第61話 予兆

 

 アルフヘイムに降りた時、闇雲君の様子が何処どことなくおかしい気がした。


 酷く静かに遠くを見て、けれども確かに怒気がある。


 フードと帽子の奥の目が何を見ているのかは知らないが、ローンさん達からは外されていた。


 かく言う私も闇雲君に声をかける訳でもなく、直ぐに塩湖に視線を落としてしまったのだが。


 視線の先にあるのは濁った湖。一日経ってやって来た塩湖は水が腐り切っており、住める状態ではないことが一目瞭然だった。


 ルタさんが見てくれたところ「完全な腐り水」らしい。


 私はシュリーカーさん達がつけた大きな足跡を踏んでみる。


 思い出せば体が震えるが逃げる訳にはいかない。


 彼らの言葉の意味を知る為にも、妥協は許すな、凩氷雨。


 りず君の頭を撫でた私は花畑にいるローンさん達に目を向けた。


 人に似た姿で海豹あざらしの皮みたいな物を被ったローンさん達。彼らはお互いの手を握り沈んだ表情をしていた。


 彼らは色の悪い顔でこちらを見つめて、私の心臓が握られるような圧迫感を覚える。


 私達は彼らを救えなかった。


 ここにシュリーカーさんが来ると知っていたのに。厄災が起こると分かっていたのに。


 救う方法を見つけられないまま地面にひれ伏して、チャンスをくれたアミーさんまで裏切った。


 ――問題ない問題ない! 元気だしなよ氷雨ちゃん! シュリーカーが厄災呼ぶ所なんて初めて見たけど、怖いね〜あいつら!


 太陽が昇ったタガトフルムで、アミーさんは私の頭を撫でてくれた。気にするなと手で頬を挟まれたり、兎の額を寄せられたりもして。


 その優しさに溺れそうになると同時に、ローンさん達への申し訳なさが私の手足を重くする。


 救えなかったことを嘆くだなんて、お前は何になりたいのだよ。


 善人でも仙人でも、最強でも強固でも、神でも仏でもないお前が救えなかったと嘆いた所で、どうしようも出来なかったではないか。


 それでも私は無視出来ない。


 泣きそうな顔のローンさん達を見なかったことには出来ないし、微量でも自分にはもっと出来ることがあったかもしれないと思うから。


 自分の無力が嫌になって、何かしてあげたいと心の中で叫びそうになる。


 おごるのも大概にしろよ、偽善者が。


 誰かを思うことは悪いのか、薄情者。


 私はローンさん達を見つめて両手を握り締める。


 救えなかったと嘆く気持ちと、彼らを救うことが主目的ではないと否める気持ちがせめぎ合い、呼吸の仕方が分からなくなりそうだ。


 不意に闇雲君がローンさん達に近づいて行く。


 彼はローンさん達に何か伝えて、私の心中には確かな不安がざわめいた。


 彼の言葉は聞こえないが、ローンさん達の顔色が変わったことは確認出来る。


「氷雨」


 ふと翠ちゃんに呼ばれて口角が反射的に上がる。


 翠ちゃんは私に指輪を見せてくれた。そこでは緑色の宝石が輝いており、私は首を傾げてしまう。


「これは……?」


「私の武器の居場所を教える為に光ってるのよ。昨日シュリーカーの一人に手裏剣を刺したままだから」


 え、刺したまま?


 私は首を反対側に傾げてしまう。微かに上げ続けた口角は引きりかけて、翠ちゃんは右手を振っていた。


「アイツら、多分痛覚ないわよ」


「痛覚が……?」


 私は昨日のシュリーカーさん達を思い出し、手は髪を引いた。少しだけ頭皮が引かれる痛みは私の意識を集中させる。


 昨日のシュリーカーさん達は闇雲君の羽根も、翠ちゃんの手裏剣も、りず君の打撃も、まるで無意味だと言わんばかりに受けていたっけ。


 思い出した光景は私の背中を冷たくし、りず君が確認してくれた。


「ならアイツらの一人は、手裏剣刺さったまま走ってるっていう……」


「そういうことでしょうね」


 えぐい光景を想像してしまった。


 私の口は「ひぇ……」と零し、ひぃちゃんとらず君が震えている。


 翠ちゃんは全く気にしてなさそうな無表情だ。


「こっちとしては好都合よね。お陰でシュリーカーの居場所が分かるんだから」


「そ、そんな機能まであったんですね」


「みたいよ。万が一、回収残しがあった場合の機能でしょうね。指輪が引っ張られてる感じがあるのよ」


 翠ちゃんはそう言って手を横に伸ばしている。指輪を目で追えば少しだけ震えていた。


 視線を彼女の腰に向けると、八つのポケットは一つだけ空の部分がある。


 武器を残すという彼女の判断が私達に希望をくれた。


 私は自然と微笑んでお礼を伝え、翠ちゃんは肩をすくめるだけなのだ。


「細流さんの倍増化は、今も?」


「いいえ、一日目が終わった時には切れてたわ。その後はずっと強化なし。お陰で体力がつくわよね」


 真顔でため息をついた翠ちゃん。


 私は苦笑してしまい、ひぃちゃんが微笑んだ。


「運びますよ」


「ありがとう。ひぃ、氷雨」


 微笑む翠ちゃんに私達は頷き返す。


 そこまで話してローンさん達に視線を向けると、闇雲君も同時に振り返っていた。赤い毛先が見える。


 彼の表情はどうなっているのか、見えないながらも察することは出来た。


 彼は怒っているのだと分かる。何かを悔しがっているのではないかと推測出来る。


 自分の尺度で勝手な判断をして私は闇雲君を見つめてしまう。


 闇雲君はこちらに顔を向けると口を薄く開いていた。


 彼が何か言おうとする。


 けれどもその前に闇雲君が私の視界から真下に外れ、茶色い猫っ毛が入り込んできた。


 え、消え、?


 理解出来ないまま潰れるような悲鳴を聞き、視線の先では闇雲君が地面にめり込んでいた。


 ルタさんが慌てて飛び立ち、結目さんが少年の上に乗っている光景が出来上がってしまう。


 私の顔からは一気に血の気が失せて、胃がせり上がるような感覚に襲われた。


 久しぶりに見た結目さんは弾けるような笑顔だ。敬礼のようなポーズもしているけれど、今はそんな楽しい時ではありません。


 あ、あの、貴方って人はッ


「やっほー久しぶり、凩ちゃん」


「む、結目さ、あの、下、足、下……!!」


「ん? あ、なんだ、道理で地面が変だと思った。そんな所で何してんのさ雛鳥君」


 いや絶対わざとだろ。


 喉元まで這い出てきた台詞を何とか飲み込み、結目さんに突進しているルタさんを見た。


 黒いふくろうさんは標的の彼に避けられてしまうが、お陰で闇雲君が自由になる。


 勢いよく立ち上がった少年は、拳を握り締めて叫んでいた。


「なッ、に、しやがんだおい!!」


「ごめんごめん、小さ過ぎて見えなかったんだよ」


 どうでも良さそうな声で謝罪をする結目さん。


 闇雲君の肩は震えており、近くにいたローンさん達は若干距離を取り始めていた。


 闇雲君の空気を見たら逃げたくもなるか。と言うか止めないといけないよな、あれ。


 闇雲君が噛み付く理由は分かるし、結目さんの理不尽は通常運転だし、うぅ、胃が痛い。


 私は口角が痙攣けいれんし、隣では翠ちゃんがため息を吐く音がした。


「遊んでないで行くわよ」


 翠ちゃんの言葉は二人には聞こえなかったようで、彼女の機嫌まで悪くなった気がする。


 なんでこの人達は揃うとこうなるのか。結目さんと闇雲君を止めようと声をかけても無視されるし。


 あぁ、細流さんッ


 いつも口論を止めてくれる細流さんを思い出し、彼がいないこの状況に頭が痛くなってきた。


「おい祈!! 帳!! 喧嘩してねぇでさっさとシュリーカー追いかけるぞ!!」


「分かってるよ!!」


「名前呼ぶなって何回言わせんだよ針鼠」


 りず君が大きな声で二人に言葉を届けると、頭に血が上っているであろう闇雲君と、笑顔でドスの効いた声を発した結目さんが同時にこちらを向いた。


 あ、怖い。


 私の背筋を冷や汗が流れ、りず君とひぃちゃんの深いため息が聞こえてきた。


 * * *


 シュリーカーさん達が向かった方へ翠ちゃんの指示で進んでいく。私は翠ちゃんを久しぶりに抱いて飛行した。


 細流さんにはヴァラクさんがエリゴスさんを通じて場所を伝えてくれている。


 シュリーカーさんの目的地だと思われるのは――ムリアンの岩石地帯。


 蟻のような見た目のムリアンさん達が周辺シュスの為の鉱石を発掘する場所で、シュスは一つだけ。


 一直線に岩石地帯に向かっていると思われるシュリーカーさん達は、今度は一体何をするのか。私では到底予想が出来ない。


 そして同時に、昨日のシュリーカーさんの言葉が頭にこびりついて離れない。


 アミーさんにも伝えたが、彼もシュリーカーさんの言葉の意味を汲み取れず謎は深まっただけだ。


 そのたった一言が私に迷いを与えるから嫌になる。


 シュリーカーさん達について考えていると、映し出されていたヴァラクさんが聞いてきた。


「氷雨ちゃん、アミーは目を使ったんだってね」


 私の心臓が反応する。


 拍動を早くしながらヴァラクさんを見返すと、彼は目を伏せていた。


 私はそんな彼を見ながら、何とか返事をしてみせる。


「はい、そうです……」


「……そうか」


 ヴァラクさんは一言だけ返事をし、後は何も言わない。


 私はその先を聞くのが怖くて、いつもと変わらなかったアミーさんの姿に口を結ぶのだ。


「終わったことには何も言わない。氷雨ちゃん、アミーを頼むよ」


 言葉を残して消えてしまったヴァラクさん。


 私は目を見開いて、口の端が変に上がってしまった。


 翠ちゃんが私を見上げている気がしたが、今何か問われても上手く答えられる気もしない。


 私は一瞬だけ目を伏せて、ひぃちゃんは速度を上げてくれた。


「氷雨、今はシュリーカーだ。アミーのことは今度聞くぞ」


「……うん」


 肩に捕まっているりず君が私に頬擦りしてくれる。私は頷き、先を行く闇雲君を見た。


 黒い翼で音もなく飛行する彼は、ただ一心に前を向いている。


 フードが取れて見える横顔は緊張しており、私の不安は加速した。


 闇雲君は――シュリーカーさんを捕まえる気があるのかどうか。


 ディアス軍の戦士として、私達と行動を一緒にする人として、彼は条件を飲んで生贄を選んでくれる筈。


 けれども今の闇雲君から見える怒りは行き過ぎていて、私には殺意にすら感じられてしまう。


 肌を刺すような空気と、視界が狭まってしまっているような表情。


 ローンさん達に彼が何か言った時、住人さん達の目に期待と怒りが浮かんだ気がしてならないのだ。


 不意に髪の一部が引かれて意識が結目さんに向かう。


 並行して飛んでいた彼は笑顔で、それでも感情の乗っていない声を零すのだ。


「雛鳥、今日駄目かもね」


「駄目……ですか?」


 結目さんの笑顔の理由が私には分からない。


 駄目ってなんだ。雛鳥とは闇雲君。彼の何が駄目だと言うんだ。


 自分もどこかで分かっている気がするのに、私は結目さんに聞き返してしまう。結目さんは「あいつさ」と平坦に教えてくれた。


「他人に心を削り過ぎだよ」


 結目さんの目に少しだけ嫌悪の色が浮かんだ気がする。


 しかしその色は直ぐに無くなり、私を見る茶色い瞳は感情を見せてはくれないのだ。


「まぁ、凩ちゃんにも言えることだけどさ」


「ぇ、そうでしょうか……?」


「無自覚かよウケる」


 髪を風に引かれて苦笑してしまう。


 私が他人にいつ心を削ったのか。確かに心配はすれど、心を削って渡した覚えはない。


 器用な結目さんはため息をつきながら笑う。その目は闇雲君に向いていた。


 私も赤い毛先の彼に意識を戻して目を細める。


 心を削る闇雲君。彼がこの数日間、被害を受けたシュスを見る度に怒っていたのは感じていた。


 それが昨日の夜は確かに表に出て、焦りとなって彼の足に絡みつく。そんな気がしてならなくて、闇雲君の背中が私には遠くに見えた。


「不安定は氷雨と似てるのよ」


「私に?」


「えぇ」


 翠ちゃんの言葉に首を傾げてしまう。


 闇雲君と私が似ているとは思ったことも無いのですが。


 翠ちゃんは前を向いて教えてくれた。


「貴方達は二人とも、頭が良いのに心配ばかりする消極的な子でしょ。それでも正義感はある。違いと言えば、一歩引いて考えることが出来るか出来ないかよ」


「お、おぉ……なんと」


 急に評価されたと言うか、なんと言うか。


 私は緊張しつつ頷き、翠ちゃんは続けていた。


「不安定は恐らく、被害を受けてきた住人達の痛みに触れすぎたのよ。何とかしなくてはいけない、シュリーカーを捕まえなければいけない、あれらは悪で間違いない。まぁ、タガトフルムでも何かあって、その鬱憤うっぷんが溜まっているのも確かでしょうけど」


「タガトフルムでも?」


 私の頭では闇雲君の言葉が回っていた。


 ――……凄くないです。俺より兄貴の方が頭いいし、俺は別に……


 私は闇雲君を見つめてしまう。


 一人先へ先へと行こうとする彼に、今の私達の声は届く気がしない。


 彼の感情がどういった原因でそこに溜まっているのかも知らないし、彼がどうなりたいのかだって私には分からない。


 それでも褒められ慣れていない闇雲君を見ていると、いつも不安になってしまうから。隠れて遠ざかろうとする彼が心配になってしまうから。


 お節介も大概にしろと言いたいが、折角チームになれた彼を放っておくなんて出来る訳もない。いつも言葉は空回りしてしまうけれども。


 私は闇雲君を見つめて、ふと開けた地面を見下ろすのだ。


 一面茶色い土地と所々に存在する岩石の山。中心であろう場所にはこじんまりとしたシュスがあり、私の視線は周囲に広げられた。


「ッ!! シュリーカー!!」


「闇雲君!」


 突然叫んで飛び出した闇雲君。


 私は彼が突き進んだ先を見て、灰色の影が岩石の山を登る光景を見た。


 ひぃちゃんが一瞬迷った後に飛んでくれて、私は奥歯を噛んでしまう。


 砂煙を上げながら岩石の山を進むシュリーカーさん達は、また目を塞いでいた。その内の一人に翠ちゃんの手裏剣が刺さっているのを見つけてしまう。


 彼らは地団駄じだんだを踏み、また叫ぶのだろう。


 昨日のような恐怖を撒き散らして、そこにいる全ての人に逃げたいという本能を植え付けて。


 私は翠ちゃんを抱く腕に力を入れて、結目さんに言われてしまった。


「凩ちゃん、迷ってるよね」


 確信を突かれる言葉に心臓が跳ねる。


 私は目を見開いて、結目さんに視線を向けた。彼は綺麗に笑っている。


「――シュリーカーを捕まえるの」


 私の中にあった迷いを言葉にされる。


 私は口を何度か開閉させた後に、視線を下に向けてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る