第一話 スライムすーちゃん来訪す
神様。
私は確かに小説を書いています。
書いたものをネットに放流し続けています。
商業も同人もやらない文字書きとしては、けっこう生産している方だとは思います。
人生の半分以上、書くのを続けていますから、多少は読んでくれている人もいます。
感想を頂くこともあります。
そんな時はとても嬉しいです。
でも、でもですね、読者の方との直接の交流は、それとは別なわけで。
対面することがあるとしても、それはある程度予想がつく姿、最低でも人の形をはしているだろうと思っていたわけで。
なぜ、私の部屋に、
「あなたの小説のファンだ」
と名乗る、
透明な黄緑色の、不定形生物が現れるのでしょうか?
✢ ✢ ✢
神様宛てを想定していたので、変に丁寧語になってしまった。これまでの事をもうちょっと整理したい。
今日は、土日や月曜に仕事を持ち込みたくなかったのと、作業にかなり熱中していたのとで、注文のホームページ作成に一段落つけるまで、一時間半くらい残業した。
駅前のスーパーで適当に夕飯を買って、土日の食料も買って、雲のせいで月も星も見えない空の下、家路に着いた。
冬の間のゴミのような日照量の原因である厚い雲は、天文学徒にとっても嫌なものなのだそうだ。数千年前の西暦二千年前後、この国が経済も文化も絶頂期にあった頃は、この地域の冬はとても綺麗に晴れていたそうだけれど。
まあ、いつもより多少遅かったけれど、普通に家に着き、普通に鍵を開けて、普通に玄関を開けて、一応一人暮らしの女なのでしっかり鍵を締めて、それから電気をつけたわけだ。
狭いワンルーム。人工も資源も技術も枯れ果てたこの国では、沿線近くにあるだけで上等な方だけれど。玄関の明かりをつければ、小さな流し台とキッチン、それと家事の時に寒いので床に敷いてあるマットが目に入る。
……そのマットの上に、何か、いた。
それは薄い黄緑色の、何かの塊に見えた。大きさとしてはギリギリ私の両手ですくい上げられるくらい。一瞬遅れて、色こそついているけれど、澄んだ透明の塊であることに気がついた。
そこまでなら、まだよかった。その黄緑色の塊は、飛び上がるように、上にみょんと伸び、何回か上下に震えてから、なんと言葉を発したのである。
「すまない、紅木空氏、いや青葉海美氏か、私は怪しい者ではない、あなたに害意はない、帰りが遅いので、気になって無断で入ってしまったが、何かを盗んだり傷つけたりはしていない、そういう意図はない」
紅木空は私の筆名で、青葉海美は私の本名である。いや、問題はそこではなく。
当然の事ながら私は玄関先で腰を抜かした。下げていた袋から買い物の野菜やら果物やらが転がりだしてしまったが、気にかける余裕があるはずもなかった。
「しゃ、喋っ……! だ、だだだ誰!?」
普通の人間から聞こえる言葉だったら、多少は穏やかで誠実な声に聞こえたかもしれない。けれど、男とも女ともつかない声だし、機械ですらない何かから出た言葉じゃ、そんなに冷静に判断できるわけもない。
固くて冷たい床に尻餅をついたまま、裏返った声で叫ぶと、相手(相手?)はまた上下に伸び縮みしてぷるぷるしつつ言った。
「驚かせて本当にすまない、この様に接触するつもりはなかった。名前は特にないので、名乗れないのだが、主に自分の正体を知るため、人間の言語を学んだり、人間による文献を調べたりしている者だ」
「に、人間、の……?」
何だか限定した物言いをするのは、自分は人間ではありません、と言いたいのだろうか。いや、それは見ればわかるけどさ、普通、人間以外の生き物はこんなに流暢に日本語話さないよ!? なんの生き物なのこれ!?
口をパクパクさせて何も言えない私を見て、相手は追加の説明が必要だと考えたのか、さらに声を出した。
「名乗るだけでなくて、所属なども言うべきだろうか? 生憎、そういう所はないのだが……特に住む所が決まっている訳でもないし……。そうだ、特定の所に住んでいるわけではないが、インターネットに特定のアカウントはある」
「あ、アカウント?」
「リー&ライ上のアカウントだ、ここしばらくは、決まってそこに繋いでいる」
リー&ライは略語だ。Read & Write、日本語のサイトの癖に適当に英語で名前をつけた所、文字通り読んだり書いたりしたい人たちばかりが集まるサイト、タダで読めるので結果的に出版不況を後押ししたサイト、そして、私が小説を書いてネットに流し出した当初から使用している所。
人外が何でそんな所にアクセスしてるんだ。まさか読んでるの? 書いてるの? 何を?
「とりあえず、行動や好みが自己を規定するのなら……あなたの小説を読んで、とても驚いて、あなたと会って話がしたいと思ったので……。あなたの小説のファンだ、というのが一番適切かと思う。どうだろうか?」
どうと言われても。
ていうか、ファンだとしても押しかけるなよ! 私のアカウントの身元を割るなよ! ていうかこの人(?)が何者か、未だにさっぱりわからない!!
私はまだ混乱で頭が一杯で立ち上がることもできず、へたり込んだまま。暫く沈黙が流れ、相手は左右にぷるんぷるん揺れた。人間が体を揺らすのだったら、そわそわしてる、のサインに受け取れるけれど、こんなでかいアメーバみたいなのに適用していいものだろうか。
「……その、本当に驚かせて申し訳ない。人の身体は低温に晒すとよくないと聞いている、外気の近くの床に長くいるのはよくないのではないだろうか、せめて立ってもらえないだろうか」
確かに尻は冷たいけど! ていうか尻から冷えるわ暖房つけてないわで普通に寒いな今!!
土日は有効に使いたいので風邪はひきたくない。疲れてるしお腹も空いてるしな時に身体冷やしたらいけない。靴箱につかまって力を入れると、何とか立ち上がることは出来た。
玄関に転がった食料をそのままにして、ふらつきながらキッチンの先の部屋に入る。黄緑の何かの隣を通ると、相手は道を譲るように、私と反対方向へむにょにょんと動いた。
部屋の電気もつけ、テーブルの上のリモコンをとり、暖房をつける。とりあえず椅子に座ったら力が抜けてしまった。ものすごく疲れた気がする。理解がさっぱり追いつかないんだけど、これひょっとして夢かな?
ほっぺを抓ってみたら、ちゃんと痛かったので、いよいよどうすべきかわからなくなっていると、黄緑色の何者かがもにょもにょと床を這って部屋に入って来た。私の足先から少し離れた所で止まり、上下左右に伸び縮みしてから、また喋った。
「その、短慮だった。自分の形をどう取るかもう少し考えてから来るべきだった。小動物程度の大きさなら人間が受け入れやすいものかと思って、これでも縮めたのだが、モルモット程度までしか小さく出来なかった」
なんか認識がズレてないか?
「えっと……驚いたのは大きさのせいじゃなくて……うーん……」
不法侵入にびっくりしたという方がまだ近いけど、それよりも。
「しゃ、喋ったのにすごく驚いたかな、あの、その、あなた人間じゃないよね?」
そう言うと、それなりに高さがあった黄緑色は、へにゃんと平べったくなってしまった。
「いわゆる、ホモ・サピエンスではないのは確かだ……。異なる種の言語を用いるのは良くないことだったろうか……。しかし、一番知識が整理されているのが人間の言語なので……。使えないとなると非常に困るのだが……」
ひょっとして、平べったくなったのは、がっかりしたせいなんだろうか。私は慌ててフォローする。
「い、いや、喋ったのが悪いんじゃなくてね!? 普通、人間と話せる人間じゃない人、いやちがう、人じゃないって今聞いたけど、そういうのいないから驚いてね、鳥なんかも多少言葉覚えるけど、あなたはオウム返し以上に話せてるしさ」
「そうなのか」
黄緑の塊の高さがやや回復した。
「あなたと言語での意志疎通が出来ていることは嬉しいが、視覚から得る情報の限り、あなたは非常に疲れているようだ」
見た限り、じゃないのか。そもそも目玉らしきものないけど、見えてるの?
「あなたと、あなたの小説について話せたら嬉しかったのだが……無理をさせたくもない。人間の力は過信できない。今日のところは失礼する」
そして、黄緑はもにょもにょ這って部屋を出ていこうとした。どこへ行く気だ。
「え、失礼するって、どこか帰るの?」
「家と定めているところはないが、一週間ほど前から私の身体の大部分をこの建物の貯水槽に隠している。そこへ戻ろうと思う」
「ちょ、貯水槽って、えええ、私ここの水道の水飲みまくりなんだけど!?」
「汚染に関しては十分気をつけている。入る前に細菌及びウイルスは消毒したし、汚れも全て取り除いた。水の中では有機物や金属酸化物を取り込むようにしてあるので、不純物はむしろ減らしている。安心してほしい」
「ま、待って、ちょっと待って、水道のことはわかったから、ちょっと待って」
何だかものすごく便利な生き物……生き物であってるよね? それは分かったけど。ここで帰られるのも、ものすごく気になる。相手に関してさっぱり何もわかってないし。人外が私の小説のファンとか思っても見ないし!!
ありえないこと過ぎて、明日目が覚めたら夢だと思いこんでいる気がするし。そこに、このうにょうにょがまた訪ねてきたら絶対腰を抜かすし。それは嫌だ。
「あの、帰らなきゃいけない理由が特にないなら、もうちょっと話がしたいし、いて欲しいんだけど……。私、シャワー浴びたりご飯食べたりしたいから、その後になると思うけど……」
黄緑色が、ぴょんと跳ねるように上に伸びた。
「いて、いいのだろうか?」
「あ、うん……。話すの長くなりそうなら、泊まっても別に……ご馳走とかお客用の布団とかないけど、それでよければ……」
「いていいなら、そんなことはまったく構わない、たまに水分さえ補給できれば、大抵の環境には適応できる」
ずいぶん丈夫な生き物らしい。けど、その辺の床を這い回られるのも若干落ち着かない。
テーブルには私用の椅子しかないので、踏み台に使っている折り畳みの椅子を冷蔵庫の裏から出してきて、私の椅子の向かいに広げた。
「その、とりあえず、椅子にでも乗って。床にいられると間違って踏んだりしちゃいそうだし」
「わかった、ありがたい」
黄緑のうにょうにょが椅子の足を伝って登ってくる。椅子の上でうにょうにょがまとまる。落ち着いて見ると、うにょうにょはとても澄んだ色をしていて、とても綺麗だと気づいた。
ここまで綺麗な色ではなかったけれど、似たような物を見たことがある気がする。生き物ではなかった。工作だか実験だかで作って、こね回して遊んだ……。
「スライムだ」
「スライム? ああ、リー&ライのファンタジーによく出る架空の生物だろうか?」
ファンタジックな異世界や、この国が落ちぶれて枯れる前の百花繚乱に文化が溢れていた時代が、リー&ライでは特に人気だ。相手は本当にリー&ライの小説を読んでいるらしい。
「それ。洗濯のりとかで作るスライムのおもちゃもあるけど。あなたはそれによく似てるなって。あ、でもおもちゃより、あなたはずっと綺麗だと思う」
そう言うと、スライム様生物氏はやたらぷるぷる揺れた。
「そんなふうに感じた事はなかった……やはり、あなたの発想は思いも掛けない」
「そ、そう?」
褒められたらしい。
「ええと……。私はとっとと荷物かたづけてお風呂入っちゃうので。そしたら、飲み物か何かあなたにも用意するから、私はご飯タイム。その時にいろいろ聞かせてくれれば」
「楽しみにしている、青葉氏」
「どうも……。そう言えば、あなたのことなんて呼べばいいかな。名前は特にない、とか言ってたけど」
スライム様生物氏の高さがぺしょんと低くなった。
「本当に、特にない。祖先も子孫も、仲間らしきものにも会ったことがないので、区別をつける必要が生じなかった。あなたに会うに当たって用意したほうがよかったのだろうか? 人と会うのは、これが初めてなので、よくわからない」
なかなかヘビーな過去をお持ちのようだ。ひとりぼっち? 繁殖とかもしないの? 私も繁殖しないコースまっしぐらなので、人の事は言えないけど。
「んー、そうね、名前があったほうが便利ではあるかな……そうね……」
スライムだから、スーさん、とか。いや、それはこの間博物館で見た、この国の文化華やかなりし頃の紙漫画に出てきた釣り好きの社長さんだ。でも、スライム以外に関連するものも思いつかないし……。
「すーちゃん、とかどうかな、安直だけど。かわいすぎるかな?」
暫定すーちゃん氏は、また跳ねるように上に伸びた。今気づいたけど、この人けっこう動きで感情表すな?
「名前をつけてくれるのか? 私の名前は、すーちゃん、でいいのだろうか?」
「う、うん。ちゃんの部分は愛称につけるやつだから、真面目な名前にしたければ削ってもいいけど」
「ついていて構わない。こんな気持ちは初めてだ、素晴らしい」
「そ、そう」
まあ、気に入ってくれたっぽいので、いいや。
私は、とりあえず玄関に散らばせたままの荷物を回収しに行った。
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