第120話 一旗
ルールの書き換えを、今までの競走で考えない人がいたのだろうか。
戦士ならばみんな一度は考えることなのではなかろうか。
それを誰もなし得なかったから今日まで続いているのではないだろうか。
ハルバードであるりず君を振り抜きながら思う。打ち合ったのは綿済さんの長く伸びた爪で、彼女の目は深い紫色に輝いていた。
殴りかかってくる布の人形を、ひぃちゃんが羽ばたいてくれることによって躱す。
部屋は瓦礫と散乱した服や布で埋まっており、後でサラマンダーさん達に謝らなければと思うんだ。
天井に両足を着いて瞳に映る世界が逆さまになる。らず君が肩にしがみついて、だから早くこの状態を戻そうと考えた。
天井を蹴ってハルバードを握り直せば、飛んでくる人形達に取り囲まれていくのが理解出来た。
全部は払えない。体勢的に厳しい。だから一点集中。通れる場所が出来ればいい。
ハルバードで目の前の人形を貫き、力を込めて振り上げた。そうすれば亀裂が出来るから。その軌道にいた人形も吹き飛ばせて、私はその間に体をねじ込めるから。
ひぃちゃんが翼を畳んで私も足を曲げる。
ハルバードは矛であると同時に槍である。切るだけではない突くことだって得意な武器だ。
一気に綿済さんに接近してもらう。刃の射程圏内。傷つけはしない、牽制でいい。私達が目指すのは彼女に指示する海堂さんだ。
「"譲、下がって"」
崩れていた綿済さんの体勢が無理やり正されてハルバードの圏内から外れていく。
海堂さんを見れば既に紫門さんを目で追っており、私は勢いよく滑りながら着地した。
三秒も立たない間に地面を蹴る。
海堂さんまでの道は開けていて、迫る人形は祈君の羽根が撃ち落としてくれた。
一瞬目が合った赤い毛先の彼も海堂さんを見つめている。
海堂さんの横にいるグレモリーさんは私達を凝視し、アロケルさんとフォカロルさんを相手取ってくれているのは梵さんだ。
兵士さんに対して戦士一人とか。
思ったけれど、思うからこそ進まねばならない。
一番の優先順位は海堂さんの制圧。翠ちゃんの能力を彼に対し使ってもらうこと。
そしたら兵士の方々や綿済さん、紫門さんにかかっているであろう術が解けて、きっと何かが変わるから。
何も変わりなんてしない。意見が平行線な私達は分かり合えたりしない。
彼らを止めたその先はどうする。問題なんて山積みだ。生贄集めに祭壇の制作能力停止までの期間。兄さん、時沼さん、アミーさん。明日は来るのか。未来とは何だ。勝った先は、生きた先は――
「うるさい、もう考えるな」
自分に呟いてりず君を握り締める。
先ばかり考えて今が見えなくなれば本末転倒。兵士さん達に宛てがわれているルールも、競走のおかしな所も、今は無視していい。見なくていい。考えなくていい。
水の弾丸で私達の足を止めようとする紫門さん。その水は帳君の風に吸い込まれて飛散する。
綿済さんの人形を的確に撃ち落としていく祈君。彼女はやっぱり泣きそうな顔で、その指先が震えるのが見えるんだ。
上手く梵さんの援護してくれている泣語さん。リフカはフォカロルさんの水もアロケルさんの爪も通さない。それに合わせて拳や踵を振り抜く梵さんは、獣が如く。
翠ちゃんは零れて被弾する水の弾丸と人形を掻い潜りながら海堂さんに向かう。グレモリーさんの目は翠ちゃんと私を交互に確認していた。
どちらを先に狩るかですか。
海堂さんを見つめる。彼が指示を出す度に紫門さん達の動きが磨かれていく気がした。無駄なものを削ぎ落とすように。目的を遂行させる為に。
仲間になれば良いように操って、敵になろうとすれば屈服させるのですね。
考えろ氷雨。
優先は翠ちゃん。彼女の為に梵さんも、祈君も、帳君も、泣語さんも道を開いてくれている。
私もそれに努力せよ。それだけ考えろ。彼女なら開けた道を踏み外したりしないから。
翠ちゃんと目が合う。彼女は目の前に流れてきた水の縄を躱し、飛んでくる人形を手裏剣で撃ち落としていた。
その足は止まらない。
彼らに止めさせはしない。
翠ちゃんの
その瞬間に赤が舞って、私は人形をハルバードで叩き落としながら頼むのだ。
「ひぃちゃんッ」
「はい!」
私は床を走り出し、ひぃちゃんが背中から離れていく。
緋色のお姉さんは倒れそうだった翠ちゃんの背を掴んでくれた。
「氷雨!」
「良いから!!」
驚いた顔の翠ちゃんに言い切ってみせる。彼女は口を引き結んで頷き、ひぃちゃんは的確に水と人形を避けてくれた。
「よそ見? 余裕ね」
突如として目の前に迫ったグレモリーさん。
メス、両手、体勢、紫。
あぁ――良かった。
貴方が翠ちゃんの方にいかなくて。
翠ちゃんの体感系能力を兵士さん達は共有しているだろうか。しているだろうな。それでもいいよ。何があっても彼女を海堂さんの所に連れていくのが、口にせずとも理解した作戦だ。
前に進んでいた体にブレーキをかけ、後ろへ跳ぶ。
瞬時にリング・ダガーになってくれたりず君で、振り下ろされたメスを受け止める。両手で柄を持って腰を落として。
グレモリーさんの舌打ちが頭上から聞こえて、その向こうで海堂さんの前に滑り込んだ翠ちゃんを確認する。
彼と彼女ではやはり体格が違い、結果的にリーチも違う。海堂さんは的確に翠ちゃんの手と手裏剣を防ぎ、口は指示を飛ばしていた。
「"大琥、譲、相手を俺の所まで連れてきて"」
グレモリーさんの前蹴りを間一髪避けながら指示を拾う。
それと同時に、水からも人形からも敵意が失せた。
紫門さんも綿済さんも帳君と祈君に向かって走り込み、その姿は見えない糸に操られるように不自然だ。
「ルール変える前に頭の
「うるさい、なッ」
グレモリーさんのメスを受け流しながら後退する。耳に入ってきたのは帳君と紫門さんの声で、祈君の切羽詰まった声も鼓膜を揺らしてきた。
「ちょ、なん、怖ッ!!」
「貴方達が、言うこと聞いてくれないから!!」
「意見が合わなかったら一緒になんて進めないだろ!!」
髪の毛が数本切れて、黒が宙を舞う。内心では祈君の言葉に同意し、グレモリーさんから距離を取り続けた。
背中を仰け反らせて掌を床に着き、足を浮かせる。その反動のまま体を反転させて着地し、らず君に深く感謝した。
「ありがと」
笑顔を浮かべて、頷くらず君を視界に入れる。
りず君はより固く鋭くなってくれて、私は息を吐くのだ。
グレモリーさんがメスを投げてくる。それを鮮明な視界で確認して、軌道を見て、りず君で払い除ける。
メスは甲高い音を響かせながら地面に刺さり、グレモリーさんの瞳を見上げた。
「……その目、その顔……」
彼女が呟いてるのが聞こえる。
「……そう、そう言うことね」
眉を八の字に下げたグレモリーさんが――微笑んでいる。
何かに気づいたような彼女は私の顔を見つめていた。
瞬きをしてしまう。
その間に頬に手が添えられて、白い手袋の生地を感じていた。
「ねぇ、どうか私達を――殺してくれないかしら」
鼻の頭が触れ合いそうな距離で、泣き出しそうな顔で笑うグレモリーさん。
彼女の言葉に指先が震えて目を見開き、私の耳は音を拾うのを止めた。
静かになる。静かになった。静かになってしまった。
耳の奥で、私の心音の早鐘だけが聞こえている。
「もうね、苦しいの……苦しくて、お墓を作る手が痛いのよ」
「ぉ……墓?」
呟く声が震えてしまう。グレモリーさんは微笑んで、私の額に彼女の額が当たった。
「ごめんなさい。今のは戯言で、戯れだったわ。私はいい。私は自分でどうにかするから……麟之介を、あの子達を救ってあげて……ごめん、ごめんなさいね」
私の頬を撫でる指先はこれでもかってほど優しくて、言葉は順序を忘れたように溢れてくる。
その姿に、声に、アミーさんが重なってしまうんだ。
「"何やってるんだグレモリー、その子を捕まえて連れて来い"」
海堂さんの声がする。
途端にグレモリーさんの手が私の首を掴み、私は彼女の手を払い除けようとした。
しかしその強さは異常で、私の計り知れるところには無い。体が浮いて、足先がギリギリ付かない高さで維持される。
首が締まらないようにグレモリーさんの手を掴めば、彼女は笑い続けていたんだ。
「ッ、お前達兵士が、なんで戦士と一緒にこんなことしてんだよ! その目、その色!! おまえ麟之介にッ」
「不思議よね、不思議でしょ?」
りず君に笑みを向けたグレモリーさんが歩き出す。
海堂さんの所に連れて行かれると理解し、翠ちゃんを確認して、私は足に振りをつけた。
グレモリーさんから見て左横側にいる自分。大丈夫だと言い聞かせて足を蹴り上げたが、グレモリーさんには顔を傾けて躱された。
翠ちゃんの手が海堂さんの首に触れかけ、それを彼は遠ざける。
「氷雨さッ」
「メシア!!」
「止めろ来んな!! 祈!! 音央!!」
こちらを向きかけた二人をりず君が止めてくれる。
そうだ、私に構う必要は無い。今は全員で翠ちゃんの手が海堂さんに届くようにしなければいけない。
ひぃちゃんが翠ちゃんの背中から離れ、海堂さんの後ろに回り込むのが見える。その動きに反応する海堂さんは眉間に皺を寄せて、私はグレモリーさんに視線を戻した。
首を持たれているのに痛くないし、苦しくもない。兵士さんの白銀の髪が揺れて、奥に見える紫色の瞳が潤んでいる。
「……グレモリー、さん」
「さん、ね……貴方いい子ね、とても」
「ッ、離して、ください」
「駄目よ、それは出来ない。そうさせてもらえない。私の意思では、どうしてもね」
それはおかしい。
頭を必死に回して、オリアスさんの声を頭の中で再生する。
―― 帳もだ。お前の心に埋めた力を爆弾に変えれば、数分ともたない内に壊れるぞ
そう、そうだ、だから私達の間には上下関係が生まれている。戦士と兵士。使われる者と使う者。命を握られた者と握る者。
その関係上、私達の上に立つグレモリーさん達が海堂さんの能力にかかっていると言うのがおかしいのだ。
海堂さんの能力は十中八九、他者を操作するもの。その条件は恐らく目を見つめること。瞳の色が変われば関係は成立し、彼の言葉は絶対になる。
その能力を与えたのはきっと、一番彼の傍にいるグレモリーさんだ。
自分が与えた力にかかる筈がない。自分の牙で怪我する獅子なんていないと思う。
けれども現実は違う。グレモリーさんも、フォカロルさんも、アロケルさんも、みんな瞳が紫色だ。
彼女達は自分で海堂さんの元に下ってる。
海堂さんはひぃちゃんと翠ちゃんから距離を取り、自分の横に綿済さんの人形を向けるよう指示していた。
貴方はこの競走を兵士と戦士の戦いだと思って、綿済さん達にその考えを植え付けた。
けど、気づけよ。その倒す相手である兵士を従えさせられたという事実が既に、相手に敵意が無いという証明ではないか。
私の首を持つグレモリーさんの手に爪を立てる。
「グレモリーさん、ちゃんと話して、ください。海堂さんと。じゃないと彼は、」
「分かってるわ。この競走を壊して歩くでしょうね。乱すでしょうね……特異点になるでしょうね」
グレモリーさんの声はどこまでも優しい。優しすぎて、泣いてしまいそうになる程に。
「それでいいの。あの子の心を砕くことが出来るのは私だけ。担当兵だけ。
グレモリーさんが私を見る。
「今しかないのよ、チャンスは」
彼女は、何かを覚悟してここにいる。
目を紫に染めている。
それに気づけ、気づけよ、海堂麟之介さんッ
私は奥歯を噛み締めてりず君を握り直した。
「痛い、ですよ」
りず君を握る右手を勢いよく振り上げる。
目の前に血飛沫が舞、グレモリーさんは目を丸くしていた。
頬に生暖かい感覚が付着して、首から指が微かに離れる。その瞬間、私はグレモリーさんの胴を蹴り飛ばした。
彼女は
グレモリーさんの腕から血が流れる。切断なんてしてない。傷をつけた。少し指が離れたら良かった。
自分の内臓が震えているのを感じながら、私はりず君を構えて翠ちゃんの方へ足を動かした。
床を蹴れ、腿を上げろ、走れ、氷雨。
グレモリーさん、貴方は治療が出来る人。その流れる血の量が目に見えて減っていくのがその証拠。
自分に言い聞かせて、言い聞かせて、言い聞かせる。
鉄の匂いのする赤に慣れたくはなかったと、嘆く自分は押し留めて。
フォカロルさんの足が治っていることに安堵して。
アロケルさんの首が繋がっていることに安心して。
「"グレモリー!! 逃がすな!!"」
海堂さんが初めて大きな声を出す。翠ちゃんと目が合って、後ろからグレモリーさんの手が迫る気配を感じた。
「翠ちゃん!!」
叫んで、りず君を構える。
一瞬だけ海堂さんの意識が私に向いてるこの瞬間。
貴女の道は、私達が開くから。
私は振り返らない。
視界の隅に入ったリフカと共に、グレモリーさんの気配が遠くなる。嫌にゆっくりに見える景色は集中し過ぎた結果だろう。
フォカロルさんを締め上げたリフカ。
アロケルさんを壁から離さない梵さん。
綿済さんを羽根で地面に縫い付けた祈君。
紫門さんを竜巻に閉じ込めた帳君。
その光景を見て判断したであろう海堂さんは、ひぃちゃんと翠ちゃんからより距離を取っていく。
翠ちゃんの手裏剣が海堂さんの左手の裾に刺さり、彼の体勢が後ろに崩れた。
ひぃちゃんは海堂さんに払いのけられ、まだ動く彼の右手が翠ちゃんにも振り下ろされそうになる。
そのまま進んで、翠ちゃん。
その手は私が止めるから。
私の目が海堂さんの右袖の動きを捉えて、腕はりず君を投げ飛ばす。
投げる途中で翠ちゃんの手裏剣へ形を変えたりず君の
「盗れ!! 翠!!」
りず君の声がする。
翠ちゃんが海堂さんの懐に潜り込む。
彼女の手は海堂さんの鳩尾に宛てがわれて、背中から花の宝石が弾き出された。
輝く花が宙を舞う。
「麟之介君!!」
「麟之介さん!!」
仲間を呼ぶ声が悲痛に響く。
海堂さんの目は黒くなり、特性の花が床に落ちる音が
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