第183話 疼き(1)

「そっか・・」


志藤はタバコの煙をふうっと吐いた。


「心の中の錘が一気に外れたみたいで。 母にも愛した人がいたんだって。 それだけで、もう・・」


萌香は静かな会議室の中で志藤と向き合った。


「・・14でなあ。 ほんま。 理想と現実との狭間で。 いろんな思いがあったんやろな、」


「はい・・」



少しの沈黙の後、




「・・母に仕事をお世話してくれると、わざわざ言いに行っていただいて・・」


萌香は顔を上げた。



「ああ。 もしな、その気があればって感じで。 無理にこっちで仕事したほうがいいよなんて言えへんけど。 ただ・・また京都に戻ったら、その仕事から抜けられへんちゃうかって思って。」


タバコを灰皿に押し付けた。



「私も、そう思います。 できれば、こっちでまあ水商売でもいいから、仕事を見つけてくれたらって。」



「お母さん、まだまだ若くてキレイやもん。 こっちで店なんかやったら、ほんま繁盛すると思うで、」


志藤は笑った。



「それに。 まだまだ人生やり直せるって思うし。 これから結婚だって、」



結婚・・



そうか、母は一度も結婚をしたことがない・・



萌香はぼんやりと思った。




そんな頃。


「ひっさしぶりねえ~。 元気~?」


斯波の母から久しぶりの電話があった。



「ええ。 清四郎さんはまだ仕事で、」


家にいた萌香が出た。



「相変わらず仕事ばっかりね。 あの子も、」


「お母さんもお元気ですか?」



「うん。 元気よ~。 ほんと今度遊びにいらっしゃいよ。 いいところだから。」


「はい。 ぜひ・・。」



斯波の母が竹富島に行ってから4年ほど経った。


たまに電話があるくらいで、あれから1度も会うことはなかった。



「え? 萌ちゃんのお母さんが?」


「ええ。 明日退院するんですが。 それで少しバタバタしていまして。」


「そうなの。 大変ね。 でも、たった一人の家族なんでしょう? 大事にしてあげなさい・・。」


「はい・・」


萌香は微笑んだ。


「ってあたしが言うのもなんだけどね、」


斯波の母は明るく笑った。




萌香はふとひとつの疑問が頭をよぎった。



「あのう・・」


「え?」



「・・お母さんは、清四郎さんを身ごもったとき、どんな風に思ったんですか?」


「え? あたし?」


意外なことを言われて、母はしばし考えて、



「・・まあ、清四郎の父親はさあ。 ほんっと自分勝手でどうしようもない男だけど。 でもね。 あたしのお店に来てくれてたときはね。 色んな話をしてくれて。 難しい話もいっぱい。 わけわかんなかったけど、まあ、すっごく才能あって、頭のいい人なんだなあって。 高校もまともに出てなかったから。 すっごく尊敬しちゃって。妊娠がわかった時はすっごく驚いたけど、でも。 ああいう才能のある人の子供だったら・・産みたいなって、一番最初にそう思ったの、」




その言葉は


萌香の身体のどこかを


ズキンと疼かせた。



「え・・」



「まだ、20歳にもならなかった頃だから。 なんもわかんなかったのよね。 素直にそう思っちゃって。 でも、この人の子供を残してやりたいって・・そう思えたかなあ・・」




萌香は


思わず胸ではなく、


おなかを手で押さえた。





この人の子供を


のこしたい・・




鳥肌が立って


胸がいっぱいになって




「ただいま、」


斯波が帰ると、萌香はボーっとした様子でリビングのソファに座っていた。


「・・どしたの?」


彼女の顔を覗き込む。


「・・あ・・おかえりなさい、」


萌香はどこを見ているのかわからない焦点の合わない目で言った。


「なんか、あった・・?」


心配そうに言うと、萌香はいきなり斯波に抱きついた。


「・・萌・・」


驚く間もなく、背の高い彼にぶら下がるように抱きついて萌香から斯波にキスをした。


「・・どうしたんだよ、」


唇を離して小さな声でつぶやく。


「・・抱いて。」



萌香は泣きそうな声でそう言った。



「え・・?」


「抱いて、」




駄々をこねる子供のように


萌香は斯波に抱きついた。

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