第88話 鮮血

 

 ムオーデルさん達を避けて別の道に飛び込んだ私達。


 緊張のせいで息は切れており、それを落ち着かせれば祈君とルタさんの安全を目視で確認することが出来た。


「祈君、ルタさん、ご無事で……」


「は、はい……なんとか……」


 祈君はルタさんを抱きすくめながら頷いてくれる。私はその返事に安堵して、頬から力が抜けた。


 壁に背中を預けてしゃがみ込めば、指先が震えていたのが目についてしまう。小刻みな揺れだ。それを嫌悪して両手を握り締める。


 瞼の裏に浮かんだムオーデルさん達は何を考えて祈君を追っていたのか。何故私達はこの地下に引きずり込まれたのか。


 目的は。理由は。何を求められている。何が原因なんだ。


 考えても出てこない答え。そんなものを求めたって意味が無い。だから私は意を決して立ち上がり、口の中で「よし」と呟いた。


 まずは知っている情報の共有。それをすれば、きっとなにか進展すると信じて。


 私は祈君を見て、疲れきった顔をしている彼に聞いてみることにした。


「祈君、疲れているところ申し訳ないのですが……聞いてもいいですか?」


「ぁ、はい、なんでも、俺が答えられることなら」


 微笑んでくれた祈君。最近帽子も被らなくなった彼は、何だか明るくなったと言う印象。そんな勝手な評価を口にすることなんてないけれど。


「赤黒い手に捕まった後、何があったんですが?」


「ぁー……それが……」


 祈君はルタさんと顔を見合わせてから、話してくれた。


 まず手に捕まって落とされたのが、時沼さんと私が入れられた部屋と同じような場所だと言うこと。そしてそこには、やはり上へ向かえそうな出口はなかったこと。


「最初は意味が分かんなくて部屋の中を調べたり、天井に向かって呼びかけてみたりしたんですけど……俺やルタの声って……」


 私はシュスに入った時を思い出して首を横に振る。


 祈君が必死に叫んでくれていたと気づかずにいただなんて……。


 口からは謝罪の言葉が零れていた。


「すみません、全然、聞こえては……」


「いや! 大丈夫です!! 聞こえないと思いながら叫んだだけなんで!」


 慌ててフォローしてくれた祈君。


 そうだよな。私が謝れば彼に気を使わせてしまう。それはいかん。


 考え直した私は謝罪をやめて、微笑んだ。


 そうすれば祈君は安心したように息をついて「その後は……」と、話を再開してくれる。


「なんか、一つだけ出られそうな道があったんでそこを進んでたんです。何処どこに繋がるか分からなかったけど……」


「進んでいる途中で、後ろから突然さっきの軍団が追いかけてきたんです」


 ルタさんは片翼を上げて教えてくれる。私はその言葉に引っかかり、ひぃちゃんが確認してくれた。


「突然、ですか」


「あぁ。突然、どこからとも無くだったよ」


 ルタさんは確かに肯定し、時沼さんは祈君に視線を向ける。


「突然現れたって……闇雲が落とされた部屋や進んだ廊下に横道なんて無かったんだろ?」


「だからおかしいんです」


 祈君は頭を掻き、悩むように言葉を続けてくれた。


「気配に気づくまで足音とか物音はしなかったから、てっきり壁とかすり抜けたりしたのかと思ったんですけど、ルタの羽根が当たったら切れてたし……訳わかんないんですよね」


 祈君は悩ましい顔でルタさんと同じ方向に首を傾けている。なんだか兄弟のような二人に癒されたが、今はそんな時ではないと自分に言い聞かせた。


 突然後方から現れたムオーデルさん達。私達の方には現れなかった。あそこに敵意はあったのか。この行動の意味は一体。


 私はまた一人で考えていたことに気づいて祈君に視線を戻す。彼も考え込んでいるようで、りず君達も眉間に皺を寄せていた。


 余りにも情報が少ない状況。


 アミーさんに解決策やムオーデルさん達について調べてもらうか。でもその間にまた異変が起きたら。


 あー、でも何もしないよりは。


 考えていると、不意に時沼さんの「あ、」という声を聞いた。


 隣にいる金髪の彼を見上げる。顔を片手で覆っている時沼さんは、萎みそうな声で謝罪していた。


「ほんと、悪ぃ……」


 え、どうなさったのか。


 祈君と顔を見合わせた私は、時沼さんを再度見上げる。彼は深くため息をついた後、両手を祈君と私に差し出してくれた。


 ……あ。


「俺、地上に戻れるわ……」


 時沼さんの体感系能力。


 転移。


 彼の視界に映っている範囲、もしくは行ったことがある場所へ瞬時に移動出来る力。


 祈君は「あー……」と苦笑して、私も笑ってしまった。


 申し訳なさそうに手を差し出してくれている時沼さんは、頭を垂れて今にも消えそうだ。


「ほんと、俺、なんでこう……」


「いや、いや、時沼さんが居てくださって助かりました。こうして脱出の糸口が見えたのですから」


「凩……」


 顔色の悪い時沼さんに見下ろされる。私は彼の手を握って、どうしようもなく責任感のある彼に微笑んでしまうのだ。


 背負い込まなくていいのに。自分のせいだなんて思わなくていいのに。


 思うから、私は時沼さんに伝えようと思うのだ。


「ありがとうございます、時沼さん。時沼さんが気づいてくださったお陰で、とても気が楽になりました。だからどうか、背負い込まないでいただけたらなぁ、なんて」


「……おう」


 申し訳なさそうな空気を払拭し、落ち着いた雰囲気を出してくれる時沼さん。彼は「行こうぜ」と私の手を握り返して、祈君も時沼さんと手を繋いでいた。


 時沼さんが目を閉じて私の足が浮く。


 瞬間、私の耳は何処かで響いた爆発音を拾った気がした。


 ぶれた視界の中で、閉めた扉をすり抜けてくるムオーデルさん達が映る。


 地上に着地した時、私の心臓は嫌に早く拍動していた。


 まっさらなシュスに舞い戻り、時沼さんを見る。彼は息を吐いて、りず君やルタさんは「やったー」と嬉しそうだ。


「ありがとうございます、時沼さん」


「あぁ、なんか危なかったな」


「ありがとうございます。ムオーデル達、扉、すり抜けてたなぁ……」


 祈君はため息を吐いて、時沼さんは「そうだな」と、嬉しそうに空を飛んでいるルタさんを見上げて頷いていた。


 透き通る空に、まだ橙色は混ざっていない。


 それを確認し、私はシュス唯一の景色であるお城へと目を向けた。視線は見渡せる限りを把握し、そして気づく。


 何処にも見えない黒。


 その事実に胃が締め付けられた。


「……帳君……? 翠ちゃん……細流、さん?」


 呟いて、私はもう一度見える限りを確認する。


 大切な仲間の姿は、何処にもない。


 危険、何かあった、無事、安否、なんで。


 三人は強い。待って、置いて行かれ。


 いや待て。


 見捨て。


 違う、そんな訳、違う、違う、違う。そんな筈は。


 危険、怪我、怪我、ッ、苦しい。


 湧き出る泉のように頭の中を埋め尽くす不安に吐きそうになる。


 この感覚と不安がしんどくて嫌なことばかり予期してしまう。ふざけんな、違う、違う。


 置いていかれた。優先は生贄だもの。


 なんで、そんなわけ。だって仲間で、みんなでここまで。


 吐き出せない苦しさが私の足を地面に縫い付ける。足先まで土に埋まったような、身動きの取れない気持ち悪さ。酷い眩暈を起こしそうな現実を私は見ないことにして、前を向いた。


 悲観はいけない。何も見えなくなってしまうから。だから自分のネガティブな思考に侵されるな。不安に侵食されるな。心配で埋め尽くされるな。


 それらは全て私を縛り付ける鎖にしかならないと、学んできたでは無いか。


「……細流さん、達は?」


 祈君も気づいたように呟いている。私は不安の色で顔を染めた彼を見て、言葉を探すのだ。


 大丈夫。


 いいや、そんな言葉は嫌いで、何の意味もここでは持たない。


 置いていかれてしまったかも。


 どん底に突き落とす言葉を言ってどうすんだよ馬鹿。


 探そうか。


 そう、こっちだ。これだ、これがいい。


「探して、みましょうか」


 私は引っ張り出した言葉を口にする。


 降りてきたルタさんを抱いた祈君は、弱くも首を縦に振ってくれた。


 私は努めて笑い、祈君の肩を柔く叩いておく。


 肩に力が入っていた祈君は呼吸が落ち着いたように見える。赤い前髪の向こうから覗いた目と視線が合うと、私は自然と微笑んでいた。


「あの城とかにいるかもしれねぇぞ」


 祈君と私の背中を穏やかに押してくれる時沼さん。見上げた彼は無表情ながらも、穏やかな空気を纏ってくれていた。


 りず君は「そうだよな!」と大きめの声で頷き、ひぃちゃんも笑ってくれる。


「行きましょうか」


「うん」


「さっきでっけぇ音もしたし、梵が何かしてんのかもな!」


 りず君は私の背中を押す言葉をくれる。ひぃちゃんは首に尾を巻いてくれて、私の不安は薄れていった。


 そう、そうだ、勝手に後ろを向くものでは無い。不安がって悲観するのは、全てやり尽くした後で良いんだから。


 祈君と私は再び時沼さんと手を繋いでお城の近くに転移させてもらう。お礼を言えば、時沼さんは頬を掻きながら苦笑していた。


「凩といるとすげぇお礼言われて、俺が良い奴みたいに錯覚すんな」


「え、そんなにお礼を言ってますかね……と言うか、時沼さんは良い方ですよ?」


 自分では思っていなかったことを言われ、時沼さんに伝えておく。


 彼は微笑みを浮かべたまま何も言わず、私の前髪を撫でてくれた。


「よっしゃ、開けるぞー」


 急に聞こえたりず君の声に驚いた私は、扉を開け始めているパートナーを見る。


 ひぃちゃんは「アイツは……」と呆れたように首を振り、行動力のあるりず君を私は頼りにしてしまっていた。


 祈君はルタさんと同化して、開いていく扉を見つめている。


 私はふと鼻を着いた腐臭に顔をしかめてしまい、瞼の裏に焼き付いた赤に鳥肌を立てた。


 地面をひたすら殴っていた細流さんが思い浮かぶ。


 拳から血飛沫が舞おうとも、地面に亀裂を入れ続けた彼が。


 何を考えているか分からない彼が見せかけた感情。


 私はその感情の結果を、目の前に突きつけられる。


 天井から吊るされている馬車達。


 あれが火の馬車なのかな。あれに乗って夜な夜な幻の種族を追うんだっけ。


 違うだろ。


 暗黒と言っても良いような城内にあるのは蝋台の明かりだけ。


 外から見ると普通だと思えていた窓は、全く日を入れない素材で出来ているらしい。


 だが、見るべきはそこではないって。


 私はゆっくりと視線を足元に下ろしていく。


 針を鋭く尖らせたりず君は過呼吸を起こしてしまいそうな息をして、私は彼の頭に何とか手を置いていた。


 ひぃちゃんの爪が肩に食い込む。それを痛いとは思わなくて、私はらず君の欠片から漏れた光で何とか自分を安定させた。


 お城の床に転がっているムオーデルさん達。


 腕や足の関節は、きっと元から、私が思う変な方向に向いているんだよな。


 ならば首は?


 首は、そんな方を向いて良いのですか。


 体はうつぶせ。顔は仰向け。


 私の頭では理解出来ない住人さんの姿は一つではなく、そこかしこに転がって、頬を冷や汗が伝った。


 床の中央に開いた大きな穴を見る。


 まるで獣が壊したような、貪欲な破壊の跡。


 私は、拳を痛いほど握り締めた寡黙な彼の姿を浮かべていた。


「――細流さん」

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