第113話 発見


「競争関係の書類……ありすぎじゃねぇか?」


「……ね」


 資料の森の中で私は苦笑してしまう。肩で九十度上を向き、ひっくり返りそうになったりず君を支えながら。ワンテンポ遅れて見上げたらず君は肩から転がり落ちそうになり、りず君とひぃちゃんが揃って受け止めてくれた。


 ありがとう。流石にそこまで腕が回らなかった。ごめんらず君。


「らず君、大丈夫? ひぃちゃん、りず君、ありがとう」


「いいえ、氷雨さん」


「らずだかんな」


 ひぃちゃんは穏やかに微笑んで、りず君は仕方がなさそうに笑っている。「探検しようぜ」とらず君に巻き付いて床に着地したりず君は、震えながら周囲を確認する硝子のパートナーを引いていた。


「気をつけてね」


「おう!」


 私の言葉にりず君は元気に返事をしてくれる。走り出した彼に慌てて着いて行ったらず君は必死にお兄ちゃんに着いていく弟のようで可愛かった。


 私は二人を見送って本棚を見上げる。


 上段付近で浮遊している祈君はルタさんに背中を掴んでもらい、髪を掻き毟っていた。彼も翠ちゃんや私と似た黒い服を纏っており、スカートではなく裾の絞れたズボンタイプ。祈君が長袖の服を着ているのを初めて見たと言うのが感想だ。似合ってる。


「多くない!? 資料!」


「ぃの、祈、僕はこう、君を持ち上げるように、出来て、ないわけなんだがぁ……!!」


「いだだだだだッ、ルタ爪!! 爪!!」


「文句言うなら落とすよ!!」


「死ぬから!!」


 ……可愛いなぁ、祈君もルタさんも。落ちないことだけ気をつけて欲しいな……。梯子あるけど使わないスタイルなんですね。


 上の方でわちゃわちゃ騒いでいる二人に癒されつつも少し心配になる。私はその小さな心配を潰す為にひぃちゃんに頼み、祈君を支える側に回ってもらった。


「ひぃちゃん」


 驚いた祈君の顔がこちらに向けられる。フードを被っていない赤と黒の髪が揺れて、私は小さく手を振ってみた。


 そうすれば祈君とルタさんは揃って頭を下げてくる。それに微笑み返し、りず君とらず君の足音を拾う私は近くの梯子に足をかけた。


 資料は様々な形があり、巻物のようなタイプもあれば本のようなタイプ、蛇腹じゃばらに折られた物や一枚の円形だけの物等があった。置かれ方は乱雑で、同じ系統の資料が同じ本棚に入れられているとスティアさんは言っていたっけ。


 思い出しながら一つ手に取り、本棚の向こうが見えるようになる。本棚に背板はないらしく白い服の裾が微かに見えた。泣語さんだ。


 挨拶をするべきか悩んでいる間に、気づいた彼は梯子を数段下りて「メシア」と顔を覗かせてくれる。私の口角は自然と上がって「泣語さん」と微笑んで会釈した。


 泣語さんは持っていた蛇腹折りの書類で顔を隠してしまう。可愛い反応だがその意味が分からず、私は近くの巻物資料を取っていた。


「どうかされましたか……?」


「……メシアのワンピース姿……尊い……」


 ……ちょっとよく分からない。似合ってると褒められたってことなんだろうか。


 聞く勇気がなくて、私は曖昧な声で「ありがとう、ございます?」と首を傾けておいた。多分これ以上なにか会話をしていたら泣語さんが梯子から落ちてしまうと感じながら。


 私は梯子を数段下りて足を引っかけ、段差に腰かける。


 しっかりとした作りの梯子は金属製で、当たり前ではあるがサラマンダーさんの炎にも耐えられる作りであるのだろうな。横に動かすことは出来るが前後にはビクともしない作りが好感が持てる、なんてね。


 私は巻物を広げて、綴られた文字を追った。


 ―― 昔昔、この世界の形があやふやで、鉱石とぬかるんだ塊しかなかった頃。小さな隙間から一つの生き物が生まれ出た。その理由は誰も知らない。ただ誰もいない世界に生まれた生物は創り出す力を持っていたのだとか。


 ―― その生物はあやふやな世界の形を整えることを始めた。そうすることによって平らな世界が出来上がった。次にその生物は世界に凹凸を作り上げた。そうすることで湖と山が出来た。生き物は世界に緑を作り、流れを作り、昼と夜を作り上げた。


 ―― その生き物に名前はまだない。名前のないそれは出来上がった世界を眺めて過ごし、自分が生まれたのと同時に出てきた赤い石には興味を抱いていた。


 ―― 名のない生物は一人ぼっちだった。一人ぼっちだった生き物は、違う世界に行けることに気がついた。気がついた名無しは近くも遠い別の世界で生きる生物を観察し、学んでみせた。


 ―― そこで生物は、自分が形を整えた世界に同じような生物を創り出した。一人は白を、一人は黒を念頭に置いて。


「……白と、黒」


 呟いて、私は文字だけの巻物に目を通していく。


 ―― 白い生物と黒い生物は名無しに色で呼ばれていた。しかし名無しは、観察する先の世界で生き物それぞれに「名」があるのだと知った。


 ―― 彼は考えた。考えて、考えて、白と黒に名前を与えることにした。白い生物には「サンダルフォン」黒い生物には「メタトロン」と。


「サンダルフォン……メタトロン……」


 呟いて、ふとその先で紙が切れていることに気がついた。裏返しても振っても文字の先が出てこない。首を捻って紙の端を見ると、付け足された小さな文字に気がつくのだ。


「コロポックルの昔話より、途中までの始まりの話……か」


 呟いて息をつく。始まりの話で途中まで。少し気になるし、これが競争に関する棚にあると言うことはつまり、この名無しの生物は創始者さんと言うことになるのだ。


 たった一人で世界に生まれた創始者さん。


 彼はどうしてこの競走をしているのか。


 この競走の目的は統治権争い。ディアス軍かルアス軍か、競争に勝った軍が次の変革の年までアルフヘイムを統治出来る。


 けれども、普通そんな大切な決め事を競走なんかで決めるか。競走で決めるにしたってタガトフルムから戦士を連れてくる理由が分からない。アルフヘイムの中から戦士を募ればいいのに。


 それでは後腐れが悪いから? この観察していたっていう世界はタガトフルムなのか? なんで日本人の子どもなんだ。サンダルフォンさんとメタトロンさん。それがまだ出会っていない最初の五種族なのか。統治と言ったって、今のアルフヘイムは統治されているなんて言えるのか。


 どうして創始者さん自身がこの世界を治めない。


 考えても出てこない答え。だから他の資料にも手を伸ばして文字を追っていく。しかし肝心の続きは見つからないし、欲しい四ヶ月目の答えも出てこなかった。


 窓から射し込む光りの色が変わっていく。段々と、段々と。それを横目に見た私は翠ちゃんに呼ばれて下を向いた。


 翠ちゃんは床に下りて一つの巻物を振っている。私は梯子を手早く下りて彼女に近づいた。


「翠ちゃん、それは?」


「今までの競走の祭壇数をグラフにしている資料よ」


 それを聞いて私は目を丸くする。翠ちゃんは両手で巻物を広げて、そこには事細かに祭壇数が点と線で描かれていた。それを誰が書いたかなんて言うのはこの際どうでもいい。


 グラフを見て気づいたのは、四ヶ月目からの急激な低下であった。


 グラフには点と線と月が書かれている。その折れ線は三ヶ月目まで上がったり下がったりなのに、四ヶ月目に入ると同時に下降の一途だ。


 しかも一つだけではない。次々とグラフを確認していくが、三ヶ月目でグラフが終わっているもの以外、全て四ヶ月目から下降して遅くても半年後には競争が終了している。


 これは何。何が起こって祭壇の数が減るばかりなんだ。


 足元に戻って来てくれたりず君とらず君を私は抱き上げる。


 翠ちゃんは祈君とルタさんを呼んで、赤い毛先の彼は近くに足を着いてくれた。集合に気がついた泣語さんも近づいて来てくれて、私達はもう一度グラフを覗き込む。


「ねぇ……これ、何?」


 酷く自信が無さそうな祈君の声に誰も返事が出来ない。


 四ヶ月目から衰退と敗北の道を辿ることを示しているグラフなんて誰が信じたいと思うのか。


 私の背中を掴んだひぃちゃんの手は不安そうに服を握り締めていた。


 その時、祈君が首から鍵を引き抜いて宝石を叩いている。現れてくれたストラスさんは斜めになった王冠を正していた。


「ストラス、どういうことか説明して」


 祈君の低い声がストラスさんに説明を求めている。私達も自然と彼を見つめてしまい、ストラスさんは言い淀むように口を開閉させていた。


「ストラス」


 もう一度祈君は担当兵さんを呼んでいる。王冠を被っている彼は目を伏せて呟いた。答えに近い言葉を。回答に足がかかった文字を。眉間に皺を刻みながら。


「……そのグラフが、答えだ」


 グラフをまた全員で見る。


「これ以上は語れない。自分で探してくれ」


 投げやりなストラスさんの声を耳にしながら。


 切られた通信と言う現実が、虚しい静寂を部屋に生む。


 このグラフが答え。四ヶ月目からの衰退。


 ―― 四ヶ月で祭壇が増えなくなるんだよ


 兄さんの声が頭の中で反響する。


 増えなくなる。


 増えなくなるから減っていく。


 増やせないから――減っていく?


 私の頭に嫌な仮定が充満する。それに耐えられなくて自分の鍵を叩けば、青い兎の被り物をした彼が静かに現れてくれるのだ。


 いつもの騒がしさはそこにない。酷く静かで、波紋の無い水面のような雰囲気。


 私はアミーさんを見つめて、彼は私の第一声を待っているようだった。


「アミー……さん」


 片言に呼んでしまう。


「なに? 氷雨ちゃん」


 柔らかな声が返される。明るいとか元気がいいとか、そう言うものではない声。彼の素が覗けるような優しい声。


「四ヶ月目で祭壇が減るのは……ルアス軍に何かあるからですか? それとも、ディアス軍に何か、あるからですか」


 確信を知りたくない。だからあやふやな問いをして、私は生唾を飲んでしまう。


 アミーさんは青い被り物の下で黙り、黙って、その表情は伺えない。


「ッ、アミーさん」


「……アミー様?」


 私の声のすぐ後に聞こえたのはアミーさんの声ではない。彼を呼ぶ女の人の声。


 振り返ればスティアさんが資料を両腕いっぱいに抱えて、それが床に転がる様が見て取れた。


 スティアさんの顔が破顔する。彼女は「まぁまぁまぁ!!」と嬉々とした表情で床に膝を着き、アミーさんに頭を下げていた。


「これは、これは!! 炎の化身、アミー様ではございませんか!! まさか戦士が現れてくれた日に貴方に会えるだなんて! 嬉しいの二乗でございます!」


 炎の化身。


 その単語を頭の中で繰り返した瞬間、目の前に青い炎が出現した。それをスティアさんは口から吐いた赤い炎で相殺する。


 焦げ臭い匂いが鼻をついた。


「その肩書きは捨てた」


 アミーさんの低い声がする。


 スティアさんは満面の笑みで「それは失礼しました!」と頭を下げて後退し、アミーさんの深いため息が聞こえた。


 見上げた映像の彼は兎の額に手を当てて、緩く頭を振っている。


「……氷雨ちゃん、僕はただのアミーだ。ディアス軍のアミー、それを忘れないで」


「……はい」


 懇願するような声に自然と返事をしてしまう。アミーさんは「ありがとう」と小さく言葉をくれて、私の問いにも答えてくれた。


「さっきの質問ね。問題が起こるのは――ディアス軍の方だ」


 そう言って身をひるがえし、消えてしまったアミーさん。


 私は橙色に染まる部屋の中で、嫌な仮定が確立されていく現実に怖気おぞけがたった。


 扉が開く音がする。


「お待たせー、全員濡れ鼠コースだったー……って、どしたのこの空気、なんか分かった?」


 間延びした声がする。それに釣られて、縋りたくて振り返る。


 私達と同じ黒の貸衣装を纏った帳君と梵さんがそこにいて、私は最初の一言を必死に考えていた。


 顔は笑わない。


 こんな時に……笑えないよ。

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