俺はスーパーヒロイン!

鈴音

プロローグ 神様は理不尽で横暴でそのくせ可愛い

「おーい、起きてます? ねー、おにーさーん。起きてくださいよー」

 暗闇の中。ぺちぺちと頬に感じる軽い衝撃と共に、どこか幼いような甘い声が鼓膜を震わせた。一瞬妹が起こしに来たのかと思うが、すぐに声が違うと気づく。

 妹の声はもっと鈴を転がしたような、可愛らしい声だったはずだ。それでは、いったいこれは誰の声だろう。こんな声の知り合いなどいただろうか。

「おにーさんってば、ぼくの声聞こえてないんですかー」

 かすかに浮かんだ淡い疑問は、軽くきゅっと頬を抓られたことによって霧散した。弱い、けれど確かな痛みに少しだけ意識が浮上した俺はカタン、カタンと規則的な音と共に体が小さく揺らされているのに気が付く。

 これは電車、だろうか。ぼんやりと、そう思う。しかし、いつ乗ったのか泥のようにべたりと眠気がまとわりついて、うまく思い出せない。

「おにーさんってばー」

 睡魔と闘っている間にも不満げな声は続いていて、ついにはがくがくと体を揺さぶられる。その与えられる乱暴な刺激に引きずられるように、俺は呻き声をあげながらようやくゆっくりと重たい瞼を持ち上げた。

「う……今起きるって……」

 人が気持ちよく寝ていたというのに、一体何だというのだ。

 そんな不承不承という思いで開かれた瞳が焦点を定める。すると、とんでもない美形が自分の視界を埋めていることに気が付いた。

「あ、やっと起きました?」

 そう言って頬を膨らませているのは、まるで人形のように恐ろしく整った容姿の子供だった。すべらかな白い肌に、ガラス玉をはめ込んだような森を思わせる深い緑の瞳、紅をさしたような小さな赤い唇にバラ色の頬なんて、ありきたりの表現が恐ろしいほどにぴたりと似合う。

「う、わっ!」

 そんな美術品のような子が目の前に立って、パーソナルスペースガン無視の至近距離に身を乗り出しているのを認識し、俺は一瞬遅れて驚きに声を上げてしまう。すると俺の驚く様がおかしかったのか、むすりとしていた子供の表情がくるりと一転笑みに彩られた。それだけで、ぱっと視界が明るくなったような気すらする。つくづく美形というのは得なものだ。

「ふふ、おはようございます。おねぼうさんですよ、おにーさん」

 たしなめるようにそう言って笑う白いワンピースの子供は、今年小学校に入学した妹と同じくらいの年齢だろうか。腰まである長い髪は自然ではあり得ないはずの、けれどとてもよく似合った綺麗な淡い水色をしていて、距離の近さに身を引けばさらりと俺の腕をくすぐった。

「あ、えっと……?」

 それにしてもこれはいったいどういう場面なんだろう。そもそも俺はいつの間に眠ったんだ。

 状況を掴み兼ねて寝起きのぼんやりと霞がかったような思いでうろりと周囲を見渡せば、そこは俺達以外誰もいない電車の車両の中だった。けれど、普段通学で使っている電車と同じようでいて、それなのにどこか違和感が拭えない。それがいつもはあちらこちらに散見されている広告がないからなのか、人が誰一人いないしんとした静けさからなのか。原因はよくわからなかったが、見慣れた緑色の座席に座ったまま俺はどうやら寝こけていたようだった。

「いや、でも俺電車に乗った記憶ない……っていうか何してたんだっけ……?」

 頭を捻ってみるが、いつも通り学校に行って、授業を終えて……そのあとの記憶がどうもあやふやだ。電車に乗った時はおろか、いつ眠ったのかすら全く分からない。ほんとどうなってんだこれ。

 不思議に思いながら、俺はせめて今はどこを走っているのかと確認のため窓の外を見やる。けれど覗き込んだ窓の外は濃いミルク色の霧に閉ざされていて、ただ白が広がるばかりである。ここがどこなのか、情報はどうやら一片たりとも拾えそうにない。詰んでる。

「ちょっと、おにーさん。ぼくのこと無視しないでくださいよ」

 途方に暮れて呆然としていると、くいと袖を引かれた。視線を戻せば、子供はぷうと頬を膨らませてこちらを上目遣いで見ている。

 元々華やかな容姿をしているだけあってその効果は絶大だ。あざとい、とすら感じる。これを自分の外見を意識してやっているなら相当の策士だろう。

「悪い……ええっと、起こしてくれて助かった。ついでと言ったらなんなんだけど、ここがどこだか教えてもらえないか?」

 何はともあれ、起こしてくれたのだからとまず俺は礼を言い、そのまま子供へと抱えていた疑問を向けた。こんな子供に頼るのはどうかと思わないでもなかったが、仕方がない。ここには俺とこの子しかいないのだ。

 藁にすがるようなそんな気持ちで放った俺の問に、子供はこてりと小さく首を傾げた。

「ここがどこか、ですか? うーん……ここを表す言葉として妥当なのは……ぼくの部屋、でしょうか」

「はあ?」

 最寄りの駅の名前だとか、行き先を尋ねたつもりだったのだが、返ってきたのは酷く頓珍漢な答えだった。何を言っているのかと素っ頓狂な声を上げた俺に、子供はにこりと笑みを返す。

「まあ、わからないのも無理はないです。ここは、おにーさんの意識から『移動する』イメージで作られてますから。部屋って言われても、あんまり部屋っぽくないですもんね。でも定義としてはそれが一番近いんですよ」

 やばい、本当に何を言っているのか理解できない。ただでさえよくわからない状態だというのに、掴んだ藁からもそんな事を言われてしまっては俺の人並み程度の理解力ではキャパシティオーバーにも程がある。

「イメージ? 定義? お前、何言ってるんだ……?」

 混乱して俺が目を白黒させると、子供はいかにも面倒そうに顔を顰めた。ひらひらと形のいい掌を、やる気なく振って露骨に溜息まで零す。まるで呆れたような態度に、少しだけ傷ついた。

「ああ、そんなことはどうでもいいんです。些末なことなんですよ。それより、ぼくはおにーさんにお願いがあるんです」

 そうして俺の疑問だとか動揺だとかをまとめてぽいと紙屑のように軽く放り投げて、子供はきゅっと俺の手を握って笑う。突然の柔らかで温かな感触に戸惑いながら、俺は子供の言葉に首を傾げた。

「お願い?」

「はい。ぼくある世界の化身なんですけど、ぼくのためにちょっとその世界を救ってほしくて」

 無邪気に続けられたのは、まるで漫画のような台詞。俺は一瞬固まって、それから大きくため息をついた。

 なんだ、そういう事か。通りで話が噛み合わないわけだ。

「あー、なんだ。悪いけど、ちょっとごっこ遊びに付き合ってる暇は――って痛っ!」

 途端に脱力して返した言葉は、突然右手に走った痛みによって遮られる。反射的に手を引いてみれば、俺の手首にはいつの間にか何やら赤く光る輪が嵌っていた。外そうと指をかけるが、継ぎ目も無くどうやったら外れるのか検討もつかない。

「えっ……? なんだこれ、どうなって……?」

 さらに、子供が指を鳴らすとバチリと先ほどの痛みが再び襲ってきて、俺は思わずうめき声をあげる。痛みは静電気を少し強くした程度だったが、怯むには十分だった。

 得体の知れなさにこわごわ視線を上げれば、笑ってない緑とかち合う。

「すみません、ちょっとイラッとしたもので。まあでも、これで少しはぼくの話聞いてくれる気になりましたよねー?」

 口調こそ穏やかだが、それは脅迫だった。見た目に依らず、やることが非道である。お願い、なんて穏やかなものではない。子供の傲岸不遜にも見える態度に、さすがの俺も少しむっとしたのだが。

「んーもうちょっと面白いのもできるけど――ねえ、おにーさん。お返事は?」

 子供が掲げた手のひらの上に現れた、なにやらバチバチと嫌な音をたてる一際赤い輪を見た瞬間にあっさり心が折れた。

 だって何あれ、絶対痛い。無理。

 どういう仕組みかは全くわからないが、子供はどうやらあの赤い輪でこちらに自由に危害を加えることができるらしい。子供に屈する自分に惨めさを覚えながらも、先程の痛みに怯んでいた俺は渋々頷く。

「うっ……わかったよ……聞いてやるよ……」

「ありがとうございます。それじゃあ、おにーさんがお急ぎのようですので簡潔に」

 了承した途端に子供はさっきまでの無慈悲な表情から一転、ぱあっと花が綻ぶように笑った。どうにもこの不思議な子供には敵いそうにない。よくわからない力も使うし、もしかすると本当に人間ではないのではないかという気がしてきた。

 それに電車はどこかの駅に到着する様子もないし、他に人はいないのだ。世界の化身だかなんだか知らないが、とりあえず信じて話を聞いてやるくらいしてやってもいいかもしれない。

 そう腹を決めて俺が子供に向き直ると、子供はやけに神妙な顔をして口を開いた。

「二、三日前のことです。ぼくの世界にそっちの世界から侵入者がやってきました。本来ならばありえないことですが、そいつはなぜかものすごーく怒っていて、感情の強さだけで境界を越えたみたいだったのです」

「多元宇宙論ってやつか……」

 子供の話から、前提を想像しようとして俺は少し途方に暮れたような思いになる。複数世界があるという考えがあることはなんとなく知っていたが、実際に想像してみるのは難しかった。

 漫画などではよく聞くが、世界ってそもそも何なんだ。宇宙がいくつもあるとはいうが、それはどういう形で存在しているのか。物理学だとかその辺りの分野の話であったような気がするのだが、一介の高校生には荷が重い話題だった。世の中の人のほとんどが俺と同じ認識であろうに、突然現実に境を越えた人間がいると言われてもやはりこちらも想像がつかない。

 俺の認識が追いつく前に、子供は困ったように眉を下げて言葉を続けた。

「そいつは、ぼくの力の一部を奪って世界に降り立ちました。そして、世界の均衡を壊し始めたんです。化身としては体調がめっちゃ悪くなるし、下手したら消滅の危機だしでもう大ピンチ! っていう状態なんですよ」

 憂いた表情でため息をつく姿は、なんだか本当に困っているように見える。まあこの子が言う通り本当に世界そのものだとしたら、自分の内臓を傷めつけられているようなものなのだから当然なのかも知れない。

 うっかり憐憫の情を抱きかけた俺の手を、がしりと子供が掴む。煌めく緑が、俺を真っ直ぐに見つめた。

「そこで、境界の裂け目の近くにいた通りすがりのおにーさんを引き込んで、ぼくの力を分けて原因の侵入者を倒してもらおう! ってことにしたんです。お願いしますよお」

「……化身って神様みたいなものなんだろ、自分で何とかできないのかよ……それか、お前の世界の奴に力とかいうの分けてやってもらえよ……」

 縋るような視線にたじろぎながらも、俺は自らの手首に視線を落としてぼそぼそと返す。さっきのような事ができるのならば、別に俺がやらなくてもいいはずだ。当然のごとくそう思ったのだが、子供は再び呆れたようにため息をついた。

「ぼくの世界の住人は、ぼくを構成する一要素です。ぼくはぼく自身には力を渡せませんよ。おにーさんがぼくじゃないからこそ、なんとかできるんです」

「そういうもんなのか……?」

「そういうものなんですよ。おにーさんだって風邪ひいたときに、自分の体の病原菌を自分で何とかできないじゃないですか。薬飲んで治すでしょう? それと同じことですよ」

 いまいちピンとこず、首を傾げるとそんなたとえで説明された。確かにそう言われてみるとわかりやすくはあったが、たとえ話における自分の立場が微妙で俺は思わずげんなりとしてしまう。

「俺は薬かよ……」

「まあ、似たようなものです。というわけで、救ってくれますね?」

 要するにこちらを利用するつもりなのかという不満をあっさり肯定され、にこりと再び『お願い』が提示された。それはあまりに横暴であったし、学校だとか自分の日常生活上の予定だとかが頭を過ぎったので、俺は当然のごとく首を横に振る。

「嫌に決まって――って痛あっ!」

 が、しかし。その瞬間、子供の指がぱちんと鳴って右手首に痛烈な衝撃が襲った。さっきよりも格段に強い痛みに悲鳴を上げる俺を覗き込み、子供はにっこりと満面の笑みを浮かべたまま何事も無かったかのように再び『お願い』を口にする。

「救ってくれますよね? あ、ちなみにおにーさんを元の世界に戻せる力はぼくしか持ってないんですけど」

 さらについでとばかりに付け足された追い打ちに、俺はようやく悟るのだ。これは、『お願い』ではないのだと。

「俺に選択肢ねえじゃねえか……」

 『元の世界』と言うからには、もうすでにここは自分の日常から引き離された場所なのだろう。それはこの子供の余裕たっぷりな態度からも明らかだ。つまりここは出航した船上で、船長はこの子供である。舵は俺の手にはないのだ。

「まあ、そういうことです。ほらほら、わかったらちゃっちゃっと何とかしてきてくださいよ」

 あっけらかんと肯定する子供が浮かべるのは、圧倒的強者の笑み。それに観念してがくりと肩を落とす俺を、子供は容赦なく手を引いて立ち上がらせる。

「原因はたぶん行ってみれば分かりますし、倒すための力はさっき渡したので。これでおにーさんは準備万端、完全完璧。なのでれっつらごーですよー」

「うわ、わかったから押すなよ……ってうわあっ!」

 適当そうに無責任なことをのたまう子供に背をぐいと突き飛ばされ、ぐらりと俺は体勢を崩した。思わず声を上げて床にぶつかる衝撃に備えるが、それはいつまでたってもやってこない。代わりにふわり、と体は白の中に投げ出された。

「え」

 一拍遅れてやってきたのは、平衡感覚を失ってぐるりと天地がわからなくなるような感覚。まるでスローモーションか何かのように目の前に電車の外装と、開いたドアの前に立つ子供が見えて、自分が車外に押し出されたことを知った。電車は何処を走っていたのか、足元に地面はない。ただ、白が広がるだけだ。さあっと、自身の血の気が引く音を聞いた。

 落ちる。

「嘘だろおお――ッ!」

「それじゃ、いってらっしゃーい。よろしくお願いしますねー!」

 突然の自由落下に絶叫を上げる俺に、子供のそんな呑気な声が降ってくる。笑顔で手を振るその姿はどんどん小さくなっていく。

 これは死ぬ。絶対死ぬ。一体ここがどれほどの高度なのか分からないが、こんなに長い間落ちているのだ。地面にたどり着いた時に原型を保っているわけがない。よくて挽肉、最悪液体。どう考えても絶望じゃないか。俺の人生短かったなあ……妹よ……お兄ちゃんの事忘れないでくれよ……できることなら毎晩枕元に立つからな……。

「そうそう、言い忘れてたんですけど。境界を渡る副作用で性別変わるんでー」

 恐怖と絶望で遠のく意識の中、最愛の妹へ向けて遺言を思い浮かべる俺が最後に聞いたのはそんな意味のわからない、けれどなんだかめちゃくちゃ嫌な予感のする言葉だった。

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