episode・51  無宿渡世人 初雁貫太郎


 歳三たち一行は、まだ陽が高いうちに、宿泊する予定の甲州道中上鳥沢宿に入った。

 早く着いてしまったのは、石田散薬を売り歩いているため、異様に足の速い歳三に合わせたからで、旅なれない峯吉が、しきりに文句をたれる。

「トシさあ~ん。俺、もう足が棒になっちまいましたよ……どっかで一服しましょうよ」

 歳三は峯吉を一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らし、きこえないふりをきめこみ、黙々と歩みをすすめる。

 ふたりのやり取りに、八郎が笑いを抑えている。


 鳥沢宿は、上鳥沢と下鳥沢の二宿に分かれているが、当時のひとは、あまり分けて考えず、単に鳥沢宿と言っていた。

 甲州道中には珍しく、平坦な場所にあり、そのせいか、やけに道幅が広く、国道に整備されるさい拡幅工事が行われず、現在も道の両側に、宿場の名残を見ることができる。

 したがって人口も多く、ふたつの宿場を合わせると千百人を越え、旅籠は二十五軒もあった。

 まだ時間に余裕があるので、歳三は無言で茶店に入り、峯吉が雀躍こおどりした。

 注文した団子と茶が揃うと、早速、峯吉がかじりつく。歳三は渋い茶を、ひと口流しこむと、八郎に目を向けた。

「明日は、八王子に戻りますが、それともまだ続けますか?」

「わたしひとりでも続けます。なんとしても、光岡の無念を晴らすつもりです」

「ふっ。なら、俺も付き合いますよ」

 歳三は、苦笑でこたえるが、ほんの一瞬、八郎の目によぎった殺気を、見逃さなかった。


「ねえ八郎さん……その光岡さんなんですが、剣の実力は、どんなものだったのでしょうか?」

「義父も将来に期待していたぐらいで、かなり遣います。そう、わたしと互角ぐらいでしょう」

「だとすると、その光岡さんを倒した小男というのは……」

「わたしと互角。あるいは、それ以上の腕前でしょうね」

 そうこたえた八郎の表情を見て、歳三の背中を、冷たいものが走った。

 八郎は、怒りをあらわにするわけでもなく、ただ静かに、こたえただけである。

 しかし、八王子での喧嘩のさいに見せた、うそ寒くなるような冷たい殺気と、それに紛れるようによぎった、わずかな歓喜を感じとったからだ。


(これが八郎さんのなかに棲む怪物ってやつか……自分では気づいていないようだが、強い相手とまみえることを渇望している)


 歳三の目にも、あの野生の肉食獣のような冷たい光が射すが、それを一瞬で消し、話題を逸らす。

「おい、峯吉。おまえ、もう食っちまったのか」

 まだ歳三も八郎も団子に手をつけていないのに、峯吉は、自分のぶんを食べ終えてしまい、もの欲しそうに、八郎の団子を見つめていた。

「わたしは、あまり腹が減っていません。峯吉さん、どうぞ食べてください」

「わっ、本当ですか。じゃあ、遠慮なく」

 峯吉が団子を頬張ると、歳三は苦笑を浮かべる。


 そのとき、茶店にひとりの男が足を踏み入れた。

 陽に焼けて色褪せた道中合羽に三度傘、腰には長脇差をぶちこみ、肩には振り分け荷物。いかにも旅なれた、貫禄たっぷりの渡世人である。

 男は、三度傘を外すと、ぴたりと動きを止め、歳三たち三人に目を向けた。

 歳三は、一瞬、怪訝な表情で見返すが、男の顔を見ると笑みを浮かべた。

「おお、誰かと思えば、あんたは初狩の……」

「これは……石田村の歳三さんじゃあございやせんか。一瞥以来で。初狩の貫太郎でござんす」

 貫太郎が厳つい顔に笑顔を浮かべ、歳三にこたえる。自分のことを覚えてくれていたことに、ひどく感激しているようだ。

 八郎と峯吉は、渡世人と親しげに会話する歳三の顔の広さに、驚きを隠せず、あっけにとられていた。


「そうか……おまえさんは旅人さんだものな。これから甲州まで行くのかい?」

「さようでござんす。今宵は、寒くも暑くもなく、野宿にはうってつけ。草枕と洒落こみやす」

「そういえば渡世人は、堅気の敷居は、またげないんだったな」

「へえ。木賃宿や、お助け宿はともかく、雨でもないかぎり、旅籠にも足を踏み入れねえのが、旅人の心得でござんす」

「だから、博打打ちの一家に草鞋を脱ぐってわけだ……甲州は、一家を構える親分さんがたくさんいなさる。武州よりは、楽な旅なんじゃないのかい」

「それが、なかなかそうもまいりやせん……三井の卯吉親分が亡くなってから、甲府は、ちょいとキナ臭くなっておりやして、下手な順序で草鞋を脱ぐと、変な勘繰りをされちまうんで、気を使いやす」

 話の流れを、自然と甲府の博徒に持っていく歳三に、八郎は瞠目する。


(さすがトシさんだ。この渡世人から、いろいろ話を訊きだすつもりか……)


 しかし、場の空気をまったく読まない峯吉が、

「あれっ、トシさんも食べないなら、俺が団子食べちゃいますよ」

 と、言いながら団子に手を伸ばす。歳三は、苦笑しながらうなずき話を続ける。

「三井の卯吉親分といえば、祐天仙之助とかいうやつが、後釜を狙ってるって噂を耳にしたが、それは本当なのか?」

 肝心な部分に歳三の話がさしかかり、素知らぬ顔をしているが、八郎の内心には緊張が走った。

「へえ。そういう噂がありやす。ところが祐天の親分さんには、順列の上の兄貴分がおりやす。すんなり跡目にはつけやせん。だから甲府で草鞋を脱ぐときは、気をつかわねえと、厄介なことになりやす……」


 一般的に渡世人は、草鞋を脱ぐといって、ゆく先々の一家に、一宿一飯の恩義を受けながら旅をする。

 一宿一飯とはいえ、たとえば滞在中に、喧嘩騒ぎが起きれば、当然その一家に加勢せねばならない。

 三井卯吉が殺され、後釜をめぐって博徒の水面下の対立が続く甲府は、貫太郎の言うとおり、きわめて緊迫した状況にあった。

「そうなると貫太郎さんは、祐天一家は避けて、ほかの親分さんのところに草鞋を脱ぐのかい?」

 歳三の問いに、貫太郎は苦笑を浮かべる。

「ところが、なかなかそうもいきやせん。甲府に足を踏み入れて、挨拶もなしでは、角がたちやす。ひと晩ぐらいは、厄介になるつもりでおりやす」

「ふうん。渡世人の世界も、いろんな気苦労があるんだな……

そういえば祐天一家の、八王子の賭場に、子どものような背丈の薄気味悪い浪人がいたが、ありゃあ用心棒なのか?」

「ああ、あのお侍さんですか。詳しくは知りやせんが、用心棒ではなく、たまに顔を出す客分のようで……」


 それまでペラペラとしゃべっていた貫太郎が言葉を濁すと、八郎が息を飲み、歳三の目が一瞬鋭い光を放った。

「それは、もしかしたら攘夷に関係しているんじゃあねえのか?」

「ご存知だったんですかい」

 貫太郎の目が見開かれた。

「どうやら祐天の親分さんは、こっちの稼業に見切りをつけていなさるようで、近頃じゃあ攘夷だの剣術だの、まるでご浪人のような有り様でして、それであっしも、あんまり関わり合わないようにしているんでさ」

「なるほど、そんなこったろうと思ったぜ。祐天は、渡世人から攘夷浪士に鞍替えするつもりなのか?」

「さて……あっしなんぞに、親分さんのお気持ちは図りかねやすが、近頃は祐天仙之助じゃあなく、山本仙之助などと名乗っているようで……」

 思わず歳三、八郎、峯吉の三人が顔を見合わせた。


「驚きましたね。まさか、わたしが試合ったのが祐天だったとは、まったく気がつきませんでした」

 下鳥沢宿の旅籠『三倉屋』の部屋で、天井を仰ぎながら八郎が言った。

 貫太郎から話をきいて、一刻も早く八王子に向かいたくなり、七つ発ちの予定をたて、三人は早々と床についていた。

「俺もあれが祐天一家の親分だったとは、驚きましたよ。トシさん、あの野郎、相当遣いますよ。俺はぜんぜん歯が立たなかったし……勝ったけど、八郎さんも押され気味でした」

 峯吉が興奮気味に口をはさむ。

「祐天の野郎は、そんなに強かったんですか?」

 布団を並べて寝ていた歳三が、八郎に問いかけた。

「ええ。かなりの遣い手ですね。わたしが天然理心流の技だけでなく、本来の戦い方をしたとしても、あっさり勝てたとは思えません……

それよりも小男です。これで彼奴が、祐天一家と関わりがあることが、はっきりとしました」

「さて、そうなると、八王子横山宿に腰を据えて、じっくり探る必要がありそうだが……

やつらと喧嘩したのは、ちょっと勇み足でしたね。顔を覚えられちまったから、どうにも動きにくくていけねえ」

「トシさん、俺なら最後にちょろっと顔を出ただけだから、あんまり面が割れてませんよ」

 峯吉が言った。どうやら喧嘩では、あまり出番がなかったので、失地を挽回する気満々である。


「しかしなあ……日野と違って、横山宿には、ほとんどがないときたもんだ」

「昔の喧嘩仲間の世話んなりゃあ、いいじゃないですか」

「馬鹿。あいつらも、いまじゃあ家業を継いで、ただの素っ堅気だ。昔馴染みだからといって、迷惑をかけるわけには、いかねえだろ」

「ですよねえ……友蔵なんて、ふたり目のガキができたって、ヤニ下がってましたからねえ」

 かつての仲間を思い浮かべ、峯吉が嘆息する。


「しかたねえ。あまり気がすすまねえが、兼助さんの言うとおり、八幡の親分さんに、話しを通すか……」

 歳三と峯吉は、いわゆる不良少年時代に、八王子横山宿で暴れていたので、八幡の伊之助には、さんざん世話をかけ、どうにも頭が上がらず、いまだに苦手意識を持っていた。

「このさい贅沢は、言ってられませんよ」

「じゃあ、八幡の親分さんには、おめえが話しをつけろよな」

 したり顔の峯吉に、歳三が冷たく言い放つ。

「いや、それだけは勘弁してください。ここは、言い出しっぺのトシさんが……あっ、痛っ」

 舌打ちしながら、歳三が峯吉の額をぴしゃりと張った。


 祐天仙之助が、八王子横山宿に進出するための拠点、大和屋は、市森神社の一町ほど先にあった。

 宿場の中心地とはいえないが、甲州道中に面した一等地である。

 間口は狭いが奥行きが深く、当時としては、平均的な商家の造りだ。仙之助は、表口から一家のものが出入りすることを、厳しく禁じていた。

 というのも八王子は、前述のとおり三組の博徒が勢力争いを続けており、やくざ者が堂々と出入りすれば、この店が祐天一家の拠点だと認めたようなもので、そうなると摩擦は必至だからだ。


 店は、京都の町家にならい、鰻の寝床のように細長い造りになっており、表から店舗、座敷と続く。そして中庭と台所があり、奥が表向きの主人の住まいと裏庭。二階に、奉公人と女中の部屋があった。

 裏庭には、蔵と二間の離れがあり、仙之助は、八王子に滞在するときは、離れを利用していた。

 離れの部屋は、茶室ふうの造りになっており、武士以外には禁止されている、床の間と違い棚も備わっていた。

 離れには、あの日、歳三たちと喧嘩した者たちが集められていた。

 シゲと岡田は、命に別状はないが、怪我が重いため近くの旅籠で横になっていたので、代貸と四人の三下が、緊張した顔で膝を揃えている。

 床の間の前であぐらをかいた仙之助は、包帯だらけで膏薬臭い一同の姿に、吹きだしそうになるが、しかめっ面で一同を睨めつけ、煙管に国分煙草を詰めながら、重々しく口を開いた。


「おう、おめえたち……負けたとはいえ、祐天一家の名前を落とすような真似は、しちゃあいめえな?」

「へいっ」

 一同が、間髪入れずこたえる。こういったとき、もたつくことを、仙之助が嫌うのを知っていた代貸の郡司が、三下に訓練している賜物だ。

「郡司。おめえの話だと、喧嘩相手の若造は、あの岡田先生ほどのお方を、バッサリ……いってえ、どんな化け物だったんだ?」

 仙之助は、自身も剣を遣うので、岡田定九郎の腕前を、よく知っていた。以前、本気で竹刀を交えたことがあるが、三本勝負で、かろうじて一本取れただけだった。

 郡司は、ごくりと唾を飲みこみ、ひと呼吸置いてこたえる。

「それが……化け物どころか、岡田先生よりふた回りも小さい、女みてえな面した、やけに品のいい侍でして……」

 郡司の言葉に、一瞬で仙之助の表情が険しくなった。

「なんだ、と……」


 仙之助は、いま郡司が口にした特徴の男と、新家の道場でたちあって、見事に負けている。

「で、ほかに、なにかわかっていることはねえのか」

「へえ。額をカチ割られて寝込んでいるシゲによると、薬売りのなりをしていた野郎は、石田村の歳三とかいうゴロツキだそうで」

 シゲのせいで、歳三は、すっかり破落戸にされてしまった。

「あ、あのう……」

 三下のひとりが、おずおずと口をはさむ。

「なんだ。なにか言いてえなら、言ってみろ」

「へえ。もうひとりのチンピラが、たしか天然理心流とかなんとか口にしておりやした」

 峯吉は、チンピラ扱いである。


「なにっ!」

 突如、凄まじい殺気を放った仙之助に、一同が思わず硬直した。

 煙管を手に、そんな一同にはお構いなく、ゆっくりと煙を吐きながら、仙之助の頭は、激しく回転していた。


(あの華奢な若造も、たしか天然理心流の高山八郎とか名乗っていたな……

しかし、探りを入れるなら、本当の名前は、名乗っちゃあいめえが……)


 煙管を叩きつけると、仙之助は腕組みしながら天井を睨む。

 あの男たちが自分を調べるために、うろちょろしているならば、放っておけばよい。そんなことを気にするほど、仙之助の胆は細くない。


(だが、もし御子神殿や清河先生を探っているとしたら……今度見かけたら生かしておくわけにはいくめえ)


 天井を睨んだまま、剣客ならではの、激しい殺気を孕んだ仙之助の気迫に圧され、郡司たちは、額から脂汗が吹きだすことを、抑えることができなかった。












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