それでもこの冷えた手が

西藤有染

あたし

 彼女は亡くなった。


 あたしを置いて、先にいなくなってしまった。


 彼女の勤務先から、病院に搬送されたと聞いた時は、何かの間違いかと思った。


 だが、病院に着いて目にしたものは、間違いなく、彼女ものだった。


 病院で、一頻り泣いた。

 泣いて、泣いて、泣いて。

 思いっきり泣いて気持ちの整理がつき始めた頃、医者に死因を聞きに行った。


 死因は分からなかった。


 正確には、教えてくれなかった。


 個人情報の守秘義務があるから、だそうだ。


 理不尽な怒りがふつと湧き上がる中で、同時に、当然か、と現実を受け止めているあたしがいた。


 だって、法律上、あたしと彼女は、赤の他人なのだから。


 こうやって、あたしが病院に来れたのも、会社に登録されている緊急連絡先があたしの物しか無かったから。ただ、それだけだ。


 ●

 あたしと彼女は、夫婦だ。


 しかし、現行の日本の制度では、同性同士で法律上の夫婦になることは出来ない。

 そのことがあたし達の行動を制限することは彼女の生前でも多々あったが、それは彼女が亡くなってからも変わることは無かった。


 まず、遺体の引き取りが出来ない。

 調べたところ、一応他人でも遺体の引き受けや、埋葬を行うことは可能らしい。

しかし、それは、親族がいない場合、もしくは親族が引き受けを拒否した場合だ。

 彼女の両親は、ばりばりご存命だ。あたしと駆け落ちしたことで、半絶縁状態にはなっているが、それでも心配なのか、彼女の携帯に度々着信が来ていた。

 今回の訃報はもう既に届いている事だろう。実家は遠いので、すぐには無理だろうが、時期に引き取りにくるだろう。そして、優秀な娘を誑かした悪狐として嫌われているあたしに、彼女の遺骨が渡されるわけが無い。

 

 そして、遺産の相続もできない。

 相続は基本的に親族が優先される。遺書でもあれば話は別だが、あたしも、彼女も、こんなに早く死ぬとは思っていなかったから、そんなものは当然用意していなかった。


 別にお金なんてものは欲しくはない。

 ただ、彼女と一緒に購入し、一緒に暮らした思い出の家が。彼女から貰ったプレゼントが。彼女に買ってもらった服が。彼女が身につけていた服やアクセサリーが。読んでいた本が。使っていたバッグが。化粧品が。ソファが。ベッドが。椅子が。机が。生理用品が。家電が。料理器具が。腕時計が。ファイルが。ノートが。筆記具が。コップが。お皿が。箸が。


 彼女と一緒に築き上げた、あたしと彼女との思い出の全てが、何も知らない彼女の御両親に渡るのが、この上なく不快なだけだ。


 しかし、それももうどうしようもない。今の日本では、国が決めた法律が絶対だ。従う他ない。


 ただ、例えそうだとしても、彼女のものを1つは持っていたかった。

 彼女を最も感じられる、彼女らしいもの。


 それは、すぐに思い浮かんだ。

 彼女を感じられる、あたしが大好きだったもの。


 彼女の手が好きだった。

 彼女の手の形が好きだった。

 彼女の手の大きさが好きだった。

 彼女の手の平の柔らかさが好きだった。

 彼女の手の甲の滑らかさが好きだった。

 彼女に撫でられた時の優しさが好きだった。

 触れられた時の手の温もりが好きだった。

 欲望の儘に弄られる時の荒さが好きだった。

 手の白さが。温もりが。匂いが。指の細さが。指先が。中指が。親指が。人差し指が。薬指が。小指が。爪の薄さが。爪の形が。爪の間が。爪先が。甘皮が。手相が。指紋が。拇指球が。小指球が。関節が。基節部が。中節部が。末節部が。手首が。肌が。産毛が。血管が。脈が。


 彼女の手の全てが好きだった。


 だからあたしは、彼女の手を持っていくことにした。


 その夜、あたしは病院の霊安室に忍び込み、彼女の手を手に入れた。 


 思い出の詰まった彼女の手は、赤く染まって宝石のように見えた。


 ●

 それからあたしは、彼女との自宅に戻った。


 あたしの行動は、世間一般からみたら異常な行為だ。警察が出動することは間違いなしであり、本来ならばどこかへ逃げ隠れるべきなのだろう。  


 しかし、どうしても、彼女との思い出が詰まったこの家を離れようとは思えなかった。


 おそらく、このままここにいれば、あたしはすぐに捕まり、猟奇的な事件を起こした犯罪者として、世間に晒されるだろう。


 それでもこの冷えた手が、手放せないままでいる。

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