第26話気になること

「君はあの名無しの少年だよね」


「玖月です」


雫は改めて玖月をじっと見つめ、忘却の彼方に送った記憶をたどり寄せてみた。

生気のない瞳、青白い肌、覇気のない表情。

ぼんやりとだが思い出す。やっぱり2年前に自分が殺した目撃者だと。唯一、記憶と異なっている部分は着用している学ランの色が黒と白が混ざった灰色だということだ。


「聞いてもいい?」


「何ですか?」


「君、どうしてあんなところに?」


「僕を殺した後、僕の身体を調べたのなら察しがついていると思いますけど」


尋ねる雫に玖月は視線を外さず答えた。


「僕が自殺者だったと」


雫も視線を外さない。


「君の言う通り、体見て察した。ずいぶん酷いイジメに遭ってたみたいだね。しかも手錠の跡とかタバコの跡とかもあったから、もしかして家でも?」


「………」


雫の問いに玖月は沈黙をもって返した。肯定という意味で。


「私、殺すの専門であって死体処理専門じゃないから湖に沈めるときちょっと大変だったんだ。死ぬんだったら森の中じゃなくてもいいのに何でかなって思って」


「それ、本人の前で言いますか?」


「正直すぎたかな」


「まぁ、今となってはの話なので別にいいですけど」


玖月は特に不機嫌になることはなく、淡々と受け応える。


「あの時はとにかく離れたかった、家からも学校からも。死体ですらも彼らに晒すのは嫌だと思ったんです。誰の目にも触れることなく消えたかった。そう思って森の奥に足を進めていた時あなたの殺しを目撃したんです」


遠くを見ていた視線を雫に合わせる。


「自殺しに来たんだろうなってだいたい想像ついてたんだけど、私を見たとき一目散に逃げたからもしかしたら違うかもとも思ってたんだ」


「まさかあんな現場に出くわすとは思ってもみませんでした。衝撃的でずっと封じてきた感情が一気に膨れてしまったんです。あの時はその感情に思わず従ってしまいました」


まるで他人事のように玖月は淡々と話す。


「僕はあなたのことをまったく恨んでいません。あの時は思わず本能に従って逃げただけです。むしろ、ちょうどよかったと思いますし」


「そうなの?最初に会った時イラついていたように見えたような気がするけど」


「恨んでないと言ってもさすがにイラつきはしました。一応、殺しに無関係であったはずの僕を殺しておいて思い出す素振りも覚えてすらもいなかったようなので。あなたと会ったとき、僕は少なからず驚いたたのに」


「驚いてたんだ、そうは見えなかったけど」


玖月が雫の送り人になったのは偶然だ。意図して雫の担当になったわけでも人為的に回されたわけでもない。だからこそ顔には出さなかったが玖月は当初、少なからず戸惑っていた。冷淡に振舞ってはいても、目の前に自分を殺した殺し屋がいたのだから。


それに反して雫は過去を振り返らなければいけない状況に陥らない限り、玖月のことを思い出すことはしなかったろう。


「誤解しないでください。僕はあくまであなたに感謝しているんです。あなたに殺されなかったら僕は地獄逝きになっていました。自殺者はどんな理由があっても問答無用で地獄逝きなので」


感謝してると口にしている玖月の表情はやっぱり無表情。


「その地獄に私は行くんだけど?」


雫は肩を竦めながら苦笑する。


「それじゃあ送り人って元人間………というより幽霊ってこと?」


「半分当たっています。僕のように生きていた人間もいれば、元々『こちら側』の人もいます。ただ、人間が送り人になる条件は皆『理不尽な死を迎えた人間』です。もちろん皆が皆、なれるわけではありません。その条件の中でどうやって選ばれるのかは不明です。僕もいまだにどうして自分が送り人として選ばれたのかわかりませんし」


「そうなんだ」


雫はチカチカと点滅する外灯を見ながら、玖月の隣に立った。


「君がいなくなった後、周囲の反応とか見に行ったりしたの?」


雫が言っている周囲とは玖月のクラスメイトや家族のことだった。


「さぁ、興味ないので」


玖月は雫からふいっと顔を背ける。


「殺しちゃえばよかったのに」


「………は?」


思わず、背けていた顔を雫に向ける。雫は外灯から視線を外し、ぼんやりと虚空を見つめていた。


「だからどうせ死ぬんだったら殺しちゃえばよかったのに。私だったらそんな人たち道連れにするか、一方を殺してその罪をなすり付けるかするけどなって」


酷薄な言葉を吐いているのに雫の口調は穏やかだった。


「その発想はなかったですね」


玖月は虚空を仰ぐ雫の横顔を眺める。


「なかったの?やっぱり私、殺し屋だからかな。殺せばいいって安直に思っちゃうのかも」


「よく誰かに助けを求めるべきだったとか、同じ送り人に言われますけど」


「私、そういう確率性の低い賭けみたいなことはあんまり言いたくないんだ」


偽善だ。安易に口出しするのは無意識的に当人の問題を他人事だと思っているからだ。自分が手を差し伸べるわけでもないのに不用意に希望を持たせる言葉は残酷で無責任に近い。


「君が住んでいた町ってM端町じゃなかった?」


雫は当時ターゲットである3人の男を探し出したルートのことを思い出しながら話す。


「そうですけど、それが何か」


雫はああ、と不憫そうに声を漏らす。


「あそこの警察ダメダメなんだよ。公務員目的だけでなった警察官や杜撰ずさんに捜査する警察官ばかりいる怠慢だらけだから。本気で調べてみたらわかるよ、そこのストーカー被害とかDVとかの事件、かなり検挙率悪いから」


「そうなんですか?」


「警察の有能さによって殺しがやりやすい町ややりにくい町があるけど、関東地方の中でM端町は確実に殺し屋にとって仕事がやりやすい町ベスト5に入っていると思う。殺し屋サイドの私でさえ、もっとがんばれよって思ってしまうほど」


「………」


「だから君が警察に駆け込んだとしても助かる可能性はかなり低かったと思う。隣町だったら少しはマシだったろうけど」


「そう、ですか」


玖月は複雑そうに言葉を区切る。


「だから確率性の低い駆け、ですか」


玖月も雫と同じように虚空を見つめ、息を大きく吐いた。


「話を戻しますが」


「戻すってどこまで?」


「僕があなたを殺した犯人かについてです」


「ああ、そういえばそんな話してたね」


雫は、まるで世間話をしているかのように事もなげに言った。


「雫さん、あなただって別に僕が本気で犯人だって思ってたわけじゃないでしょう?」


「まぁ、漫画やドラマだと身近な人間が犯人っていう展開がよくある話なんだよね。この場合、私にとっての身近は君になっちゃうのかな」


「これは現実です」


「でも、2割くらいは疑ってるかも。犯人だったら漫画みたいで面白そうだなって」


軽く笑う雫に玖月は面白くなさそうに目を細める。


「面白くないですよ。疑われて面倒なので教えます。僕たち、送り人にとって最も重い罰は生きた人間を殺すことなんです。もし、僕があなたを殺したとしたら霊と一緒であろうが問答無用で送り人の肩書きは剥奪され、業務停止処分が下されます」


「業務停止処分?」


「噂では地獄に堕とされるか消滅させられる、と聞きました」


「でも、私が知っている送り人は君だけだし」


「この現世にまだ留まるのなら、いずれ他の送り人に接する機会があると思います。疑うならどうぞ聞いてください。答えてくれるかはわかりませんが」


「いや、いいよ。ごめんねしつこくて」


雫は玖月が犯人だと本気で疑ってるわけではない。でも、生前の殺し屋の癖なのかわずかな疑問を持ってしまうと何かしらの確信が欲しくなる。骨身に沁み込んでいる裏家業の心得は魂だけの存在になったとはいえ、簡単には色褪せないらしい。


「でも、それって生きた人間を殺せる方法があるってこと?」


「………」


「それって何?」


「そこまで言う必要性はないはずです」


玖月は強めの口調で拒絶した。


「わかった、もう聞かない」


雫はこれ以上の追及は無理だと判断し、話を切り上げる。


「………夜が明けるまでどうしよっかな」


雫は周囲を見渡す。玖月と話し込んでいるうちに点在している窓明かりがほとんど消えていた。夜が更けても魂だけになってしまっている雫には睡魔も疲労感も襲うことはなかった。


「他人の家を覗くのも面白うそうだけど」


ぼそりと小さく呟き、ふわりと浮かび上がった。


「屋根の上から日の出が出る瞬間でも見ようかな、のんびりと。玖月くんも上に行く?」


「いえ、僕はここでいいです」


「そう?私、あそこの屋根の上にいるから気が向いたら来てね」


雫は玖月を見ながら上方を指差した。


「雫さん」


玖月は飛ぼうとする雫の顔のある一点を凝視しながら呼び止めた。


「何?」


「………いいえ、何でもありません」


言葉を発しようするが、考え込むように間を置く。そしてゆっくりと首を振り、問うことをやめた。

おそらく、雫の死には関係ないだろう。


「玖月くん、聞きたいことがあったらいつでも聞きに来て良いからね」


そう告げた後、雫は暗い上空に浮かび上がっていった。玖月はそんな雫の姿を無言で見送る。


内心、少し気になっていることがある。

五月雨家の兄弟たちの瞳は皆、異国の血が混じっているのか翠眼だった。

しかし、雫は五月雨家の人間であるにも関わらず双眸とも黒。


雫だけが唯一、違っている。

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