第182話 過去(4)

「・・あたしも、なんかそういうことようわかってなくて。 気がついたときは、もうおなかの中で子供が動いたりするのがわかるくらいになってて。 彼の親にも知れるところになってな。 彼の家、京都でも3本の指に入るほどの老舗の和菓子屋やってん。 そこの一人息子で。 施設の先生も交えて、もう、大変なことになってしまって。 向こうの親からはむちゃくちゃ言われて、怒られて。 彼とはもう会えないようになって。 お金持って来られてな。 これで・・おなかの子供を堕ろしてくれって。」



母の話は


あまりに衝撃的だった。



萌香は唇を震わせて拳をぎゅっと握った。


斯波はそんな彼女の肩をそっと抱いた。



「・・施設の先生もそれを勧めてくれたけど。 でもな・・なんか、でけへんかってん。 もう動くのがわかるねんで? どうしていいのかわかんなくって。 しばらく・・家出して。」


「家出・・?」


「もうお医者さんからも堕ろせるギリギリやて言われてて。 手術をするなら早くって言われてた。 でも・・ほんまに。好きやったから。 その人のこと。」


母は


ふと笑顔を浮かべた。



ほんまに


好きやった・・



萌香はその言葉に


一気に涙が溢れた。




どうせ


興味本位で身体を許して


どこの誰だか知らない男との間に


自分が生まれたのかと思っていた。




「・・戻ってきた時は。 もう堕ろせないようになってたから。 先生にはものすごく怒られたけど・・もう産むしかないって。 親もいなくて、まだ14で。 やっていけるわけもないのに。 どうしても、この子を殺してはいけない気がした・・」



「・・お母さん・・」


萌香は顔をくしゃくしゃにして泣いた。



「でも。 産んではみたけど。 すぐにあんたは乳児院に預けることになって。 次にあんたに会ったときは、もう・・5歳になってたし。」


「・・どうして、引き取ろうと思ったんですか、」


斯波は小さな声でそう言った。


「・・里子に出す話もあったんやけど。 でも、その頃の萌香は・・びっくりするくらいあの人にソックリやったから。ほんまにあたしとあの人の子供やったんやって、」


母はため息混じりにそう言って、目を閉じた。


「・・その人はどうしているんですか、」


斯波はさらに質問する。


「・・さあ。 萌香が生まれたことも・・知らないと思う。 すぐにあの人の親が引き離そうとして、あの人外国に留学してしまったし。 あたしが子供堕ろしたって思ってると思う。 それからは全く会っていないし。」


「・・その話をその人にしたら、ひょっとして・・認知だってしてもらえるかもしれません、」


「ううん。 あたしが勝手に産んだんやから。 もうそんなこと望んでへん。 今さら、」




萌香は


もう涙が止まらなかった。



「・・私を・・産みたかったの・・?」


しゃくりあげながら、母にそう言った。



「・・どうやろ。 でも・・ほんまにその人のこと好きやったから。」



母が


愛した人との


命だったんだ。



あたしは。




父親が誰だとか


そんなことはもうどうでもいい。


愛し合った


結果の


命だったと


それだけで・・


もう


胸がいっぱいになった。




きっと


まだ大人になりきれていないうちに母親になった彼女は


子供を育てることも


わからないことだらけだったんだろう。


ひどいことを


たくさん言われたりしたけれど



でも


その愛した人にソックリだったと言うあたしを見て


引き取ろうと決心した時は



そこに


愛があったはずだから・・



萌香は思わず斯波の胸にすがりついて


声を上げて泣いてしまった。



斯波は


そんな彼女の背中にそっと手をやった。


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