第137話 母(3)

ロビーにある喫茶コーナーで二人は向き合った。


『青山総合病院 外科部長 西沢時生』


彼から名刺を手渡された。


「・・佐妃子さんから息子さんのことを聞いて。 この話にとても驚かれたんじゃないか、と。」


柔らかい口調でそう言われて、


「はあ・・」


斯波はまだ戸惑っていた。



今まで母がつきあってきた男にも会ったことはあったが


明らかにその人たちとは違っていた。




「私のわがままで。 ずっと老後は南の島でゆっくりしたいと思っていました。 まあ、老後と言うにはまだ早いので。友人の代わりに竹富島の診療所で仕事をしようかって。 そこに・・彼女にも行ってもらえたら、と。」


「な、なんか突然のことで・・あのう、聞いているかはわかりませんが、9つのときに両親が離婚して、おれは父親にいちおう引き取られる形になり、母は出て行きました。 会うようになったのは・・ほんと成人してからで。 ときどきウチにあの人が押しかけてくるくらいで。 もう、別に母は好きにすればいいって思うんですけど。 おれに断ることなんか・・」


斯波は戸惑って彼の顔もまともに見られなかった。


「でも。 彼女はきみのことを本当に気にかけていて。 たった一人の子供だし。」


と言われて、思わず



「・・おれは・・あの人に捨てられたんです。 オヤジに・・押し付けて・・」


と言い返してしまった。


「すごく後悔しているよ。 私にもその話を何度もしてくれた。 なんであの時あの子を引き取りなかったんだろうって。 あの時は若くて、子供が邪魔としか思えなかったけど、今はもうきみなしの生活が考えられないって、」


「え・・」


斯波はようやく顔を上げた。


「本当にしっかりしてて、あたしがだらしないからいつも後始末をしてくれるんだって・・嬉しそうに。」




膝に乗せた手が震える。



「どこがいいんですか。 あの人、家事だってろくにできないし・・10代から水商売で・・」


「ほんと少女みたいな人だよね。無邪気で。 一緒にいるとホッとできます。 明るくて心がおおらかで。 10年前に妻を亡くして、まさか再婚なんて考えられなかったですけど・・彼女とならもう一度一緒に生きていかれそうだなあと。 娘にも話をしましたが、私の好きにしていいと言ってくれました。 佐妃子さんのことも賛成してくれました、」


「・・正式に・・結婚を考えられている、ということですか?」


「彼女は別に籍なんか入れなくてもいいって言っていますけど。 私は妻になって欲しいと思っています。 これからどれだけ一緒にいられるかわかりませんが。 夫婦として・・暮らしていきたいです。」


斯波は西沢の真摯な気持ちがヒシヒシと伝わった。


「は、反対はしていません。 あの、こんなことを言っていいかわかりませんが、あの人、これまでも男に騙されまくって、金も貢いで、ほんっとバカみたいだったんですけど。 ・・あなたは、そんな男たちとは違う気がします・・」


ようやくそう言うと、


「・・ありがとう、」



彼は


本当にホッとしたように微笑んだ。


「・・よろしく、お願いします・・」


気がついたら


西沢に頭を下げていた。




斯波は彼が帰った後も、なかなか仕事場に戻れなかった。


タバコを吸いながら外の風景を見るともなしに見て。




なんだか


ショックだった。


何がショックかって


自分がこんなに母のことを想っていたのか。


ということがわかってしまって。



すーっと事業部に戻ってきた斯波に


「あ、さっきから電話があって・・」


萌香が彼に言った。


「あ・・うん・・」


心ここにあらずだった。


「・・今日・・」


斯波はボソっと言った。


「え?」


「・・外で食事をしないか?」


萌香を見た。


「え・・」


何だかいつもの彼の目ではなかった。


怖いくらい


鋭いあのまなざしではなく。


どこか遠くを見ているような


そんな目だった。


「・・ええ、」


萌香が頷くと、何でもなかったかのようにまた仕事を始めた。




二人がやって来たのは六本木の高層ビルの最上階のレストランだった。


「ワインでいい?」


飲めない彼がそう言って来たので、


「え、でも、」


萌香は戸惑う。


「じゃあ、これを。」


彼女の気持ちを無視するように斯波はウエイターにフルボトルのワインを注文した。


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