episode・27 決闘・後 青梅宿 熊野神社
青梅宿は、多摩川のつくりだした崖の上のわずかな平地にできた、細長い宿場である。
その宿場をまっすぐに貫き、西の外れで、熊野神社を避けるようなかたちで、鉤の手に曲がっている道が青梅道だ。
熊野神社の場所には、もともと八王子代官所の陣屋があった。
陣屋が廃止された跡地に、神社を祀ったのだ。
神社の境内には、陣屋だったころ植えられた、白樫の巨木が屹立している。
御子神は、光岡を境内に
神社は崖上にあるので、たいへん見晴らしがよく、斜面の途中にある金剛寺の
青梅という地名は、金剛寺にある梅が、熟して落ちるまで黄色くならず、青い色を保っていたという故事によっていた。
「ところで光岡殿。八王子から青梅を回るとは、ずいぶん遠回りをいたしましたな」
「ああ、そのことですか。じつは、この先の多摩川をわたった日影和田に、以前世話になった、石川良介師範の道場があり、挨拶に立ち寄ろうかと……」
石川良介は、千人同心。その父、九郎左衛門は、天然理心流・近藤三助から、目録を授かっていた。
良介は、幼いころから父に剣術を習い、その後、柳剛流の宮前華表太に入門して免許皆伝。日影和田で道場を開いた。
道場は、辺鄙な場所にあるにも関わらず、門弟は百数十人を数えた。
また、良介は、武者修行の剣客を手厚くもてなしたため、その人柄を慕い、訪れる修行者が、あとを絶たなかったという。
「おお、石川良介殿の噂なら、拙者も耳にいたした。剣術のみならず、馬術はおろか、生花や謡、漢学、俳諧まで達者だとか」
良介は、青梅宿の菓子司宇佐美屋の梅餅が大好物だった。光岡は、その梅餅を手土産にしようと、遠回りだったが多摩川をわたり、わざわざ青梅宿に立ち寄ったのだ。
「さて、光岡殿……」
御子神が、背負った荷物をおろしながら続ける。
「急な話ですが、今月ぶんの謝礼は、受けとりましたかな?」
「いえ。なにぶん、わたしの勝手な都合で辞退するのです。いただくわけには、まいらぬでしょう」
「いや。それでは道理に外れます。約束は、守られねばなりません」
そう言うと御子神は、胴巻きから二分金を八枚とりだし、光岡に手わたした。
「やあ、これはかたじけない。では、遠慮なく頂戴いたします」
光岡が金を受けとると、御子神は、気味の悪い笑顔をひっこめて、表情を引き締めた。
「さて……これで貴殿と拙者の間の、貸し借りや、雇用の関係は、白紙に戻りました。これで心おきなく、貴殿と勝負ができます」
「勝負……ですか?」
「さよう。真剣勝負でござる」
御子神が菰包みから、身長の半分以上もある大刀を、よどみなく抜き放った。
「――いざ!」
正眼に構えた御子神の身体から、凄まじい殺気がほとばしった。
あまりの唐突さに、あっけに取られた光岡だったが、そこは伊庭道場の門弟である。素早く刀を抜くと、一瞬にして臨戦体制を整えた。
「くっくっく……さすが、拙者が見込んだだけある。そうこなくては、張り合いがない。――では、心ゆくまで死合おうぞ!」
御子神の刀が光り、空気を斬り裂いた。
一撃、二撃と、光岡は、それをかわし、弾き、攻撃をしのぐ。
「むう……」
光岡が唸った。その攻撃は、子どものような体躯からくり出されたとは、到底思えない、凄まじい速さだった。
だが光岡は、伊庭道場の内弟子だった男である。このまま押されっぱなしでは、その誇りが許さない。
幸い、御子神の攻撃の間合いは、いまの攻防で、ある程度見切っている。
あとは、小さな身体と馬鹿長い太刀の組み合わせに惑わされず、冷静に対処すれば、必ず勝機はあるはずだ。
「やあっ!」
今度は、光岡から仕掛けた。
正面打ちから、切り返しての突きと、情け容赦のない連撃だ。
御子神の左の袖口に、切れ目が入る。
「うぬっ!」
一瞬にして、立場が逆転し、御子神が圧される。
光岡が、真っ向から斬りつける。
御子神が長い太刀で、その攻撃をはじく。よほど腕力が強いのか、まったく長さを感じさせない、素早い反応である。
「えいっ!」
勝機とみて、二撃めをはじいた御子神に、光岡が必殺の太刀を振りおろした。
――と、同時に、御子神も真っ向から斬りおろす。
ふたりは、そのまますれ違い、二歩すすむと立ち止まり、振り向いて向かいあった。
「ば、ばかな……間合いは、見切ったはず……」
光岡の身体がぐらりと揺れ、その場に崩れおちた。
「光岡殿。あっぱれ!――まこと、見事な技であった。だが惜しむらくは、あと半寸、見切りが甘かったようだ」
御子神の着物の左の袖口と、右の襟あたりには、一筋の切れ目が入っており、それぞれ、傷痕がのぞいていた。
刀の血を丹念に拭い、納刀すると、御子神は、あたりを見回した。
幸い、夕暮れ迫る境内には、誰の姿もない。
御子神は、にやりと笑い、死体を引きずるように植え込みの陰に隠すと、再び菰に包むのが面倒だったのか、そのまま刀を腰に差す。
明日までには、騒ぎになるにちがいないので、青梅宿には泊まれない。
御子神はその顔に、恍惚とした、歓喜の表情を浮かべながら、青梅道を東に向かって歩きだした。
「くたばれトシ!」
先頭をきって斬りかかったのは、シゲだった。興奮のあまり目が血走っている。
「死ぬのは、てめえだ!」
長脇差を、体捌きでなんなくかわし、歳三は、シゲの額に、真っ向から斬りつけた。
「ぎゃあっ!」
額から鮮血が吹きだし、シゲが転げ回り、あたりに血が
その光景を見て、同時に斬りかかったふたりの動きが鈍ったところを見逃さず、歳三は刀を素早く左右に振るうと、ふたりの手から長脇差が落ちる。
歳三は、向きをかえて、まだ情けない悲鳴をあげていたシゲを蹴りとばし、残った三人に向かい、
「さあ、次はてめえらだ! いつでもきやがれっ!」
と、啖呵をきった。
三人は、歳三に斬られ、血塗れになって転げ回る仲間見て、思わず動きを止める。
歳三は、最初からシゲを殺す気などは、さらさらなかった。
軽い傷でも、大量に出血する額を斬ることにより、残りの連中を牽制したのだ。
臆病なシゲが、大げさに騒ぐことで、その効果を増すのも、計算済みだ。
肝心なのは、相手の戦意と戦闘力を削ぐことだった。
そして、その狙いは見事に的中した。
「馬鹿野郎。いっぺんに、かかるんじゃねえ。少しずつ間合いをずらして、斬りかかるんだ!」
場数を踏んだ代貸が叫ぶが、残りの三人の剣先が震えている。
粋がってはいるが、目が覚めるような歳三の喧嘩のやり口に、すっかり胆を奪われていたからだ。
一方……。
熊のような体格をした浪人者は、大刀を構えたまま、動くことができず、額から汗を流していた。
男の前には、刀を正眼に構えた八郎が、静かに佇んでいる。
男と比べると八郎の背丈は、一尺あまりも低い。体格にいたっては、半分しかないといっても大げさではない。
ところが、そんな八郎に、男は、ぴたりと抑えこまれていた。
闘気を膨らませ、八郎に打ちかかろうとすると、八郎の剣先がわずかに、すうっと動く。
それだけで、男は出鼻を挫かれ、打ってかかることができなくなってしまう。
「先生! そんな女みたいな優男、さっさと始末してください」
と、代貸が声をかけるが、
「む、むう……」
男は、唸り声をあげるのが、精一杯だった。
この男、その名を岡田定九郎という。奥山念流の剣客である。
半端な腕前であれば、とっくに斬りかかっているところだが、なまじ腕がたつだけに、攻撃の起こりを、ことごとく八郎に読まれたことによって、斬りかかるタイミングを逸していた。
「――刀を引きませんか? 貴方は強い。このままだと、命のやりとりになります。
穏やかな声で、八郎が岡田に声をかけた。
「そうしたいのは山々だが、義理をはたさなねば、この世界では、二度とやってゆけぬのだ」
「まったく難儀ですね」
八郎がため息をつく。岡田の実力は、自分よりやや下ではあるが、手加減できるほどの差はない。
と、八郎は見た。
つまり、岡田を斬る以外の選択枝がなかった。
歳三を囲んだ三人は、気圧されて、攻撃できずにいた。
いや、本心は、そのまま逃げてしまいたかったが、そんなことをしてしまったら、男伊達が売りの渡世人の世界では、生きてはゆけない。
かといって、死ぬのも怖い。その葛藤が、三人をためらわせていた。
「おうっ、おまえら、
代貸が叫んだ。
「キェーーッ!!」
三下のひとりが、意を決して、刀をつきだし、やけくそに絶叫しながら、体当たりするように、歳三に突っ込んだ。
かわしながら、やむなく歳三が、そいつの肩先を斬る。
が、それとわずかにタイミングをずらし、斜め後ろから、もうひとりが歳三に突きを入れた。
身体をひねって、きわどいところで突きを外すが、左の袂が斬り裂かれた。
(ちっ、厄介なことになってきやがった……)
歳三が、思わず舌打ちする。
こういう捨て身の戦法でこられると、なかなか手加減ができない。
(できればおおごとには、したくねえんだが……)
歳三は、なるべくなら、死者をださずに、ことを済ませたかった。
チンピラふたりが、歳三の正面で牽制している間に、代貸は、後ろに回りこもうと、じりじりと移動をはじめた。
――そのとき。
「トシさぁーん。ずるいよー。オレに内緒で、
まるで緊張感のないセリフを吐きながら、ネギ畑から峯吉が姿をあらわした。
どこで拾ってきたのか、手には五尺あまりの棒を持っている。
「峯吉!」
その場にいた全員の意識が、峯吉に集まった。
思わず八郎も峯吉に目を向ける。それを隙とみて、岡田が八郎に斬りかかった。
まるで、その動きを読んでいたかのように、八郎が腰を落とし、左足を引きながら半身になると同時に、素早く斬りおろす。
八郎の太刀が肩口を斬り裂いた。
岡田は太刀をとり落とすと、その場にがくりと膝をついた。
代貸は、よほど驚いたのか、峯吉のほうに気をとられ、思わず視線を向けた。
その瞬間、歳三が跳躍し、刀を手の内で回しながら、代貸の首筋に峰打ちを入れる。代貸しが崩れ落ちた。
ここで、説明しておくと……。
テレビの時代劇などで、峰打ちといえば、刀をくるりと返して剣劇を行うが、あれは大間違いである。
直刀ならともかく、反りのある刀を逆さまにしては、自由に振ることができないだけではなく、下手をすれば折れてしまう。
正しい峰打ちとは、相手にあたる直前に、手の内で刀を回すのだ。したがって、よほど腕に差がない場合は、峰打ちなどはできない。
「だ、代貸!」
三下が、歳三に斬りかかろうと足を踏みだすと、
「てめえらは、オレが相手だ!――天然理心流の棍法を、とくと拝みやがれっ!!」
峯吉が、手にした棒を振り回しながら叫んだ。
峯吉の師である山本満次郎は、増田蔵六の弟子のなかで、ただひとり、剣術、棒術、柔術の三術の免許を持っていた。
当然、峯吉も満次郎から、棒術の指南を受けている。
こうした乱戦の場合、間合いの遠近、刃筋を考慮せず攻撃できる棒術は、非常に有利な戦法であった。
峯吉が風車のように、棒を振り回すのを見て、三下たちが、棒の攻撃に備えて緊張する。
その機会を見逃さず、歳三が後ろから駆け寄り、ふたりの三下の首筋に、峰打ちをいれた。
「ああっ、俺の獲物が!」
峯吉が情けない声をあげると、歳三が、
「残ったひとりは、おまえにまかせたぜ」
と、声をかけた。
ただひとり、呆然とつっ立っていた三下が、気絶したり、斬られて戦闘不能になった仲間を見て、逃げだそうと、あわてて一歩足を踏みだしたとたんに、
「うりゃあー、喰らえ 天然理心流棍法・
峯吉の棒に叩きのめされ、地面に崩れおちた。
「さすが中島峯吉殿だ。いや、お見事!」
歳三が芝居じみた声で、囃したてる。
「トシさん、俺のこと馬鹿にしてませんか?」
峯吉が口をとがらせた。
天然理心流の棒術は、棍法とも呼ばれていた。
増田蔵六、山本満次郎の残した伝書に、表形十三本、半棒太刀合七本、半棒入身五本、の条が確認できる。
峯吉の使った技は、表形の車返という技であった。
棍法と柔術は、近藤周助の試衛館や松崎道場には伝わらず、増田蔵六の系列も後継者がなく失伝してしまったため、現在では八王子の御嶽神社に奉納される、八王子狭間獅子舞の棒の手として残るのみである。
闘いは終わった。あたりには、祐天一家の者たちが、塁々と倒れていた。
「峯吉さん。冗談抜きで、千両役者の登場でしたよ。おかげで無益な殺生をせずにすみました」
八郎が、岡田の手当てをしながら言った。
「ところで、晒を少しいただけませんか?」
峯吉は晒を外し、うけとった八郎は、それを岡田の肩口に素早く巻く。
岡田がため息をつきながら八郎に声をかけた。
「完敗でござる。拙者、奥山念流・岡田定九郎と申す者。せめて、そこもとの御尊名をうけたまわりたい」
「これは失礼いたしました。わたしは、心形刀流の伊庭八郎と申します」
「――伊庭!! ふふっ……なるほど。どおりで拙者の剣など、通用しないわけだ」
「いえ、とんでもない。岡田殿の太刀筋は、たいしたものでした……傷口は浅いですが、早く医者に見てもらってください」
などと話していると、三下を尋問していた歳三が、やってきた。
「八郎さん。三下の話だと、光岡さんは、どうやら甲府に向かったようです」
「そうでしたか……では、わたしもこのまま甲州道中を、甲府に向かいます」
「待たれよ。光岡とは、光岡又三郎のことでござるか?」
ふたりの会話を耳にした岡田が口をはさんだ。
「ええ。うちの門弟だった光岡又三郎です」
「だったら、甲府にゆく前に、甲州道中ではなく、青梅道の日影和田にゆくと話しておった」
「なに、日影和田? もしかして石川良介師範の道場のところか?」
歳三がきくと、岡田が驚きの目を向けた。
「そこもとは、石川師範をご存知であったか」
「ご存知もなにも、石川道場は、石田散薬の得意先さ」
「石田……では、そこもとが、石田村のトシさんか」
「えっ、俺のことを知ってるのか?」
「拙者は、一年ばかり石川道場の食客をしておった。稽古で打ち身がひどいとき、師範は、酒で飲めと、石田散薬を勧めてくださったことがある」
「へえ、そうだったのか……どうだい、石田散薬は、よおく効いただろう」
「それが……拙者は、このような薬など、効くはずがないとは思ったが、師範のせっかくの親切を、無にするわけにもゆかず、嫌々飲んだら……」
「嫌々かよ!」
歳三が茶々を入れる。
「ふしぎなことに、翌朝起きてみると、すっかり痛みが消えているではないか。そこで師範に、この薬は? と、たずねたら、石田村のトシさんが売りにくる……と、おっしゃったのだ」
それ見ろ、とばかりに、歳三が得意げに、反りかえった。
「トシさん。よかったら、その日影和田の石川道場に、案内してもらえますか?」
「わかりました……石川師範ならよく知っています。それに隣町の青梅には親戚もいるし、他にも得意先があって、馴染みの場所です。では、行きましょうか」
歳三と八郎が連れだち、峯吉がそれに続いた。
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