君はエンジェル時々悪魔

はっしゅ

第1話 食事会

「部長、ご馳走様でした。」


「いえいえ、どういたしまして。なんか、飲み足りないね。もう一軒行こうか?」


佐伯幸樹は、金曜日の仕事終わりに部長に誘われて夕食を共にした。


「もう。。。一軒。。。ですか?」


「なに?乗り気じゃないの?」


「い、いえ。じゃ、もう一軒だけ。」


「そうこなくっちゃ!ほら、行くよっ」


部長の田中優希はコツコツとハイヒールの音を響かせながら、夜の街を闊歩し始めた。


幸樹と優希の勤める会社は人材派遣業を中心として、手広く事業を展開している。女性中心の人材派遣を主体とする為、社員も圧倒的に女性が多い。必然的に部長クラスにも女性がチラホラ居る。優希もその中の一人である。

優希は幸樹が新人時代に任された店にアルバイトとして入店した。幸樹は優希の人柄と実力に目をつけ、会社に推薦し、優希は社員登用された。社員となった優希は、幸樹と同じ部署に配属されバリバリのキャリアウーマンへと変貌し、あっという間に幸樹を追い越し、部長へと上り詰めた。幸樹も仕事ができないわけではない。今は課長という役職に就いているが、それは社歴から見れば至って平均的な昇進スピードであり、寧ろ優希の昇進スピードが異例である。


「あと、幸ちゃん、二人の時は部長はなし!敬語もなし!」


「わかったよ。」


そんな会話を交わすうちに目的の料理屋に到着した。


「とり得」と書かれた暖簾を掻き分け、店内へと入る。


「へいらっしゃい!おっ!優希ちゃんじゃねーか!なんだ、幸ちゃんも一緒かよ。」


この店の主人、哲二がカウンターの向こうから威勢よく声を掛ける。

檜の一枚板でピカピカに磨き上げられたカウンター席に腰を下ろすと絶妙なタイミングで哲二の嫁、咲がおしぼりを差し出す。


「いらっしゃい。それぞれはよく来てくれるけど、二人で来るなんて何年ぶりかしら?」


「そうだねぇ。なかなか二人でご飯食べる機会も減っちゃったし。ほら、それぞれが当時の私みたいな子たちとご飯行く機会が多いから。」


優希は咲に生ビールを注文する。

遅れて幸樹も


「俺も。あと、食べ物は軽めでお任せで。」


と、注文を通した。


「優希さんとよくこの店来たのは、まだ小汚い頃だったもんね。優希さんによく噛み付かれたっけ。」


「小汚くて悪かったな!」


哲二がすかさず、突っ込む。


「そうそう。幸ちゃんにはよく噛み付いた。でも、いつも幸ちゃんは否定せずに受け入れてくれたよね。同じ立場になってみて、あの時の幸ちゃんの偉大さがよくわかるよ。」


優希は昔を懐かしむようにそう言った。


「おいおい、随分褒めちぎるね。でも、あんなに仕事の内容で噛み付いたのは後にも先にも優希さんだけ。他の女の子と言えば、大体が身の上話か金の話、若しくはホストとの恋話。」


「本当、みんな悩みが尽きないよね。そういえばこの間、ちょっと気になって女の子の平均在籍月数っていうのを調べてみたのよ。

そしたら、幸ちゃんが担当する店がダントツで長かった。」


「人妻店だからじゃないの?大体の女の子がシングルマザーで生活掛かってるし。」


幸樹と優希のいる会社とは国内最大のデリヘルグループ。デリヘルとは言っても、きちんとした会社組織で、現在では、一般的な人材派遣にも進出し、間も無く株式公開も視野に入れるほどの優良企業である。そして御察しの通り、優希は元デリヘル嬢である。


優希は現在、36歳。高校を中退して出産。その直後に旦那が女を作って失踪。生活の為、18歳からデリヘル嬢となる。25歳で幸樹の担当する店に入店し、27歳で社員登用となった。その後、仕事の傍、大検を取り、夜学の大学を卒業した努力家である。仕事の方はめきめきと頭角を現し、あっという間に部長まで上り詰めた。


幸樹は現在、34歳。地元の大学で経済学を学ぶ。その頃に自身が風俗にハマり、今の会社を知り就職。現在はエリアマネージャーとして担当エリアの店の管理を仕切っている。


二人の前に、お通しと真っ白に霜の貼ったグラスに注がれた生ビールが運ばれてくる。

とり得にはジョッキの生ビールはない。店主の哲二のこだわりで、緩いビールをダラダラと飲まれるのがどうしても許せないのだ。


「改めて、乾杯!」


キンキンに冷えたビールの炭酸が喉に染みる。


「そうだ!今日は鶏のいいところ入ってる

から、鶏わさ出せるけど、どうする?」


「勿論、お願いします!あと、鶏わさに合う日本酒ね。」


「あいよっ!酒もいいのが入ってるよ」


鶏わさは、とり得の看板メニュー。ただし哲二が良しとした鶏肉が手に入った時だけ出されるから、いつでもご相伴に預かれる品ではない。


美味い酒と肴に、思い出話に花が咲く。自然と酒量は増えていく。


「ヤバい!」


幸樹が気づいた時には完全に遅かった。隣に座る優希は、完全に獲物を狙う女豹の目になっていた。幸樹が優希の二軒目の誘いに躊躇したのはこうなることを予測していたからである。

優希は酔いがまわると「女豹」へと変貌する。幸樹は彼女がデリヘル嬢だった時代に何度もこの「女豹」に遭遇している。会社の規定では社員が店の女の子に手を出すことは禁じられており、発覚すれば懲戒解雇であるため、この「女豹」から逃れることに四苦八苦していた。

優希本人もデリヘル嬢から社員になった時点で、この「女豹」が出てこないよう、酒量をセーブしてきたのだが、今日はタガが外れてしまったようだ。


「優希さん、今日はもうお開き!哲さん、お愛想で。」


幸樹は、どうにも計算の合わない僅かばかりの会計を済ませると、優希を抱えて店を出た。


ちょうど良く店の前に止まっていた客待ちのタクシーに優希を押し込んだ。その瞬間、優希が幸樹の手首を掴んだ。


「優希さん、今日はもう帰った方がいいよ。」


「じゃ、幸ちゃんちに行こ?」


「それは駄目だって!」


優希は幸樹の手首を離そうとしない。


痺れを切らしたのはタクシーの運転手だった。


「お客さん!どちらまで?」


「あっ!すみません。。。」


仕方なく幸樹もタクシーに乗り込んだ。それと同時にタクシーのドアが閉まる。


「で、どちらまで?」


「優希さん、家、どこ?」


「中目黒までお願いします!」


「それ、俺んちでしょ?」


そんなやりとりを無視するように運転手は、中目黒へと向かって走り始めた、







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