デストラクション・ガール。

枕くま。

第1話 二人ぼっちのスカベンジャー。


 月明かりに照らされた草原は、むせかえるような鉄臭さに満ちていた。幾千もの屍が血と臓物を投げ出して事切れている。味方や敵兵の区別なく、皆一様に微動だにせず、折り重なって眠る様子は、当たり前のように息をしていた頃よりも、安らかで平和的に見えた。


「おい、ボサッとするなよ」


 相棒の叱責に、僕はようやく我に返る。反射的にふり返った僕に、相棒は見るからに切れ味の鈍そうなノコギリを投げて寄越した。上手く取ろうと手を伸ばしかけたが、危険意識が勝って咄嗟に手を引いた。ノコギリは、血と脂でぬめる草原の上を跳ねた。


 相棒は、嘲るように笑う。


「鈍臭い」


 乱暴な相棒に非難の視線を送ったが、おそらく月明かりの下では気付かれなかっただろう。相棒などと呼んではいるが、立場は向こうのほうが上なのだ。


 浅い溜め息に感情を忍ばせ、黙ってノコギリを拾う。持ち手の部分が不快なぬめりに覆われている。碌な手入れもしていないのだ。きれいでいる時間のほうが短いのだから、手入れなどする必要がない。


「仕事をはじめよう」


 相棒の一言で、僕らは手分けし、黙々と死体に刃を這わせていく。斧が骨を断つ乾いた音が、ノコギリが骨を削る不協和音が、遮蔽物のない草原に響く。死人に口はないが、骨は苦痛を音に変えて、きちんと悲鳴を上げるものだ。


 僕らは死体を集めている。死体は売れる。頭。手。足。各種内臓に限らず、筋肉の繊維や血管、血そのものですら金に換わる。もちろん、買い手は碌な相手ではない。そもそも、人間ですらないことのほうが多い。しかし、そんなことは金銭の前では些細なことに過ぎない。


 大金の前では、あらゆるものが霞む。


 人種。嫌悪。差別。罪悪感。


 この世には、金に換えられないものがあると言うものもいるらしい。なら、買い手は額をどんどん釣り上げてやればいい。そいつの価値観が霞むまで、幾らでも。

 金。金が欲しかった。真っ当に生きていくための金が。そのためなら、僕はいくらでも人の道を踏み外そう。


「そんなに悪いのか、妹さん」


 余程険しい顔をしていたらしい。相棒のくぐもった声が聞こえ、僕はそちらを仰ぎ見た。分厚いマスクとゴーグルをしており、相棒の表情はわからなかった。


「そんな目をするな」


 僕は開きかけた口を引き締め、また黙々と作業に没頭した。僕はいったい、どんな目をしていたのだろう? 考えたくもないことだ。そして、死体を掻き集めているような同じ穴の狢に、そんな気遣いを受ける義理はなかった。


 作業を終え、掻き集めた部品たちを積んだ荷馬車を走らせる。頬を切る風はしっとりと夜霧を孕み、そしてやはり鉄のような臭いがした。馬車に吊るした角灯の頼りない明かりへ、周囲の闇から鋭い視線が向けられているような気がする。相棒に言わせると、それは間違いないらしい。

 

 事実、戦場には僕らのような『死体回収業者』が禿鷹のように集まる。が、もちろん人外の数も相応にいる。僕らに死体の調達を依頼するような、品位を持つ人外ばかりではないのだ。


 一度、作業中に人外の一団に出くわしたことがある。暗がりの中だったので、全体をきちんと見たわけではない。しかし、無数に輝く金色の目の異様さは忘れられない。もし、全体を直視していたらと思うと、今でも背筋が凍る。


 流れていく景色を呆然と見つめる。

 

 死屍累々。

 

 こう死体の数が多いと、命の価値なども淡く霞んでしまうように思えてくる。大雨の中で、落下する雨粒ひとつひとつのことを、誰も危ぶまないみたいに。それは、途轍もなく正しくない。正しくないというのに。

 

 どうしてこう戦争が絶えないんだろう。


 それは純粋な疑問だった。国家間の諍いは激化の一途を辿っている。うちの国では、敵方の一方的な侵略とする向きが強い。事実、敵方はほとんど不意打ちのような姿勢で戦をしかけてくる。

 

 先日だって、兵をずらりと布陣した後に、いけしゃあしゃあと侵攻開始の声明文を発表して来た。こちらは明らかな準備不足で後手後手に回ったらしいが、それでも瀬戸際で止められたのは、うちの国に巣くう人外たちの膂力に依る。


「はっ」


 相棒が吐き捨てるように、短く笑う。僕の視線から、思考を読んだらしい。


「粛正だとよ、わかりやすい話じゃないか?」


 僕は返事をしなかった。相棒は構わず饒舌に続ける。


「人外と懇ろにやってる国なんか、うちくらいのもんだ。人より力が強く、人と同等以上に賢く、なおかつ人を食うような奴等。そんなのと仲良しこよしを決め込む人間。余所もんからすれば、よっぽど異様に見えることだろうさ」


 はははは。


 相棒の澄み切った笑い声が、暗闇を裂いて響く。相棒はいつの間にか、マスクを脱いでいた。釣り上がった口角が、何の憂いも持ち合わせていないことを示している。死体漁りの帰りでなければ、往来で思わずふり返る男もいるだろう。

 その時、ふと鋭い風が吹き抜けた。


「おっと」


 相棒は、飛ばされた帽子を辛くも掴む。まとめられていた髪がほどけ、長髪が風の中を泳いだ。彼女の髪は黒く、月明かりを浴びて艶やかに輝いている。手入れなどに気を遣うような輩ではない。きっと死体の脂を吸っているのだ、と僕は思っていた。


「そもそも、余所もん共は同胞の死体にいちいち感傷を抱きすぎる。死は旅立ちであり、肉体は一時の止まり木にすぎない」


「……知ったような口を聞くなよ」


 反射的に吐いた言葉には、想像以上の憎悪が滲んでいた。これだから街の人間は嫌いなんだ。人間の死を、軽く見過ぎている。まるで、人間である自分たちまで、あの人外共と同じにでもなったかのように。


「あ? おい、何か言ったか?」


 風切り音で僕の声は掻き消されてしまったようだった。声を出したのは、久しぶりのことだった。僕の声は、情けないほどに頼りなく、擦れきっていた。

 何の異もないことを、首を振ることで伝えると、相棒は納得したようだった。


「しっかりしてくれよ。換金したらお前は自由だ。あはは! しばらくは遊んで暮らせるぞ。死体刈り万歳だ!!」


 死体を積んだ荷馬車は、僕らの街へと突き進んでいった。

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