第62話 真理

 

 祈が見つめるシュリーカー達は、輝く砂煙を上げながら岩石の山を登っていた。両手で目を塞いでいる彼らは今にも叫び出しそうな空気を纏っている。


 奥歯を噛み締めた祈は漆黒の翼を風に乗せた。


 シュリーカーの姿を見たからか、岩石地帯の間を走り去る影がある。


 蟻のような姿をした住人――ムリアンは危機を感じてシュスを捨て、岩石地帯を即座に離れる決断をしたのだ。


 シュリーカー達は岩石の頂上を目指している。彼らが揺らす地面の所々で黄色い花が揺れ、空には暗雲が立ち込め始めた。


 祈は顔を歪めながらシュリーカーより先に頂上へ着地する。


 少年は翼で一度自分の体を隠して呼吸を落ち着かせた。帽子の奥の目は、急停止して登山を止めたシュリーカー達を見下ろしている。


 妖精達は手を下ろし、巨大な瞳で祈を見上げた。翼を広げた戦士は口を一度強く結んだ後、肺いっぱいに吸った空気を叫び出す。


「俺は、お前達の一人を生贄にするッ!!」


 それは宣誓。


 鳥の足で力強く地面を掴み、少年は決意を言葉にする。


 脳裏をぎるのは泣いていた住人達の姿だ。


 祈の頭に血が上る。顔は熱を持って心拍は上がり、声は鋭さを秘めていた。


「厄災を起こされた人達の気持ちが分かるか!? 家を壊されて、怪我して、辛いことしかないのに……ッ、なんでそんな酷いことするんだよ!!」


 祈は羽根を零し、容赦なくシュリーカー達に打ち付ける。


 妖精達は膝を曲げてその刃を受けきると、空を見上げて目を塞ぐのだ。


 赤い舌が少年の目に映り込む。空を覆う黒雲からはとどろきが零れ始め、祈は反射的に顔を上げた。


 黒い雲の中で光るもの。


 それは祈の体を震わせる。


 けれども逃げはしなかった。


 少年は右足を思い切り地面に叩きつける。


 逃げることは誰でもない自分が許さないと、彼の目は言っていた。


「厄災なんて呼ばせねぇよッ!! シュリーカー!!!」


 祈は地面から飛び立ち、漆黒の羽根を降り注ぐ。地団駄じだんだを踏み始めたシュリーカー達は羽根の刃など歯牙しがにもかけないが。


 祈はその姿に苛立ち、妖精達の口からは甲高い奇声が上げられた。


 不快になる悲鳴と地をとどろかせる足踏みは、その場にいることすら許さない空気を発している。


 不意に、揺れる地面の各所で爆発が起こった。


 祈は突然のことに驚きはしたが、それでも羽根を打ち付けることを止めはしない。


 彼の頭上では雷鳴が響き、薄暗くなった周囲を照らしていた。


「ふざけんなッ、やめろ!! ハベトロット達のシュスみたいに雷の雨でも降らせる気かよ!!」


 強い言葉とは裏腹に祈の視界が滲んでしまう。鼻の奥は痛み、少年の呼吸が荒くなった。


 祈の声を掻き消しながらわめき散らすシュリーカー達。揺れる地面では爆音が響き、煙が上がり、黒雲は厚くなるばかりだ。


 祈は肩で呼吸を始めて頭痛が生まれる。


「なんで……ッ」


 少年は答えを貰えない問いを繰り返し、視界が滲む。


 再び翼から零れた羽根はシュリーカー達に降り注がれた。


 それを妖精達はやはり避けることはなく、祈は目眩を覚えるのだ。


 自分では厄災を止められないと。


 コイツらに言葉は通じないと。


 それなら、それならば――


 祈の目に怒りが強く浮かび出る。


 彼は地面に足を着いて翼に集中し、硬度を上げていった。


 より鋭く、より強固に。


 叫ぶことを止めない妖精達を黙らせる為に。


 祈の研ぎ澄まされた刃がシュリーカーに向いた時、一人の妖精が戦士の方を見ていた。


 雷がとどろく。


 爆発は収まらない。


 見開かれたシュリーカーの目は祈を映し、戦士の目には――確かな殺意があった。


 誰かを悲しませる妖精に二度と厄災など起こさせない為に。同時に、自分の声を聞かない誰かに対する憎しみを持って。


 祈を見ていたシュリーカーは地面を強く蹴り、少年に大きな手を伸ばす。


 祈は臆することなく翼をはためかせ、無数の刃は迫る妖精へと打ち出された。


「待てッ!! 祈!!」


 祈とシュリーカーの間に入る茶色く大きな盾と、パートナーの少女。


 祈は目を見開き、盾を超えてシュリーカーが跳び上がる姿を見た。


 黒い刃は茶色い盾に直撃する。


 祈の背中を冷たい汗が流れ、体の末端は急激に冷えていった。


 何が起こったのか理解出来ない少年は、黒雲から降り注いだ雷の雨を振り返る。


 全ての動作が遅くなってしまった祈。


 目の前がまばゆく輝き、雲が晴れたのでは無いかという錯覚に襲われる。


 地面を揺らす雷鳴は少年の鼓膜を麻痺させて、彼は光りの中にある影を見つけるのだ。


 祈の真上にいるその影は大きな足を持ち、皿のように丸い目を輝かせる。


「――闇雲君!!」


 悲痛な氷雨の声がする。


 その声に答えることは出来ないまま、祈は目を閉じてしまった。


 岩石地帯に雷の雨が降り注ぐ。


 光りの矢は地面を砕いてつぶてを飛散させ、爆発を起こさせた。


 りずは瞬時に避雷針へと変身する。氷雨の手から無理矢理飛び出した彼は、少女に雷が落ちないよう離れた場所へと突き刺さった。


「こっちこいや雷ぃ!!」


「りず君!!」


 叫ぶ氷雨は雷鳴と共に目を塞いでしまう。落雷を地面へ受け流すりずの姿が見えなくなる。


 雷の雨は降り注ぎ、らずが場に似合わないくしゃみをした音を氷雨は拾っていた。


 少女は震える体を必死に否め、ひぃは翼でパートナーを守りながら目を固く閉じる。


 その体勢で暫く耐えれば徐々に雷の音は引いていき、爆発音も止まっていた。


 氷雨の額から汗が流れ、気づかないうちに止めていた呼吸を再開する。


 荒く浅く繰り返される呼吸の中で氷雨は咳き込み、ひぃは翼を広げた。


 氷雨の顎から汗が落ちる。不安げな少女の目は避雷針のパートナーを見るのだ。


「ッ、りず君!!」


 氷雨の上擦った声がする。土煙と光りの粒が舞い上がる中で。


 氷雨の視線の先で避雷針が針鼠の姿になる。


 少女の心臓は握り潰されそうな程の痛みを訴えたが、響く笑い声がその心配を払拭ふっしょくするのだ。


「はっはっは!! 俺様は何にでもなれるりずだぜ!! 暑さ寒さは関係ねぇ!! こんな雷痛くも痒くもねぇんだ!! 氷雨! ひぃ、らず!! 無事だろうな!!」


「りず君ッ!!」


 氷雨の震える声を聞き、笑っていたりずは慌てて駆け戻ってくる。


 少女の胸に飛び込んだ針鼠は鼻をひくつかせ、硝子の針鼠は再びくしゃみをしていた。


「氷雨、大丈夫か? 怪我ねぇか?」


「うん、うん、無いよ……りず君……ぁりがとう」


 泣き出しそうな氷雨の声を聞いて焦ってしまうりず。


「無茶をするんじゃ、ありません」


 ひぃは尻尾でりずの頭を撫でる。


 らずも氷雨の腕の中に飛び下りて、自分と瓜二つの相手に頬を寄せた。


 りずは恥ずかしそうに笑い、気づいたように目を見開くのだ。


「祈は!! ルタはどうした!? 無事だよな!!」


 その言葉に氷雨は頷いてみせる。彼女は顔を横に向け、りずは視線の先を追っていった。


 少女の見ている先にいたのは、ルタとの同化が解けてしまっている祈。


 尻餅をついている少年の上には、手を横に広げ――背中を焦がしたシュリーカーが立っていた。


「しゅりー……かー……」


 たどたどしく祈の口から声が漏れ、シュリーカーの首は傾いている。


 ルタは目を見開き、パートナーを抱き締めた少年は震えていた。落ちた帽子を気にすることも無く、苦しそうに眉根を寄せて。


「なん、で……お前、なんでそんなッ」


 シュリーカーは黙って祈を見下ろしている。


 他のシュリーカー達は叫ぶのをやめ、目を塞いでいた手も下ろしていた。彼らの目は戦士を庇った同胞に向いている。


 氷雨は未だに震える足を叱咤しったして立ち上がり、その横には帳と紫翠が降り立った。


 紫翠は氷雨を横目に見て、祈に視線を戻している。


「無事ね? 氷雨」


「はい、大丈夫です」


 氷雨は頷き、帳は少女の髪を風で遊ぶ。遊ばれる少女は苦笑して、駆け出すことも叫び出すこともしないシュリーカー達を一瞥いちべつした。


 少女の頭には一つの答えが浮かんでくる。それを確認したいと考えた彼女は、ふと岩肌を登ってくる影を見た。


「細流さん」


「遅、れた、すまない」


「いいえ、丁度よ」


 現れた梵は頬に着いた土埃を拭い、三人の元に辿り着く。


 紫翠は彼を見ることなく答え、半狂乱になりそうな祈を見つめていた。


 祈は頭を抱えて指を噛み、ルタは地面に足を着いて右往左往してしまう。


 紫翠は氷雨の背中を柔く押し、諭された少女は歩き出すのだ。


 地面には亀裂が入り、微かに残った花の葉や粉塵が風になびいている。


 祈は肩で息をして、整理のつかない言葉を溢れさせるばかりだった。


「わけ、わかんねぇ……なんで、どうして助けるんだよ。ふざけんな、なんで、なんで……ッ」


 同じ問いばかり繰り返す祈。


 背中を焦がしたシュリーカーは腕を体の横に下ろし、氷雨は少年の背中に手を添えた。その温度に祈は驚き、顔を強ばらせるのだ。


 彼の目には涙の膜が張っており、今にも泣きだしそうな表情だ。


「凩さん……コイツら……」


「闇雲君……シュリーカーさん達は、厄災を呼ぶ妖精ではなかったんだと思うんです」


 氷雨の言葉に祈は目を見開いてしまう。目の縁からは涙が零れ始め、少年は頭を抱えて少女を見上げていた。


「なに、それ……だってコイツら叫んで! 雷落として!! 塩湖だって腐らせた!! ハベトロットの綿畑は!? コイツらが呼んでないんだったら何なんだよ!!」


「呼んだ訳ではないんです。この人達は、厄災が起こる場所が分かるんです」


「そんなわけッ!!」


「闇雲君、今まで行ったシュスに


 発狂しそうな祈の肩を氷雨は支え、らずとりずは少年の肩に跳び移る。


 祈は涙を零し、自分を真っ直ぐ見つめる氷雨を凝視した。


 少年の記憶が蘇り、怪我をした住人達と、死人が出たとはどのシュスでも聞かなかったことを思い出す。


 シュリーカーを見た瞬間に住人達は逃げ惑い、シュスを手放していく。


 シュスに近づこうとすれば、シュリーカーは力づくで祈や氷雨、紫翠を投げ飛ばしていた。


 ――厄災が起こったシュスとは反対側へ。


 残ろうとする住人がいればシュリーカーは同じことをするのだろう。


 祈の呼吸は早くなり、氷雨はゆっくり少年の背中を摩った。祈は胸の中心を掻き毟り、手当をする住人達を思い出す。


 少女は少年をいたわりながら、立ち続ける妖精を見上げた。


 灰色の妖精は――とても穏やかな目をしている。


「そうですよね、シュリーカーさん。だから貴方は昨日――「よかった」って言ってくれたんですよね」


 少女の記憶が浮かんでくる。


 シュリーカーは氷雨達を見て確かに言ったのだ。安堵を感じさせる言葉を。


 その意味が氷雨には分からなかったが、今ならば理解出来た。


 氷雨の言葉を聞いた祈の喉が鳴る。


 過呼吸を起こしそうな祈の背中を氷雨は撫で続け、らずはくしゃみをしながら光っていた。


 シュリーカーは皿のような目を一度伏せてから、大きな手を赤と黒の髪を持つ少年の頭に乗せる。


 その手は優しく髪をき、祈はぎこちなく顔を上げるのだ。


「――よかった」


 低い声が零される。


 祈の目からは大粒の涙が溢れ続け、少年は顔を覆ってしまった。ルタはそんなパートナーの膝に乗ってシュリーカーを見上げる。


 帳と紫翠、梵も近づき、ふくろうは質問を重ねていった。


「……どうして、その目はそんなに大きいんですか?」


「より遠くの厄災まで見る為さ」


「どうして、口が耳まで避けているのですか?」


「より大きな悲鳴で危険を知らせる為さ」


「どうして、地面を揺らすほど足踏みするのですか?」


「より多くに恐怖を与える為さ」


「どうして、より多くに恐怖を与えるのですか?」


「その方が逃げ出したくなるだろう?」


 シュリーカーは首を傾けてルタは息を止めてしまう。それから静かに深呼吸をして、翼を畳み直すのだ。


 妖精は祈の頭から手を離し、ルタは最後の質問をする。


「どうして、叫ぶ時に目を塞ぐのですか」


 問われたシュリーカーはゆっくり自分の目を塞ぐ。


 その耳まで裂けた口は、優しい声を出していた。


「一瞬の間でも、厄災を見たくないからさ」


 その言葉に氷雨の胸が締め付けられる。


 顔を上げた祈は必死に目元を押さえていた。


 シュリーカーは手を下ろしてぎこちなく笑っている。


「殺してくれても、良いんだよ」


 祈の涙が止まる。


 少年は唇を噛み締めて立ち上がり、肩からりずとらずが転がり落ちた。


 氷雨はパートナーを両手で受け止め、地面を踏み締める祈を見上げる。悔しげな怒鳴り声を耳にしながら。


「――出来るわけッ、ねぇだろ!!」


 シュリーカーはその台詞を聞いて、穏やかに目を細めた。氷雨は祈を見つめて、少年は拳を握り締める。


「なんで言わねぇんだよ。ちゃんと、危ないってッ! そうすればあんた達は……恨まれたりしなくていいのに……ッ」


「恨まれることを、私達は何とも思わないからね」


 祈は悔しそうにシュリーカーを見上げる。妖精は自分の目を塞ぎ、裂けている口角を上げるのだ。


「私達はアルフヘイムに住む者達を厄災より守ることを誇りとしている。その伝承がどのような形に変貌していようとも、気にしないさ」


 シュリーカーの言葉は裏表の無いまっさらなものだ。


 他者を想っていると伝える声は祈の肩を揺らし、崩れそうになる。


 それを察した氷雨は立ち上がり、祈を支えて目を伏せた。


「ありがとう、心優しき戦士の少年。君の心は私達に届いていたよ」


「ッ、やめろよ、頼むから、そう言うの……」


 シュリーカーは祈の赤の毛先を指に取り、穏やかに目を伏せる。


 祈は深呼吸を繰り返してシュリーカーを見つめた。


 悪だと思っていた。誰かの幸せを踏みにじる許されざる悪だと。


 しかしそれは見える面しか見ていなかった事柄で、溜まっている鬱憤うっぷんをぶつけたい自己欲もあったのだと少年は気づく。


 氷雨が気づいてシュリーカーが言葉にしなければ、祈は相手を知っているつもりになって殺していたかもしれない。


 祈は再び泣き出しそうになる気持ちを堪えて、顔を覆い、ルタは少年の肩に留まっていた。


 帳はそんな祈を見下ろして微かに口角を上げている。


「雛鳥、答えてみろよ。俺達の生贄の条件を」


 祈は目をゆっくり開ける。それから顔を覆っていた手を下ろし、自分が飛び立つきっかけとなった条件を口にした。


「シュスの誰もが悪だと言い……俺達の尺度で測った時も悪だと言える、その人」


「そうだよ。じゃあ、お前の目の前にいる妖精はどうだ? 色んなシュスからそいつらは悪だと言われ、捕まえてくれとまで願われたけど」


 氷雨は帳を確認してから、祈に視線を戻す。


 祈の肩はか弱く揺れる。それでも、既にチームの誰もが出している答えを知っていた。


 どれだけ悪だと言われ記されていたとしても。出会って話した厄災の妖精は、背中を焦がしてまで戦士を守るのだ。


 祈は首を力無く横に振り、顔を伏せた。


「――ッ、ごめんなさい」


 その謝罪は、誰に対しての謝罪なのか。


 捕まえてくれとすがってきた住人達へ向けたものか、はたまた悪だと決めつけていた目の前の妖精に対するものか。


 知っているのは、まだ十四歳の少年だけだ。


 嬉しそうに笑ったシュリーカーは、祈に伝えていた。


「いいんだよ……それは君が背負うべきものでは無い」


 シュリーカーは涙で濡れた祈の頬を撫でる。少年の喉には酷い閉塞感が生まれたが、それを彼は無視するのだ。


 ハベトロットやローン達の願いを祈達は叶えることが出来ない。それを伝えれば、彼らにとっての次の悪は祈達になるだろう。


 願いを聞いてくれなかった戦士達を、恐らく住人達は許せない。


 シュリーカーはそれを知っているからこそ子ども達に伝えるのだ。


「恨みも悲しみも、私達が纏っていくよ。大丈夫、君達は悪くない」


 その言葉に救われるのは、祈だけでは無いだろう。


 氷雨は祈の背から手を離し、片腕に抱いたらずはくしゃみをした。


 紫翠は硝子の心獣の鼻を撫でて、らずは恥ずかしそうに笑う。氷雨は紫翠と目を合わせると、お互いに何も言わずに目を伏せていた。


「祈」


 梵が呼ぶ。呼ばれた少年は鼻を啜った後、落ちていた帽子を拾っていた。


 振り向いた少年の目は潤んでいたが、そこに怒りは見えないのだ。


「大丈夫」


 祈は答える。梵は少しだけ黙り、ゆっくり目を伏せて頷いた。祈は帽子を被り直して帳は笑う。


「ホントに大丈夫なのかな、雛鳥は」


「大丈夫だって言ってんじゃん、薄情者」


「誰が薄情者だって?」


「お前の事だよ」


 帳は笑顔で首を傾げ、祈の首に腕でフックをかける。ルタは慌てて梵の肩に飛び移り、技を決められている少年は叫んでいた。


「や、め、やめろ、よ!!」


「あーあ、お前の心が折れてたら置いていけたのに」


「あぁ!? うるっせぇな!!」


 いつも通りの小競り合いが始まってしまう。それを見て梵は首を傾け、紫翠は息をつき、氷雨は苦笑するのだ。


 祈は帳の腕を叩きながら、言葉が足りないのはシュリーカーだけではないと思っていた。


 それを少年は直すと決める。そうしなければ、守る人にはなれないのだと感じていたから。


 紫翠は呆れながら近くに祭壇を建て、生贄を捕まえられない自分達を内心で笑った。


「それは加護の環だね」


 不意にシュリーカーが氷雨に声をかける。


 少女は驚いたように目を丸くし、反射的に口角を上げた。ひぃは頷き、シュリーカーは言っている。


「雷を、この環は弾かなかったね」


「はい」


「それは何故だろう」


「持ち主を守護する力がある加護の環は……悪意ある攻撃だけを防いでくれるのだと、思います」


 氷雨は今まで、加護の環が反応した場面としなかった場面を思い出す。


 無月からの確かな殺意に対し、グローツラングは純粋な食欲。所謂いわゆる習性で攻撃をしてきたと。


 シュリーカーは頷くと、ひぃの身につけている加護の環に指を近づけた。


「だからあの雷は、悪意も善意もない自然発生的もので、シュリーカーさん達は関係ないのだと思ったんです」


 氷雨は伝え、シュリーカーの指が加護の環に触れる。


 瞬間。


 銀のリングは砕けて、ひぃと氷雨は肩を震わせた。


 甲高い音を発しながら砕け落ちた加護の環。ひぃは「そんな……」と言葉を零し、氷雨の心中がざわついた。


 シュリーカーは目を伏せながら手を下ろす。


「これを渡したのは?」


「……フォーン・シュス・フィーアの、フォーンさんです」


 氷雨の喉が渇いていく。


 不安が少女の足に絡みつき、シュリーカーは両手で自分の目を塞いでいた。


 そこに近づいてきたのは、黄色い花を一輪握った別のシュリーカー。


 氷雨はその花に見覚えがあった。


 何処どこで見たのかと彼女は記憶の引き出しをひっきりなしに開けていき、一つのピースを見つけ出す。


「その花――フォーン・シュス・フィーアに」


 らずがくしゃみをする。


 氷雨の脳裏で、白いシュスを彩る黄色い花が揺れた。


 シュリーカーは花を強く揺らす。すると突然、花弁が勢いよく爆発した。


 その威力は目を見張るほど激しく、梵は紫翠と氷雨を反射的に庇い、祈と帳の前ではルタが翼を広げた。


 氷雨の目が見開かれ、顔から血の気が引いていく。


 シュリーカーは火傷した掌を見せていた。


「これはアンリクシス――爆薬の花さ」


 それを聞いた瞬間、ひぃの翼が勢いよく開かれる。


 氷雨は目を丸くしたまま前を向き、シュリーカーは目を塞いでいた。


「――知らないわけがないよな、フォーン達よ」


 氷雨の足が地面から浮く。


 少女の顔は強ばって、ひぃは力強く舞い上がった。

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