第62話 水着がない①

 いよいよ明日。初めてできた友達と、気になっている男の子とプールに行く。

 音無花音は、自室のベッドに横になりながら静かにニヤついていた。

 基本的にひとりでの行動の多い花音に、誰かと積極的に遊びに行く習慣はない。そもそも友達と呼べる相手がいない。

 気になる相手(主に匂いが好き)の跡をつける積極性や行動力を備え、シャツの匂いを堪能する変態性があるにも関わらず、なぜか人見知り激しい性格という矛盾。

 音無花音とは、そんな奇妙な個性をもつちょっと残念な乙女である。


 そんな花音は不意に体を起こす。

 さっきまでの頬の緩みは嘘のようになく、真面目な顔であることに気づいた。

 それは──


「水着が……ない……」


 そう、明日みんなでプールだというのに肝心の水着を持っていない。

 これはマズい、と花音は慌てた様子でタンスを開けて確認するも、


「これ……中学生のころの」


 あったの中学生のときに愛用していた、学校指定の水着。いわゆるスクール水着だ。

 とてもレジャー施設で着ていくようなものじゃない。


「……どうしよう」


 流石にこれを着ていくのは抵抗がある。というか無理。絶対。ありえない。

 このままでは、せっかくの楽しい時間が始まる前に終わってしまう!


「でも、どうすれば……」


 ちょうど昼過ぎ。

 まだ今日のうちに水着を買う余裕はある。

 しかし、ファッション関連のことに関心のなかった花音にとって、水着はいきなり難易度が高過ぎた。

 けれど臆している場合じゃない。


「ん、行かなきゃ」


 体の成長が乏しくて、中学のスクール水着がしっかり着れそうだがそれは嫌だ。

 かといって、プールに遊びに行かないなんて選択肢はそもそもない。

 ならば、買いに行くしかあるまい。

 花音は珍しくシャキッとした面構えで、自分を鼓舞して部屋を出た。


「あら? かのちゃん、お出掛け?」

「ん、お姉ちゃん……?」


 部屋を出たところで、片手にスマホを持った状態の姉と出会した。

 花音の姉、紫音は二つ年上の大学生だ。

 低身長のまま成長が止まってしまった花音とは対照的に、紫音は高身長かつ全体的に引き締まったモデル体型をしている。

 性格も明るくて友達も多い姉は、花音の尊敬と嫉妬の対象そのものであった。


「お姉ちゃん──ッ!」

「ふわっ!? ど、どうしたの花音」


 花音は感極まったように、いきなり姉の腰にギュッと抱きついた。細い腰に手を回して逃げられないようホールドする。

 妹の突然の奇行に反応できず、あっさりと捕まった紫音は激しく動揺する。

 普段はこんなことは絶対しないうえに、最近は少々避けられていた気がしていたのだから無理もない。


「……それで、どうしたの?」


 それ故にただならぬ雰囲気を感じた紫音は、すぐに落ち着いて尋ねる。


「お姉ちゃん、水着買いたいから選んで」

「…………えっ!?」


 まさか、かのちゃんが水着を?

 海やプールに一切興味を示さず、基本家にいるかゲームセンターにしか行かない妹からのまさかのお願いに再び驚愕する。


 そう。自分では、今時のファッションに関する知識がないため、ルックスを活かした水着を選ぶことができない。

 それならば、そちらに精通したひとを頼ればいい。

 自分の咄嗟の機転を褒めたい。


「えーと、かのちゃん? 夏休みも終わる今になって、どうして水着を?」

「友達と……プールに、ちょっと」

「な、んと……ッ」


 衝撃は続く。

 未だかつて、妹の口から友達と遊びに行くなんて発言があっただろうか。

 困惑で思考が追いつかない紫音に、花音はさらに畳み掛ける。


「似合いそうなの、分からない……。だから、お姉ちゃんに選んでほしい」

「──っ!?」


 ついに紫音は絶句した。

 今まで、花音が友達と遊びに行くことはなかった。そもそも友達がいなかった。

 それは家族が密かに心配していたことだ。

 だが、ついに花音は友達を作りかつ、その友達と遊びに行こうというのだ。

 嬉しい反面、どことなく寂しさを覚えた紫音は心の中で涙する。


 ──ああ、とうとうこの日が来たか。


 ようやく、妹に友達ができた。

 それなら友達と仲良く、円満な関係を築けるようにサポートしなくては。


(これは責任重大だなあ……)


 紫音は不安と謎の使命感が混在した、言いようない気持ちになる。

 そして自分より小さな妹を抱きしめ返して、このミッションを成功させてみせる、と静かに意気込んだのだった。

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