第35話 生まれ持った性格

 五km地点に辿り着き、そのままくるっと回って学校までの道のりを走る。

 普段はそこまで走っているわけではないため、流石に疲れを感じていた。


 女子は短めなので、この地点には男子生徒以外は誰もいない。紀文はペース配分を間違えたためか、息を切らしながらも必死に俺の後ろを走っていた。


「も、う……すこし、落と……そう」

「疲れたなら休めよ」


 そもそも追ってくる必要はない。

 一人が寂しいのは分かるが、それに付き合っていては遅くなるだけだ。


「そんな……こと、言わ……はぁ、れ……」


(そんなに急いで走ったのかこの男は……)


 恐らくは他の生徒連中のペースにのまれた結果であろうが、それで体力を使い果たしては本末転倒だ。


(いや、もしかしたらお気に入りの女子生徒を見つけて、その後をストーカーのように追い掛け回して、結果こうなった可能性もあるかもしれん……)


「はぁ、はぁぁ……」

「女子生徒を追い掛け回してたのか?」

「えっ……はぁ、いやちょっと……可愛い子がいた、から……」

「…………」

「い、いや違うぞ! ちょっと……はぁ、一キロくらい追い掛けただけで。決して、はぁはぁ……や、やましい事は……」

「いやそれ……充分やましいから……」


 女は男の視線に敏感だと言われている。

 無意識化でも、女の子の胸や以下略に性的な視線を向ければ分かるらしい。


(きっと紀文の存在に気付いて、身の危険を感じて逃げようとしたんだろうなぁ……)


 ルール上、女子の往復地点を超えねばならない男子とは、必然的にそこで別れる。


(そこまで走り続けて、何とか逃げ延びたんだろうな。そして目標を失った紀文は一気に減速して俺に追い付かれたと……)


 相当怖かった事だろう。

 ストーキングされる気持ちには共感が持てる身としては、その被害者に同乗せざるを得ない。

 男と女では恐怖の感じ方が違うだろうが、背後から尾行されて不愉快に感じるのは同じだろう。


(ま、まぁ……美少女に尾行されるのは悪い気はしないが……)


 感覚が麻痺しているのか、音無にストーキングされる事を許容している自分がいた。もちろん私生活を覗き見られるのは少し不快にも感じるが、それを言ったら莉音にプライベートもプライバシーも介入されまくっているため、やはり慣れていると言える。


(やっば……。俺ってヤバい系すらいけちゃうんじゃねーか?)


 そう思うと背筋に悪寒が走った。

 莉音が俺の心を言い当てたり、感だけでは到底不可能に近い行動予測をやってのけても、対して気にした事はない。ここ最近では、麗菜とのデート内容を聞いただけで、まるで見てきた、或いは体験したかのように、その時々で俺が思った事を言い当てた。


 もう感とかそんな次元の話ではない。

 心が一つに繋がっているのではと錯覚しそうになった事も多々あった。

 けれどそこに恐怖を感じる事はなく、寧ろそれが普通の事のように感じていた。普通の人なら、他人の行動の殆どを読み切る相手に恐怖するのが自然だろう。


「なぁ……紀文」

「はぁはぁ……な、なに?」

「俺、なんかヤバいかもしれん……」

「つ、疲れ……たのか? なら、やす……はぁ、休もうぜぇ……」


 もしも相手が莉音ならば、きっと──。


『大丈夫だよ。お兄ちゃんはそんなこと気にしなくて良いんだよ? 妹は、お兄ちゃんの事を何でも分かるように出来てるんだよ?』


(こう返すかもしれない。何も話していないのに、考えた内容を読み切って……)


 人の心を正確に読むなんて、いくら肉親でも不可能であろう。きっと、隣にいるのが親であるのなら、紀文のように状況から判断してそう返す。それが他人である紀文なら、尚更さっきのように返すのが自然。

 けれど莉音なら、こんな状況にも関わらずそう応えたに違いない。兄の気持ちを敏感に感じ取り、最適解を口にする。


(そんなヤバい存在を普通に感じるってことは……俺も、どっかおかしい?)


 あの日の教室で、音無が体操着を鼻に付けて匂いを必死に嗅いでいた変態的行為。あんな現場を目撃すれば、本来どんな気持ちを抱くだろうか。

 少なくとも喜びを感じる事はない。大抵は嫌悪感や不快感を感じて後退るに違いない。その後に送られたメールを見れば、考える前に逃げ出してしまうだろう。

 けれど俺は小さな恐怖こそすれ、嫌悪も不快感も感じる事はなく、何故か納得して受け入れていた。


(あ、やっぱ俺もなんかおかしいかも?)


 冷静というか、達観していると言えば良いのだろうか。色々な事を簡単に受け入れられる性格なのかもしれない。


(まぁ……普通なら訴えても良いよな? だって、その日自分が着た体操着の匂いを嗅ぐ同級生を見たんなら、そいつを学校側に訴えてるよな? いや、もしかしたら別の何かをやるかもしれんが……)


 少なくとも現状維持で留めておく事はしないと思う。距離を置くようになるの超自然の流れとなる筈である。


「……いや、まぁいっか」

「そ、それじゃあ……や、すむか?」

「えっ? いや……さっさとゴールしようぜ?」

「うぇええええ…………」


 気にしても仕方ない。

 こればかりは生まれ持った性格なのだから、一生付き合っていくしかない。前向きに考えて行くしかない。


(って、噂をすれば……)


 またも目の前に、見知った背中を発見して呆れ返った。ただ珍しいこともある。


(何気に音無の後ろ姿って、初めて見るな)


 普段は背後霊のように佇むため、逆にストーキングではなく、背後から追い掛ける形になるのは稀だ。貴重である。


(もしバレたらどうなるんだろう?)


 ちょっとした悪戯心に火がついた。

 いつもなら後ろを振り返るといる少女が、今はすぐ目の前を走っている。

 これで何もしないなんて……それこそ、間違っているだろう。


「なぁ紀文……って、いない?」


 考え事をしながら走っていたせいか、いつの間にか遥か後方に置いてきたようだった。


(よし、これなら──)

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