第91話 待つ(1)

「十和田に納得してもらって別れたいんやて。 それで・・仕事も辞めて何とか会長についててやって。 きちんとしたかったんやと思う。 だけど・・先のことなんかあいつはたぶん考えられへんかったと思う。 ここにだってもう戻れないって覚悟したかもしれへん。 自由になっておまえのところに戻ることも考えてはいても、それは全て会長が死んだら、という仮定に基づいたことやから。 あんまり気持ちのいいことではない。 どういう経緯があったとしても、今の彼女があるのはあの男のおかげやし。」


志藤はタバコに火をつけながら冷静に言った。



斯波は言葉が出なかった・・・



「どうしていいかわからへんかったんやろな。 おれにももちろんおまえにも黙って、出て行くしかないって。 無理やり彼女をここに残すことはできたかもしれへんけど、そうしたらたぶん彼女は一生重い重い十字架を背負わなくてはならないかもしれへんから。 ほんまに幸せになれるか、わからへんやんか。 栗栖はそういう律儀なところがある子やから。 ほんっま真面目やし。 自分の過去をごまかして生きていくのがつらくなったのかもしれへん、」



「・・彼女に・・会えませんか、」



斯波は言った。



「今はな、栗栖はおまえに対して、もう申し訳ない気持ちでいっぱいやと思う。 どんな理由があるにせよ、まあ結局・・十和田のところに戻ったわけやから。 ほんまに苦しいと思うで。」



この先


彼女と再び会えることは


あるのだろうか・・



斯波はどうしようもない不安にかられた。



「これからのことを考えるとき。 やっぱり十和田会長の死を待つようなことを考えなくてはならないやろ? 今は、栗栖を信じて待っていてやれないか?」


志藤は優しく言った。



「・・・」



その話を聞いて


彼女の想いは


伝わったが。



やっぱり


やりきれない気持ちと


彼女に会いたい気持ちでいっぱいになって。



「それでな。 事業部のみんなには栗栖と十和田会長のことを話そうと思って。」


志藤の言葉に


「え・・」


斯波は驚いて顔を上げた。


「どれだけ長く休むことになるか。 わからへんし。 総務には何とか理由つけて休職扱いはできるけど。 みんなには黙っていられへんやろ。 栗栖もそのことは話しても構わないって言うてたし・・」


「でも、」


斯波は戸惑った。



「大丈夫。 あいつはようやく人を信頼し始めたんやから。 ここでみんなと一緒に仕事できて嬉しかったって言うてくれてたし。 そう思わせてくれたみんなにはやっぱりホンマのこと言わないとアカンかなあと。」



「はい・・」


斯波はそれには少し頷いた。




つらいけど。


でも


この仲間たちには


ウソはつけないって


彼女は想った。




波は萌香の気持ちを思った。




翌日。


志藤はだいたいいつも始業時間ギリギリにやってくるが、この日はいつもより早かった。


「あれ? ちょっと早くない? 会議だっけ?」


南は時計を見た。


「おれだってたまには早く来るって・・」


志藤は小さな声で言ったあと、


「みんな、ちょっとええか?」


と声を張った。



全員が何となく志藤の周りに集まる。



「・・栗栖のことなんやけど。 彼女、しばらく休むことになるかもしれへん、」


「え、」


南が思わず声を上げた。


「携帯に電話しても繋がらなかったんやけど。何かあったん?」


「まあ、まず・・どこから話していいのか。 栗栖は今、大阪におるねん。」


「大阪?」


玉田が言った。




「大阪の麗明会って向こうでは有名な病院をいくつも経営してる十和田って人物がいてな。 その男と栗栖は長い間愛人関係にあった。」



いきなりの話にみんな息を呑んだ。


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