第52話 拠所


「あんたその髪どうしたの」


「ッ、うるさい、ほっとけ!!」


 楠さんが質問して、片手で頭を隠す闇雲君。彼の髪は生え際が黒色で、毛先に行くにつれて赤く染められていた。


 そのグラデーションは個人的に綺麗だと思うのだけれど、本人は隠していたいらしい。慌ててフードを被った闇雲君は二重の目に白い肌で、中性的な顔つきをしていました。


 視界が狭まっていた先程までは、彼の帽子が無いことをを全く気にかけられなかった。カーバンクルさんを捕まえた現在は攻撃が止み、心にゆとりが出来たのが自分でも分かる。


 闇雲君は必死に顔を隠して、楠さんはフードの端を引いていた。


 私は苦笑してしまい、顔から焦りの引いた楠さんを見つめてみる。


 結目さんの読みは当たっていた。楠さんは冷静な判断が出来ていなくて、私の胸にも巣食っていた心配は確かに事実だった。


 グローツラングさんに真正面から突っ込んで行き、攻撃を避けようとしない姿勢。彼女の引きった顔は酷く追い詰められた色をしていた。


 才色兼備の楠紫翠。


 そのレッテルが努力によるものだなんて考えもしなかった。彼女が声を荒らげる姿を私は初めて見た。


 怒りを全面に出した声で、彼女自身を押し潰しそうな責任を教えてくれた。


 まだひと月程度の付き合いで、それでも楠さんは強い人だと錯覚していたのだとその時知ることになった。それが分かったから、私は自分を恥じるのだ。


 彼女は強くなかった。強がっていた人だった。強くあろうとした人だった。


 冷静に見せて――凛々しくあろうと努力していた人だった。


 その華奢きゃしゃな体にどれだけの責任を乗せていたのか。


 時間がかかっていると自分で言って、しなければいけないで自分を縛って。


 少しだけ充血していた彼女の目には涙の膜があり、彼女が潰れそうであることに気づかなかったことが申し訳なくて。


 同時に、強がる彼女が許せなかった。


 貴方は強くなければ意味が無いと言っていた。


 強くあることに価値をつけようとした。


 強さを纏おうとした。


 けれど強さは身に纏うものでは無い。その人の内側にあるものだと私は信じているから。


 何より、一人で解決するなと言ってくれた楠さんが一人で進もうとしていることが許せなかった。


 ……だからと言って頭突きしたのは大変申し訳ないけれども。


 私は楠さんに謝ろうとして「謝ったら意識抜くから」と言われてしまった。


 流石に今の状況でそんなことはしないだろうと思って笑ったが、彼女の目が本気だったので口は結んでおいた。


「で、カーバンクル作戦って何ッ!」


 楠さんから逃げ出した闇雲君がカーバンクルさんを抱き直す。


 結目さんもカーバンクルさんを抱え直して、笑顔で答えていた。


「グローツラングにとってカーバンクルは重要な奴らだと思ってさ、コイツら盾にしてたら言うこと聞いてくれるんじゃないかなーって言う、簡単に言えば人質作戦だよ。カーバンクルだからカーバンクル質作戦? 語呂が悪いからやっぱり人質作戦でいっか」


「……どっちでもいいよ、外道」


「けどそれ以外に、あの強いグローツラングを止める方法ある?」


 闇雲君が呆れた空気をかもし出して首を横に振る。


 それを結目さんは一刀両断し、腕の中のカーバンクルさんを見下ろした。


「別に取って食ったりしないから安心しろよ。俺達の体が元に戻ったら解放するからさ」


 カーバンクルさんの顎を撫でようとした結目さんだったが、指を噛まれて終了していた。


 歯型が着いた指を見て「皮剥ごうかな」なんて笑顔で言い出した彼は、ちょっと怒っているのだろうか。


 私の肩にいるひぃちゃんとりず君はため息をついて、楠さんの肩にいるらず君は不安そうな顔をしていた。


 人質作戦は正直好きではない。好きではないと言うか嫌いなことだ。誰かの大切な人を危険な目に遭わせるなんて悪そのものだもの。


 その悪に自分が成り下がることも、誰かを傷つけることも、私の心を締め付ける。


 気道を狭くして呼吸が苦しくなり、目の前が霞んで頭痛が始まる。


 けれども根本に戻れば、私は既に悪なのだ。


 誰かを殺して自分が生きようとする。私は私が一番可愛い。自分が助かりたいから今はカーバンクルさんを傷つける。グローツラングさんを苦しませる。


 ――悪は、お前だ


 分かってる。


 首が飛んだウトゥックさんを思い出し、私は目を閉じた。


 深く息を吐いてゆっくり瞼を上げる。


 狭い視界にはもう慣れた。遠近感覚は狂いっぱなし。


 私は木の影からグローツラングさんの様子を伺う。そこには三体のグローツラングさんが集まっているのが確認出来た。


 心は殺せ。本音は飲み込め。自分を優先しろ。


 仲間を――優先しろ。


 自分に念じて、一箇所に固まったグローツラングさんの威圧感に屈しないよう心掛ける。


 私達を追わずに話さなければいけない程、彼らにとってカーバンクルさんは重要なのだろう。


 グローツラングさんとカーバンクルさんの間にある共存関係。アミーさんの話を思い返せば簡単なことだった。


 目の見えないグローツラングさんの目になるカーバンクルさん。


 彼らの小さな体はこの広い樹海では隠れやすく、宝石さえあれば何処どこに獲物がいるか直ぐにグローツラングさんに伝えられる。


 グローツラングさんは獲物を捕らえやすくなり、外敵に遅れをとることも無くなるのだろう。


 カーバンクルさんにだって利点がある。強者に部類されるグローツラングさんの背中にいることで安全が貰えるのだ。


 カーバンクルさんを宝石目的で狩ろうとした誰かはまず、グローツラングさんの視線を掻い潜らなければならないのだから。


 薄暗い中にいるのはカーバンクルさん達を少しでも見えにくくさせる為。


 ここから出ないのもカーバンクルさん達の為。


 グローツラングさんをこの樹海に縛りつけるのは、あの小さなカーバンクルさん達だ。


 それを人質に出来れば攻撃が止むと読み、それは予想通りだった。


 お陰で光りの弾丸の猛攻は一旦停止。休憩出来る時間を長くは与えてもらえないだろうが無いよりマシだ。


 逆上されたら終わりだが、流石にそこまではならないと信じて動きを探る。


「返せ……」


 急に発せられた低い声。


 それは地に響くような凄みがあり、私の背中に鳥肌がたった。


 闇雲君と結目さんも肩を震わせてカーバンクルさんを抱き締め、楠さんと細流さんは目を細める。


「返せ、返せ」


「リザとサンを返せッ」


「返してくれ!」


 何かが砕ける音がする。


 見るとグローツラングさん達の目から大きな涙が零れ、それは地面に落ちる前に宝石となっていた。


 それが地面に当たって砕けている。


 彼らの泣き声は徐々に大きくなり、地面には涙の宝石が積もっていった。


 輝くそれは芝や地面を見えなくしていき、まるで輝く海にグローツラングさん達がいるように見えてしまう。


 と言うか、怒ったりするのではなく泣いてしまうのですか。


 予想外の反応に私の内心は乱れていき、申し訳なさに鳩尾が痛みを訴える。


 腹部を握り締めて私は息を吐き、結目さんを見上げた。


「ぁの、泣いちゃってますけど……」


「好都合じゃん。コイツらに泣かせるだけの力があったってことで」


 笑いながら木陰から出てしまう結目さん。私は楠さんと顔を見合わせて、後に続くことにした。


 闇雲君と細流さんも出てくれて、捕まえているカーバンクルさんはどちらも震えている。


「お探し者はコイツらですかー」


「戦士!!」


「返せ、返さんか早く!」


 声を荒らげて結目さんの周囲を宝石に変える、一番大きなグローツラングさん。


 結目さんの腕にいるカーバンクルさんは落ち着けと言わんばかりに前足を振り、グローツラングさんは気づいたように頭を振った。


 結目さんは笑顔のまま、どうでも良さそうに首を傾けている。


「別にコイツら、俺達の生贄として連れて行っても良いんだけど?」


「そ、それはッ」


「そんなこと許さんぞ!」


「生贄になど……!」


 連れて行く気も無いくせに、よくも彼は流れるように嘘をつくのだ。


 感心しながら結目さんの挙動を見つめていると、彼の横に並ぶ楠さんが視界に入った。


 彼女はとても穏やかな姿勢で、悪意なき声で、泣きじゃくるグローツラングさん達に言った。


「なら私達の体を元に戻しなさい。貴方達なら出来るのでしょう? そうすれば返すから」


「それは駄目!」


 楠さんの言葉に一瞬怯んだグローツラングさんに対し、即座に高い声が提案を却下する。


 声を上げたのは闇雲君の腕のカーバンクルさんで、その目は濁りなく言い切っていた。


「私達のせいでディア達のご飯が無くなるのは嫌!!」


「絶対嫌だ!!」


 結目さんの腕のカーバンクルさんも抗議して、前足をばたつかせる。


 どちらがリザちゃんでどちらがサンちゃんかは分からないが、二人とも小さな女の子のような声で「嫌だ、駄目だ!」と言っていた。


「あぁ、リザ、ありがとう」


「サン、なんて優しい」


 また泣き始めてしまうグローツラングさん達。


 彼らの背中に住んでいるカーバンクルさん達も泣き始めてしまい、樹海には切ない泣き声と、涙の宝石が砕ける音が響いていた。


 私はスクォンクさん達を思い出しつつ、記憶の雰囲気とはまた違う空間に寒気を覚える。


 この涙は何の涙だ。


 感動か、恐怖か。


 目の前のグローツラングさんとカーバンクルさん達に、私は言い知れない違和感を抱いた。


 結目さんは泣いているカーバンクルさんの頭を撫でて、闇雲君は酷く焦っている。闇雲君をなだめるのはルタさんだ。


「な、泣かないでよ!」


「祈、落ち着け」


「君達を食べさせてあげてよぉ、お願いだから!」


 カーバンクルさんは泣きながら訴えてくるが、流石にそれだけは頷けない。


 私は慌てる闇雲君の背中を撫でて、泣いているカーバンクルさんに視線を落とした。


 過呼吸になりそうなほど焦っていた闇雲君は、深呼吸をしてカーバンクルさんの頭を撫でている。良かった。


 肩ではりず君とひぃちゃんが「なんだ……」と呟くのが聞こえて、私は首を傾けた。


「頼む戦士、リザとサンを返してくれ!」


「俺達の体を戻したら返すって言ってるんだけど?」


「それは駄目なんだってばぁ!!」


「ご飯ちゃんと食べて!!」


「リザ、サン……」


「あぁ駄目だ、どうしたらいいんだ! 二人を救うには!」


「だから戻せって言ってんじゃん」


 どうどう巡りとはこのことか。


 結目さんがため息を吐きながらグローツラングさん達と交渉して、だが当の本人達は聞く耳を持ってない。


「私達のせいでご飯食べ損なうのは絶対嫌!」


 カーバンクルさん達の意見はこれの一点張りだ。


 私はりず君の頭を撫でてグローツラングさん達を見上げる。


 彼らはカーバンクルさんが大切だが拒否される言葉で迷っている。


 カーバンクルさんはグローツラングさんに、自分達の為に美味しいご飯を諦めて欲しくない。


 美しき友情と言っていいのか、これは。


「君達を救いたい」


「ご飯を食べて!」


「そう言うなら……あぁ、でも、もし君達が連れて行かれてしまったらどうしたらいい!」


「君達が死んでしまうかもしれないんだ! 生贄にされて!!」


「ディア達の為なら本望だよ!!」


 あぁ、やっぱり――何かおかしい。


「駄目だこりゃ」


 結目さんは肩をすくめているが、そんなに軽い状況ではない気がするのです。


 この住人さん達は何かおかしい。


 何がおかしいってきちんと言葉に出来ないが、歪むような感覚に肌を撫でられている気がしてならない。


 お互いを思う固い絆。少年漫画で言えば私達は悪役で、カーバンクルさんがヒロインで、グローツラングさん達がヒーローだろうか。


 でも、なんだ。しっくりこない。


 泣きながら「君達を救いたい」と言っていたグローツラングさん達は「君達に嫌われたくない」と言い出した。


 カーバンクルさん達は「貴方達の為に」から「貴方達の役に」と言い出した。


 待て、それはズレてないか。


 私の頬を冷や汗が伝った時、嫌に静かな声を一番小柄なグローツラングさんが零したのだ。


「死のう」


 ――は、


 私の思考が停止して、グローツラングさんを見上げる。


「死ぬべきだ」


 彼は泣きながら呟き、樹海に響いていた泣き声が止んだ。


 宝石が地面で砕ける音も止まり、一体のグローツラングさんにその場全員の視線が集まっていく。


 私の奥歯が鳴って、彼が呟いた言葉を繰り返した。


「……死ぬ?」


「あぁ、そうだ。みんな一緒に死のう」


 うつろに濁った宝石の目で、グローツラングさんは言う。


「素敵な提案だね!! ダース!」


 闇雲君の腕のカーバンクルさんは嬉しそうに肯定し、他の方々も首を縦に振り始めた。


 ダースと言う名前であろうグローツラングさんは、弱く首を縦に振って目を輝かせる。


 待て、なんでそんな所に話が飛躍した。私達はただ元に戻して欲しいってお願いしているだけではないか。


 頭の中が混乱している最中さなか、ダースさんが光りの弾丸を乱射し始める。


 それは大木も根も地面も、グローツラングさんもカーバンクルさんも、私達戦士も関係なく打ち乱れ、至る所が宝石へと変化していった。


 他二体のグローツラングさんも乱射を始め、等々私の頭は嫌な単語を弾き出す。


 ――心中


 私は腕に鳥肌が立つのを感じ、結目さんが「頭おかしいだろ」と言う台詞には心の底から同意した。


「何考えてんだよお前ら!! 俺達はただ、元に戻してくれって言ってるだけだろ!?」


 闇雲君が弾丸を避けながら叫んでいる。


 ダースさんにその言葉は聞こえたようで、彼は再び涙の宝石を零しながら弾丸を打っていた。


 それは木の枝に当たり、軋む音が微かに聞こえる。


「俺達はお前達を食いたい。だがそれ以上にリザとサンを助けたい!」


「だったら!」


「だがそれを、リザもサンも、他のカーバンクルも許さないから」


 ダースさんが頭を振って、見えたものを手当たり次第に宝石にしていく。


 隣にいたグローツラングさんの背中にも弾丸は当たり、シュスの形も変形していっているようだ。


 私は弾丸をなんとかかわしながら冷や汗を拭う。


 どういうことだよ、許さないからって。


「どういうことだよ! 自分で決めたらいいじゃん!!」


 闇雲君が若干怒りを込めた声で訴え、彼のフードに弾丸が当たる。


 ダースさんもカーバンクルさんもその声は聞いていないようで、また泣き声が響いた。


 心臓が早く痛く鼓動し始めた時、宝石が反射した太陽光によって一瞬目がくらむ。


 その出元を見る。


 グローツラングさん達の背中から宝石になってしまったカーバンクルさん達が何体も落ちて、光を反射していた。


 私はその光景に薄ら寒さを覚え、宝石になっていない足が震えてしまう。


 なんで、そんなことをする。


 ダースさんは泣いていた。


「あぁ嫌だ!! 俺達は決められない!! カーバンクル達が望むことをしていたい!!」


「ッ、何それ!!」


「大事な友達なんだ、俺達の唯一の! !!」


 私の喉が鳴る。


 鳥肌が腕に立ち、一瞬の迷いの間に地面が宝石にされ、それに足を取られて転倒してしまった。


 左手首を変な風についてしまったせいで痛んだが、今はそんなことどうでもいい。


 カーバンクルさん達が言っていた。


「ダース達は優しいんだ」


「とっても優しいんだ」


「弱い私達を守ってくれる」


「おっきくて強い、僕達の自慢の友達なんだ」


「君達の為なら、提案なら、僕達は死んだって構わない!!」


「一緒に死ねるなんてなんて素敵なんだ!!」


 ――狂ってやがる


 脳裏にその言葉が浮かび、頭に血が上っていった。


「リザとサンが嫌がることを強行して救っても、嫌われるだけだ!! 友達に嫌われるだなんて耐えられない!! だが見逃してしまえば、お前達は二人を生贄にしてしまうのだろ!!」


「それも耐えられない!! 二人が死ぬなら、俺達も全員死ねばいい!」


「一緒に死ねば、死んだ先でまた一緒に暮らせばいいんだから!!」


「あぁそうだ、そうだね!」


「私達はみんな、死んでも一緒だよ! ダース、ディア、ダドン!! ずっとずっと友達だ!!」


 心底喜ばしいと言うように。


 悲しさを無くした声が響き渡り、光りの弾丸が乱射され続ける。


 私は震えるりず君を撫で付けて、頬を痙攣けいれんさせていた。


 共存のシュスなんて大嘘だ。


 この人達はお互いに依存しているだけではないか。


 強く、見たものを宝石に変えてしまうグローツラングさん。


 彼らは少ない同胞と性質から寂しさを胸に募らせた。友達を欲しがった。


 弱く、珍しい宝石のせいで狩られる側のカーバンクルさん。


 彼らは安心出来る場所を求めてさ迷った。そしてやはり友達を欲しがった。


 目の見えないグローツラングさん達は、目になってくれるカーバンクルさん達を必要とし。


 安全で心休まる場所が欲しいカーバンクルさん達は、強く優しいグローツラングさん達を必要とした。


 その関係は共存を超えて友情に変わり、友情がいつしか抜け出せない依存に変わってしまった。


 いなくなれば泣くほどにカーバンクルさんを大切に思って、彼らの言葉を最優先するグローツラングさん。


 嫌われたくないから。友達に離れて行って欲しくないから。その一心で。


 カーバンクルさんもグローツラングさんの食欲を最優先する。


 大事な友達にお腹を空かせて欲しくないから。自分達の為に食事を我慢して欲しくないから。幸せな友達と共に居たいから。


 欠けることは身を削られる思いであって、他の何も見えなくなる。優先順位が動かせない。


 私は木の影を利用しながら移動して、それでもグローツラングさん達からは離れないよう心がける。


 ここは、共存のシュスなんて優しい場所ではない。


「――共依存」


 無意識に呟いて、その言葉こそが正しいと確信する。


 お互いがお互いを必要としすぎて、正しい判断を鈍らせる。


 本当は返して欲しいのに、大切な相手が「駄目だ」と言えば「死ぬしかない」だなんて、弱り切ってるにも程があるッ


 グローツラングさんの不規則な弾丸を、既に宝石になってしまっている右腕で受けて重さが増してしまう。


 結目さんや闇雲君はカーバンクルさんを離すかどうか考えているようだが、その考える時間すらグローツラングさん達は与えてくれない。


 地面がどんどん宝石に変わり、歩くことすら難しくさせていく。


 いや待て、この地面ならッ


 私はその地面を宝石になった左足で滑り、移動を試みた。


 スケートと同じ要領で移動をすれば、速度が上がる。速く動ける。


 何度も転けそうにはなったが、それでも一番大きなグローツラングさんの後ろに滑り込むことは出来た。


 この人達を落ち着かせる為にはどうしたらいい。


 サンちゃんとリザちゃんを返すか。いや、でも返したら返したでまた元の状態に戻ってしまいかねないし、既に遅いかもしれない。


 でも、だからと言ってこの状況を放置すれば確実にカーバンクルさんとグローツラングさんが心中、最悪絶滅するッ


「どうする氷雨! コイツら頭の螺子ねじぶっ壊れてやがる!!」


「依存し切ったせいで正常判断が出来ていないようです。もう私達の言葉は届かないでしょ……ッ」


「どうしよう……」


 りず君とひぃちゃんが叫び、私の口からは情けない声が漏れる。


 取り敢えず一度返すか? サンちゃんとリザちゃんを返したらいいのか?


 頭を掻き毟りそうになったその時、楠さんと目が合った。


 彼女はため息をつく仕草をして、細流さんがしゃがみこんでいる。


 何を始めるのか分からない私は、ひぃちゃんと一緒に二人に顔を向けた。


 らず君が挙動不審な態度で細流さんの頭に乗ってるんですけど。


 細流さんの右肩に手を添えながら、彼の右掌に左足をかけて膝を曲げる楠さん。


 細流さんは少し息を吐いて前を向き、楠さんへ向けた言葉が微かに聞こえた。


「行く、ぞ」


「頼むわね」


 そのやり取りが行われた瞬間、細流さんの右腕が微かに光り、楠さんを投げ飛ばした。


 え、投げ飛ばッ……!?


「楠さん!?」


 私の声は裏返る。楠さんは大砲の弾丸のように、一直線にグローツラングさんの首元に向かった。


 半狂乱になっていたグローツラングさんは簡単に楠さんの掌の直撃を受け、形容し難い声を上げた。


 重く渇いた音が樹海に響き、グローツラングさんの首の後ろから花の形をした宝石が飛び出してくる。


 楠さんは背中から落下して、彼女は彼を呼んでいた。


「――細流せせらぎ


「あぁ」


 滑り込み、楠さんを抱き留める細流さん。


 私は自分の方に飛んでくる花の宝石を見て息を止めた。


 楠さんを見る。地面に足を着いた彼女は私を見ているから。


 あぁ、そうだ、それしかない。


 私達の作戦は最初からそれだった。


 私は花の宝石を左手で掴み、肩を引き、楠さんに向かって投げつけた。


 利き腕では無いため軌道に不安があったが、それは確実に彼女に向かってくれた。


 楠さんは宝石を掴んで胸に当てる。


 そのまま宝石は彼女の体に馴染むように埋まり、楠さんは目を瞬かせた。


「な、何を!?」


 宝石を抜かれたグローツラングさんが叫び、楠さんを見る。


 そこで彼は自分の力が使えないと分かったようで、言葉を無くしていた。


 宝石の目が見開かれ涙が溢れ続ける。


 それを見上げた楠さんは言っていた


「借りるわよ」


 彼女の顔が私の方を向く。


 その双眼は透き通る宝石のようになっており、私達を映していた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る