第162話 同乗
「……落ち着きましたか?」
「はい、大丈夫です」
赤くなった目元で泣語さんは笑ってくれた。私は安堵の息をつき、肩に戻ってくれたらず君とひぃちゃんの頭を撫でる。
泣語さんと私は木の根元に並んで座り、膝を抱えている今現在。
兄さんを巻き込まないってことに失敗し、グレモリーさんを探すってこともやめねばならないと考え、泣語さんを巻き込まないってことも上手くいきそうになくなった。
ルアス軍の戦士の人達は翠ちゃんが意識を抜いて回ってくれているし、ディアス軍の戦士の人達にはラキス・ギオンが渡った。中立者さんの昔話は兎も角として、土台はもう八割出来てきたと思う。あとは塔の場所と内部構造が把握出来ればどうにか実行は出来そうな訳だが。
泣語さんを見る。彼は何かを調べて、私を行かせないようにしようとした。危ないから、死んでしまうから。
それを今、確認しても良いのだろうか。
いや、確認せずに自分で探すべきだろう。
だがここで聞かずに泣語さんと別れると、彼に不安を残したままになるのではないだろうか。
既に大きな不安は与えているだろう。
しかしこれ以上彼を苦しめる道理はないし苦しめたくない。
でも今このタイミングで聞けば再び涙を流させてしまうのではないか。
別の日に聞くってことにしたら結局離れるのが保留になる。
どっちつかずの考えに胃と頭が痛んでくる。最近ずっとそうだ。考えと言うか、理想を一つに絞れていないまま進んでいる。これではいけないと分かりながら、弱い私は希望の道を捨てきれない。
それを押し込めて、押し込めて、押し込めて。
私達以外の人は巻き込まないように。私達だけで捕まえられるように
元々軍なんで関係なく、戦士は生贄かもしれないのに。
いいや、それはあくまで仮定だ。仮定を鵜呑みにしてルアス軍と協力し、仮定が否定された時に手遅れになったらどうする。
だから私達だけにしたのではないか。ディアス軍の人も決行中は眠るように、ルアス軍の人達にこれ以上祭壇が壊されないように。
私は泣語さんを見る。彼は黙って自分の足先を見ているようで、酷く疲れた顔をしていた。目の下の隈も灰色の服も彼を儚く見せるのだ。
「泣語さん」
だから呼んでしまう。彼が消えてしまわないように。
そうすれば目に光りを射して彼はこちらを向いてくれる。それを喜べばいいのか、やめて欲しいと願えばいいのか。いや黙れ。
「メシア」
へにゃりと。
そんな効果音がつきそうな雰囲気で泣語さんは破顔する。顔色が良くなったような気さえして、私も笑ってしまうのだ。
初めて会った時も思ったけど、泣語さんは結構童顔の部類ではなかろうか。可愛い。
自然とそんな感想を思い浮かべた私は確認した。
「少し質問しても、いいですか?」
苦しかったら答えなくていい。泣きそうになったら止めていいし、泣いたっていい。無理だけはしないでくださいと、しどろもどろに前置きもして。
すると泣語さんは目元をより赤く染めて笑ってくれたんだ。首を縦に振ってくれた彼は、なんでこうも空気が幸せそうなんだろう。
私は花でも飛んでそうな雰囲気の泣語さんを凝視した。
「生贄の場所を大雑把に把握するルアス軍の鍵の力って……無くなったんですか?」
聞いてみる。私達ディアス軍の祭壇作成能力は無くなった。ならばルアス軍の力だって無くなったと勝手に思っていた。そうしないとフェアにならないから。
しかし考えれば、ルアス軍が祭壇を壊す勢いは一気に上がっていた。探す為に有益な力が無くなったとして、あれだけのスピードで祭壇を壊せるものなのか。
考えてこなかったけど、考える気がなかったけど。
泣語さんは眉を八の字に下げると首を横に振っていた。
「いいえ、残ってます。俺達の鍵は、祭壇が近づけば確かに反応しているんです」
言われて、いつか浮かんだ考えを再び思う。
この競走は――ディアス軍に優しくない。
教えてくれた泣語さんに「ありがとうございます」と笑い、彼は何度も会釈してくれた。
いや、ぁの、そんな。慌てた私も頭を下げてお互い赤べこみたいになった。何でこうなったかな。
私は頭を上げて、視線を泳がせている泣語さんを確認する。彼が視線を迷わせているのは初めて見て、私は何故だか肩の力が抜けたんだ。
「……メシアは、他にも聞きたいことがありますよね?」
泣語さんに確認される。私は苦笑しながら「ですね」と小さく答えるのだ。
けれどもここでは聞けない。聞けないから、私達はお互いに口を閉ざすのだ。
少しだけ静かになる。発光しているように輝く木々が、もしかしたら誰かの命だったかもしれないと思って。泣語さんに送る言葉を纏められないまま。
「音央も乗るか? 地獄行きの列車」
「りず君」
不意に口を開いたりず君に驚き、私は反射的に彼を呼んでしまう。りず君は肩から飛び降りると私を見上げてきた。
「氷雨」
りず君の目は綺麗で、射抜くように真っ直ぐで、彼はいつも私の本音を見透かしている。
私は口をゆっくり閉じて、手の甲に擦り寄ってきたりず君を撫で返したんだ。
「地獄行き?」
泣語さんが復唱する。りず君は頷いて、私は奥歯を静かに噛んだ。
「氷雨が死ぬことになったら音央も死ぬ道。氷雨が生きれば音央も生きる道。茨の道の特急列車。だけど、お前を乗せてやれるのは分岐点までだ。最終までには降りてもらう、そんな列車」
泣語さんの目が見開かれる。りず君は私の腕を上り歩き、肩に戻ってきてくれた。その顔は泣語さんの方をしっかり見てくれている。
「お前は氷雨に愛をくれた。それが敬愛なのか純愛なのか狂愛なのかまでは分からねぇし、信仰心ってやつが肥大したのかもしれねぇ。それをこっちでは判断できねぇし、する余裕もねぇからな。答えが欲しけりゃ言葉にしろ。そしたら氷雨も考える」
りず君が「な、」と言いながら、針で私の頬を軽く刺してくる。痛くない力加減で。私は眉を下げている実感がありながら笑い、目を丸くしている泣語さんを見るのだ。
彼はまるで、礼拝堂で十字架に祈る人のように私を見てくる。そしてさっきは「愛してる」とまで言ってくれた。けれどもその「愛」はどれなのか。馬鹿な私には理解出来なくて、勝手に解釈する勇気がなくて、そのままの愛を言葉にされたことも無くて。だから返事が出来なかった。
りず君はそれを言葉にしてくれた。ごめん、私の気持ちが弱いから君に言わせてしまったね。
りず君の額を撫でて「ごめん」を呟く。そうすれば、私のパートナーは笑ってくれたのだ。
それだけで救われる。
彼はまた泣語さんの方を向いていた。
「音央、なんであろうとお前のその愛は正直めちゃくちゃ重い。重くて氷雨が潰れねぇか心配なとこではある。けどな、俺達も気づいた。それに潰されそうなのは音央、お前もだ」
泣語さんの肩が揺れる。りず君は続けていた。
「お前は自分を毒だと言ったな。だけど、それを言うなら氷雨だってお前の毒だった筈だ。お前を助けちまった。その瞬間からお前は毒に侵されてる。でも毒は薬にだってなるだろ。帳も、梵も、翠も、祈も。みんなそれぞれ人に影響する毒を持ってるが、それは確かに相手を救う薬でだってあるんだ」
あぁ、りず君は凄いな。
思いながら聞いている。ひぃちゃんは私の首に尾を巻いてくれて、らず君は目を伏せながら笑ってくれたようだった。
「音央、毒であることを恥じるな。お前がそれを後悔して嫌だなんて叫んだら、お前の毒である氷雨や氷雨の仲間をお前は嫌だって言ったことになる。それだけは許さねぇからな」
泣語さんが口を結んで、目を見開く姿を見る。りず君は私の頬を少し刺して、髪の毛に隠れるように近づいてくれた。
「氷雨、あとはお前が言え。お前の言葉じゃねぇと駄目だ」
「あい、りず君ありがとう」
笑いながら伝えておく。りず君はむず痒そうに揺れると、満足そうに私の肩に座っていた。
泣語さんの方を向く。目が合った彼は私が何を言うのか待っているようで、私の口角は上がり続けたんだ。
「泣語さん」
「……はい、メシア」
あぁ、貴方はそうだ。私のことを
「……正直言って、私は自分の人生だけで手一杯なんです。誰かの人生を指し示せるほど偉大ではないし、誰かの意思を捻じ曲げたい訳でもない。ましてや、貴方は正しいと絶対的信頼を向けられるのが怖いとも思うんです。私は私が後悔して生きなくていい方法を、面倒くさくならない選択をしているだけなんです」
泣語さんの口が開きかけるけど、音は出さずに閉じられる。私は笑って続けていた。
「だから貴方を巻き込みたくなかった。兄さん達を巻き込みたくなかった。私達は何があろうと、何を知ろうと、結局は敵という立ち位置なんです。心中する意味はないって思うし、これ以上近づけば、私は私が求める勝利と命を手にした時に後悔をより多く残してしまいそうだから」
膝を抱えて笑い続ける。どうか中立者さんが聞いていませんようにと願いながら。
「それでも、泣語さんが私の為に泣いてくれるのであれば……私を仲間だと思ってくれるのならば、これ以上拒否するのはそれこそ失礼だと思うから」
膝を抱えた腕に力を込め、顔を上げる。笑っていろよ氷雨。言葉は選べ、口に出すなら後悔するな。
「貴方に切符を渡します。途中下車の切符を。力と知識と勇気が欲しい私達と、同じ列車に乗れる切符を。けれども決めるのは泣語さんです。私はこの列車を降りる気は無いし、止める気もありません。それに同乗するかどうか、決めるのは貴方だ」
泣語さんの道を私が増やす権利なんてないのに、自分勝手だな。お前はいったい何様だよ。泣語さんの人生を半分背負うなんて出来ないだろ。
そうだよ、背負えない。私は背負えない。背負えば潰れてしまうだろう。それでも、必死に手を伸ばしてくれる人を振り払えるほど強くもない。
言い訳だね。
あぁ、そうだよ。
兄さん達の時だってそうだった。振りほどいた瞬間苦しくなって、人の覚悟を無下にするのが申し訳なくて、利用して、結局突き放そうとして出来なかった。
結局そうさ。人は自分が決めた道を突き進む。少しでも意志が弱い方が負けるんだ。少なくとも、私はそう思う。
「乗ります、メシア。俺は貴方と共にありたい」
そう言って笑ってくれた泣語さん。
後悔が無いと言えば嘘になる。私は自分を悪でいいと思うなら、どこまでもそれを貫かなければいけないのに。
人の温かさに甘えた。人の優しさに縋った。振り解ける強さが無かった。
それでも、泣語さんが今までで見た中で一番幸せそうに笑ってくれたから。
笑い返して、私達は別々の方向に飛び立ったんだ。
泣語さんと連絡先を交換した。膝から地面に崩れ落ちた彼の背中を暫く撫でて、タガトフルムで報告を聞くことにして。
メタトロンさんは私達を笑うだろうか。グレモリーさんを探さないのか聞くだろうか。貴方の鍵をそこら辺に投げ捨てていいなら探すけどな、なんて。
私は少しだけ考えて、フォカロルさんの所へ舞い戻った。私達を転移させてくれた彼に教えてもらう為。不安の種を少しでも潰しておく為に。
もう迷うな、氷雨。
時間が無い。時間が無いから……強固な覚悟を持って、自分の足で自分の道を進んでいけ。
「次のニュースです」
タガトフルムで今日は終業式かなんて安直に思っていた時、珈琲を吹き出しそうになるほどのニュースを聞くだなんて思わずに。
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