シャボン玉キチの正一 明治編

一齣 其日

墓守

維新が成って、十年。

無数の墓が佇んでいるそこは、せせらぎが聞こえるか聞こえないかの町外れ。ただ静かに佇んでいるその様相は少しばかり淋しいと思わせるが、それが妙に墓場らしい雰囲気を醸し出す。

人は滅多に訪れぬ、けれど訪れないことはない。そこに墓場があるとは知らず、河岸を眺めて去る者が多いが。

しかして、ここには一人の墓守がいた。たった一人、この墓たちを守る墓守が。墓守は、別段この墓場に人が参らないことに文句は言わない。そもそも、参りに来た方が驚く。だからまあ、これが当然というか、当たり前の風景。

小柄の墓守、は今日も一つ一つの墓に水をかける。燦々と照る日差しに渇ききらぬよう、そこら中に撒き散らす。とりあえず、自分もそうだが、墓まで渇くのも可哀想だと言わんばかり。

そして、ようやく全ての墓に水をかけたところで、墓守は一服する。

懐からキセル……では無く、竹の管を出して先を竹筒の中にある液につけてから、口にくわえる。そしてふっと吹けば、無数にシャボンが吹き上がる。陽に当たり玉虫の羽のごとくゆらりと色めく玉どもは、夏風に揺られ彼方へと飛んでいく。それも、ちょっと目を離した隙に、あっという間に見えなくなってしまった。もう少し眺めていたかったが、行ってしまったものはしょうがない。そう言わんばかりに第二陣を吹き散らす。

「相変わらず飽きないねえ、あんた」

呆れた声に振り返ってみれば、墓守の妻がいた。その手に持つ風呂敷を見れば、昼の差し入れをもってきたのだろう。丁度、陽も一番高い所に登っている。

「毎度すまんの」

「別に自分の嫁にすまんと言うことはないじゃないさ。ほら、さっさとたべましょか」

墓場の近くに建てた掘っ立て小屋のようなところで、二人は飯を食べる。風呂敷の中には、握り飯と墓守の好物である胡瓜の漬けたものが入っていた。どれも嫁のお手製である。

よほど腹が減っていたのか、そいつを目にすると墓守は一心不乱に飯を貪りつく。美味いも不味いも言わず、ただただ一心不乱の無我夢中。いくら言葉をかけてみても、ん、としか返しをしない。これにはさすがに彼の妻も苦笑するしかなかった。

「ん、ごっそさん」

「お粗末様」

ふぃーっと一息吐いて、墓守は寝転がる。当然のように妻の膝を枕にして。妻も妻で、子供をあやすように彼の頭を撫でている。白髪混じりの髪は長年の苦労を物語っているが、本人はどこ吹く風である。

「……そいやさ、あんたはなんでこんなことしようと思ったのさ。なんか、今更な気もするけど」

先ほど墓にかけた水が陽を反射して、きらりと光る。

「さぁの」

墓守は、食後の一服とばかりにシャボン玉を吹かす。大きい大きいシャボンが、ふわりと浮かぶ。


「ま、わりゃが斬った奴らが眠ってるしの」



維新が成って、十年。

この十年もまた、幕末の激動と負けず劣らずの動乱の時代だった。戦が幾度も起こり、人もたくさん死んだ。かの大政治家などは、創業の時期として戦さごとに費やしたとも語っている。

そんな十年を、墓守は墓守として生きてきた。

墓に水をやり、草をむしり、そして手を合わせる。 雨の日も、風の日も、嵐の日も、雪の日も、日差しの暑い日も、彼は毎日墓守だった。

そして、今日も彼は墓守である。

手を泥だらけにさせて今日も草をむしり、皆が渇かないよう水をやり、手向けとばかりに線香をやって手を合わせる。


自らが殺した人間たちに、彼は手を合わせる。


そこに骸があるのは殆どない。ずいぶん昔に死んだ者もあるので、供養する前に朽ちてしまった骸も数多い。それでも、覚えている限りの人間の墓をそこに建てた。うろ覚えの名をそこに刻み、どうしても思い出せないならば、とりあえず墓石代わりの石を置き、供養する。


……彼なりの贖罪なのだろうか。


そう、妻は思ったりもした。

墓守が幕末の動乱の中で多くの人間を殺したのを知っている。時勢だから仕方なかったとはいえ、思うところもあったのだろうか。そんなこと、気にするような人間には見えないけれど、それでも彼も人間ということなのか。


彼は、毎日欠かさず墓守だった。


「もういいじゃない。一日くらい休んだら?」

妻は、とうとうそう言った。草むしりで固くさせた墓守の肩を揉む。ここまで肩をこらせることはないのに。

「あんた、怠け者だったじゃない。なんで今更、怠け者を返上するように墓守をしてるのさ。……やっぱり、人をたくさん殺したことを悪いと思ってるの?」

墓守は何も言わなかった。

そして、妻が何を言おうとも、きっと明日もいくのだろう。それが墓守という人間だ。


人の言うことを聞かない、自分勝手な人間……。


「まぁ、わかったよ、好きにやりなよ。あんたが悪いと思うなら好きなだけ、さ。」

とくとくと墓守好みのをお茶を入れながら、諦めたように妻は言った。こうなれば、とことんついていくのが自分の役目だろう、そう思って。


「……悪いとは、思っとらん」


「え?」

当惑だった。はっとして、墓守の顔を見る。だが妻の当惑をよそに、墓守は茶を一口のんびり啜っている。

「なんで殺しを悪いと思うが。わりゃは、生き抜くために殺した。それが悪いとは思っとらん」

「え、じゃあなんで……」

「なんとなく」

「はぁ?」

脈絡のない答えに妻は口をぽかんと開けるしかなかった。それも仕方なしだろう。まさか毎日欠かさず墓守である理由がなんとなく、さらには殺した人間たちに対して全く悪びれてないのだから。

「な、なんとなくでそこまで……」

「じゃけどな」

残っていたお茶を飲み干して、コトンと机に置く。


「奴らもわりゃと同じじゃったんだろなと思うとな、なんとなく、な」


それ以上は、墓守は言わない。妻も、聞こうとはしなかった。

夕闇の中に、だんだんと沈むみゆくかのように蝉は鳴く。一日の終わりが、次第に夫婦二人を包み込む。


「……そうね。なんとなく、ね」

「ん、なんとなくじゃけ」


墓守は、一つシャボンを吹かしてみせる。

夕闇に色めくそれは、ゆらりと浮かんでそこにあった。


維新が成って、十年。

彼は今日も墓守である。

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