第82話 慈愛

 

 フォーンの森を抜けて、やって参りましたブルベガーの丘。淡く発光しているような美しさを纏う丘には私が初めて入ったシュスがあった。


 城塞は確かな威厳を持って丘を見下ろし、開けた周囲によって近づいた者が隠れられる場所はない。


「あそこがブルベガー・シュス・アインス?」


 帳君に確認されて、私は頷く。ルタさんは「祭壇がありますね」と、少し外れた丘の中腹に目を向けていた。


 それは私が作った祭壇。ブルベガーさん達の許可を得て建てた物。


 壊すならば住人さんと手合わせしなければいけないと考えて、予防線を張った象徴だ。


 私の願い通り壊れることなくたたずむ祭壇を見て、何故だか笑ってしまったよ。


「氷雨さんの祭壇ですね」


「うん」


「そうだったんですか」


 ひぃちゃんの声に私は頷く。ルタさんは感心するように翼を動かして、羽の音に重なったりず君の声を私は聞いていた。


「懐かしいなぁ、氷雨」


「そうだねぇ」


 自然と破顔してりず君の言葉にも頷いておく。


 どうしようもないほど懐かしいこの場所は、私が長居したくないと思った場所だ。


 あまりの温かさに動けなくなってしまいそうだったから。まだ現実を受け入れていなかった自分のどころにしてしまいそうだったから。


 思い出していれば、ふと風を切る音を耳にした。


 同時に私は、らず君の欠片が光ってくれている様を視界に入れた。


 顔をシュスの方へ向ける。細流さんも音に気づいていたようだ。


 私は彼よりも早く地面を蹴り、りず君が盾に変形してくれた。


 万全でないひぃちゃんはらず君の欠片を抱えて私の肩へ。


 あぁ、らず君。君は砕けても私達を支えてくれるのか。


 ひぃちゃんの翼からだっていた雫は止まり、私の視界は鮮やかだなんてッ


 スクトゥムとなってくれたりず君を力任せに振り、こちらに向かっていた凶器を弾き上げる。


 硬い金属音が周囲に響けば、帳君達の空気が変わったのを感じ取ることが出来た。


 さぁ――行こう。


「皆さん、手合わせが始まります。戦士と拳を交えることを望んでいる、ブルベガーさん達との」


「穏やかじゃないわね」


 翠ちゃんは凛と手裏剣を構えて、時沼さんと細流さんは軽いストレッチを。帳君の足は地面から浮き、祈君はルタさんと同化した。


「こ、殺されることは、ないんですよね?」


「はい、手合わせですから。ブルベガーさん流の挨拶らしいので、そこは心配いりませんよ」


 不安そうだった祈君に笑う。私は落ちていた凶器をむちにしたりず君で巻き取り、自分の手に掴んでみせた。


 それは斧。丁寧に磨き上げられた、触れるもの全てを切り裂く鋭利な凶器。


 あぁ、あの時も私はこれを弾いたっけ。


 目を伏せた私は斧を後方の地面に置き、深呼吸をしておいた。


 シュスの方から輝く粉塵を上げて駆けてくる六つの影がある。一人の戦士に対して一人のブルベガーさんか。


 私はりず君にハルバードになってもらうよう念じる。そうすれば、大きくなった彼は刃に変わってくれるから。私は自分を落ち着かせることが出来る。


「ありがとう、りず君」


「おう」


「祈君、翠ちゃん、細流さん、帳君、時沼さん」


 私は振り返りながら、一緒に来てくれた五人に声をかける。


 しっかりと準備をしていた彼らはこちらに視線をくれて、私はお礼を伝えていた。


「一緒に来てくれて、ありがとうございます」


「……なーにさ、改まっちゃって」


 帳君に頭を撫でられ、私は肩をすくめてしまう。駆けてくる足音は近い。


 顔を戻せば、爛々らんらんと輝く瞳を確認することが出来た。


 どのブルベガーさんよりも早く飛び出した、彼。


 なたと丸い盾を持ち、背中には矢筒、腕にはボウガンを付けた黒の毛並みが美しい住人さん。


「彼の相手は私がしますね」


 皆さんに伝えて、私は地面を蹴る。祈君の「氷雨さん!」と言う上擦った声が聞こえた。


 それに答えることが出来ないまま、私はハルバードであるりず君を体の横に引いて振り出してみせる。


 ギラつく瞳と目が合った。彼が持つ鉈とりず君の刃が交差して、強い力で弾き合う。


 澄んだ刃物の音が木霊こだました。


 私は体を横へと飛ばし、彼も地面を滑りながら反対側へと飛ばされる。


 他の五人のブルベガーさん達は足に力を込めて急停止。


 荒い息遣いが聞こえて、私と対面している彼は力強く言葉を吐いていた。


「我が名はカウリオ!! ブルベガー・シュス・アインスの、現七日間の王である!!」


 あの日の透き通る青空を思い出す。


 初めて流した血を見て、痛みにもだえて、手足が震えて、その気迫に押し負けそうになった――私の初めての戦いを。


「その纏う衣の色からそなたをディアス軍の戦士と判断し、ここに我との手合わせを申し込む!!」


 同じ声、同じ名前、同じ口上、違う現状。


 帰りたいと思った。


 死にたくないと願った。


 生きていたいとすがった。


 だから祭壇を建てると、生贄を集めて殺すのだと、決めたではないか。


 それを忘れるな、凩氷雨。


 兄のことも、友人のことも、業火のシュスも、砕けた心も。全て忘れず、抱えて進み、答えを導け――弱虫。


 私は自分に言い聞かせて、口角を上げてみせた。


「私は、ディアス軍、心獣系戦士、凩氷雨と申します!!」


 ハルバードを構えて、カウリオさんを見つめてみせる。戦闘態勢を維持した彼の武器が輝き、私達は同時に口を開けていた。


「いざ!!」


「尋常に!!」


「「参る!!」」


 言葉を吐き出し、地面を蹴る。


 腕はうずいて足は軽い。


 他のブルベガーさん達も帳君達に向かって駆け出し、私はそれを視界の端に拾っていた。


 りず君を何の容赦もなく振り下ろす。


 カウリオさんはそれを鉈で力強く受け止め、横から盾での殴打がやってくるのが見えた。


 あぁ、懐かしきかな。それを受けて、私は初めてコメカミから血を流したんだ。


 勝手に笑う私は、顔を後ろに引いて殴打をかわす。それと同時に右足を振り上げれば、カウリオさんの頬を掠めて直撃はしなかった。


 蹴りはやっぱり苦手かも。


 自分の苦手を理解していれば、ひぃちゃんの尾が腹部に回っ、勢いよく体を引いてくれる。


 目の前に叩き落とされた鉈の軌道を凝視して、私は足をしっかりと地面に着いた。


 らず君が零れないように腕で抱えてくれているひぃちゃん。そんな中、私に尾を回して躱させてくれるだなんて、貴方はやっぱり素敵で器用だ。


「ひぃちゃん、ありがとう」


「いいえ、氷雨さん」


「おい、らず落としてねぇだろうな」


「そんなことしませんよ。私は貴方とは違うので」


「んだと!?」


「喧嘩は、ッ」


 肩と手元で始まってしまった口論を耳に入れつつも、私はカウリオさんから視線を外しはしない。


 だからやってきた鉈の襲来を避けることが出来て、私は地面を滑り、りず君を一度腰の辺りまで真っ直ぐ引いた。


 その動作によって、りず君は私のこの後を察してくれる。


「ありがとう」


「任せろ」


 呟きあって、私は思い切りカウリオさんに向かってりず君を突き出した。


 カウリオさんは、ハルバードではこの間合いを埋められないと分かっている雰囲気だ。


 しかし、もしこれがハルバードで無くなったとしたら。


 りず君が長槍へ瞬時に変形して距離が伸びる。


 カウリオさんは目を丸くして、顔を横にずらすことで鋭利なきっさきを避けていた。


 黒が舞う。


 カウリオさんの瞳孔が開かれる。


 私は直ぐに、りず君をカウリオさんの顔へ向かってしならせた。


 それすらしゃがんで避けたカウリオさんは私から視線を外さない。私も彼の動きを見つめ、構えられたボウガンを見るのだ。


 手の中にりず君が勢いよく戻ってきてくれる。


 その姿は小さな盾――カエトラへと変わり、上半身に向かって発射された矢を弾き落としてくれるのだ。


 私は距離を取る為に地面を蹴り、抉った土からは光りの粒の混ざった砂を舞わせた。それはカウリオさんと私の間に壁を作り、りず君が疼く。


 さぁ、変われ。


「フットマンズ・アックス」


 使えないだなんて自分で決めた武器。しかし実際は振ることが出来た武器。


 らず君の欠片が輝いてくれる。


 りず君の姿は勢いよく変形し、私は刃を横に引く。


 自分が舞い上げた砂煙を切り裂く形でりず君を振り抜けば、カウリオさんが上空へと飛び上がった姿が見えた。


 ボウガンが見える。


 大丈夫。


 私は体勢を低くしてりず君を布に変え、ボウガンが矢を連続で発射する音を聞いた。それをりず君に沈み込んだ瞬間に振り払うことで、私は傷を負うことは無い。


 着地したカウリオさんを確認し、りず君は直ぐに薙刀へ変形してくれた。


 そのまま地面ギリギリを添わせるように、りず君をカウリオさんに向かって振り出す。空気を容赦なく切る感覚がして、重たい刃をカウリオさんは前方に跳躍して避けていた。


 鉈が彼の腕から投擲とうてきされる。


 それを躱してカウリオさんを見れば、彼はすぐそこへと迫っていた。


 しま、ッ


 理解する前に首を捕まれ、ひぃちゃんが飛び、私の背中が地面に強く打ち付けられる。


 呼吸が一瞬乱れたが、ダガーナイフになってくれたりず君をカウリオさんの首元に添わせるのだ。


 ひぃちゃんが少し離れて着地する。


「凩!!」


 切羽詰まった時沼さんの声を聞きながら、私の額にはボウガンの発射口が突きつけられた。


「氷雨!!」


 翠ちゃんの声がする。


 地面を這う風を感じる。


 細流さんを翻弄する住人さん。祈君の羽根を諸共しない住人さん。瞬間的に見える範囲に移動する時沼さんに容赦なく追いつく住人さん。


 皆が皆強い――ブルベガーさん。


 帳君の風に捕まらないブルベガーさんを視界に入れた私は、肩から力が抜けてしまった。


 カウリオさんを見る。


 彼の目は私を食い入るように見下ろし、そして不意に――細められるのだ。


 あぁ、変わらない色だ。


 優しく私の背中を押してくれた王様の目。


 私も微笑んで、カウリオさんはボウガンを引いてくれた。


「手合わせそこまで!!」


 王様の声が響き、ブルベガーさん達は一斉に相手をしていた戦士から離れる。


 祈君や翠ちゃんは肩で息をして、カウリオさんは私の上から退けてくれた。


 黒い手が差し出される。


 私はそれを掴んで立ち上がらせてもらい、カウリオさんを見上げた。


「腕を上げたね、ヒサメ」


 穏やかな低さを持った声が降ってくる。


 私は「恐縮です」と頭を下げ、自分に駆け寄ってくれる足音を拾った。


 見れば翠ちゃん達がこちらへ駆け寄っていて、私の胸の奥が温かさを感じている。


「氷雨、無事ね?」


「はい、翠ちゃん達も――」


 確認する前に頭を思いっ切り叩かれて「あぃッ!!」と変な声が漏れる。その流れで翠ちゃんに頬を挟まれ凄まれた。


「何が手合わせよ」


 ひぇ……。


「殺し合いじゃんあんなの」


「冷や汗……めっちゃ出ました」


「強かった、な」


「怪我ねぇな? 凩」


 帳君達の反応を聞きながら頬は離され、私は時沼さんに頷いておく。彼は見るからに安心したと言う空気を出してくれて、不意にカウリオさんの笑い声が響くのだ。


「っはっはっは!! すまないね、これはブルベガー流の挨拶なのさ、戦士の子らよ」


「こんな挨拶毎回されてたまるか」


 帳君は呆れたように息をつき、カウリオさんに笑っている。器用だ。


 王様は「すまないね」と笑い、その大きな手は私の頭に置かれた。


「初めてヒサメが来た時と同じ反応だね、彼らは君の仲間かい?」


「はい、そうなんです」


 カウリオさんの問いに何度も首を縦に振る。「そうかそうか」と嬉しそうに頭を撫でてくれた王様は、やっぱりどうして優しいのだ。


「もう一人ではないんだね、ヒサメ」


 言われて、顔を上げる。


 そこには慈愛に満ちた顔をするカウリオさんがいて、私は泣きたくなりながら笑っていた。


「はい」


「それは良かった」


 初めてアルフヘイムへ来て、初めて出会った住人さん。


 カウリオさんは何も変わらないまま私を覚えてくれており、仲間が出来たことも喜んでくれた。


「髪も切ったんだね、可愛らしい」


 カウリオさんは私の髪を掴みながら褒めてくれる。照れますがな。


 はにかんでしまえば、ヤマアラシに戻ったりず君が私の腕にすり寄って、ひぃちゃんは肩に留まってくれた。


「お久しぶりです、カウリオさん」


「よ、元気かー」


「あぁ、久しいね、元気だよ。君達は……」


 ひぃちゃんとりず君が挨拶をして、カウリオさんの言葉が止まる。


 それからゆっくり私のパートナー達を撫でてくれた彼は、陰りを見せた顔で笑っていた。


「たくさん努力したのだね」


 カウリオさんは二人の変化をうれいている。


 私は黙って笑い、輝きを止めたらず君の欠片を見るのだ。そこに変化は見られない。


 目を伏せれば、カウリオさんに再び頭を撫でられた。


「聞いたよヒサメ。君は悪を探しているんだね」


 それに私は目を見開く。見上げたカウリオさんは誇らしげで、私の口からは「どうして……」と零れてしまうのだ。


 どうして貴方がそれを知っているのか。カウリオさんと出会った時、私は生贄について何も覚悟出来ていなかった。決められていなかった。


 不思議だから聞き返せば、カウリオさんは私の後ろに視線を移動させていた。


 それに釣られて振り返る。


 居たのは、一人のガタイのいいブルベガーさん。


 帳君と手合わせをしていた素早き人。


 彼はこちらに近づくと、私、翠ちゃん、細流さん、帳君へと視線を順に巡らせて、また私へと目を向けてくれていた。


 あぁ、貴方は――


「私がカウリオに教えたのさ。ウトゥック・シュス・ノインでは、君達が我々を自由にするきっかけをくれた。本当にありがとう」


 頭を下げたその人。


 鎖に繋がれていた、あのブルベガーさん。


 目の前でウトゥックさんの首が飛ぶ光景がフラッシュバックする。そこで両手を赤に染めていたのだ――目の前の彼だ。


 鎖が解けたことを天を仰いで喜んでいた、あの人だ。


「あそこにいたんだ」


 帳君の風に体を引かれ、肩に腕を回される。ブルベガーさんは頷いて、祈君とルタさん、時沼さんの頭の上には疑問符が見えた気がした。


 翠ちゃんは「後で話すわ」と伝えている。きっと思い出したくないであろうことだから、私が後で話そう。


「改めて、私はドゥース。カウリオの弟さ」


「弟!?」


 りず君の声が響き、私も唖然としてしまう。


 奴隷だったブルベガーさん――ドゥースさんは笑い、カウリオさんは弟さんの肩を軽く殴っていた。


「コイツが行方知れずになって数年経っていたんだが、まさかウトゥックに捕まっているとは思わなくてね。突然帰ってきたと思ったら、三体の心獣を連れた戦士に救われたと言うじゃないか」


「ひぇ……」


「変な縁ですね」


 口から変な声が零れてしまい、私の頭に移動したひぃちゃんが呟いている。それに私は内心で激しく同意した。


「不意打ちだったんだ」


「弱いお前が悪い」


 ドゥースさんはカウリオさんに苦笑し、お兄さんは弟さんの肩を再度殴っている。兄弟かぁ……。


 私は事実を飲み込んで、帳君は話を戻していた。


「それで、あの暴動の中で知ったわけだ。俺達が悪を連れて行くって」


「あぁ、そうだよ」


 ドゥースさんは頷き、カウリオさんは私を見る。そこにある目にとがめの色はない。優しい色しか、浮かんでいない。


「優しく聡明な君が選んだ生贄ならば、誰もがそれでいいと言ってくれる」


 いつか聞いた言葉を貰う。


 どこまでも笑顔のカウリオさん。私は、橙色に変わる空を背にする彼を見つめていた。


「だから君は、君と共にいてくれる仲間を得ることが出来たんだ」


 カウリオさんの言葉が私の中に何の抵抗もなく落ちていく。


 私は息を静かに吐いて、口を結んでしまった。


「ヒサメ、良かった、私の大切な友人。君が一人で進んでいなくて、またここへ戻って来てくれて、あの日のように手合わせをしてくれて。私は君と出会えたことが、長く続く変革の年の中で最も誇らしいことなんだ」


 その言葉は、私には勿体なさすぎる。


 カウリオさんは私の頭を軽く撫でて、笑いかけてくれるから。


 らず君の宝石が夕日色に染まる。


 彼はまだ戻らない。


 不完全で脆い私は、崩れてやっと大事なものに気づくだなんて、鈍感だな。


 私は自分に呆れながら、共にいてくれる存在が愛おしくて仕方がなかった。


 らず君、ごめん。まだ君が治るほど、私は立ち直れていないけど。


 それでもちゃんと歩くから。治して進むから。


 だからもう少しだけ――待っていてね。


 私はらず君に内心で呼びかけて、少しだけ傾いた欠片達を見つめていた。



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