episode・55  番士見習 川村惠十郎


 歳三たち三人は、昼過ぎには小仏峠を越えて、駒木野宿にさしかかった。

 駒木野には関所があり、その跡地は、いまでも小仏関と呼ばれているが、小仏峠に関所があったのは、江戸時代初期の話で、正確には駒木野関といった。

 関所のある駒木野宿は、本陣一、脇本陣一、家数七十三軒。人口は三百五十五人と、小さな宿場である。


 宿場の町並みは、山あいの斜面にあるわずかな平地に、へばりつくように続いている。目の前には高尾山がせまり、甲州道中の右手の崖下の渓流は、歳三の生家の脇を流れる浅川の上流にあたる浅川の支流だ。

 国道20号線が新設されたため、現在は、ひと通りもなく、ほとんど車も通らない寂れた集落だが、この時代には、甲州へ抜ける往還として多くの旅人が往来していた。

 駒木野関は、女人の手形を調べるだけで、男は素通りするが、歳三は、八郎と峯吉を茶店で待たせ、ひとり駒木野関の番所に向かった。


「御免……石田村の歳三です。川村殿は、おられますか」

「おおっ、トシさんじゃないか。久しぶりだな。いま呼んでくる。ちょっと待っててくれ」

 歳三にそうこたえた初老の男は、落合貞蔵という番士だ。何度も立ち寄っている歳三とは顔馴染みである。

 貞蔵の息子の落合直亮は、のちに攘夷運動に傾倒し、薩摩藩邸浪士隊の副総裁として薩摩藩邸を根城に、江戸の各所を荒らしまわり、幕府、つまり歳三とは、対立する立場になる。


「待たせたな。トシさん、番所まで来て何の用事だい」

 川村惠十郎がやってきた。歳三のいきなりの訪問に怪訝な表情だ。

 川村は、落合直亮、真田範之介と同じ年に、松崎和多五郎に入門した天然理心流の剣士である。いまは小野田東市の門に移っているので、新八をつけ狙う前澤とは、同じ桑原の系列になる。

 のちに、一橋慶喜への建白書や農兵徴募などの建言により才能を見いだされ、文久四年(1864年)より一橋家に仕えた。

 慶喜が将軍になると川村も立身し、千石をたまわるが、この時代には、まだ小仏関の番人見習にすぎない。

「川村さん。わざわざすいません。仕事は大丈夫ですか」

「はははっ、見習いなんて、たいした仕事はないから平気さ。トシさんは、甲州の商いの帰りかい?」

「まあ、そんなところです。じつは、川村さんに、ちょっと尋ねたいことがあるのですが……」


 川村と歳三は、松崎和多五郎の道場で知りあった。同い年ということもあり、話しも合うし、気のおけない間柄である。

 歳三は、石田散薬を売り歩くため、しじゅう旅に出て、ついでに各地の道場を回っているが、義兄や親友の宮川勝太が入門している近藤周助には、正式入門していなかった。

 というのも近藤周助に正式に、正式な入門をしてしまうと、同門の違う派閥の道場に、出入りしにくくなってしまうからだ。

 歳三は、周助の正式な門人にならないことで、増田蔵六、松崎和多五郎、桑原永助など、ほかの派閥の道場にも出入りしていた。

 天然理心流は、和多五郎を含む増田系が八王子から青梅、五日市周辺。桑原系は相模周辺。桑原の門人、のちに講武所指南役の小野田は幕臣……と、それぞれの勢力範囲を持っていた。

 これに近藤周助の多摩、町田方面を加えたのが、天然理心流の分布する地域であるが、これは、歳三が売り歩く石田散薬の販売範囲と、見事に一致している。


「ところで、尋ねたいってのは、なんだい?」

「じつは……」

 歳三は、子どものような背丈の、恐るべき腕前の剣士を見たことがないか、ということを、川村に尋ねた。

 見習いとはいえ川村は、小仏関の番人をしており、甲州道中を通行する者には、のべつ眼を光らせているはずで、もしかしたら、小男を見覚えているかもしれない……と、考えたからだ。


「ふうむ。己の背丈の半分ほどもある刀を差した小男の剣客……そんな目立つやつを、忘れるはずがない。悪いが見た覚えはないなあ……」

「そうですか……いや、川村さんが見たことがないというなら、上手く化けているか、小仏の関所は、通ってないかも知れねえな……」

 気落ちする歳三を見て、気の毒に思ったのか川村は、

「ちょっと待っててくれ。いま、同僚にもきいてくるから」

「お手数をおかけします」

 歳三が頭を下げると、気にするなと笑い、川村が番所の奥の控えに向かった。

 通りすがりの者が思わず振り向くような、目を惹く容貌の歳三に比べ、川村は、地味で目立たない平凡な男であるが、何事にも懸命に取り組む律儀な性格をしていた。

 この対照的なふたりを結びつけていたのは、やはり剣であった。

 川村は、和多五郎の道場で稽古相手になっていたので、歳三の本質を、よくわきまえていた。

 気位の高い歳三が、自分に頭を下げるということは、よほど大事なことにちがいない。と、気がつく、こうした細やかさが、のちに一橋慶喜に寵愛されたのであろう。


 しかし、このような細やかな反面、川村には豪胆な一面もあった。

 元治元年(1864年)川村が御使役・御用談所調方頭取に就いていたときの京での話しである。

 六月十六日の夜。川村は、外出先から平岡円四郎を伴い、御用談所へ帰る途中、いきなり六名の暴徒に襲撃された。

 これは川村ではなく、慶喜に近く仕えていた平岡を暗殺するため、水戸浪士の江幡広光、林忠五郎らが謀ったことで、平岡は、背後より脳天と腰を斬られて即死した。

 不意の襲撃であり、このとき川村も左眉の上から、斜めに太刀を受け重傷を負うが、少しもひるまず、逃げる賊に追いすがり、ひとりを背後から突き、片や、もうひとりを、袈裟懸けに斬りつけた。


 斬りつけられたふたりは、向き直り、斬りあいがはじまった。

 川村は、ひとりを仕留めたが、もうひとりは、その場を逃れ、千本通りまで逃げたところで力尽きた。

 殺害された平岡は、一橋家の家老職にあり、川村や渋沢栄一を取り立てるなど、人材発掘に才を発揮している。

 この平岡が攘夷派に暗殺されたことによって、明治維新が二年早まった、などとも言われるほど有能な人物であった。

 川村は、明治になると正平と名を改めて、新政府に出仕。退官したのち日光東照宮禰宜になった。

 晩年の川村の肖像写真を見ると、そのときの傷痕が、生々しく残っている。


「トシさん、待たせたな」

 川村は、まだ二十歳前後の若者をともない戻ってきた。

「この男は俺の後輩で、峯尾徳太郎。見習いの見習いってやつだ」

 峯尾というのは、八王子から高尾にかけて多く見られる姓で、してみると、地元の者らしい。

「この峯尾さんが……」

「おい、徳太郎。おまえが見たことを話してみろ」

「はい。ひと月ほど前のことです……」


 徳太郎は、関所番の父親が隠居したので、半年ほど前から番士見習いとして、駒木野関所に出仕していた。

 最初のころは、仕事を覚えるのに懸命で、とても遊ぶどころではなかったが、そろそろ勤務にも慣れ、非番の日は、八王子に遊びにゆく余裕ができた。

 そして、ふた月ほど前から、八王子本郷宿の小料理屋『瀬川』の常連になり、やがて、三十路に近い大年増で色気たっぷりの女主人と、わりない仲になった。

 こうなると、非番のたび瀬川に泊まりこむのは必定で、この徳太郎、店の片付けなども手伝うかいがいしさだ。


 その日……。

 九つ前に最後の客を送り出し、徳太郎が、瀬川と染め抜かれた暖簾を片付けていると、


(……おや?)


 夜が更けて、ほとんどひと通りもない店の前の道を、物堅い商人のような格好なりをした男が足早に通りすぎた。

「その商人は、まるで子どものような背丈に、大きな荷物を背負っておりまして……」

「背丈が低い男なら、いくらでもいると思うが、どこが怪しかったんですか?」

 歳三が訊いた。

 物堅い格好の商人は、背中に大きな荷物を背負っている。しっかりとした足取りで歩くその姿に、とくに怪しむべきところはない。

 が、しかし……。

 徳太郎が目を止めたのは、その風呂敷に包んだ荷物はともかく、そこに結わい付けられた菰包みであった。


「それは、三尺ほどの細長い菰包みで、そう、何か長いものを包んでいるように見えました。わたしも、そのときは気が急いていたので、そのまま暖簾を片付けて……」

「ふふっ、気も急くよな。そのあとは、色気たっぷりのあの女将と……」

「か、川村さん、やめてください」

 真面目な川村には珍しい冗談に、徳太郎が赤面する。

「おっと、すまん。話しの腰を折ってしまったようだな。続けてくれ」

「あとで思い返すと、どうもその細長い菰包みにはがあったように思うのです」

「ふうむ。反り、ね……」

 歳三の目が針のように細められた。


 現在の駒木野の宿場町は、車が通り抜けできないためか空き地が目立ち、すっかり寂れてしまったが、この当時、甲州道中に沿って、旅籠や茶店などが軒をつらねていた。

 その茶店は、狭い土手に無理やり造られたせいか、奥の席は浅川の河原に、せり出したかたちになっている。

 歳三が茶店に戻ると、八郎と峯吉は、目立たぬよう奥の席に陣取り、団子をかじっていた。

「トシさん、さっそく何か訊きこんできましたね」

 歳三の顔を見て、峯吉がニヤリと笑った。

「なんでわかった」

「そりゃあ、わかりますよ。だって、さっきまであった、眉間のシワがなくなってますもん」

 そう言いながら峯吉が、自分の眉間に指先をあてた。

「ちぇっ」

 意外と鋭い峯吉の観察力に、歳三が舌打ちするが、怒った様子もなく続ける。

「ついに見つけたぜ……例の小男を見たってやつを」

「ほんとですか!」

 歳三は、駒木野関の番士見習・峯尾徳太郎からきいた話しを、ふたりに伝える。

 その話しをきくうちに、沈みがちだった八郎の顔に、みるみる生気がよみがえった。


「その男、たしかに怪しいですが……しかし、その細長い菰包みだけで、例の小男と断定して、よいものなのでしょうか」

 八郎が疑問を投げかけると、歳三がそれにこたえる。

「小男が通りすぎたのは、本郷宿の通りです。その道は……」

 本郷宿は、甲州道中に沿った八木宿と八幡宿のあいだを、南北に貫く道沿いにあった。

 甲州道中は、八王子宿を東西に通っており、そこには、いくつかの街道が交差していた。東から順に、小野路道、川越道、日光道、津久井道、そして、いちばん西にあるのが、本郷宿を通る青梅道である。


「川村さんをはじめ、駒木野関の番士は、小男に覚えがないと言ってました……番士は、街道を見張るのが仕事。彼らの言うことは、信用できます。つまり小男は、それ以外の道を使っているはず」

 甲州道中を避けているとなると、甲州裏道(青梅街道)や陣場道を利用しているものと思われ、実際、歳三と峯吉が、それを目撃していた。

「そして、本郷宿の通りは青梅に通じている……偶然が三つも重なるとは思えません。俺は、峯尾さんが見たのは、例の小男に、まちがいないと思います」

「なるほど……」

 歳三の理路整然した推理に、八郎が瞠目する。


「でも、これでようやく、雲をつかむような話しじゃなくなりましたね。

本郷宿を見張っていれば、またその小男が通るかもしれない」

 峯吉の言葉に歳三が、

「俺の勘では、やつらの隠れ家は、本郷宿か、その近くにあるような気がするんだが……」

「本郷宿なら、煙管屋の平吉の家があります。あいつん家の二階なら、通りを見張るには、うってつけですよ」

 歳三は、しばらく考えてから口を開く。

「昔の仲間に迷惑はかけたくねえが、このさい、そんなことを言ってる場合じゃねえか……平吉のところを見張り所にして、その小男を見つける以外、手はなさそうだな」

 話しが決まると、三人は茶店をあとにし、旅人が往来する甲州道中に出て、八王子に向かった。




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