第119話 固執
風が巻き起こす轟音が鼓膜を揺さぶる。
それを全身で感じて瞼を上げた私は、弾かれるように体を起こしたのだ。
一気に早まった心臓が身体全体に血を流し、霞みがかっていた頭が冴えていく。
私の体の上にいたりず君、らず君、ひぃちゃんがずり落ちてしまったことに気がついて抱えれば、三人は目を開けてくれた。
それに安堵してしまう。余りの豪風に体からの緊張は解けないが。
半泣きのりず君達を見下ろして、状況を理解しようとすればするほど顔は勝手に笑った。
頭に大きな節くれだった手が乗って、目の前に緑色の壁が出来る。それが風を緩和してくれて、私はやっと顔を上げたのだ。
「梵さん……泣語さん」
「氷雨、目が、覚めて、良かった」
「め、メシアぁぁぁ……ご無事でぇ……」
綻ぶように笑ってくれた梵さんと瓶にイーリウを入れながら涙を流す泣語さん。
対称的な二人に現状が呑み込めず、その時になって自分が梵さんの膝に乗っていると気がついたのだ。
条件反射で膝から下りる。こんなに人間早く動けるのかって言う勢いで下りる。
梵さんは「お、」と呟き、私は頬を引き攣らせながら笑っていた。
急速に回転を始めた頭の中に浮かんでくるのは、長く伸びた爪に抉られた耳の熱さと体から流れる血の感覚。
祈君は。ドームが崩れ、あ、いた。無事かな、無事みたい、良かった、良かった、本当に……安心。
翠ちゃんは。瓦礫、いる、休戦、違う風のせい。あぁ、怪我して、治そう、治そうね、胃が痛い。
梵さんは。ボロボロ、ごめんなさい、すみません、私より貴方を治して欲しいと言わねば。違う先にお礼。
泣語さんは。涙、泣き止んで、泣き止んで欲しい、心配かけてしまいました。助けてくださった。彼にもお礼。
帳君は。風、風、豪風、嵐。怪我を、貴方も怪我をしているから。あぁ、みんなボロボロだ。
頭の中に溢れる言葉は集中の邪魔をする。それがしんどくて、肩に乗ったりず君は頬にすり寄って、らず君は光ってくれる。ひぃちゃんは首に尾を巻いて、みんな優しい声を、嵐に負けない声をくれたんだ。
「氷雨、駄目だ、前を向こうぜ。目を瞑ってる時間は終わりだ。俺を使え、剣にだって盾にだってなってやる。やられっぱなしは終わりだ」
「氷雨さん、ご無事で良かった。あともう少しだけ頑張りましょう。大丈夫です、貴方なら。何があろうとも私達が支えます」
その言葉が背中を押してくれる。
私は早まっていた心臓が落ち着いていくのを感じながら、梵さんと泣語さんを見るのだ。
「梵さん、泣語さん、本当にありがとうございました。ご心配をお掛けして申し訳ございません」
肩は痛くない。足だって、耳だって。
それが私にもう一度、抗う力を与えてくれる。
梵さん微笑みながら頷いて、泣語さんは涙を拭きながら首を横に振っていた。
「無事で、何より、だ」
「メシア、貴方からの言葉で俺は、今再び救われてしまいました」
立ち上がる梵さんの体から怪我が消えていく。私も足を叩いて自立し、泣語さんも立ち上がってくれた。
梵さんが頭を叩くように撫でてくれる。
その温かさが嬉しくて、私は奥歯を噛みながら顔を上げるんだ。
豪風と水の柱が打ち消しあって、ミストシャワーのようになって降り注いでくる。泣語さんが風避けを撤退させてくれた向こうには、肩で息をする帳君と地面に鳥の爪を突き立てた祈君の背中が見えた。
あぁ、動け、私の足。
足でまといはもう止めろ。
自分に言い聞かせた時、帳君の声が聞こえてきた。
「雛鳥は向こうのモデル君の相手。そっちの方が接近戦にならなくて有利だろうから。毒吐きちゃんに特性の宝石盗らせる補助して」
「ッ、分かった」
「鉄仮面と、ついでに盲信者は治療終わり次第こっちに参戦。人数比的にあの四人を黙らせてモデル君達と近づかせないのが先決だ。で、重要なのは氷雨ちゃんの容態だけど……」
指示を出していた帳君が振り返る。
飛び立った祈君は私を見ると、眉間に皺を寄せながら笑うと言う険しい表情で何度も頷いてくれた。私はそれに笑い返し、こちらを向いて言葉を途切れさせた帳君に視線を送った。
「……おはよ、氷雨ちゃん」
そう言ってもらえるから、言い合いしてたなんてこと頭から消え失せる。
頭に上っていた血も抜けたから、私は笑ってしまうんだな。
名前を呼ばれるだけで肩の力が抜けるだなんて、安くなったもんだ。
自分を内心で笑い、帳君は少しだけ口角を上げてくれた。眉を八の字に下げながら手を握り締めて。
「復活?」
「です」
「オッケー。氷雨ちゃんもこっちね。鉄仮面と氷雨ちゃんって言う接近戦ツートップは、小難しい作戦より正面突破がお似合いだから。投げ入れるから早いとこ制圧するよ」
接近戦ツートップとな。大分買われているようだが梵さんの右になんて並べないし、いつも頑張ってくれるのは私のパートナー達なのですよ。
言えないまま梵さんと私の体が宙に浮く。肝が一気に冷えて梵さんと顔を見合わせたが、何故だか彼の雰囲気は喜色を孕んでいる気がした。
ひぃちゃんが翼を広げてくれる。
りず君がハルバードになってくれる。
らず君が輝いてくれる。
思い出してしまったのは、私達が最初に生贄を出した奴隷のシュス。壊すきっかけを作り、鎖を叩き砕いて回ったあの鮮烈な記念日。
あの日の私と今の私は、何をどこで違えたのか。
―― そう、決めたんだ、ここから生贄を出すと決めたんだ!!
私の体が勢いよく投げ込まれる。
目指したのは祈君を掴んでいた兵士さんと、紫門さん。
ハルバードを両手で握り締めて刃を引き、翼は大きく羽ばたいてくれた。
―― 悪を殺すと決めたんだ!!
あぁ、そうだ。私は悪を殺すと決めてきた。
決めて、進んで、ここにいる。
紫門さんと目が合って、目の前に水の壁が出来る。私は奥歯を噛み締めてハルバードを振り抜いた。
―― きっと救われる。私達を良いように使う兵士なんて殺して、みんなで勝利を掴むんだ。これはルアス軍とディアス軍の戦いなんかじゃない。戦士と兵士の戦いだったんだよ
それは違うと私は言うよ、綿済さん。
兵士の方だって泣くんだから。ルールを破ってまで、私達の耳を塞いで、どうすれば危なくないかを考えてくれるのだから。
それを私は知っている。だから私は、貴方達の仲間にはなれないと叫ぶんだ。
水を真一文字に切り裂いて、水飛沫の向こうにいる紫門さんを見つめてみせる。
彼は歯痒そうに顔を歪めて、切れたところから戻ろうとする水は竜巻に吸い込まれた。
「なッ」
「大琥、変われ!」
紫門さんと私の間に割り込んだ白い翼を持つ兵士さん。彼の前に水の弾丸が並べられ、私はりず君を握り締めた。
らず君が強く輝いてくれる。私の視界は色という色を拾い、あらゆる動きが目を通して頭に叩き込まれてきた。
弾丸が打ち出される。
風を肌が感じてる。
あぁ――信じるよ。
思うままにハルバードを振りかぶり、風に弾き消された水飛沫を網膜に焼きつける。
驚く兵士さんを見つめる。
重さと早さのままに刃を落とせば、ダークブロンドの髪を数本切り落とした。
彼の頬に切り傷が入る。血は赤い。理解しながら靴の裏を滑らせて着地した。
力一杯止まった体を後ろへ反転させる。見えた紫門さんは水の盾を作っているが、防戦一方で勝たせてあげるほど私は優しくない。
りず君を片手に持ち直して思い切り突き出せば、私の口は武器の名前を発していた。
「ブリーチ・パイクッ」
「っしゃあ!!」
ハルバードが一気に細く、刃よりも柄が長い槍になる。それは一点集中で水の盾を貫通し、血飛沫が上がるのが見えた。
紫門さんの顔は狙ってない。水越しでだって外す位置に突き入れた。
それは確実、間違いない。目的は驚いて体勢を崩せること。それが見抜けないわけがない。
だから、戦士に迫る危機を防ごうと貫かれた兵士さんの手は――条件反射なのではないかと思うのだ。
兵士の方の顔が歪み、水に赤が混じっていく。崩れた水の盾は私の靴や顔を濡らし、紫色の目を見開く紫門さんを確認した。
「ッ、フォカロル!」
そうか、貴方の名前は――フォカロルさん。
紫門さんと同じ紫色の目を歪めて私を見下ろすフォカロルさん。りず君は瞬時に針鼠に戻り、ハルバードに落ち着いてくれた。
考えろ、考えろ、彼らと話す為に、制圧する為に必要なのは武力ではない。
一気に考えを溢れさせてまとめていった頭は、光る銀の手裏剣を見る。
それが紫門さんとフォカロルさんの背後で網として開花し、私は後ろに跳躍するんだ。
隙間から見えた茶色い瞳。
翠ちゃんは無表情に捕縛対象を見つめて、目が合えば微かに笑ってくれたんだ。
「ぅあ!!」
紫門さんの驚いた声と同時に、彼とフォカロルさんが網によって床に倒れ込む。もがいても水を出しても彼女の捕縛からは逃げられない。
私は翠ちゃんを見て、彼女はもう既に祈君と共に海堂さんへ向かっていた。
あぁ、格好いいな。
きっと怪我をしたから叱られる。けれどもその時、私はきっと笑ってしまうんだろう。ごめんね翠ちゃん。悪気は無いんだ。
「ありがとう」
聞こえないであろうお礼を述べて、聞くのは打撲音。
見れば馬のような生き物の脇に拳をめり込ませた梵さんがいて、乗った兵士さん諸共壁に向かって吹き飛ばす光景が確認出来た。
伸びていた爪は梵さんの肩に当たって折れており、綿済さんの悲鳴を聞く。彼女は両手で口を押さえて震えており、浮遊している人形の何体かは床に落ちて動かなくなった。
怖いですか、怖いですよね。けれども梵さんは、怖い人ではないんですよ。
りず君にトライデントになってもらう。三本あったら怪我させるから、真ん中一本は刃を作らないでもらって。
ひぃちゃんが勢いよくはばたいてくれた。
こちらに気づいた綿済さんの足は震えており、心臓が握られるような痛みを感じた。
りず君を一度引いて、空いた片手で綿済さんを抱き締める。彼女は驚いたように喉を鳴らし、震える足は簡単に払わせてくれた。
痛くないように。痛いのは嫌だ。痛くするのも、されるのも。
瞼の裏をチラついた赤の飛沫に身震いしながら、らず君の輝きが強まるのを感じておく。地面に背中から倒した綿済さんは私を見上げて、その胴体を跨ぐようにりず君を床に突き立てた。
痛くないように、痛くないように。
おかしなぐらい頭の中でその言葉を繰り返し、また何かが折れる音を聞く。
綿済さんの人形達が床に落ちていくのを横目に音のした方を見れば、梵さんが兵士の方の爪を殴り折っているのが見えた。
「アロ……ケル……」
震える綿済さんの声を聞く。
金に朱色の混ざった髪を持つ彼は――アロケルさん。
私は息を静かに吐いて綿済さんを床に縫いつけ、彼女の頬を流れる雫を見つめるのだ。
「氷雨ちゃん……どうしても、仲間になってくれないの?」
震える声で問われてしまう。
「……なりません」
それに曖昧な答えは御法度。
「どうして……?」
顔を両腕で覆った綿済さんは、細い肩が小刻みに揺れていた。
「……泣いてくれたんです。兵士の方が。私達を想って」
「だから? それだけ? なんで? 嫌だよ、アイツらは私達を道具だと思ってるのに、統治権なんてどうでもいいよ……」
「……そうですね」
言葉を選ぶ。ゆっくり、確実に。
傷ついて、傷ついて、今ここで喋ることすら苦しそうな彼女をこれ以上傷つけない為に。
壊れるのは痛いから。痛いって知ってるから。涙が止まらなくて、気持ち悪くて、全部どうでもよくなりそうで。必死に堪えて、苦しくて苦しくて、息苦しくて吐きそうで、どう頑張ってもしんどくて。
綿済さんの痛みは私には分からない。彼女と私は違うから。違うから「私も同じ気持ちです」なんてほざけ無い。それは只の自己満足だ。相手と自分が同じな訳があるか。
どれだけ同じ時間を過ごしたって、他人と同じにはなれない。なれないから、寄り添うことだけは目指すんだ。
私はもう目を閉じない。
綿済さんは顔から腕を離し、両手で必死に覆い直していた。
「それでも、道具でも、愛してくれていると感じるから、」
「それじゃぁ創が救われないッ!!」
「嫌い、嫌い、嫌い、嫌いッ!! こんな世界大っ嫌い!! 折角仲良くなれたのに!! 仲間だったのに! 友達だったのに!! 誰かを生贄になんて、出来るわけないじゃない!! 創を返して! 返して!! 返しなさいよ!!」
肌を刺していく綿済さんの怒気。それが痛くてらず君が揺れてしまう。私はりず君を握り直して、突如私の背後を覆ったリフカに驚くのだ。
「譲、もう創は戻らないよ……泣いても意味無い」
紫門さんの声がする。
見れば、倒れた状態で彼はこちらに水の弾丸を放ったらしく、その前に泣語さんが立ってくれていた。
「メシア、お気になされず。植物は水を吸いますから」
「泣語さん……すみません、ありがとうございます」
「いいえ」
微笑みながら私を見てくれる泣語さん。彼は直ぐに紫門さんに向き直り、私も綿済さんに視線を戻した。
「無理だよ大琥……涙、止められないんだもん」
呟いた綿済さんはどこを見ているのか分からない。
私は掌に嫌な汗をかいて、ふと聞こえた声に肝が冷えるのだ。
「――譲、泣いていいよ。俺が許す」
それは――海堂さんの声。
「氷雨避けて!!」
翠ちゃんの声に反応して横を見れば、投擲した姿勢のグレモリーさんと、こちらに飛び込んでくる海堂さんがいて。
くそ、マジかッ
投げられたであろう彼はその勢いに乗せて蹴りを出し、私は綿済さんから離れることを余儀なくされた。
「"大琥、君ならそこから起きられるよ。さぁ、立ち上がれ"」
床を滑りながら着地した海堂さんが、綺麗な立ち姿で紫門さんを見る。その目は紫色に輝いて、私の頬を冷や汗が伝ったんだ。
りず君は綿済さんを固定したまま。
あそこに戻れ、今すぐ。海堂さんが何か指示を出す前に。
「"譲、君だって起き上がれる。その矛を抜いて、君の人形を暴れさせろ"」
私はりず君を掴み、床に向かって力を入れる。しかし一番刃に近い所を握った綿済さんは、その細身からは信じられない力でりず君を押し返してきた。
それに奥歯を噛み、らず君が輝いてくれる。
横から飛んできた人形は風が叩き落としてくれて、けれども直ぐに起き上がってくる。
おかしい、さっきまでの勢いとはまるで別物だ。
腕が震える。息が上がる。どれだけ力を込めても起き上がる綿済さんを止められない。
床から刃が抜けていく。
綿済さんの上体が起きていく。
「そう、それでいい。"君達なら勝てるんだ、俺達の意見に従わない奴らに"」
歪んだような声色がする。海堂さんの雰囲気は重たくて、その奥で部屋を一気に横断した黒を見るのだ。
壁に硬いものが激突する音が響き、亀裂が入る。
「ッ、梵さん!!」
「退い、て!」
「綿済さッ!!」
壁にめり込んでいたのは梵さん。
彼が吹き飛ばされるなんて微塵も想像していなくて、その動揺の間に綿済さんが起き上がった。
慌ててひぃちゃんが飛び立ってくれて、長く伸びた綿済さんの爪を間一髪で避ける。
泣語さんも紫門さんから距離を取っていた。
紫門さんは体を拘束している網を水で無理やり歪ませて、這い出ている。
「"それでいい。屈服させるよ、譲、大琥、アロケル、フォカロル"」
あぁ、その目、初めて見た時から嫌でした。
誰かを従えるのが当たり前と言うその目。
「海堂さん」
「氷雨ちゃん、結目君。俺達は兵士を従える。従えて、こんな競走潰してみせる」
その紫色の決意が私を見据えてくるから、怖いから。
私は笑って、ハルバードになったりず君を回したんだ。
グレモリーさんが海堂さんの横へ跳躍してやって来る。
翠ちゃんと祈君もこちらに駆け寄ってくれて、私達は海堂さんと対峙した。
梵さんが壁から瓦礫を避けて出てくる姿に安堵する。
「全員俺に従ってもらうよ」
「生憎、従うのは虫唾が走るんでね。お前達が平伏せろよ自己中集団」
帳君の煽りが激しい。それを聞いて肩に手が乗り、沢山のピアスが見えるんだ。
海堂さんは顔を歪めながら瞳を歪に輝かせる。
「自己中は君達だ。ルールに従う君達だ」
「従ってこそのルールだよ」
「間違ったルールは、誰かが書き換えなきゃいけない」
海堂さんは当たり前のように、自分の胸を掌で押さえていた。
「俺達が、書き換えてみせる」
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