第3話 (2)佐竹 拓郎准教授

  佐竹 拓郎のもとに刑事が来たのは午後の授業がすべて済んで、自分の部屋としてあてがわれているZ89号室へ行った時だった。

 戸の前に二人の刑事が立っていた。背はどちらも拓郎より少し高いくらいだが、さほど高さの差はなかった。両方とも短髪で清潔感を感じた。

 立川と名乗った刑事のほうが先輩で、ずっと目力を感じた。ぱっと見特徴がなく、別の機会に会っても思い出せるか解らない顔だった。後輩刑事だろう青田は立川よりもずっとはっきりした顔をしていて、人気俳優の似ていた。誰だったか今だに思い出せないのだが―。

 二人の用件というのが、

「笠田准教授をご存知ですか?」

 というものだった。

「笠田? 何学部でしたっけ?」

「生物学部ですね」

「生物……あぁ、天然パーマで、根暗の? あっと、失礼。警察がそう言ってきいてくるというのは、何かやらかしたか、どうにかなったんですね?」

「何かとは?」

「あー、あの先生は……なんて言いますかね、あまりいい印象がないんですよ」拓郎は扉を開け中に刑事を案内する。

 洗練された簡素な部屋。という印象を得た。比較的新しい中校舎の―新校舎として中校舎と南校舎とが、五年前にできたばかりだという―二階にあるが、比較的、

陽の光を受けれる位置にある部屋は非常に明るい印象を得た。

 客用の椅子などなく、生徒と会議をするらしいちょっとこじゃれた楕円卓のいすに座った。コーヒーを勧め、紙コップで申し訳ないと言いながら拓郎は二人の刑事の前に座る。

「ついこの前、女生徒の腕を掴んで何か言っていてね、それを止めたんですよ。今はそうやって腕を掴んだり、声を荒げて怒鳴るとセクハラだと学校が訴えられるって。先生も大人なんだからちゃんと話し合えと」

「……それで?」

「睨まれて終わりですよ。鼻息荒く立ち去っていきましたよ」

「それはいつだったか覚えてますか?」

「一週間ぐらい前でしょうね、……何で覚えているかって? 助けた女生徒が、生物学部を辞めたい。と泣きだして、フォローしたんでね」

「どういったフォローを?」

「カウンセリングですよ。泣くほど嫌なことってそうそうないでしょう? そういう時はカウンセリングが一番ですよ」

 ―なるほど、他人に丸投げか―「ところで、今日の午前10から12時の間どこに居ました?」

「アリバイですね? 残念ながら、取材を受けていましたよ」

 そう言ってファッション雑誌を手にしてそれを叩く。

「来月号に載るそうです。出たら送りますよ」

 というのを笑顔で断る。


  立川と青田は首をすくめて佐竹の部屋を出た。


 事件一報の連絡が来たのは、昼を早々と済ませて、完結した事件の書類を書き終えたところだった。


階段から争って男性転落。即死確認。場所は、静内大学北舎三階―。


 犯人はすぐに発見されそうだった。だが、現場に行ってそれが困難だということが解った。

 大学には、一か月後に迫った学園祭の準備で人が溢れていたのに、現場となった北舎には人が少なく、その時間はたぶん被害者と犯人と目撃者のいなかったと思われる。なぜなら北舎はほとんどが使われていない教室たちで、数名の教師の個室があるが、ただ一人を除いては、教師は授業中だったという。


 現場は三階から、北舎にある時計塔へ上がるための階段―通常階段の横に作られていてる。階下へ行ける階段はない―そこから転落したものだった。

 目撃者は通常階段をのぼり、激しく言い争っている声に気づいて、廊下まで出てきて、時計塔へ上る階段のほうを見た時、笠田先生が転げ落ちてきたという。廊下に落ちた時にはすでに息絶えてしまったあとで、最後の言葉何事なども起こらず、目撃した二人の女生徒は大騒ぎをしたが、三階の先生たちの個室からは誰も出てこないので、二人して階下へ降りて行った。一階に降りてやっと人がいたので、パニックになりながらも先生たちに知らせた。ということだった。

 つまり、現場保全はされていない。

 三階から他の校舎へは行けないが、二階からなら中舎と南舎に行ける。つまり、彼女たちが現場を離れている間に、犯人はその通路を通って逃げた可能性があるのだ。

 笠田の顔は奇妙な表情をしていた。立川は薄ら笑いを浮かべたように見えたし、青田は困ったような顔にも見えたと言った。そしてその手にはラテックス手袋が握りしめられていた。

 笠田が落ち着てきた階段の上は考古学倉庫と、時計の心臓部があるきりで行き止まりとなっている。


 通常手順としてまずは現場の代表に会う。つまり、この大学の理事長だ。理事長室に行くと、理事長の静内しずない 由子よしこと統括責任者という立場にある社会科学部主任を兼務している三上 優臣ゆうじん先生がいた。

 理事長は70過ぎているらしいが、背筋が伸び、ロマンスグレーと呼ばれる髪を後ろに撫で付けたようなショートヘアーをしていた。ハリウッド女優にこういうきりっとした女優がいた気がする。まさに風貌、風格、品格ともに仰々しかった。

「理事長の静内です。こちら、統括責任を任せている三上先生です」

「三上です」

 狐だ。と思ってしまうほど、稲荷神社に居る狐そっくりだった。細い目、細い逆三角形の顔、薄い頭髪を少しパーマを当てて多く見せているような気がする。自信過剰気味で、人のアラを探しては喜んでいそうな顔をしている。

「立川と青田です。現場保存感謝します」

「義務ですから。ところで、いつまで続きますかね?」

「解決まで。としか」

「できるだけ早くお願いします。一か月後には学園祭、それと並行して論文や試験が立て込んでいて、生徒たちには結構大変な時期なんですよね、」

「できる限り早急に進めますので、ご協力を」

「なんなりと」

 と返事をしたのは静内理事長だった。ずっと三上先生が返事をするものだと思っていた青田は理事長のほうを見た。理事長はどっしりと座り、ずっとこちらを見ていた。

「亡くなった笠田准教授とはどういった人でしたか?」

 立川が切り出す。

 理事長が三上先生のほうを見た。三上先生は腕を組み、少し唸り、

「亡くなった人を、というありきたりなことを前提として、端的に言えば、嫌な人間です」

 三上先生ははっきりと言った。理事長も異論はないらしく、不快な顔も、動揺したような表情もなく頷いた。

「どうせ解りますからね、隠したって仕様がありませんからね。

 生徒ウケが大変悪い先生です。よく生徒から苦情が来て、年度途中で受講科目の変更を言いに来る生徒がダントツで多いです。理由は、とにかく陰湿だということ。気に入った生徒にはそんな態度は見せないようですが、根本的に男子生徒は嫌いで、常に、五点、十点の減点スタートをしてましたね、」

「それは、教師としてどうなんですか?」

「最悪ですよ。ですがね、笠田教授の教えている生物学科でも生物史学というのは将来に役立つようなものではないし、うちの大学でも力を入れているわけでもない。力を入れている学校に比べると、三流どころか高校レベルなんでね、生徒たちも、単位取得しやすい学科として取る生徒がほとんどなんですよ」

「つまり、生徒たちもそれを専門にしたい者がいない、先生も教える気がないと?」

「笠田先生は知識をひけらかしたい方なので、教えたがりですね。教えたくない先生は別の人に居まして、あれこそ問題ですが―あー、ともかく、笠田先生の授業は一度見ましたが、押しつけがましく、確かに男女によって当たり方の差があり、非常に判りにくく、解らないというと、馬鹿にし、間違いを指摘すると、陰湿にその後ずっと指名し続けるような人です」

 立川が眉をひそめた。

「その授業を見学していたんですか?」

「ええ、見てましたよ」

「注意とか、他の先生の前では大人しくなるとか、そう言ったことは?」

「最初の三十分はおとなしく、ごく普通の授業でしたが、三十分過ぎ辺りで、生徒の一人が、普通の授業できるじゃん。というようなことを漏らしたのに激昂して、」

「激昂? 腹が立つとか、イラっとするとか、そういう程度じゃなく?」

「怒髪天。という感じですよ。キレやすい。という問題じゃなく、人間的に問題を感じましたね。ちょっと恐怖すら。なので、言いがかりを始めた先生の前に行き、止めましたけどね、落ち着くまでの十分、二十分でしょうか、まぁ、罵詈雑言まくし立ててましたよ。こちらとしては、いくら世の中の役に立たない学問であっても、一応は教師なのだから、大学に属している以上は、大学側のことを考えろと注意をしたんですよ」

「結構、短気。ということですか?」

「短気というのには語弊がありますね。普段はどちらかと言えば、存在を忘れるほど静かですが、笠田先生の中にある何かしらのことで引っかかると、と言ったほうがいいですかね、普通なら怒りそうな、生徒のいたずらがありますよね、えーっと、例えば、背中に貼り紙をして笑うとか、授業を全員でボイコットするとか」

「そういうことをするんですか?」

「いやいや、そんなことはないですが、まぁ、いわいる、嫌がらせの類については全く無反応。どころか、いじめられっ子特有の卑屈に背中を丸める。といった対応をするんですが、ひとたび、自分の専門分野でいちゃもんをつけようものなら、」

「普段は自信がないけど、自信のあるものを馬鹿にされると。ということですか?」

「多分、そうでしょうね。でも、授業を聞いた限りでは、それほどくわしいわけではなさそうでしたけどね」

 青田が小さく苦笑いを浮かべた。

「では生徒とトラブルが多かったということですね? 先生同士では?」

「あまり打ち解けている方ではないので、飲み会などに誘っても、隅のほうにいるような人ですね。場が白けるので、あまり呼びたくはないですがそうもいきませんからね」

「特別仲がいい先生、悪い先生は?」

「良いも、悪いも心当たりはありませんよ。常に俯いていて、会議に参加しても発言はしなかったですし、郊外活動に参加はするけど、それは最低限でしたからね」

「そうですか……、先生の私物を見せてもらえますか?」

「個室がありますから、そこに全てあるはずです」


 笠田准教授の個室。Z67号室。

 中舎一階の西の端。大きな銀杏の木が窓をふさぎ薄暗い場所だった。陰湿な教師の部屋らしい気もした。

 案内役として三上先生が同行してくれて、笠田教授の部屋に入った。

 壁一面を本棚にしているそこはごちゃごちゃとした紙媒体物でいっぱいだった。ファイル名は生物学的資料らしい字が書いていたが、酷く汚い字なので読めなかった。

「これは、笠田先生の字ですか?」

「そうです。読めないでしょ? 生徒たちはその字を板書してたんでよよ。大変ですよ」

 三上先生はカーテンを開けようとするのを立川が止める。

「外から見えるので、鑑識が捜査するまでは開けないでください」

 そう言われ三上先生はカーテンから遠ざかり、鑑識やら何やらが部屋の隅々まで調べ始めた。

 部屋は一見片付いていないように見えるが、だが荒らされた形跡も見つからなかった。ただ、机の一番上の鍵のかかる引き出しに鍵がかかっていた。三上先生の承諾を得て開ける。

「随分と押し込んでますね」

 青田の言葉に鑑識が苦笑いをし、何枚もの写真を撮った後で、青田に渡す。

「何かあったか?」

 立川の問いに、青田は眉をひそめながら自分が確認した紙を立川に差し出す。

「……、随分と、恨みやすい人だったんですね」

「えぇ、だから陰湿だと言ったでしょ? そこに何か書いてますか?」

「ええ、あなたのことも書いてますね。〇日 田上 利子りこと話している時に三上が来る。えらそうな男だ。と書いてますよ」

 三上先生は鼻で笑い、首をすくめた。

「この、佐竹 拓郎とは?」

「数学科の先生です。今人気のイケメンすぎる数学者。ご存じありませんか?」

 三上先生の言葉に立川は青田を見る。だが青田も知らないと首を振る。

「まぁね、ああいう雑誌は低レベルの女子が読む本で、いやいや、なんと言いますかね、まぁ、中身がないと言いますが、うるさいだけの雑誌と言いますか、まぁ、そう言ったものに、道行くイケメン。とかいうので写真を撮られたそうでね、今日も授業で来てましたから行ってみるといいですよ」

「そうしましょう」


 ということで、佐竹 拓郎の部屋を訪ねたのだった。

 

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