赤界

イワトオ

第1話 片手の王子

 細い谷あいの道を一団となって進む人影。

 二十名に満たないその集団は、誰も言葉を発することもなくひっそりと歩き続けていた。

 中央に荷車を引いた人夫がおり、その前と後ろに数名ずつの武装した男達が荷車を守るように進んでいる。

 その荷車の左右をには馬二頭が平行して歩いており、一人は文人、もう一人は周囲よりも上等な鎧を着込んだ武人風の男だった。

 荷車には藁がひいてありその上には死体が、いや、死体と見間違うばかりに蒼白になった少年が横たえられていた。少年の右腕は、肘から先がなく、傷口には布きれが巻かれている。

 その身を包むのはおびただしい血で汚された衣服だったが、よく見ればその所々に上品な刺繍や紋を見ることが出来る。

 周りを囲む者達も、身に付けている物から野党、山賊のたぐいではなくきちんとした身分の者であるということがわかる。

 一様に疲れ果て、生気のない顔をしているものの、皆若く年長者でも二十歳を少しこえたくらい、荷車の少年は十五にならないくらいである。

 この異風の集団が少し前まで宮殿に暮らす者達だったと誰がわかるだろう。

 荷車の少年は名を慎綺という。

 彼は数日前まで、宮殿で王位継承者として暮らしていた。

 その暮らしが終わりを告げたのはよく晴れた日のことだった。

 異民族の侵攻により国が滅び、本来なら救援をよこすはずの周辺同盟国も機に乗って我先に侵攻してきた。

 それぞれの単純な思惑が複雑に絡み合った混乱の中を、慎綺の親衛隊は血路を開き、その数を大幅に減じながらも追撃から逃れ、国境を越えたのだった。

 親衛隊長の弦慈、副長の栄沙、十数名の隊員達。それに唯一親衛隊ではない文官見習いの周宗。

 慎綺の元にはこの一団以外もう何もない。まだ若い彼らにとって、過酷な生活の始まりであった。


 ※


 王子である慎綺が昏睡状態である今、一団の行く末を決定するのは文官の周宗の役目であった。

 埃にまみれた頭でも、すり切れて泥だらけの服でも、なお涼やかな雰囲気を漂わせる細身の美少年は、その実カタカタと鳴りそうになる奥歯をかみしめ、必死に虚勢を張っていた。

 親衛隊は祖国が誇る生え抜きであって、高い武力を誇っているものの生き残った者達は皆若い。仲間の動揺は手に取れるように分かった。

 周宗自身、他の者と比べても若輩であったが、その不安と焦燥を決して表に出すわけには行かないことは分かっていた。

 親衛隊の忠義心に疑いはない。しかし、人間は簡単に混乱する。

 そうして混乱に身を浸してしまえばただ一人の大事な人さえ守り抜けない。

 周宗はそれが一番怖かった。


「周宗……」


 小声に振り向くと、声の主は副隊長の栄沙であった。

 真面目そうな青年の表情は曇り、その髪には大量の血がこびりついたまま固まっている。


「この先行く宛てはあるのか?」


「一応……」


 周宗は小声でそれだけ言うと、口を閉じた。

 一同無言のままさらに進み、とある山道の峠に差し掛かったとき、周宗の待っていたそれは現れた。


「身ぐるみ置いて行け!」


 山賊である。

 山賊達は草木の間からわらわらと現れ、五十人ほどで一行を取り囲んだ。


「素直に言うことを聞くならよし、抵抗するなら寸刻みにするぞ!」


 山賊達は一斉に得物を振りかざす。親衛隊の面々も応戦の構えを見せようとするのを手で制し、周宗は歩み出た。


「私たちは鳴坤堂の方を探しています。あなた達は鳴坤堂の党員ですか?」


 その言葉に山賊達は怪訝そうな顔をする。その中で交渉役らしい男が口を開いた。


「確かに俺達は鳴坤堂だが、いったい何の用だ?」


「朱天殿にお会いしたい。呼んでいただけませんか?」


 国境周辺ではもっとも勢力を誇る鳴坤堂、その中で現場統括の頭目衆の一人、朱天が周宗の求める相手だった。


「てめえ、人の頭を捕まえて呼んでこいだ?」


「いえ、では私がそちらにお伺いしますから連れて行っていただけませんか?」


 周宗の上品な口調と、よく通る声にはどこか逆らいがたい印象を相手に持たせる。

 山賊達はしばらく話し合った後、再び交渉役が怒鳴った。


「いいだろう、ただし屋敷に入れるのはおまえだけだ。それでもいいなら連れて行く!」


 周宗はにっこり笑って頷いた。

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