第136話 母(2)

「ほんっとおれは知らないからな! そんなトコ行って、泣いて帰ってきても、おれは知らない! もう会わない!」


斯波はそう言って自分の部屋に引っ込んでしまった。


「清四郎・・」


母のテンションも一気に下がってしまった。


「・・突然のことで驚いているんじゃないでしょうか。 お母さんのことを心配しているんです、」


萌香はフォローするように言った。


「ほんと。 清四郎にはたくさん迷惑かけたから。 怒ってるのかも、」


「・・でも、本気なんでしょう?」


「うん。 今度の人はね・・一緒にいるとホッとできるの。 場所なんかどうでもいいから、二人でいたいって思っちゃうのよね。」



斯波の母は


50を少し過ぎたところだが


そうは見えないほど、頬を赤らめて少女のように言った。


「・・私はお母さんの人生ですから。 好きにしたほうがいいと思いますけど、」


萌香が言う。


「また・・来るから。 ごめんね、後片付けもしないで・・」


苦笑いをして母は帰り支度をした。



母が帰った後


斯波はそこのデスクで書き物をしていた。


「・・おなか、空いたでしょう。 あんまり食べてへんかったし、」


萌香が声をかけると


「・・もう、いいよ。」


振り向きもせずに言った。


「お母さん、帰りましたけど。」


「そう、」


萌香は彼にそっと近づく。


「・・ふざけてるよな・・もっと真剣に考えろって・・」


斯波はボソっと言った。


それは怒っているようではなく


とても寂しそうな声だった。



「でも・・本気みたいでした。」


萌香はポツリと言う。


「あの人はいつもああなの。 そのときは『最後の恋』みたいなこと言っておいて。 絶対に騙されて戻ってくる。 おれのことなんか・・どうでもいいくせに。 もう・・相談なんかしなくていいから勝手に行ってくれればいいんだ!」



斯波は


ペンを置いて、あの幼い日の記憶が蘇ってきてしまった。



勝手に


産んでおいて。


ふざけんな・・


また勝手に


おれを置いていく気かよ・・。



ふっとそんなことを思ってしまい、それがあまりに子供っぽい母への怒りの気持ちだということが


わかりきっていて、とても萌香には言えなかった。




この不安は


なんなんだろう。



斯波はいきなり立ち上がって萌香を抱きしめた。



「清四郎さん、」


いきなりベッドに押し倒され、いつもと違う彼に戸惑う。



斯波は何も言わず


彼女の身体に顔を埋めた。



あんなやつ


どこにでも行けばいい!


勝手にすればいい・・


オフクロなんか


おれを置いて出て行った時に


死んだんだ。




・・ふざけんな。





「あっ・・もう・・」


いつもより


乱暴に


激しく抱いてくる彼に萌香はそれに応えようと思うままにされていた。



なんだか自分を見ていないようで


少し寂しかったけど。



「・・さびしいの・・?」


萌香は彼の耳元で囁く。


「え・・」


「私が、いるから・・」



優しく


優しくそうつぶやいた。




どれだけ悲しい思いをしてきたんだろう・・


この人も。


私だって


生まれて来なければよかったって


何度も思ったけど


今は


この人に出会うために


この世に生まれてきたって


信じてる・・


だから


私が


何でもしてあげる


あなたのために。




萌香はぎゅっと彼の背中に抱きついた。




翌日だった。


「あのう、斯波さんにお客様です。」


下の受付から内線があった。


「客? だれ?」


「えっと・・青山病院の西沢さんという方ですが。」


「青山病院?」


全く、覚えがなかった。



しかし


医者?


昨日の母のことを思い出し、まさかと思い



「・・今、行くから。」


と言って電話を切って立ち上がった。



受付の前で


一人の紳士が待っていた。


「・・あのう・・斯波、ですが・・」


少し呆然としつつ声をかけると、


「・・ああ、すみません。 突然に。 佐妃子さんに息子さんがここに勤めているって聞いたものですから、」


彼はにっこりと優しい笑顔で微笑んだ。




やはり


その人であった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る