Next Door

第96話 晩夏(1)

萌香が姿を消して2週間。


もうすぐ8月も終わる。


十和田はいっそう弱ってきているようで、病室でも眠っていることが多かった。



萌香は妻の敦子に遠慮しながら、十和田の看病を続けた。



あれから


斯波からは毎日のようにメールや電話の着信を受けていた。



しかし


やっぱり彼には


顔向けができない気がして。



そして


声を聞いたりしたら


絶対に会いたくてたまらなくなる。




ある日


妻の敦子が十和田の見舞いに訪れた。


「・・おまえか、」


半分眠っているような彼はそう言った。


「私でガッカリしたでしょうけど、」


敦子はクスっと笑う。


「そんなことは、ない。」


十和田は苦笑いをした。



もう


ガンはかなり進行していて、痛みを抑える治療しかしていない。



十和田は枕元から1通の書簡を彼女に手渡した。


「これは・・?」


「この前、弁護士に来てもらって作っておいた、」


遺言状だった。


「あなた・・」


「もう全てをおまえに託す。 病院も・・他の法人も・・」


敦子はその文面から全ての財産を自分にと考えている彼の気持ちを知る。



そして涙をこぼし、


「こ、こんなに・・私に負わせる気ですか・・私だって仕事あるし、」


と言った。


「人に任せればいい・・優秀な人間はいくらでもいる、」


「・・栗栖さんには・・」


敦子は思わず萌香のことを口にした。




十和田は小さなため息をつき、


「・・何も・・いらない、と言っている。」


と言った。


「あなたは最後まで責任を取るべきです・・」


涙が止まらない。


「すまなかった、」


「え?」


「ほんまにおまえには苦労や心配ばかりをかけてしまって・・。 萌香は言った。 おれに奥さんのために生きてほしいと、」


「栗栖さんが・・?」


「自分のためになんか死なないで欲しいと。 今まで苦労をかけてきたおまえのために・・生きて欲しいと、」


敦子は大粒の涙をこぼしながら、


「私のところに帰ってきて・・くれるんですか?」


「・・最期になってしまったが、」


「あなたは・・麻衣のところにいけるんですから・・私は、またのこされて・・」


十和田は敦子の手をぎゅっと握る。


「ありがとう・・」


「麻衣を・・殺した私を許してくださるんですか、」


「あれは事故や。 おまえのせいとちがう。 おまえはそれを負い目に感じて、萌香のことをひとつも口出しをせずに見ていてくれたこともわかって・・甘えてしまった、」


「・・あの子を、自由にしてやってください、」


「え・・?」


思いがけぬ妻の言葉に少し驚いた。


「この前、彼女の上司の方とお会いしました・・」


十和田は志藤のことだとすぐにわかった。



「もう一度・・彼女が戻ってくるのを待っていると。 そして、彼女が恋した人のところに・・戻れることも、」


十和田も目の端に涙をためて



「おれは・・あの子に一度も愛されたことはなかった。 だけど・・手放すことは考えられずに。 一生手元に置いておきたかった・・」


かすれた声で言った。


「最期は・・私と過ごしてくださいませんか、」


敦子は


握られた手をぎゅっと握り返した。





萌香は突然、訪ねてきた敦子に驚いていた。


十和田とつきあうようになって長いのだが、彼女と会うのは初めてだった。


「どうぞ・・」


萌香は紅茶を淹れて来た。


「ごめんなさい、突然に。」


「いいえ・・」



いったい


何を言いに来たのだろうか・・



もちろん萌香の方からは


何も切り出すことができなかった。



「私が言うのも・・なんですけど。 もう、主人のところには来なくて結構です。」


敦子は静かにそう言った。


「え・・」


萌香は小さな声をあげた。

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