貴方がそういうものなのだとしたら。確かに私達の力は、悪魔の力なのでしょう。
だって、貴方は正真正銘の、悪魔、ということになるのだから。
いつの間にか、草の中に顔を埋めて、弱い息をしていた。少女のひび割れた指先の皮膚が、草の一片と、目の前にいた蟻を撫でる。
逃げてきた方から、犬の吠える声がした。最早懐かしささえ感じる憎悪の罵詈雑言が、いとしくも耳に言葉として聞こえた。
――――神様。もし、もし、貴方が、未だ、自らを救世の長と自称するならば。
一人だけで良い。
草を踏みしめる音が聞こえる。それは意識していなかった、自らの進む先からである。視界の黒さが、一層に極まって、体が宙に浮いたようだった。迎えが来たのだと、直感で感じる。死神の手が、少女の体を軽々と持ち上げたのだと。
「潔癖で傲慢で慈悲深いサターニャの孫に問おう」
腹の底から響くような低音で、その死神は問う。
「真に魔女になる気は無いか? そして生き、誰かを愛する伴侶として、子を産み、子々孫々を千年にわたって眺めてみたくはないか? ——悪魔と共に生きる道を、その目に見出してはみないか?」
酷く稚拙で先の見えない問いに、少女は見えないながらに苦笑する。
「そんなのも、良いわね」
応えるように、少女の体が揺らされた。まだ生きていた嗅覚が、血の臭いを覚えて、あぁ、案外、死ぬときは痛くない、と思った。
左腕で小柄な少女を抱いて、右腕で鉄錆の臭う薄い鋼剣を持つ。軍服に似た黒衣は、切り捨てた男共のそれとは違い、薄汚く、この世界にはまだ無いはずの硝煙の香りが焚き染められていた。襤褸切れになりつつある着衣と違い、男の体そのものは、健康体で、傷一つ無いのが不自然であった。
自らの腕の中で深く眠り、深い息で酸素を取り入れる少女を見る。乱れた金の髪が、腕から溢れる程に長く、多かった。同色の睫毛がピクリとも動かないほど、深い眠りにつく彼女の顔を見て、死神、その男は微笑む。
「来て早々に見つかるのは幸先が良いな。もう数千年くらい、時間がかかると思ったが」
まあ、良い物は良いのさ。そう呟きながら、さて、手当でも何でもしてやる場所は無いかと、ふらふらと、男は少女を抱いて歩いた。
それが、西の魔女と、無名の魔王という、後にこの世界の魔法の大部分を担う一族の始まりだった。何れ生まれる破綻の王の、その母を産む、二人であった。
それから六百年を用いて、二人の間に七人の娘が生まれた。皆聡明で美しい魔女に育った。
一人目は、原罪の魔女。二人目は、智慧の魔女。三人目は餐好の魔女。四人目は哀願の魔女。五人目は裁弾の魔女。六人目は聖舞の魔女。
そして最後の七人目は、七人姉妹で最も愛され好かれ、姉達に疎まれた美才の魔女であった。
七人姉妹が生まれて百年と少しの後。文明開化の音と、戦禍の夢に色めく極東の国に、また一つ、呪詛と縁に絡まれた産声が上がった。
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