宇宙の陽炎

宮前葵

序章、交錯点

 私があの人と最初に出会った場所は牢獄でした。


 あの人は、不貞腐れたように胡坐をかいて、私を見上げていました。


 私にはすぐに分かりました。


 ああ、この瞬間に始まるのだと。




 俺があいつに出会ったのは牢屋の中だった。


 よく熟れた木の実のように赤い瞳が、鉄格子の向こうから俺のことを興味深そうに見下ろしていた。


 その時の俺の気分はいわゆるひとつの最悪という奴で、そんな風に珍獣を見るみたいな目つきで眺められて、俺は更に一層気分を悪くした。


「何見てやがる!」


 俺がそう怒鳴りつけると、あいつは別に驚きもしなかったようだが、その代りにあいつの周りにいた連中が鉄格子の隙間から棒を差し込んで俺を小突き回した。俺は頭を抱えて床を転げまわる。口は災いの元であると十分身に染みていたはずなのに、やはり性分というのは簡単には治らんね。


 小さな声がして、受刑者虐待は止んだ。声はあいつの声に相違無く、つまりあいつは刑務官に命令出来る程度の身分を有しているということだ。


 ようやく顔を上げると、あいつがしゃがみ込んでいた。真っ赤な瞳が正面から俺のことを見ている。異常なまでに白い頬。そして、体を覆うように流れる、純白の髪。この後も、何度も俺を騙しやがった、雪の日の朝焼けのような微笑を浮かべて、あいつは俺を見ていた。


 俺は思わず気圧された。あいつの容姿はあらゆる意味で尋常では無かった。そもそも、赤い瞳の人間など、滅多にいるものではない。そして服装だ。袖口の膨らんだ純白の上着。変わった形の、ロングスカートなのかだぼだぼのズボンなのか良く分からないもので下半身を包んでいるのだが、それは目に眩しい様な朱色をしているのだった。威圧的な制服の刑務官、背広の役人、そして薄汚いジャージ(俺だ)に囲まれて、あいつはまったく刑務所の中という風景に溶け込んでいなかった。まるで、あいつだけが別の世界にいるように。


「な、なんだよ」


 あいつは答えず、後ろに控えている連中に振り向きつつ、気軽に言った。


「出してあげなさい」


「は?」


「この人を出して」


 おいおい。


「しかし、この男は反政府運動家でして・・・」


「無罪です」


 あいつはあっさり事実を看破してのけると、俺に向かって一応確認した。


「そうでしょう?」


「ま、まぁ」


 俺は控えめに肯定した。


「しかし、如何に『銀の巫女様』の御言葉とはいえ・・・」


 抗弁する男の声に、あいつは気分を大いに害したようであった。ゆるりと立ち上がる。


「そう私は『銀の巫女』です。私の言葉は神託。そうではありませんか?」


「は、はい!」


「その私が無罪だと言っているのです。神託が間違っていると、あなたはそういうのですね?」


「め、めっそうもない!」


 その役人らしい男はそう言って深々と頭を下げたが、あいつの言葉に従ってすぐに俺を出してやろうという気は無さそうだった。それはそうだろう。一応俺は、略式ながらちゃんと法に則った裁判の結果ここに叩き込まれたんだからな。小娘の気まぐれに応じて勝手に出してやるわけにはいかないのだろう。ただ、あいつの機嫌を損ねることも困ったことであるようで、頭を下げたまま冷や汗を浮かべている。


 動かない役人に業をにやし、あいつが更に何かを言おうとした時、よく通る声が牢屋の廊下に響いた。


「何の騒ぎですか」


 その声を受けて、あいつ以外の連中が慌てて拝跪の礼をとる。あいつだけは立ったまま声の方に振り向き、嬉しそうに言った。


「兄様!」


 そこに、信じられない人物が立っていた。


 年のころは俺と同じ二十代前半といったところであろう。非常な長身。濃い目のブロンドをオールバックに撫でつけていた。鋭くも理知的なものを感じさせる深い青色の瞳。彼はあいつの前までゆっくり歩いてくると、俺のことを見下ろした。


「何の騒ぎですか」


 彼は繰り返した。誰も答えない。あいつはちょっと説明に困ったような顔をして。そしてその他の連中は恐縮して頭を垂れたままだ。彼は俺に向かって言った。


「なんですか、何が起きたのです」


 俺も答えることができなかった。俺はその時腰を抜かさんばかりに驚いていたのだ。


「あ、あんたまさか・・・」


 俺の呟きに、彼は目を細めた。


「なんですか、どうしたというのですか。この男がどうかしたのですか?アニス?」


 アニスと名を呼ばれたあいつは、うーんと唸った。


「あのね、兄様。この人、無罪なの。出してあげて?」


 彼は眉を顰めた。そして、アニスにではなく、俺に向かって言った。


「そうなのですか?」


「・・・まぁ」


 彼は顎に軽く手を当ててしばし考えたようだ。


「・・・いいでしょう。私の権限で釈放を許可します」


 彼がそう言った瞬間、刑務官の一人が飛び上がるような勢いで牢の扉に飛びつき、鍵を開け、俺を牢屋の外に無理やり引き摺り出した。俺は状況の急変に戸惑うばかりだった。


 その間に彼は渡された資料で俺の個人情報を確認したようだった。


「グレゴリー・オルレアン、ですか?冤罪で投獄してしまったこと、お詫び申し上げます。詳しい事情をお聞きしたいので、身支度を整えたら私のところに来てください」


 彼はそう言うと軽く一礼し、歩き去ろうとした。


「ちょっと」


 俺は思わず彼を呼び止めた。


「?なんですか?」


「なんで俺を釈放する?」


「無実なのでしょう?」


「そうだけど。だ、だが、どうして裁判でも有罪になっているのに・・・」


 彼はちらっと俺から視線を外した。そこにはあいつ、アニスがニコニコと嬉しそうに笑いながら立っている。


「『銀の巫女』が言うからには、そうなのでしょう」




 歩き出すと、アニスがすぐに追いついて来ました。


「ありがとう兄様」


 私は肩をすくめました。


「あなたのためではありません。冤罪を放置してはおけなかっただけのこと」


「それでも、あたしの言うことを信じてくれたんですもの」


 私は歩を止めてアニスに向き直ります。


「アニス?あなたも公人なのですよ?しかも、あなたは巫女です。不用意な発言は慎みなさい。巫女の発言の真偽が疑われるようなことがあってはなりません」


「不用意な発言じゃないもん」


 アニスは頬を膨らませました。


「で、あの男は一体何なのです?」


「あたしの運命の人よ!」


 私は唖然としました。いったい何を言い出すのかこの妹は。


「あたしの運命を変えてくれる人よ!ずっと探していたの!」


 真紅の瞳を輝かせながら力説するアニス。私は詳しい説明を求めようとして、断念しました。彼女は、いわゆる俗世の理論とはかけ離れた思考で動作していることが多く、詳しい事情を聞いても私には理解できないだろうと確信できたからです。


 ただ、彼女が丸っきりの気まぐれであの受刑者を釈放させた訳ではないことも理解しました。でなければあの男を「運命の人」などと呼ぶはずもありません。彼女は『銀の巫女』なのです。


 そうであるなら・・・。


「ふむ、あの男と会う機会を持ったのは、良かったかもしれませんね」




 兄様は呟くと、私に構わず歩き始めました。


 兄はいつも多忙で、次のこと、次のことをいつも考えながら行動していました。たまに、先のことを考え過ぎて、今現在のことをおろそかにする傾向があったのですが。


 同じように、自分のこと、自分の近しい周りのことよりも、遥か数百光年離れた世界のことのほうが気に掛かっているようでした。


 兄はよく、私に向かって「あなたは現実に生きていませんね」と言ったものでしたが、私に言わせれば、兄も同じではないかと思ったものです。


 私は兄の後姿を見ながら、呟きました。


「かわいそうな兄様・・・」




 シャワーを浴びて身体を良く拭くと、さっぱりした。刑務所にも風呂はあるが、まぁ、気分的に全然違う。


 清潔な下着と、こざっぱりしたシャツ。ちゃんとアイロンの掛かったズボンなど何年ぶりに履いたことだろう。曇り一つ無い革靴まで用意されていて、俺は思わず仰け反った。


「アニス様が準備せよとの仰せでしたので」


 ・・・じゃあ、遠慮はいらないかな。なぜだか分からないが、俺はこの時から既にアニスに対して遠慮容赦する気持ちが無くなっていた。今になって思い返せば、この時あいつに対して感謝の気持ちの一片をも持たなくて良かったと思う。なぜなら俺は後に、あいつから服や靴ではとても割に合わないような目に合わされることになったからだ。


 俺は身支度を整えるとバスルームを出た。


「ほら!」


 広間に出るなり、あいつが俺に指を突きつけた。


「意外といい男だったじゃない!やっぱり!」


「意外とは余計だ」


 俺は反射的に返していた。それを見てテーブルについていたあの男が軽く笑う。


 ここは俺がぶち込まれていた刑務所近くのホテルで、この草臥れ果てた惑星の中では一応最高級の評価を受けている。部屋は当然のようにウルトラスイート。この兄妹の身分を考えればまさに当たり前だ。


 俺は刑務所の門を出るなりリムジンに拉致され、ホテル連行され、有無を言わさずまずは風呂に叩き込まれた。釈放されたという開放感がまったくしないのは、気のせいではないだろう。


「失礼したね。おそらくは着替えなど持っていないと思ったもので、用意させてもらいました。サイズはどうかな」


「刑務所のデータを見て用意したんだから、ぴったりに決まってるじゃない!」


 そういうアニスの格好は、刑務所の中で見たものと同じだった。奇妙に膨らんだ袖が特徴的な前合わせの服と朱色のロングスカート。しげしげと観察する俺の視線に気が付いて、アニスが腕を振り上げた。


「なによ!じろじろと!あんたまさか巫女服フェチじゃないでしょうね!」


 なんだ?巫女服フェチ?


「こらこら、失礼なことを言うなアニス。さぁ、オルレアン君。席に着いて下さい」


 そう言ってあの男が示したテーブルには、先程から俺の鼻腔を刺激して止まない香りの元が並んでいた。そう。料理である。


 しかも、ただの料理ではない。豪華な料理である。俺の知識ではそうとしか表現出来ない。そして、真っ白な皿。鈍い輝きを放つナイフとフォーク。真っ白なナプキン。俺は思わず眩暈を感じた。何しろ俺は今朝までいわゆる刑務所の臭い飯を食ってきたのである。その前も日々食うや食わずの生活。その前は軍隊でフリーズドライをそのまま齧っていた。つまりは、こんなの見たこと無い、のである。


 立ち竦む俺に、あの男が不審そうな声を掛けた。ちなみにアニスはさっさと自分の椅子に座っている。


「どうしました?ちょうど食事時だったので、君の分も用意させてしまったのですが、もしかしてもう済ませてしまったのですか?」


「い、いえ・・・」


 俺はふらふらともつれる足を何とか動かしてテーブルへと歩み寄った。すかさず控えていた執事か何かが俺のために椅子を引く。・・・そういう世界って、本当にあったんだなぁ。


 俺の正面にはあの男が座っていた。彼は既に注がれていたグラスを手に取ると軽く掲げた。俺もぎこちなく赤い液体で満たされたグラスを持つ。


「オルレアン君の出所祝いでいいかな?乾杯」


「おめでとー!」


 アニスが呑気に拍手をする。


 俺はグラスを一気に乾すと、あの男のことを盗み見た。


 年齢は、確か俺と同じだったはずだ。ということはこの年二十歳。それにしてはえらく泰然としている。やはり育ちの違いと言う奴であろうか。


 隙なく撫で付けた髪型は少し神経質そうな雰囲気をかもし出していたし、硬質の輪郭と鋭い目つきをした蒼い瞳、意志の強そうな引き締まった口元からはやや厳格そうな印象を受けた。もっとも、これは先入観のせいもあったかもしれない。彼は本来柔和な性格であることは、後にすぐに分かった。ただし、相当に頑固なところもあったのだが。


 その内、俺の視線に気がついたのだろう。彼は俺に微笑み掛けてきた。


「どうしましたか?」


 俺は思い切って口を開いた。


「あの、私の無実を証明して頂けて・・・」


「何の罪でしたか」


 彼は俺の話を遮る様に言った。謝辞は不要との意思表明らしかった。


「資料では不敬罪になっていましたが」


「なに?モムゼン大帝の銅像にペンキでも塗ったの?」


 俺はアニスに向って言った。彼に向って口を開くよりも、あいつに向って話す方が何倍も話がし易かったからだ。


「そんなことはしない。ただ、一言余計なことを言っただけだ」


 思い出すのも馬鹿馬鹿しい。


 その日、俺は日雇い労働を終え、給料をもらう為に他の労働者たちと長い列を作って待っていた。空腹を抱えながら。


 そこへ、一人の男が紙の束を抱えてやってきた。


 そしてなにやら演説を始めた。俺はろくに聞いていなかった。なにやら帝国政府を批判し、革命のために労働者へ決起を促すような内容だったらしい。ああいう場所にいればよくあることだった。どうも日雇い労働者というのは、政府に対してさぞかし不満を持っているように見えるらしいのだ。


 男はひとしきり声を張り上げ終えると、俺たちにビラを配り始めた。まぁ、誰も受け取らない。そんなビラを持っていて官憲に言いがかりを付けられるのも馬鹿馬鹿しいことだったし、そもそも日雇い労働者は日々生きるのに必死で、政治とか思想とか大きなことに構っている余裕は無いのだった。


 懸命にビラを配り続ける男。そこに警察が現れた。しかも、あまり上等でない方の警察だ。なぜなら、制服を着ていない。公安とか秘密警察の部類である。連中はオイともコラとも言わずに男を取り押さえに掛かった。


 まず、タックル。そして、抵抗する男を殴る蹴るだ。男が抵抗を止めても終わらない。遂には男はぐったりと動かなくなった。


 俺は、つい、本当に何気無く言ってしまった。いやもう、実に不用意な一言で、誰に言わせても余計な一言であったろう。俺だって後悔している。


「おい、もう止めてやれよ。死んじまうぞ」


 すると、連中はなにやら叫びながら俺に向って飛び掛り、俺は要するに袋叩きにされて、留置所に叩き込まれた。あのビラを配っていた男の共犯ということになっていることを知ったのは、裁判所に連れ出された時だ。


 抗弁する余地も無い、形式だけの裁判の結果、俺は反政府活動禁止法及び不敬罪で禁固二年の判決を受けて、数ヶ月前から服役中だったというわけである。


 俺が簡潔に語り終えると、アニスは無礼にも哄笑し、彼は眉間に皺を寄せた。


「それは、なんと言いましょうか・・・」


「いえ、ただ単に、運が悪かったんです。それだけですよ」


「でもおかげでこのあたしと知り合えたんですもの!万事結果オーライよね!」


 俺はたわけたことを言うアニスを無視した。本当のことを言うと、無実で刑務所暮らしを強いられたことは、運が悪かったなどと一言で片付けたくは無いほど苦々しい経験だったのだ。


「ごめん、怒らないでよ」


 見るとアニスが少し悲しげな表情を浮かべて俺を見つめていた。その赤い瞳にある感情が揺らぐのを見て俺は少し動揺した。


「怒ってなんかいない」


「そう、よかった」


 アニスはあっさり表情を好転させると、フォークで白身魚のムニエルを突き刺し始めた。こいつ・・・。


「公安警察の責任者に命じて、担当者を処罰します。それで許していただけるとは思いませんが・・・」


「そんなことしなくてもいいですよ。連中も自分の仕事をしたんでしょうから」


 公安警察の仕事などしていれば、自分の周り全ての人間が犯罪者に見えるようになるのだろう。


 それにしても。俺は食ったことも無いような料理を口に運びながら、実のところそれをまったく味わうことが出来ずにいた。理由は、目前にいる彼のせいだ。この男とテーブルを挟んで食事をすることがあろうとは。


「それでは私の気が済みません。何か、お詫びがしたいのです」


「あなたが詫びるような事では無いでしょう。皇帝陛下」


 その瞬間、銀河帝国皇帝シオス・フラミニアは少しだけ目を見開いた。




 「皇帝陛下」と口に出してしまって、彼はしまったというように口を押さえました。そして恐る恐る私のことを上目遣いで見ます。思わず微苦笑を誘われました。


 別に身分を隠していたわけでも無いのに。皇帝という名を口に出す事はそれほど恐ろしい事なのでしょうか。私には良く分かりませんでした。


「気にしなくてもいいですよ。この席はあなたのために設けたものです。ここでは無礼講としようではありませんか」


「そうよ。気にすること無いわ」


 彼はのどに詰ったものをようやく飲み下したような顔で、私ではなくアニスに向って言いました。


「そうは言ってもな、俺は軍人だったこともあるんだ。あそこでは皇帝陛下の写真にさえ頭を下げるんだぞ」


「何よ!それならあたしだって皇帝の妹よ!しかも『銀の巫女』よ!あたしのことも崇め奉りなさいよ!」


 返答に窮する彼。私は声を上げて笑いました。


「アニスの勝ちですね。ここでは私のことはシオスと呼んでください。あなたのことはグレッグとお呼びします」


 グレッグは難しい顔をして悩んでいたようでしたが、結局頷きました。


 刑務所でかなり髪を短く刈られてしまっていた上に、この時の彼はかなり痩せていました。正直に言えばかなり貧相な男に見えたものです。ただ、黒い瞳は実に印象的で知性的な光を湛えていたような気がします。


 後の、颯爽とした彼からは想像も付かないことに、この席での彼は終始、私に対してはおどおどしっぱなしでした。私に向ってはほとんど声を掛けてきません。ただ、なぜかアニスに対しては平静な、対等な態度で臨んでいます。これは考えてみれば不思議なことでした。あの、一般的な人間の容姿とはかけ離れた姿のアニスと平静に接することが出来る者はそう多くはありません。それが、初対面でこれとは。


 アニスが言ったことが思い浮かびます。「運命の人」私はアニスが言ったことを額面通りに受け取っていたわけではありませんでしたが、やはりこの男はアニス、ひいては私たち兄弟と縁がある人物なのではないかと思い始めていました。


 ふむ。私は少し思案しました。以前から暖めていた腹案を、一つ実行してみるのもいいかもしれません。


 この時私がそう思ったのは、まったくの気まぐれであり、深く考えてのことではありませんでした。別に失敗したからどうと言うこともない考えであることも確かでありましたし、この時の私はグレッグに何のこだわりも愛着も抱いていなかったからです。たまたま。そう、たまたまこの時彼が私の前にいて、ちょっとは私やアニスと縁がありそうだと考えたから、私はその話を持ち出したのでした。


「私に仕える気はありませんか?グレッグ」


 その瞬間グレッグは口に含んだ飲み物を吐き出しかけ、必死に耐えて逆に喉に詰まらせました。ひどく咳き込んでしまいます。アニスが思わず立ち上がり、彼の背中をさすりに行ったほどでした。


「なにしてるのよ」


 咳き込むグレッグは答えることも出来ません。


「い、いったい何を言い出すんだ!」


 ようやく息が戻るとグレッグはそう叫んでいました。顔が真っ赤です。ずいぶんと驚いているようでした。私には彼がなぜ驚いているのか、よく理解が出来ませんでした。


「どうしたというのですか?」


 グレッグは更に叫ぼうとして、それが無礼であることに気が付いたようです。深呼吸して息を整え、ただし、口を開いたときには私に対する遠慮がだいぶ消えていました。


「いったい何を言い出すんです。突然」


「何か問題でも?」


 グレッグは天井を見上げ自分の思案を整えているようだった。


「・・・どうして俺なんかを雇おうと思うんです?あなたには他にいくらでも優秀な家臣がいるでしょうに」


「それはそうですが、あなたが気に入ったからでは理由になりませんか?」


「なりませんね」


 ふむ?私は考えました。


 確かに、彼の言うことももっともだと思ったからです。何を好き好んで初対面の彼を自分の家臣に加えようというのでしょうか。気まぐれだが、気まぐれにも理由があるはずです。私は自分の思考を追認識しました。


「・・・そうですね。理由は二つあるようです。まず、一つはあなたが気に入ったということです。これは、ほとんど直感です」


 というより、これはやはりアニスが彼のことを「運命の人」と呼んだからであると言って良いでしょう。私は彼女の「銀の巫女」としての言葉にはある程度の信頼を置いていたのです。


 そして、先刻からの彼の私に対する態度でした。彼には、遠慮はあったが媚がなかったのです。卑屈な態度も取りません。それは私にとっては信頼出来る人間を選別する基準に合格したことを意味しました。彼は、能力はともかく、信頼出来る人間ではあるらしい。確かに私には家臣は多いが、そういう意味で信頼できる者が多いとは言えませんでした。


「それと、あなたの今の身分です」


「は?」


「あなたは今、無職無収入ですね」


「・・・はい」


「つまりは、社会の底辺近くに位置する人間だということです。私の家臣には、そんな人間は今までいませんでした」


「そりゃそうでしょうね」


 グレッグはなぜか、やさぐれたような口調で言いました。


「そういう身分の視点から、今の帝国の状況を見ることが出来る家臣が欲しかった。まぁ、そういうことだと思ってください」


「むう・・・」


 グレッグは唸った。納得がいったようでした。


「どうでしょう?俸禄はきちんと払いますよ。あなたにとっても悪い話では無いと思うのですが」


「・・・一つ確認しておきたい事があります」


 グレッグはやや強い視線を私に向けました。そういう顔をすると、彼の顔は途端に厳しくなります。彼は普段、温厚な人間そのものであるのだが、いわゆる切れると怖いタイプでした。その片鱗がこの顔です。


「なんでしょう」


「俺は、ついさっきまで不敬罪で刑務所にぶち込まれていた人間ですよ?その俺を信用するというのですか?」


「無罪なのでしょう」


「どうしてそれが分かります?」


 ふむ。私は先ほど読んだ彼の経歴を思い返しました。


 グレゴリー・オルレアン。天象暦7994年生まれ。この年、私と同じ年で20歳。


 8010年、中等学校卒業。同年、帝国軍に志願。同年、二等兵として帝国軍第8軍団214師団第7歩兵連隊に配属。翌8011年、同隊所属として惑星カスルヴェードの暴動鎮圧に出動。翌8012年、軍を自主退役。翌8013年、反政府活動防止法及び不敬罪にて逮捕。同年、同罪にて禁固二年の有罪判決を受け、服役・・・。


 両親は幼い頃に離婚。父の方はすぐに音信不通。母は彼が15の時に亡くなっている。親類縁者との繋がりはきわめて希薄。交友関係もあまり多岐に渡るとは言えない。


 思想調査の結果、やや反帝国的な考えの持ち主であり、潜在的革命分子とみなされたようでした(つまりここのところが彼が有罪になってしまった理由であるらしい)。ただし、反帝国組織や革命組織、テロリストとの繋がりは見出せない。


「軍にいたのでしたね」


「ええ、少しだけですが」


「なぜ軍に入ったのですか?」


「・・・就職口が無かったんですよ。他に選択肢が無かったんです」




 俺は思い出していた。別に思い出したくも無かったのだが。


 中学校を卒業した俺は、ほとんど路頭に迷っていた。お袋が死んでから、アルバイトをしつつ学校に通っていた俺は、卒業しても働き口が無いという現実に直面して唖然とした。


 当時の、帝国全体の失業率は5%前後であった。さしてひどい数字とは言えない。故に俺は、普通に学校を卒業さえすればどこかしらで働いて、細々と食っていけるだろうと考えて疑わなかったわけである。


 これがとんでもない数字のペテンであったことを知ったのはずいぶん後の話だ。


 まず、地方格差の問題があった。工業や農業で活況を呈している惑星であれば、それは失業率は低いに決まっている。自惑星で求人が賄えずに他の惑星からの移民や出稼ぎで労働力を賄っている惑星も多く存在した。


 しかしながら、そうでない惑星もあり、俺の生まれ故郷はそっちの方に分類された。どちらかといえば農業系の、しかもぱっとしない惑星であった。あの惑星では、失業率が時に10%を超えたのである。


 平均すれば、帝国全体の失業率は一割以下となるのだった。これを数字のペテンと言わずしてなんと言おう。


 そして、失業者の受け皿として存在した帝国軍の存在がある。これに救済されれば、失業者は失業者でなくなるわけだ。帝国軍は不景気時になると求人枠を拡大した。つまるところ俺もそれに助けられたくちだったわけである。


 他に選択の余地が無かったとはいえ、そのときの俺には別に大きな不満は無かった。軍というのは立派な就職口だ。満期まで勤め上げれば恩給も付く。そんな気楽な考えでいた訳である。


 俺の同期も、大体同じような貧乏惑星出身の若者たちだった。俺たちは近くの帝国軍錬兵施設で厳しい新兵訓練を受けた後、いきなり、とある惑星の暴動鎮圧へと送り込まれた。


 カスルヴェード。農業惑星カスルヴェードといえば、俺が居た惑星近辺では比較的有名だった。非常に土地が肥えており、穀物収穫量の多さでは帝国屈指だとか。ただし、有名だったのはそのためではない。


 この惑星は、帝国首都を本拠地とする財閥の私有地であった。つまり、惑星全体を企業が管理し、計画的で効率的な農業生産が行われていたのである。


 大企業的な、計画的で効率の良い生産。俺は日雇い仕事をしながら思い知ったのだが、こと賃金の支払いに関しては、中小企業よりも大企業の方が渋いのだ。カスルヴェードでは、大企業的なコスト管理の下、労働者がこき使われていたのだった。


 つまり、要約すれば、近隣に鳴り響くほど安い賃金で、労働者が農業生産のためにこき使われていたのだった。古い言葉だが、あそこの連中は「農奴」だな、というもっぱらな評判だったわけである。しかしなにしろ、近辺の失業率は15%を超えていたくらいだ。そんな極悪条件下でも職を求めてカスルヴェールにやってくる連中はいた。故に、管理をしている企業は状況を改めようとはまるで考えなかった。むしろ、現地管理者はコスト削減を自分の手柄とするために、どんどん労働条件を悪化させていった。


 人間は機械じゃない。機械であれば、過負荷を与えれば壊れてお終いだが、人間は壊れる前に声を上げる。度重なる労働者からの訴えに、カスルヴェールを管理している企業は耳を貸さなかった。往々にして数字しか管理していない連中は労働者への給料を投資ではなくてコストだと判断する。コストを増やすことにアレルギー染みた拒否反応を示すのは経理担当者の習性であるから仕方が無いというべきだろうか。


 機械だって異常ブザーを放置し続ければ、壊れるか暴走を起こす。人間だって同じだ。カスルヴェールの労働者はついにぶち切れて暴走した。徒党を組んで、企業の現地事務所を襲って燃やした。そしてそのまま惑星全土に混乱を拡大させたのだ。


 この惑星の反乱に帝国軍が出動したのは、カスルヴェールの巨大な農業生産能力が失われれば、帝国全体の食料価格にまで影響が出てしまうからであったろう。帝国軍第8軍団は瞬く間に惑星の衛星軌道を制圧。宇宙空間からの援護砲撃に守られながら、陸戦部隊が揚陸艦で地上に降下する。その中に、俺がいた。


 後から考えれば、カスルヴェールで反乱を起こしたのは唯の農民たちであって、兵士ではなかったのである。つまり、ろくな武装など持っているはずも無い。しかし、新兵であって、実包の詰め込まれた自動小銃などろくに持ったこともない俺たちには、そんなことを考える余裕も無かった。


 突撃を命令されれば、銃を乱射しながら兎に角走った。口を大きく開けて絶叫し、段差に躓いて転倒し、ぬかるみに顔を突っ込みながら、兎に角走って撃って、そして殺した。


 敵がいる方角にいて、軍服を着ていない連中は皆撃った。敵は兵隊ではなく、見分けが付かなかったからである。女だろうが子供だろうが容赦しなかった。実際、女子供が銃をもって我々に立ち向かってきた例は少なくなかったのだ。


 反乱を起こした労働者たち。「我々の敵」は、兵士では無く、戦意も高いとはいえなかった。後に先輩の兵士から聞いたところでは、カスルヴェールは楽な戦いであったそうである。しかしそれでも、俺の同期の連中は皆死んだ。


 カスルヴェールでの戦いは一ヶ月続いた。


 俺はその間「敵」を殺し続けた。そうしなければ自分が生き残れなかったからである。目前に「敵」を見出したなら、撃つこと。そいつが動けなくなるまで銃弾をぶち込むこと。動かなくなったら、すぐにそこから離れること。それが、俺が戦場で身に着けた生き残るための鉄則であった。俺の同期の連中にはそれが出来なかったのだろう。


 戦場で略奪、強姦、虐殺が起こりだすのは戦争が終了に近づいて掃討作戦の段階にはいってからだ。カスルヴェールはしけた惑星だったから、それらはいずれも小規模ではあったらしい。


 盛大に燃え上がる街。真っ赤に照らし出されたそこここに転がる死体。それらはほとんどが老人、子供、そして女。とうに血の臭いにも、死体が腐る臭いにも、うごめく蛆虫にも無反応になっていた。


 とある路地に踏み入ると、一人の若い女と鉢合わせた。全裸だ。俺の姿を見ると、身体を隠して後退する。彼女が陥った事態は明白だ。血走った目を、敵意と怨みの篭った目を俺に向けている。


 俺は撃った。拳銃で彼女の額を撃ち抜いた。出来損ないの水鉄砲のように血と脳漿が噴出し、彼女は奇妙によじれた姿勢で石畳に叩きつけられた。俺はその女だった物体を踏み越えて前進した。俺に敵意を持っている以上、彼女は敵だった。敵は撃たなければならない。戦場ではそういうことになっている。


 俺は最後まで生き残り、報奨金を貰った。昇進して、一等兵にもなれるはずだった。しかし、俺は鎮守府に帰るなり辞表を提出し、軍を辞めた。


 怖かった。慣れるのが怖かったのだ。戦場の常識を身に馴染ませてしまえば、きっと俺は後戻りが出来なくなる。それがたまらなく怖かった。


 軍を辞めれば、俺はめでたく失業者の仲間入りだ。景気の良さそうな惑星を渡り歩き、日雇い労働をしながら路上に寝るような生活が始まった・・・。




 私は眉を寄せてしばらく考えました。


 しかし、とうとうカスルヴェールの反乱の詳細を思い出すことが出来ませんでした。つまりそれは非常に小規模な反乱であったのでしょう。そういう小さな反乱は、帝国の至る所で年中起こっており、流石の私もそれらを全て記憶しているわけではなかったのです。


 この百年。帝国では大小含めれば、反乱や暴動が起こっていない時など無かったと言って良いでしょう。カスルヴェールはその中の一つでしかなかったのです。


 グレッグは、反乱での経験を語り終えると、黙り込みました。手をテーブルから下ろしてしまっています。


「どしたの?食べないの?」


 アニスの言葉にも反応しません。見開いた目で、皿に寝せられたフォークの輝きを睨みつけているようでした。


「・・・皇帝陛下」


 しばらくして、ようやく彼が口を開きました。


「やはり、お断りさせて頂きます」


「私の事がお嫌いですか」


 私の言葉に、彼は虚を突かれたような表情で顔を上げました。


「そういうわけではありませんが・・・」


「皇帝が嫌いなのでしょう」


 彼の調書には、彼が反帝国的思想の持ち主であると書いてありました。私は、彼の話を聞いていて、その事をなんとなく理解していました。彼は、帝国と皇帝を、というより、帝国の現状を嫌っていたのです。失業者が溢れ、反乱暴動が頻発し、その度に自分が経験したような地獄のような戦場が現出するこの時代を嫌っていたのでした。


 心情的反帝派。非積極的反国家思想の持ち主。つまりはそういうことでした。


「構いませんよ」


 私は言いました。


「私とて、帝国の現状が好きではありません。むしろ改めたいと思っている。そのためにあなたに力を貸していただきたいのです」


「そうよ!あなたでなければ駄目なのよ!」


 アニスが私よりも余程熱心に言います。いや、別にそこまでは・・・。


「俺は、何の能も無い人間です。あなたの役には立てませんよ」


 グレッグは言い、立ち上がりました。


「釈放してくれたことには感謝いたします。皇帝陛下」


「仕方がありませんね」


 私はあっさり諦めましたが、アニスはそうではありませんでした。彼女は激昂して立ち上がります。


「駄目よ!行かせないわ!」


「アニス」


 私の制止も耳に入らないらしい。彼女は白い指先をグレッグに向かって突きつけました。


「このまま行くと言うなら、払ってもらうわ!」


 グレッグは不審気に眉を潜めました。


「何を?」


「この食事の料金をよ!」


 また世知辛いことを言い出したものです。


「あなたが飲んだそのワインは、ベルメル産の8000年ものよ!そんじょそこらのワインじゃないのよ!」


 確かに、そのワインはこのホテル秘蔵の品であるとシェフから聞きました。


「さぁ!払いなさい!」


 無理難題にグレッグは窮したようでした。彼は刑務所を出たばかりで、無一文であることは間違いないところです。


 これが洋服や靴の代金と言い出したのでしたら、脱ぎ捨てて行けばいいだけのことであったでしょうが、食べてしまったものはどうしようもなありません。アニスは、そういうところは意外に狡猾です。グレッグも困り果てたようです。


 グレッグは義理堅い男でした。無責任な発言は絶対にしない男だったのです。さらに言えば、彼は押しに弱く、人から強く頼まれたことは断れないタイプでした。これは後から知ったのですが。


 私は彼の困惑に乗ずることにしました。


「あなたを永久に拘束する気はありませんよ。一度だけ私のために力を貸していただけませんか」


「・・・何をすればいいんです?」


 彼は遂に折れました。




 結局、俺は皇帝の頼みを聞くことになった。まぁ、別に予定があったわけでも待たせている人が居るわけでも無いのだから良いのであるが。


 むしろ、住所不定無職の俺を他ならぬ皇帝陛下が直々に雇ってくださるというのだから、これほど良い話も無い。他人が聞けば、俺のつまらぬこだわりを笑うだろう。だが俺の気分は晴れがましいとはとても言えなかった。


 俺は軍を自らの意思で辞めた。その時に、皇帝への忠誠心。軍で徹底的に叩き込まれたそれとは縁を切ったわけである。反動というか、そのせいで俺は逆に皇帝に対して奇妙な反発心を抱いていたのだった。ただ、これは自分でも上手く説明が出来ない気分である。


 皇帝本人を目の前にしてその気分が揺らいでいたことも確かだった。彼は腰の低い、人に反発心を抱かせないタイプの男であったのだ。


 俺は複雑な気分を抱えたまま、出発の準備を始めた。




「どうしましたアニス?その格好は?」


 ドアがノックされて、入ってきたのはアニスでした。私はその彼女を見て我が目を疑いました。


 彼女はいつでも巫女服を着ている訳ではありません。あれは公的な場所に「銀の巫女」として出る時に着る服です。いつもの彼女は普通に洋服を着て歩いています。


 しかし、この時の彼女の格好はいつもとは違いました。


 そもそも彼女はズボンなど履いたこともないはずです。しかもそれは固い素材で作られた作業ズボンでした。腰のところに太いベルト。短い上着は濃いオレンジ色。足元をブーツで固めています。


 いや、それよりももっとおかしなところがあります。


 彼女はいわゆるアルピノです。生まれつき身体の色素がほとんど無いという遺伝的病気でした。そのため、髪の色は純白。肌の色は薄いピンク。瞳の色は真紅。その筈でした。


 しかし、この時の彼女の髪の色はかなり薄いがブロンドでした。肌の色も少し濃くなり、瞳の色も私に良く似た深海の色に似た濃い青。


「薬を飲んだのですか」


 アルピノである彼女は、紫外線に極端に弱く、太陽の光をまったく浴びることが出来ません。そのため、外出する時には、皮下に色素を定着させる特殊な薬を飲む必要があるのでした。もっとも、彼女は普段宮殿に住まい、まったく外出しません。この薬もなぜだかあまり好まず、そのため私は彼女のこの姿もほとんど見たことがありません。


 どういう風の吹き回しでしょうか。いぶかしむ私の前で、彼女は髪をなびかせ、くるりと一回転しました。


「お暇乞いを致しに参りました。兄様」


 アニスはそっと頭を下げました。


「暇乞い?」


「私は、グレッグと共に参ります」


 私は驚愕しました。


「何を言い出すのですか!」


「もう、決めました」


 アニスは涼しい顔で言い切りました。


 私は半ば呆然と、自分の実の妹を見詰めました。「銀の巫女」であり、帝国の内親王であり、そして、私の妹。薬を飲み、青目金髪となったその姿は、まるで死んだ母の生き写しの姿に見えました。


「ご心配無く。兄様。永久のお別れではございません。ほんの少し、の間でございます」


 アニスそう言って微笑みました。


「ですが、そなたは帝国の巫女。巫女が居なければ神事が行えますまい」


「ご心配無く。私など居なくても、ちゃんと神事は行えるのですよ」


 確かに私は神事のことなど良くは知らないので、そう言われれば何も言えないのですが・・・。いや、そういう問題ではなく・・・。


 グレッグが行くのは帝国の辺境でした。治安は悪く、帝室への感情も良いとはいえないでしょう。そんな場所に世間知らずを絵に描いたようなアニスをろくな護衛も成しに行かせるなど、論外なことでありましょう。強く引き止めるべきでした。場合によっては皇帝の権限を使って、彼女を幽閉してでも行かせるべきではなかったでしょう。しかし、なぜか私にはそれが出来ませんでした。


 彼女の微笑から強い決意を見出したからかもしれませんし、何か他の何かを感じ取ったからかもしれません。結局私は、しばらく彼女を見詰めた後に、彼女を抱擁しつつこう言うしかありませんでした。


「身体に気をつけるのですよ。グレッグの言うことを聞いて、彼に頼るように」


「ご安心を。兄様。私のことはきっとグレッグが守ってくださいます」




 冗談では、無かった。


 俺は思わず声を限りに叫んでいた。


 「ふざけんな!」


 宇宙港のエントランス。貧乏惑星とはいえ、数十人の人々がいるそこででだ。当然、俺ともう一人に大勢の視線が集中し、あいつは眉を顰めた。


「静かにしなさいよ。みっともない」


 俺もそう思った。こめかみを人差し指で押さえて眩暈を堪える。


 懸命に自分の精神をコントロールすること数秒。ようやくにして先ほどよりもだいぶ小さな声を出すことに成功した。


「ふざけんな!」


「同じ台詞を何度も言わないでよ。馬鹿みたいよ」


 あいつは、すっきりした顎を上げてそっぽを向いた。


 俺は、最初それが誰だかわからなかった。透き通るようなブロンド。滑らかな白い頬。青玉よりも神秘的な瞳。オレンジ色のブルゾンとジーンズという活動的な格好をしたその少女。そいつが弾けるような微笑を浮かべつつ歩いてきた時、俺は一瞬見とれ、そして既視感を覚えていぶかしみ、そしてその正体に気が付いて愕然とした。


 そして、そいつ、アニス・フラミニアは「私も一緒に行きますから」とのたもうたのだ。俺が一瞬我を失ったとしても俺の責任では無いだろう。


「何を考えてる?新手の冗談なら止めてくれ」


「冗談などではありません。ちゃんと兄様にもお別れを済ませてきました」


「兄様・・・」


 俺の雇い主の名前をこんな公衆の真っ只中で口の端に載せるのは憚られた。


「・・・彼はいいって言ったのか?」


「ええ『グレッグによろしく』って言っていました」


 俺は項垂れた。聞いてないから。


 俺は、皇帝シオスに個人的に雇われ、ある密命を受けたのだった。彼は別に声を潜めるでもなく軽く言った。


「帝国の辺境星系に少し大きめの反帝国組織が出来上がりつつあります。そこへ行ってもらいたいのです」


「行くのは構いませんが?何をするんです?」


「とりあえず、親書を持っていってもらいます。それと、交渉ですね」


「交渉?」


 皇帝はふう、と大き目のため息を吐いた。


「私には、彼らがどうして反帝国運動を行っているのかがよく分からないのですよグレッグ。彼らが行っているテロや海賊行為は辺境の治安を悪化させ、帝国の地方統治を滞らせ、民に迷惑を掛けているだけです。帝国の統治に何か不満があるのであれば、そういう過激な活動をせずに、私に訴えて頂きたいのですよ。彼等にそう伝えていただきたい」


 俺は思わず彼の顔をまじまじと見つめてしまった。帝国の年若い統治者。彼は帝国臣民を愛し、帝国の将来を憂う、真摯なる皇帝であるようだった。なにしろ、この上ないほど場末の惑星にある刑務所に、御自ら視察に訪れるくらいなのである。しかし、いかんせん世間知らずでもあるようだった。


「何か?」


 俺の視線に気が付いて彼は目を細めた。


「いえ、別に」


 まぁ、それは言ってもせん無きことでもある。俺は言わないことにした。


 俺は彼から親書を預かり、路銀をたっぷり用意してもらって辺境へと旅立つべく宇宙港にやってきたのだった。手紙を届けるだけの楽な仕事だ。この時俺はそう考えていた。


 しかし、こんなお荷物を連れて行かないとなると話は別である。


 俺は説得に掛かった。


「おいおい、俺がいったいどこに行くんだと思っているんだ?辺境に巣食うテロリストの巣に乗り込んで行くんだぜ」


「知ってます」


 アニスは平然としている。俺は彼女の耳に口を寄せて声を潜ませた。


「連中は無頼の徒だ。礼儀なんて期待しない方がいいぞ」


「というと?」


「あんたが皇帝の妹だなんて知れたら唯じゃ済まないって事さ。軽く輪姦された挙句見せしめに殺されるな」


 アニスは間近からその大きな瞳で俺を見上げた。常とは違う群青の瞳。金色の前髪がヴェールのようにその前で揺れている。


「その時、あなたはどうします?」


 空間が透き通るような、声だった。俺は返答に詰った。


「どうします?」


 彼女の瞳を見ていると、吸い込まれるような錯覚を覚える。俺は思わず唾を飲み込み、どもりつつ答えた。


「ま、まぁ、そん時は俺が助けてやるけど・・・」


「そう!良かった!」


 アニスは満面の笑みを浮かべ、優雅に一礼した。


「では、よろしく。グレッグ」


 俺は頷くしかなかったわけである。




 帝国が全宇宙を統一したのは、天象暦6100年頃であると推定されている。


 どうしてこんなに不確かなのかというと、帝国はその長い歴史の中で何度か大乱に見舞われており、その内一度などは首都が星ごと破壊されてさえいるからである。帝国創成期の詳しい歴史はその時宇宙の闇の中へ消えてしまった。


 帝国は幾多の混乱を乗り越えつつも統一を維持し、人類世界の拡大と共に領域を拡大させていった。


 帝国が約二千年という、史上稀に見るほど長い期間人類世界を統治し得たのは、人類世界が拡大し続けていたからであろう。拡大を続ける国家は発展し続けるものなのである。宇宙空間は事実上無限大の広さを誇っており、その中のほんの一片でしかない銀河系ですら人類にとっては十分過ぎるほど広かった。銀河帝国は、貪欲な拡張欲をもって人類世界を銀河の中に広げて行ったのだった。


 だがしかし、歴史上何度でも例があったことであったのだが、国土の拡大は帝国に分裂の危険を呼び込むことになる。


 単に国土が広くなった事が国家の分裂を呼び込むのではない。国土の巨大化が富の偏在を生むから国家は分裂するのである。


国家は拡大すると共に中心と周辺が生まれる。中心は、周辺から富を収奪する。その結果、中心と周辺の間には富の偏在が生ずる。当然、周辺は中心に対して不満を持つわけだ。自らが生み出した富を自らが使いたいと周辺が考えた時、中心との対立が生まれ、国家は分裂の危機に直面することになる。


 故に銀河帝国の歴史は拡大と、分裂の危機と、統一の維持のための努力の歴史であると言って良い。それは即ち反乱内乱の連続と、その鎮圧の歴史であることを意味した。何度も大きな内戦があり、帝国は大きく揺れ動いた。しかしそれでも帝国は統一を維持し続けてきた。


人類世界の構造的問題として、単体で経済圏を維持出来る人類居住惑星が非常に少ないという事が上げられる。つまり、複数の惑星を含んだ広域経済圏の維持は人類世界を保つためにはどうしても必要なことなのだった。安易な分裂は帝国どころか人類社会の枯死に繋がる。つまり人類社会は結局、帝国を必要としたのである。


 それがこの百年、帝国内の動揺は激しさを増す一方だった。


 帝国の内情が変わったわけではない。銀河系が開発され尽くしたわけでも、単一で経済を維持できる星系が増えたわけでもなかった。帝国政府の腐敗や地方政庁の汚職、富の格差が原因でもなかった。それでも帝国の衰退は誰の目にも明らかな段階に突入していたのである。




 窓に張り付くようにしてアニスが外を見ている。


恒星間航行連絡船の三等客室。絨毯の敷かれた広いフロアに旅行者達が雑魚寝している。俺とアニスはその一角に場所を確保した。俺は早速毛布を被って横になったのだが、アニスは窓の外に心を奪われたようだった。


「そんなに面白いか?宇宙」


 俺が声を掛けると、アニスは瞳に星を反射させながら大きく頷いた。


「うん!」


「星しか見えないだろう」


「うん!」


 聞こえているのかいないのか・・・。俺は諦めて毛布を被り直す。


 こいつが来ると分かっていたら、個室を確保したのだがな。三等客室は文字通り上等な客室ではない。喧しいし、不潔だし、それに治安も良くないのだ。あまり若い女性にはお勧めできない。


 押しかけて来たのか、押し付けられたのかは知らないが、同行を許可してしまった以上、こいつの保護も給料の内に入っていると考えるべきだろう。俺は溜息を吐いた。妹の身に何かあったら、あの温厚そうな皇帝陛下がどのように豹変するだろうか。想像もつかないが、笑って許してくれないことだけは確かだろうな。


 だめだ、落ち着かん。俺はもう一度アニスの方に目をやった。すると意外なことに彼女は窓の外を見ておらず、俺のことを見下ろしていた。瞳が、宇宙空間まで続いているような錯覚を覚えた。星の光を浴びた長い髪は、まるで本来の色のように白く輝いている。


 雪原に風が吹き渡るような微笑。アニスは呟いた。


「大丈夫よ」


「何がだ」


 彼女は俺の額に指を当てて、それを軽く押した。


「私には分かるの」


 何がだ。と、聞き返そうとして、なぜか俺は黙り込む。こいつがいろんな意味で普通じゃないことは、既に俺にも感じ取れた。


 アニスには、何が見えているというのだろうか。


「私には、未来の断片が見えるのよ」


 俺の思いを見透かしたようにアニスが言う。目を閉じながら斜め上を見上げつつ、歌うように。


「未来の事が、少しずつ。それを繋ぎ合わせることによって、私にはある程度未来が予知出来る。それが『銀の巫女』の力」


 俺は言葉を失った。それはもしかしてとんでもない力ではないだろうか。


「そうでもないわ」


 アニスは肩をすくめた。


「見えるのはあくまで断片。しかも、時系列順に見えるわけじゃないし、必要な断片が揃わないこともある。全てが終わってから『ああ、そういうことだったのか』って気がつくことのほうが多いのよ」


目を開けたアニスはどこか悲しげだった。


「でも、たまには、役に立つ。だから、あなたのことが、分かった・・・」


 その瞳の色が融けるように赤く変って行く。剥がれ落ちるように髪の色も白くなる。肌も新雪のように。それだけではなく、彼女から発する雰囲気がまるで引き剥がしたかのように一変する。


「あなたと巡り合ったことが・・・だと、分かったの」


 アニスは、聞き取れないような小さな声で呟いた。そして上着のポケットから何かを取り出して口に放り込んだ。


 と、見る間に髪の色は金に、肌にも色がついて行く。上げた顔には濃い青色の瞳がある。


「色素を定着させる薬。これを定期的に飲まないといけないの。私は日光に弱いから」


「あ、ああ」


 それだけではあるまい。薬を飲んだ瞬間に、本来の姿のアニスが発していた、あの不思議な波動が消えていた。思い起こせば、宇宙港で彼女の事が誰だか分からなくなったのは、髪の色や瞳の色が変わったこと以上にそれが違っていたからなのだろう。俺の呆然とした表情で気がついたのか、アニスはくすりと笑った。


「そうよ。この薬を飲むと、巫女の力は消えてしまうの。身体の色が普通の間は、私は普通の女の子。だから、私はこの薬が嫌い」


 俺は頭を強く振った。俺には理解出来かねる話だった。


「で、なにが大丈夫なんだ?」


「なにが?」


「お前が言ったんだろうが」


「ああ・・・、そうね。きっと無事に使いの役目を果たして、私もあなたも無事に帰って来れる。そういう意味よ」


「巫女の言葉なのか?」


「そうかもね」


 ふん。意外に強い鼻息が出てしまったらしい。アニスがやや不快そうに眉を顰める。


「何か言いたいの?」


「未来が決まっているわけが無いだろう?馬鹿馬鹿しい。俺をからかうのもいい加減にしろ」


 俺はそう言い捨てるとアニスに背を向けて、埃臭い毛布を鼻まで引き上げた。




 彼が理解できないのも、無理も無いことでした。


 私には未来が見えました。それが、ほんの断片に過ぎなくとも、それは私達がこれから辿るべき未来だったのです。


 だけど、未来が見えるのと、未来が理解出来るのとは違うことだったのです。私に出来ることは、見て、想像するだけ。それは、ジグソーパズルの一片を配られ、それから全体の完成像を想定するようなものです。


 ほとんどの場合、全てのピースが配られる前に現実が追いついて、事象が発生してしまうのでした。私は始め、一生懸命に事象が発生する前に未来を予測しようとがんばったものです。


 しかし、それは非常に困難でした。いえ、ほとんど成功したことが無かったのです。


 なぜでしょうか。


 多分、グレッグが言う通り、未来は決定事項ではないからです。


 未来は過去の積み重ねの上に、次第に形成されていきます。その時に完成した断片が私には見えるのだと思います。不確定な部分は見えない。


 結局、私に出来るのは、ただ未来が形成されてゆくのを見ながら、ただ傍観することでした。兄様にそう言うと「それでは何の役にも立ちませんね」と遠慮なく笑い飛ばされたものでしたが。


 幾つもの未来の断片。それは唐突に、何の脈絡も無く、発生する事象の時系列も空間も無視して私に届けられます。


 その中に、ずっと昔から繰り返し、繰り返し映るピースがありました。


 呪いの様な、悪夢のような断片。


 その未来への手がかり。それが・・・。


「あなたなのよ、グレッグ」


 グレッグは多分、寝てしまったのでしょう。何の反応も見せませんでした。




 そこは小さな鉱山惑星だった。ずいぶん昔から開発が行われていたらしく、惑星表面は全て建造物で覆われている。そのおかげで地表が錆色に見えた。


 俺達は乗り継ぎのためにこの惑星に下りた。帝国の定期便はここで終わっていたのだ。この後は私営の宇宙船を手配するしかないのだが、目的の星系への便はすぐには出ないというのだった。仕方が無いので、宇宙港から軌道エレベーターで地上に降り、便が出るまで宿をとることにした。


 まぁ、しょぼくれた惑星であるようだった。昔は資源の産出量も豊富で活気があったのだろう。しかし今は豊かな時代は終わり、人々は他の惑星に流出。残った人々が残りかすにしがみついて細々と生活している。そんなところであろう。いくらでも例がある話で、俺はこんな様な惑星を幾つも目にした事があった。


 しかし、アニスにとっては初めての風景であるようだった。


「ねぇ!あれって何!」


「唯の看板だよ」


「でも、動いたり、ぴかぴかしたり、面白い!」


 こんな感じで何にでも驚き、感動し、大騒ぎしている。それも仕方が無いことかもしれない。聞くところによると、彼女は生まれた時から王宮の外に出たことは数えるほどしか無いというのだ。俺が居た刑務所に来たこと自体がほとんど例の無い外出だったらしい。


 王宮、ましてや、その深窓のお姫様には確かに驚くべき世界なのだろう。彼女に外灯の点き方から、走っている旧式の化石燃料車についてなど説明している内に、不思議なことに俺の気分も高揚してきた。


 考えてみれば、俺の方だって半年近く留置所、刑務所の中に叩き込まれていたのだった。つまり、久々のシャバなのだ。そして、アニスはこうして夜の街の明かりに照らされてみれば、輝く金髪と碧眼の、見るからに美少女である。そんな彼女と久々の、しょぼくれた惑星のとはいえ繁華街。これは、心が浮き立つのも当たり前だ。


「よし!飲むか!」


「何を?」


 俺はアニスの頭をガシガシかき回した。彼女は嫌そうな顔をする。


「俺に任せとけ。こういうところはよく知ってるんだ。お勧めはああいう小さな店だ!だけど、どこでも良いというわけじゃない。まず、店先が綺麗に掃除されていない店は駄目だ!」


 俺の無用に高いテンションにアニスが不思議そうな顔をしていた。俺は構わず彼女の手を引いて歩き出す。


 小奇麗な居酒屋に入ってビールを注文し、それを飲み干した時の感動といったら無かった。思わず涙が出たほどだ。まったく、刑務所になど入るものではない。俺は二度とごめんだ。アニスはビールを初めて飲んだらしく、その苦さに舌を出していた。出された枝豆の食べ方が分からないというので「皮ごと丸呑みにしろ」と嘘を教えたら居酒屋の店主に怒られる。


 アニスはここでも好奇心を全開にし、出された料理から店の飾り付けについてまで俺を質問攻めにしたが、俺は心がおおらかになっていたので全てに懇切丁寧な回答を与えてやった。アニスはつまみで注文した揚げ出し豆腐がいたく気に入ったらしく、それを三つも注文してひたすらそればかりを喰っている。この宇宙でおそらくはもっとも贅沢な生活をおくってきたにしては、アニスはこういう貧乏臭い宴にも何の不満も漏らさなかった。たまに、料理の味について俺の聞いたことも無いような食材を比較の対象にしていたが。


 俺は久々の酒を楽しみ、要するにかなり酔っ払い、アニスの肩を借りて店を出るはめになった。皇帝の妹の肩を借りたのであるから恐縮しても良かったのかもしれない。


 開放感が俺を包んでいた。こんな自由を取り戻すことが出来たのも、あの皇帝とここにいるアニスのおかげだ。そう思えば、彼等のために少し働くことぐらいなんでもないことだろう。そんなことまで考えた。この時は。


 宿に戻るべく、とある細い路地に入った時のことだった。


 いきなり突き飛ばされた。俺はアニスから引き離されて積まれていたゴミの中に突っ伏す。


「なにをするの!」


 アニスの悲鳴。


 見ると、三人の男がアニスを押さえようとしていた。もがくアニスを羽交い絞めにして引き摺ろうとしている。その先には車が止まっているようだった。


 俺は慌てて立ち上がろうとして、再び仰向けに転倒した。一人が俺に蹴りをくれたのである。


「おめぇは寝てろ!」


 嘲笑が聞こえる。


 俺は頭を振った。酔っ払っている場合ではなさそうだ。既にアニスは二人の男に両手足の動きを封じられている。懸命に抵抗するアニスだが彼女の力では男二人の力にはとても抗し得まい。


 俺は、今度は慎重に中腰で立ち上がった。


「おい!」


 俺のことを警戒する男だけではなく、アニスを押さえようとしている連中にも聞こえるように大きな声を出す。まだ十代くらいの連中だ。そこらにいくらでも転がっていそうな、平和そうな面した若造。


「そいつを、放せ」


 俺は、懐のあるものを確認する。


「そいつは、お前等には過ぎた女だ」


 なにせ、皇帝の妹だ。


 俺の台詞のどこが面白かったのか、ガキの一人は黄色い歯を見せて笑った。そしてこれ見よがしに折り畳みナイフをポケットから出して、刃を出す。銀色の刃が大きな通りから流れ込んできた外灯の光に輝いた。


「怪我したくなかったら、おめぇはそこで・・・」


 俺は、最後まで聞いてはいなかった。


 俺は撃った。


 そのガキには何が起こったのか分からなかっただろう。目を丸くして俺のことを見詰めたまま、そいつは死んだ。心臓の中央を銃弾が通過すれば人間は普通死ぬ。目と鼻の先にいる人間の心臓を撃ち抜くことくらい、子供にだって出来る。


 血が霧を噴くように俺に降りかかった。俺は全身を朱に染めながらアニスを押さえている連中を見やった。


 アニスを抱え上げたまま連中は硬直していた。その視線は俺の右手に固定されている。


 拳銃。護身用の、小口径のちゃちな代物だが、人の命を奪うために作られたものであることは間違いない。つまり、人を殺すのに十分な機能を持っているということである。今さっき俺がそれを証明したわけだ。


 アニスも大きな瞳を真丸にして俺のことを見詰めている。俺はほとんど機械的に彼女の方に歩み寄ると、撃った。


 パン、パンと二発。馬鹿なガキどもは逃げもせずにぼんやりと突っ立っていたので、簡単な作業だった。額を打ち抜かれた二人は撃たれた衝撃でアニスから手を放し、血まみれになってアスファルトに叩きつけられる。アニスは尻餅をついた姿勢で、呆然と俺を見上げていた。彼女の顔も、返り血で赤く染まっている。


「大丈夫か?」


 俺は左手を差し出した。あいつはその手を見て一瞬怯えたように肩を竦めた。それも仕方が無いか。


「仕方が無かった。他に方法が無かった」


「でも・・・」


「敵は、殺すしかない」


 俺の言葉に、言葉の意味ではなくおそらくは俺の口調にアニスは口を噤んだ。


 その時、声が掛かった。


「物騒な男だ」


 俺は反射的に銃口を向ける。そこにはさっきのガキどもが降りてきたと思しきワンボックスカーが止まっており、そこから新たな一人が降りてきていた。


 黒い髪は長く、頭の後ろで縛っている。眼鏡の向こうには細い目があり、そこから鋭い視線が俺に向かって延びている。地味なジャンパーとジーンズ。ふけて見えるが意外に若いだろう。彼は軽く両手を上げた。


「悪かった。ちょっとやり方が荒っぽかったことは認めよう」


「お前も、敵か」


「敵だと答えたなら撃つ気か?」


「ああ」


「じゃぁ、違う」


 人を食ったような返答だった。彼は両手を上げたまま顎でアニスを示した。


「君には用が無かったんだ。彼女の方に、用があったんでね。それで引き離そうとした。分かった。もうしないよ」


 俺はアニスを立たせて俺の背後に庇う。


「この女は預かり物だ」


「知ってる。分かったよ。それでは君も含めてご同行願いたい。どうかな?」


 何を言ってやがる?俺はいぶかしんだ。


 それが、俺とラルフ・アイナムの出会いであった。




 僕は内心ドキドキしていた。


 それはそうだろう。血まみれの、なんだか絶好調に暗い顔をした男が、自分の胸に銃口を擬しているのだ。寿命が縮むような経験であるといって良い。僕はその時まで銃口にその身を晒したことなど無かったし。


 ただ、この男は理由も無く人を殺すような奴ではない、とも分かっていた。だから、むしろ堂々としていた方が安全だと考えてもいたのだ。


 そもそも、この時の僕には、グレッグはほとんど眼中に無かった。僕が考えていたのは、あの皇帝の妹であり、帝国筆頭巫女たるアニス・フラミニアが自分の縄張りに現われたというその信じられないような幸運をどう生かすかでしかなかった。グレッグはせいぜいその護衛くらいにしか思っていなかったのだ。


 なぜアニスの存在が知れたのかって?あの娘は堂々と自分の名前で旅券を購入し、宿帳にサインするのだ。不用意極まりない所業だ。アニスは、皇帝一家に興味が居る連中にとってはそれなりに有名なのだ。髪や瞳の色を変えたくらいではごまかせない程度には。


 それで、彼女を拉致すべく後をつけ、チャンスと見て部下に襲わせたわけだったのだが・・・。


 僕は必死だった。彼女を逃すわけには行かなかった。彼女を手に入れれば、その人質にして皇帝に交渉するなり巨額な身代金を請求するなり、兎に角、我々の組織にとって巨大な利益をもたらしてくれる筈だった。


 故に似合わない勇気を奮ってグレッグの前に立ったのだ。


 グレッグは僕の顔に殺気そのものの冷たい視線を向けていたが、不意に足元を顎で指した。


「こいつら」


 足元に倒れている僕の部下。オルエ、タモン、エルカドの三人の死体のことだ。


「こいつらを殺したことをここの官憲にばれない様に出来るか」


「む・・・」


「それをやってくれれば、お前に同行してもいい」


 う~む、官憲は兎も角・・・。彼等は僕の同志だった。彼等が殺されたと聞けば仲間達は激昂するだろう。報復を叫ぶ彼等を抑えるほうが骨が折れそうだった。しかし・・・。


「分かった」


 アニスを手に入れることのほうが優先だった。僕は請け負った。


「あなた達の身の安全は僕が保証する」


 それを聞くとグレッグはようやく銃口を下げた。


「わかった。あんた達に俺達の身柄を預けよう」


 僕はほっと息を吐いた。よしよし。とりあえずアジトに連れ帰りさえすればなんとでもなる。この男はチャンスを見て始末すればよいのだし・・・。


 しかし、グレッグは俺の内心を見透かしたようにこう言った。


「俺とアニスは必ず同道させること。当然それは守ってもらうぞ。それが守られなかったり、俺の身に危害が加えられたら、アニスは自害する。アニスいいな?」


 勝手に決めないでよ、という風に眉を顰めながらではあったが、アニスは頷いた。おや?僕は興味を抱いた。この男は単なる護衛役などではないようだった。


「あんたは何者なんだ?」


 すると、グレッグではなくアニスの方が誇らしげに答えた。


「私の運命の人よ!」




 その瞬間のラルフの顔は忘れ難いものがありました。その時まで彼はグレッグのことをなんとも思っていなかったのでしょう。途端にグレッグに興味を示したようでした。


私はグレッグの腕を抱え込みました。鉄のような血の臭い。彼は気遣うように私を見下ろします。


「大丈夫か?」


「・・・うん」


「震えているのか?」


「・・・うん」


実は私は、感動に震えていたのです。


 新たな、断片が。いつかから見続けている未来を構成する新たなピースが揃ったのです。


 ラルフ・アイナム。彼こそが、私が探し続けてきた断片でした。


 ああ、今ここに、動き出すのだと。私には分かりました。


 グレッグとラルフの出会い。それが、決定的な出会いであることを、おそらくこの時、私だけが知っていました。


 薬で身体の色が変わっていなければ、未来が音を立てて形成されてゆく様が幻視出来たでしょう。見たかった。見ておくべきでした。私は今でもそれが残念でなりません。


 私に出来ることは見ることだけなのだから。



 僕たちのアジトは、町外れの廃ビルにあった。無論、不法占拠である。


 なぜならば、我々は不法組織だからだ。故に正規のルートで建物を賃貸することなど出来なかったのである。けして、けして金が無いからなどという悲しい理由からではない。勘違いしないように。


 何年も前に放棄されたビルで、それ以来いろんな連中の溜まり場になってきた。一応、僕たちが確保してからは全て砕け散っていた窓ガラスを新たに入れ、中を清掃するくらいのことはした。ただ、壁という壁に施されたポップな落書きは消えていない。というより、今でも仲間たちによって追加され続けていた。


 そこに案内した時、アニスは首を傾げたものである。


「なに?このけばけばしい建物は?邪教の神殿か何か?」


 グレッグも鼻を鳴らした。


「センス無いな」


 乾きかけた返り血で上から下まで真っ赤という格好の連中に言われてはお終いである。彼等と車に同乗するのはちょっとした拷問だった。生臭くて頭がくらくらした。元軍人であるというグレッグは兎も角、アニスにも気にしている様子は無い。それだけでこの二人がどこか尋常な連中ではないという事が理解出来てしまう。


 僕は二人に言った。


「ようこそ、革命組織「タリスマン」本部へ」




 さてはて。俺はその大仰な名前を聞いてしばし思案した。


「革命?」


 先立ってビルの中に踏み込もうとしていたラルフが立ち止まる。


「なんだ?」


「革命ってなんだ?」


 あまりといえばあまりの俺の言葉に、ラルフは愕然と立ち尽くした。


「そりゃ君、革命は革命だよ。その・・・」


「帝国を民衆の蜂起によって転覆させるとかいう、あれか」


「そうだ!なんだ、わかってんじゃないか」


 俺はまじまじとラルフを見つめてしまった。どうやら、老け顔だが未だ十代らしい。黒い長髪を頭の後ろで縛り、眼鏡を掛けた如何にもインテリっぽい男。線は細く、車中でこいつが組織の指導者なのだと聞いて俺はちょっと驚いたのだった。


「・・・本気か?」


 ラルフは憤慨したらしい。


「どういう意味だ!」


「いや、何となく」


 俺は、深くは追求しなかった。


ビルは内部まで極彩色に装飾されていた。若者にありがちな芸術性の暴走というやつだ。俺には一片も理解出来ないセンスだ。中にいる連中は二十歳の俺よりも少し下か、同年代くらいであるのだが。


 とりあえず俺たちは一室に通され、兎にも角にもシャワーを浴びて着替えるようにと命ぜられた。命じるという言葉が不適当であれば、懇願されたと言い換えても良い。まぁ、俺だって血まみれの格好が好きという訳ではなかったので、喜んでその要請に応じた。


 バスルームの中の様子を十分確認した後、最初にアニスにシャワーを浴びさせる。彼女はずいぶんほっとした表情を浮かべた。それはそうだろう。女というのは顔に少しの水が掛かっただけでも金切り声を上げる生き物である。乾き始めて動く度にぺりぺりと音を立てるような、臭い血まみれの格好に良く耐えたというべきだ。


 えらいこと長い時間を掛けてシャワーを浴び、ようやくバスルームから出てきたアニスは連中が用意してくれた服に着替えていた。デニムの細身のパンツ(丈が長すぎる)とデニムのジャケット(だぼだぼ)。中はTシャツだ。一応、女ものではあるらしいが。


「おもしろい服」


 アニスはご満悦だ。俺用に用意された服を確認すると、ジーンズとTシャツ。上着はレザーのジャケットだった。・・・まぁ、仕方ないか。


 念入りに身体を洗って血を落としたが、臭いは消しきれなかった。俺は溜息を吐いた。俺は戦場の常識的判断をしてあのガキどもを殺した。しかしながらその判断が、いわゆる世間一般の良識に反していることも分かっていた。世間一般の良識と、戦場の常識は違う。戦場から生還して以降、俺はしばしばその乖離に悩まされてきた。通常時、落ち着いて判断出来る時には、意識して世間的良識を優先させればいい。しかし、緊急時、咄嗟の判断の時、俺はどうしても戦場に頭の中が還ってしまうのだった。


 着替え終わった俺たちは、改めてラルフたち、革命組織「タリスマン」とやらの幹部連中と対面した。


 非常に、非友好的な雰囲気であった。特に俺に対する視線には殺意すら感じられる。それはそうだろう。俺は彼等の仲間を問答無用で撃ち殺してきたところなのだ。しかし、一応はラルフが説得しておいてくれたのだろう。いきなり袋叩きに合うような事は無かった。


 殺風景そのものの部屋の中に、どこかから拾ってきたような事務机。その向こうでラルフがもったいぶった格好で座っていた。この男はこういう芝居掛かったことが好きだ。


「さて、聞かせてもらおうかな?」


「何を?」


「決まっている。君たちがわざわざこんな辺境にまでやってきた理由を、だ」


 ああ、と俺は思わず手を打った。俺自身がすっかり忘れかけていたのだ。


「宇宙社会主義連盟とかいう連中を知っているか?」


 俺の言葉にラルフが僅かに身じろぎした。


「・・・ああ」


「俺は、その連中に皇帝の親書を届ける役目を仰せつかった者だ」


 俺は素直に本当のことを言った。本来ならこんなことはあまり第三者に言いふらしてよいものではない。だが、こいつらに身命を握られているというこんな状態で隠し事などをすれば、危害を加える良い口実にされかねないだろう。


 俺は懐からシオスの親書を取り出した。これは服の下に貴重品と一緒の袋に入れて結び付けてあったので血で汚れずに済んだ。


「あんたら、似たような組織だろう?よかったら、紹介して欲しいんだが」


 後ろで何かこそこそと相談するような気配がする。ラルフは不機嫌そうに眉を顰めて沈黙してしまっていた。


「どうしたんだ?知らないのか?」


「見せて貰えないか」


 ようやく口を開いたラルフ。俺は首を振った。


「馬鹿言うな。これは皇帝陛下自らがしたためた親書だぞ。関係ない奴には見せられん」


「・・・宇宙社会主義連盟は、僕らの上位組織だ」


 苦虫を噛み潰したような声だった。


「なら、話は早い。紹介してくれるな」


 ラルフは返事をしない。俺は首を傾げた。


「なんだ、何か問題があるのか?」


 俺の追及にようやくラルフが渋々と口を開く。


「我々は宇宙社会主義連盟の下部組織ということになっているが、実際には完全に独立した組織だ。かつては資金援助や思想指導員を受け入れていたが、現在ではそれも無い。そもそも、彼らの名前と力を借りたのは、組織を立ち上げるにあたって都合が良かったからであって、我々が彼らと目的を完全に同じくしていた訳ではない。そもそも、宇宙社会主義というのは・・・」


「待て」


 俺は止めさせた。


「演説しなくていい。俺の質問に答えてくれ。俺たちをそいつらに紹介してくれるのか、くれないのか」


「我々の理想は、万民に平等な権利が行き渡る宇宙民主主義国家を創り上げることにあったのだが、彼らはこの宇宙にマルクス主義の復活を夢想しているだけだった。かつてマルクス主義はその理想と現実に誕生した社会主義国家との矛盾に崩壊を余儀なくされたわけだのに・・・」


「待てというのに」


 俺は額に手を当てて考えた。質問を変えてみる。


「・・・現在では資金援助も思想指導員も受け入れていない、と言っていたな。連絡は付くのか」


「おそらく」


「・・・もしかして、最近その連中と上手くいっていないとか」


「僅かに、思想的な行き違いがあって、やや以前よりも疎遠になっているということは認めざるを得ない」


 あー。なんとなく分かってきた。


 つまりはこいつら、革命組織「タリスマン」とやらは、もともと宇宙社会主義連盟の下部組織として誕生したのだが、おそらくは何か不始末をしでかして、援助を打ち切られたのだ。完全に独立するほど力が無いこいつらは、宇宙社会主義連盟との関係を完全に切るわけにもいかず、今でも下部組織だと名乗っているが、あっちの方では既にこいつらを敵視しているか、もしくは忘れている、と・・・。


 これはまた面倒な連中と係ってしまったものだ。


「とりあえず、何とかその連中に渡りをつけてもらえないかな。俺たちが用があるのは、その宇宙社会主義連盟の方なんだ。あんたらではなく」


 俺の言葉にラルフのプライドは少なからず傷ついたようだった。


「僕らの組織もなかなか馬鹿にしたものでは無いんだぞ?この近辺八つの星系に支部があり、構成員は二万人だ」


「宇宙社会主義連盟は百三十の星系にまたがり、五十万の人員を誇っていると聞いた」


「・・・その中にはおそらく僕らも含まれると思うが」


 ラルフは拗ねた様に言った。


 どうも上手くない。俺は言い方を変えた。


「どうにか紹介してくれたら、あんたらのことも皇帝陛下の耳に入れておくよ。なんなら、謝礼を用意してもいい」


 ラルフの表情はますます渋くなる。


「皇帝から謝礼を受け取って喜ぶ革命組織というのは存在意義に問題が生じないか」


「陛下は敬意を持ってあんたらを叩き潰してくれるかもしれん。名誉なことじゃないか」


 ラルフはともかく他の連中は目に見えて動揺したようだった。それを見て、俺はその方向から押してみることにした。


「俺の持っている親書はそういうものだと思ってくれていい。要するにこれは認定書だ。受け取った連中は「帝国の敵」と認定される。陛下との和解を受け入れなければ、もれなく帝国軍による鎮圧が行われるというおまけつきだ。それでもあんたら、欲しいのか?」


 ラルフは沈黙。周りの連中のざわめきは大きくなる。


「ならば、俺たちを速やかにスルーして、その宇宙何とかに送り届けてしまうのがベストだと思うぞ?その連中との折り合いが悪いなら尚更だ」


 あからさまな脅しである。アニスが「そんなことを言って大丈夫?」というような顔をした。


 俺にはラルフが考えていることがなんとなく分かっていた。この男は、俺たち、というよりアニスを掌中に収めたという事実を政治的に利用する気でいたのだ。彼女を人質にして帝国政府と何がしかの接触、交渉を行うことが出来れば、彼ら「タリスマン」は「帝国政府に交渉相手として認められた」組織となる。それは、反政府組織としては箔がついたことを意味するのだろう。支援者や構成員を集めるのも楽になるのに違いない。


 ところが、俺たちは彼らの上位組織である宇宙社会主義連盟宛の親書を持っていた。だからといって俺たちを宇宙社会主義連盟に送り届けてしまうと、件の名声は宇宙社会主義連盟の方に行ってしまう訳なのだ。そいつらとの折り合いが悪い今、それはいまいち面白くないことなのだろう。


 故に俺は、この親書の内容が帝国からの最後通告であるかのように装うことで、俺たちを確保していることのデメリットを強調したのである。その方がラルフの思考を望む方向に誘導し易いと読んだのだ。


 案の定、ラルフの額に苦悩の色が現れ始めていた。せっかく懐に舞い込んだ貴重な札を、むざむざと捨てることへの葛藤がにじみ出ている。俺はもう一押ししてみることにした。


「分かった。こうしよう。宇宙社会何とかに親書を届けた後、俺たちはまたここに戻ってくる。そうしたら、改めてあんたらの要求を聞こうじゃないか」


 俺の意外な提案にラルフは一瞬、素の表情を見せてしまっていった。


 押すだけ押しておいて、さっと譲歩してみせる。交渉の常套手段である。僅かな譲歩を大きな譲歩であると錯覚させる為のテクニックだ。俺たちは一度宇宙社会主義連盟に送り届けてもらえさえすれば全ての用が済む。後はついでだ。こいつ等の所に戻ってくるかどうかなど、どうでもいいのである。ラルフは一瞬、反射的に同意しそうになった。


 しかし、ラルフは踏み留まった。俺はまだこのとき知らなかったのであるが、彼はそれなりに組織の長として様々な交渉事をこなしてきていたのだった。彼は数秒思案し、やがて狡猾そうな微笑を浮かべつつ言った。


「銀の巫女を置いて行くのならば、君を宇宙社会主義まで送り届けてもいい」


 なるほど。妥当な提案である。要するに人質だ。いや、体よく俺と物騒な親書を放逐する為だとすればもっと性質が悪い。なにしろ、こいつらの目的のためにはアニス一人を確保しておけば用が済むのである。俺と親書はイレギュラーな余計物なのだ。


 今度は俺が考える番だった。しかし俺は、それほど深くは考え込まずに言った。


「分かった。それで行こう」


 ラルフは愕然としたようだった。


「いいのか?」


「もちろん、アニスの身の安全は保証してもらうぞ」


「そ、それはもちろん・・・」


「ちょっと!グレッグ!」


 アニスが俺の袖を引っ張った。


「勝手に決めないで、私はあなたと離れないわよ!」


 まるで愛する人に懇願する時に使うような台詞に、ラルフたちが明らかに誤解したような表情を浮かべる。俺は辟易した。


「大丈夫だ。すぐ帰ってくるから待っていろ」


「そういうことを言ってるんじゃないのよ!」


 俺はアニスの頭に手を置いた。きっぱりした口調で言う。


「いいから、俺の言うことを聞け」


 唇を尖らせながらもアニスは沈黙した。俺は改めてラルフに言った。


「というわけだ。俺が帰ってくるまでアニスには指一本触れないこと。それが守られるならあんたの提案に同意する」


 俺の真意を測りかねているのだろう。ラルフは眉を顰めて俺に不審気な視線を浴びせていた。俺はちょっとだけ手の内を明かすことにする。


「まぁ、俺はあんたたちにとっても、宇宙社会主義連盟への使者となる訳だから、な・・・」


 ラルフは合点がいったようであった。


「そういうことか・・・」


 つまり、俺は今回、親書を持って宇宙社会主義連盟へ行くという意味では皇帝の使者であるのだが、ここからは「タリスマン」の紹介であるという意味ではこの連中から宇宙社会主義連盟へ送られる使者という性格も持つのである。


 要するに、俺の言葉は「タリスマン」の言葉ともなるわけで、宇宙社会主義連盟とこの連中との和解の鍵は俺が握っていると言っても過言ではないのであった。こいつ等が俺の意に反することをすれば、俺は当然宇宙社会主義連盟でこいつ等にとって不利になることを言い散らす。宇宙社会主義連盟とこいつ等の亀裂は決定的になるだろう。


 ラルフは舌打ちをしてみせた。そういう仕草からは年齢相応の若さが垣間見える。


「なるほどな。それなら確かに君には帰ってきてもらわなければならないわけだ」


 俺がこいつ等から宇宙社会主義連盟への使者役を務めることは、こいつ等にとっても好都合なことのはずだ。直接こいつ等の構成員が宇宙社会主義連盟へ赴いた場合、下部組織から上部組織への使者であるわけだから立場は非常に弱い。言いたいことも思うように言えない状態であろう。しかし、皇帝の使者である俺がこの連中の意見を代弁するとすれば、宇宙社会主義連盟も無下には扱えまい。


 ラルフはそこまで読んだのであろう。俺のことを渋い視線で見ている。その視線の色がさっきまでと違っていた。明らかに危険人物を見る目つきである。


 なかなかに頭が回る男のようであった。ついさっきまでは俺のことをアニスにくっ付いてきた余計者くらいに考えていたはずだ。それが、今では認識をすっかり改めている。他人に対する認識を固定せず、柔軟に評価を変化させるというのは、口で言うほど簡単なことではない。人間というのは現状を認識する際、周囲が安定していればいるほど安心出来るのである。そのため他人への評価を早く定め、固定してしまいたがる。そして、それを容易に改めない。それは往々にして現状認識をゆがめ、状況対応の誤りを呼ぶ。


 ラルフはその困難なことを自然にやってみせている。ということは、こいつの現状認識力は当てになるということだ。目先の欲望と思い込みで、短絡的に俺やアニスに危害を加えることは無いと考えていいだろう。つまり、交渉相手として信用に足るということだ。


 俺はラルフを信用することに決めた。


「俺の要求を聞き入れてくれるなら、俺も悪いようにはしないよ。どうだ」


 ラルフは頷いた。




 こいつ、いったいどういうんだ。


 僕は正直舌を巻いた。短くてぼさぼさの髪。こけた頬。暗い目つき。典型的な浮浪者といった風情の男であるのに、打てば響くようなこの頭の切れはどうだ。


 正直、侮っていた。しかし、交渉力といい洞察力といい、実にすばらしいものを持っている。流石に、皇帝が愛妹を任せるだけのことはあるようだ。


 しかしながら、グレッグが「できる」男であるという事実は、この時の僕にとって必ずしも歓迎すべきことではなかった。手玉に取れるほど無能な男であってくれた方がありがたかったのである。


 グレッグがこの時、アニスと共に宇宙社会主義連盟へ行くことに拘り、皇帝の威を意気高に振りかざすような男であれば、僕の同志たちは彼に対する反感を増加させたであろうし、そうすれば僕もそれを理由にして彼を強制排除してしまえたであろう。しかしながらグレッグは自分を無事に宇宙社会主義連盟に送り届けることの利益を合理的に説明してみせた。その彼をあえて排除するなら、彼を排除することによって生ずる利益が彼の主張を上回ることを合理的に証明出来ねばなるまい。そうしなければ僕の同志達を納得させられないからだ。


 僕にはその自信が無かった。ということは結局グレッグの思惑に乗るしかなかったのである。


 ただ、グレッグを宇宙社会主義連盟本部に送ってやることは、確かに僕ら「タリスマン」にとって有益なことではあった。


 宇宙社会主義連盟とはこの数ヶ月前に、些細な対立が生じてしまっていた。具体的に言うと、宇宙社会主義連盟が求めてきた金銭的要求を我々が蹴ったのである。


 宇宙社会主義連盟は、鉱山惑星の労働者の間で生じた組合活動が元になって結成された組織である。当初は資本家に対して労働者の権利を主張するだけの組織であったものが、次第に合体し大きくなり、遂には労働者による自治を求める組織にまで発達したのである。


 宇宙社会主義連盟は巨大化の課程でありとあらゆる反帝国的組織を吸収していった。その過程で僕らタリスマンは生まれる。そもそもは僕の通っていたホーエンハイム大学の学生たちが結成した民主主義運動家組織であった。そこへ宇宙社会主義連盟が援助を行い、革命組織に仕立て上げたのである。


 宇宙社会主義連盟の援助で生まれた組織であるのだから、複数の星系に跨るにまで成長した今、親組織である彼らに対して恩を返すのは当たり前のことではあろう。実際、かなり以前から我々は、宇宙社会主義連盟に対していわゆる「上納」を行ってきていた。しかしながらその額は多いとは言えなかった。我々は星系を実効支配している訳ではなく、当然民衆から税を強制徴収は出来ない。我々の得ている収入は支持者からの献金が全てであったからだ。宇宙社会主義連盟もその辺りは心得ていて、以前は出来る範囲で上納すれば良いというような寛大な態度を取っていた。ところが最近、それが変わってきてしまったのだ。


 金額が指定され、定められた額に達しない場合は罰則を設けるとまで言って来たのである。僕らも懸命に応じようとしたのであるが、結局払いきれなくなり、遂には要求を拒絶しなければならない事態となってしまった。


 宇宙社会主義連盟が金に五月蠅くなったのは、彼らが軍備を増強し始めたからであろう。


 当初、帝国軍の払い下げ品などで始まった宇宙社会主義連盟の軍備は、軍需産業の支援を受けるようになって次第に近代化、巨大化していったのである。軍需産業の「支援」と言ったが、何もかも無償供与するというような話では無論無い。帝国政府には内緒で艦艇や武器を売ってくれるという程度だ。当然、しっかり代金は取るわけである。それでなくても軍というのはあるだけで際限なく金が掛かる組織である。兵員に対する人件費、教育費はもちろん、武器弾薬、艦艇の維持費、更新費その他もろもろ。無論のこと軍が巨大化すれば維持費用は幾何学的に増大するわけである。


 宇宙社会主義連盟は身分不相応なまでに軍を大型化させ過ぎたのである。革命を夢見る組織は、その実力を欲するが故に軍事組織に力を入れ過ぎてしまい易い。維持費の増大に耐え切れなくなり、下部組織に費用負担を求めなければならなくなったのであろう。


 僕らとしては、宇宙社会主義連盟とあまり対立を深めたくは無かった。なんとなれば既に彼らは大組織であって、相当な影響力を持った組織であり、更に言えば相当な軍事力をも有しているからである。悪いことに我々タリスマンの勢力範囲は宇宙社会主義連盟の勢力圏のど真ん中にあるのだ。本気で対立が深まり、軍事衝突が起こるような事態にでもなれば四方八方から攻められることになって、我々タリスマンはひとたまりも無いであろう。それはなんとしても避けなければならない事態だった。


 ここでグレッグを宇宙社会主義連盟に送り込めばどうなるか。まず、皇帝からの特使を仲介したというだけでかなりの得点になることであろう。せっかく確保した特使を無条件で引き渡すことは、我々が彼らに対して未だに忠誠心を有していることを証明することとなるからだ。その上でグレッグが我々の意見を宇宙社会主義連盟に伝えてくれれば更に良い。上納額の減免を勝ち取ることでも出来れば万々歳。そこまで行かなくても、あちらとの交渉の糸口くらいにはなるだろう。


 僕が舌を巻いたのは、グレッグがそのあたりの事情を洞察していることが分かったからである。彼の得ている情報はそれほど多くないだろう。その少ない情報から正確な事情を導き出せる洞察力は並大抵のものではない。そして洞察した事情を元に最善の要求を導き出し、硬軟取り混ぜた交渉術で我々から求めるものを勝ち取ってみせた。


 これほどシャープな視線をもった男であれば信頼するに足るであろう。僕はグレッグを信頼することにした。




 アニスはむくれまくっていた。


「なによ!あたしの意見は無視?そんな無礼は今まで受けたことも無いわ」


 ベッドの上に座り後ろを向いてしまっている。ちなみにタリスマン本部で与えられたこの部屋にベッドは一つしかない。


「無視したわけじゃない。余計なことを言われたくなかっただけだ」


「どこが違うのよ!」


 説明するのも億劫だ。どうせ理屈は通じまい。女というのは怒ると理屈が通じなくなる生き物なのだ。俺の手には負えない。


「いいから、俺に任せておけ」


 そうとだけ言っておく。


 俺は床に座ってベッドに背を預け、目を閉じた。アニスはぶつぶつとなにやら俺に対する罵声を呟いている。俺はその声を聞きながらうつらうつらと居眠りを始めてしまった。


 と、アニスの呟きが止まった。アニスも寝てしまったか?そう思った瞬間、アニスが跳ね上がるように立ち上がる気配がした。続いてベッドから飛び降りる気配。


 俺が驚いて目を開けた時には、既にアニスがドアを開き、部屋の外に向かって駆け出して行く後姿が見えただけだった。最後に部屋をすり抜けた彼女の長い後ろ髪は、白色をしていた。


 ・・・俺は慌てて追いかけようとし、その必要は無いかと思い直した。どうせビルの入り口には見張りがいるだろうし(というか、部屋の外に警戒している連中がいなかったのは驚きだ)、ビルを抜け出せたとしてもこの星にいる限りラルフたちの目は逃れられないだろうから。それに、あいつが俺を置き去りにしてどこかに行ってしまう事も無い筈だ。それについては、俺は確信すら持っていた。この時は。




 グレッグを宇宙社会主義連盟に送り届けることについての調整のために、僕たちは長い会議を行った。まったく、組織が大きくなると会議ばかりが増えてしまう。昔は気心が知れた幹部ばかりだったから、ツーと言えばカーという感じで、以心伝心。意見の調整に長い時間が掛かるなどということは無かったのだ。組織を拡大し、幾つかの革命組織を吸収して行く過程で、様々な思惑を持った「同志」も増えて行く。これはまったく自然なことで、民主主義組織としては健全なことでもある。しかしながら、組織の長としては面倒であることもまた間違いの無いところであった。


 今回も宇宙社会主義連盟と再び合流することを歓迎する者。いや、せっかく彼等の影響下を脱したのだからこのまま独立を維持すべきだと主張する者。皇帝の親書のみを宇宙社会主義連盟に押し付け、グレッグとアニスはこちらで確保して独自に皇帝との交渉ルートを確保すべきだという者。いやいや、面倒ごとは全て宇宙社会主義連盟に押し付けるべきで、グレッグもアニスも早々に宇宙社会主義連盟にやってしまうべきだという者。その他諸々の意見が百出し、収拾に大変な苦労を強いられた。その議論を僕の望む方向に誘導し、僕の結論を組織の結論と合一させるのは更に難儀だ。


 こういう時は皇帝の絶対権力が羨ましく思えなくも無い。しかしながら我々タリスマンは民主主義革命を志向する組織なのだ。民主主義というのはなるべく多くの意見を集約するところに意義があるのである。意見の対立が無いところに真の民主主義は生まれない。


 ようやくにして意見の一致をみて、僕はふらつく足取りで会議室を出た。どうにか僕の考え通りに会議を誘導出来たことに安堵のため息を吐く。


 自然と、足が階段に向いた。屋上で外の空気が吸いたくなったのだ。


 暗い階段を上る。灯りが無いのは我々がここに入った時には既に割られてしまっていたからで、特に必要無しと思われて誰も直さなかったからだ。


 屋上に繋がる扉を押し開ける。そこに、彼女が立っていた。


 息を呑んだ。この星特有の、強く青白い月明かりに照らされて、アニス・フラミニアは揺らめく様に立っていた。風に煽られた髪が白扇を広げたように夜空にはためいた。僕らが貸した、サイズが大きすぎるジージャンとジーパン。その上に異常なまでに白い頬。前髪の陰の下から、まるで熱の無い炎のような輝きを秘めて大きな真紅の瞳が僕を見詰めている。


 彼女は僕の姿を認めると薄く口を開いた。笑ったのだと気が付くのに少し間が必要だった。


「やっと来た」


 アニスは言って右手で靡く白い髪を押さえた。


「・・・なんで僕がここに来ると分かった?」


「見えたから」


 アニスは僕の問いにしごく当然といった感じで答えた。?僕が階段に向かうのが見えたからという意味か?僕はなぜか慎重な足取りで彼女の傍に近付いていった。


 アニスは微笑を浮かべたまま僕を待っていた。背筋がぞくりとするような、妖しい微笑。なんだこいつは。さっきとは外観以上に印象がまるで違うじゃないか。ブロンドの時の彼女は単なるお嬢さんであったが、これなら巫女と言われても納得だ。いや、巫女というよりは、魔女とか幽霊とかその類に見える。


「あなたとは二人で話がしたかったの。必要だと思うから」


「何のために?」


「さぁ」


 血の色をした瞳が月光の下で細まった。


「あなたは鍵。だから私はあなたと会って、話したかった」


 一体何を言っているのかさっぱりだ。巫女というのはそういうものなのだろうか。


「どうでもいいが、勝手に部屋を出るな。あの男はどうしたんだ」


「グレッグなら部屋。だから、今ここでは私とあなたは二人きり」


 美女と二人きり。それは本来好ましい状況であるはずだったが、少しも嬉しくないのは何故であろうか。むしろ、誰かに割り込んで欲しいくらいだ。正直、僕はこの時白い髪をしたアニスのことが少し怖かった。


「あの男は君の運命の人だろう、放って置いてもいいのか」


「だってグレッグがあたしのことを放っておくのだもの」


 突然テンションが変化して、童女の様に拗ねてみせる。彼女は唇を尖らせて訴えた。


「どう思う?こんな麗しくて可愛い私に対してあんな邪険な態度をとるなんて、男としてどうなの?ていうか、男ってみんなああなの?」


「知らないよ」


「ていうか、人に生臭い血をぶっかけておいて謝罪の言葉の一つも無いとか、それ以前にか弱い乙女の目の前でいきなり人を撃ち殺すとか、普通そんなことする?もしかして私、選択を誤った?ねぇ、どう思う?」


「知らないって」


 アニスは唇に人差し指を当てた姿勢で俺にグッと顔を近づけた。


「あなたなら、私に優しくしてくれる?」


 不意打ちに僕は思わず仰け反った。


「それは・・・、まぁ・・・」


「そう!よかった!」


 心臓が激しく音を立てている。落ち着け冷静になれラルフ。アニスは音も無く俺から身を離すと、そのまま数歩踊るように後退した。


「でも、残念。未だしばらくは私はグレッグと一緒に行くみたいなの」


「しばらくは?」


「そう。その後は・・・。未だ分からない」


 アニスは月を見上げた。


「未だ、見えないのよ」


 青白いスポットライトを浴びたような、白い乙女。僕は不覚にも、時を忘れて彼女の姿に見入ってしまった。風が吹いて白い髪が舞う。僕はこの時、魅入られたのかもしれない。




 部屋に帰ると、グレッグはベッドに背を預けた姿勢で床の上に寝てしまっていました。私がいなかったのだから、ベッドで寝ればよかったのに。私は彼の横にしゃがみこみ、頭をそっと撫でてあげました。


 グレゴリー・オルレアン。私の運命の人。私の運命を変える人。変えてくれる、筈の人。


 私は事ある毎にそう言ってはグレッグを困らせました。グレッグは運命など信じない人でしたし、出会って間もない私がそう言って付き纏ってくることに胡散臭さを感じてもいたようでした。私の方はもう、ずいぶん前からグレッグのことを「見て」いましたから、初めて出会った時には既に 彼と初対面だとはとても思えなかったのですが。


 私とてこの時は、グレッグのことをほとんど知りはしませんでした。だから本当の意味で彼のことを慕っていたとはとても言えません。しかも彼は、優しくなく、ぶっきらぼうで、皇帝の妹たる私に対する敬意など欠片もありませんでした。はっきり言って、彼は女性うけするタイプでは無かったのです。ですから当初、私も彼のことを知れば知るほど、本当に彼に付いて行っても良いものかどうか、迷いが生じたものでした。


 だけど結局私は彼に付いて行ったし、彼も私を本気で拒絶はしませんでした。


 私は彼の横に腰を降ろし、彼の肩に身体を預けました。彼の体温が服越しに伝わってきます。小さな寝息。私も目を閉じて彼の呼吸に合わせて息を吐き出し、吸う。そうしていると、なぜか心地良いことを、連絡船の中で発見していたのです。私はそのまま安らぎに包まれて眠りに落ちて行きました。


 こうして傍にいれば、いつか分かるのだろうか。この頃の私はそんなことばかり考えていました。長い間捜し求めてきた断片を集め、その先を見ることだけを考えていたのでした。そのためにいろいろなものを見落としていた気がします。


 本当に大事なことは、そんなことではなかったのですが。それが分かったのはずいぶんと後のことです。




 俺を宇宙社会主義連盟まで送り届けるために、ラルフはなんと「タリスマン」保有の全艦隊を引っ張り出してきた。おいおい。正直俺はタリスマンのことを侮っていたので、艦隊などという大げさなものが出てきたのにずいぶん驚いた。


「ちょっとしたものだろう」


 旗艦「タリスマン」の艦橋でラルフは鼻高々だった。まぁ、見たところ中古も中古。三世代くらい前くらいに相当する古い戦艦のようであったが、一応は宇宙戦艦だ。大したものではある。


 総数三百隻ほど。戦艦はほんの少しで、百隻程度の巡洋艦と、あとは駆逐艦と砲艦だ。それでも、そこらの宇宙海賊よりはましな戦力だと言えた。こうして宇宙空間に展開すればそれなりに壮観だ。


「革命には、強い革命軍が必要だ、というのが僕の持論でね」


「ふ~ん」


 俺は気の無い返事を返しつつ、実はそれなりの興味を持ちつつ艦隊を眺めていた。・・・そして、気が付いた。


「おい」


「?なんだ」


 悦に入った表情で艦隊に指示を飛ばしていたラルフが不快気に振り返る。


「あの駆逐艦はなんだ。なんであんなところにいる?」


「何かおかしいことでも?」


「なんで、戦艦の後ろにいるんだ?」


「それが?」


 ラルフの呑気な返答に、俺は半ば唖然とした。


「駆逐艦が戦艦の後ろにいて何の役に立つんだ?」


「どういうことだ?」


 駆逐艦とは、基本的に艦隊のつゆ払いを勤める艦種である。艦隊の侵攻方向にある障害、機雷や妨害衛星を排除し、優れた探査能力を生かして哨戒を行い、敵の待ち伏せや罠を察知するのが任務だ。そのために駆逐艦は通常、戦艦よりも高速力が与えられており、その代わりに武装は貧弱だ。


 故に駆逐艦は常に艦隊の先頭、もしくは輪形陣の場合は外縁部に位置すべきで、そうでなければ役に立たない。艦隊中枢部の戦艦の陰に駆逐艦がいるなどということは、もともと歩兵で艦隊には詳しくない俺の目から見ても異常なことなのである。


「そうなのか?」


 ラルフは戸惑ったような表情を浮かべた。


「むしろ装甲が貧弱なんだから、戦艦の陰に隠れて守ってもらった方がいいのじゃないかと思っていたのだが・・・」


 とんでもない誤解である。戦艦一隻を建造するには、駆逐艦を建造するのに必要な費用の数倍は掛かるのだ。その分戦艦は最強の攻撃力と防衛力を与えられている。宇宙艦隊戦の決着をつけるのは常に戦艦同士の対決だ。駆逐艦はその貴重な決戦兵器である戦艦を護衛し、無事に戦場まで送り届けることに存在意義があるのである。


 ・・・そんな初歩的なことも知らんのか?そういうと、ラルフは不満げに鼻を鳴らした。眼鏡の位置を直す。


「僕は政治的指導者を目指しているんだ。軍事なんて野蛮なことは知らないよ」


 さっき、革命には強い革命軍が必要だと言ったばかりな訳だが。まてよ、ラルフの誤りを誰も指摘しなかったということは、このタリスマンにはその程度の軍事的常識をも知っている奴がいないということではないか。・・・大した革命軍があったものである。


 まぁ、どうでもいいか。こいつらの艦隊が実はハリボテだったとしても、俺には何の関係も無い。筈だった。


「宇宙社会主義連盟の艦隊を捕捉!」


「ん、早いな」


 タリスマンと宇宙社会主義連盟は事前に連絡を取り、この星系で合流して俺を引き渡す手はずになっていた。小惑星がかなり濃い密度で星系全体に浮遊している。


 タリスマン艦隊の正面に宇宙社会主義連盟の艦隊が光る雲のように浮かび上がっている。大艦隊だ。


「推定、五千隻か」


 3Dホログラム戦況図に表示された宇宙社会主義連盟の艦隊は圧倒的な存在感を誇示していた。なにしろ、タリスマン艦隊の15倍以上だ。


 スクリーンを見ていて、ふと嫌な予感を覚えた。俺はその予感を確認するためにスクリーンをもう一度良く見、予感を実感に変えようと試みる。


「おい!」


 俺はラルフを呼んだ。ラルフは艦隊に指示を出すのに忙しそうであったが、俺は彼の肩を掴んで強引にこちらを向かせた。


「なんだ一体!」


 不快そうなラルフ。しかし俺は構わずホログラムスクリーンを指差しつつ怒鳴った。


「今すぐ反転、後退しろ!逃げろ!」


「なんで?どうして逃げる必要がある?」


 ラルフは目を瞬かせた。まったく状況が理解出来ていない様子だ。俺は思わず天を仰ぎ、それから腕を振りまわした。


「このままのんびりしていると、宇宙社会主義連盟の艦隊にやられてしまう、と言ってるんだよ!」


「そんなことがあるはずが無いだろう?どうしてそんな突拍子も無い事を言い出すんだ」


「見ろ!」


 俺は思わずラルフの頭を押さえてホログラムスクリーンに向けて押し付けるようにした。流石にタリスマン幹部たちの顔色が変わったが、構わなかった。


「宇宙社会主義連盟艦隊の陣形を見ろ!典型的な縦深陣じゃないか!どう見てもこれはこちらを包囲殲滅する構えだぞ!」


 ラルフは俺の手を振り払おうとして硬直した。


「・・・そうなのか?」


「そうだ!しかも正面に対する宇宙社会主義連盟の艦隊は、戦艦千隻を主体とした打撃艦隊だ。あんなのの前にのこのこと出て行ったら、一斉射でこっちは全滅だ!」


 タリスマン幹部の一人が反論する。


「こっちを威圧するための配置じゃないのか?」


「威圧するだけなら、正面に輪形陣でも築いて見せつけた方が余程見栄えも良い。どうして左右両翼を伸ばしてこちらを包囲する必要があるんだ?」


 そいつも沈黙した。俺は更に言い募る。


「少なくとも、味方と友好的に接触しようという陣形じゃない。とりあえず距離を取って連中に真意を問いただすべきだ。危ない橋を渡る必要は無い」


 ラルフはホログラムスクリーンを凝視しつつ俺の言葉を吟味しているようであったが、なんとか理解が及んだのであろう。半信半疑といった態で頷いた。


「・・・分かった。忠告を容れよう。全艦隊停止。後退して宇宙社会主義連盟艦隊との距離を五万まで取れ・・・」


 ラルフの言葉が終わるか終わらないかといったタイミングだった。


「うわ!」


 全天スクリーンが閃光で満たされ、同時に戦艦「タリスマン」が大きく揺動した。オペレーターの悲鳴が響き渡る。


「宇宙社会主義連盟艦隊が!」


 その瞬間ラルフの顔から音を立てて血の気が引くのが見えた。




 何が起きたか分からなかった。僕の頭の中は目前で起きた爆発の光を目にした瞬間、その光で晒されたように真っ白になったからだ。


「巡洋艦アベニール大破!」


「駆逐艦モラム撃沈!」


次々と飛び込んでくる被害報告。しかし僕は硬直したままだった。


単純に言って、僕は何をすればよいのか、何をすべきなのか、分からなかったのである。


僕はなにしろ、未だ十九歳であったのだ。大学で仲間と立ち上げた学生運動が発展する過程で、革命組織タリスマンの指導者となってはいたが、それはやはりどこまで行っても学生運動の発展に過ぎなかったのである。デモ行進や集会などを行うのが主な活動だった。その過程で警官隊や帝国軍と小競り合いを起こしたことくらいはあったが、大規模な流血を伴う衝突は起こした事が無かったし、ましてや宇宙艦隊による砲撃戦など、この時点ではまったく想像を絶していた。


強い革命軍、などという勇ましいお題目を唱えてはいたが、実際には僕はこの時まで、軍事衝突の現実というものを全く理解してはいなかったのである。


軍事衝突の当事者になるというのはつまり、相手から放たれた銃弾にこの身を晒さなければならないということなのだ。そんなことは分かっている?いやいや、僕だって理屈では理解し、覚悟したつもりではいた。しかし、実際にその状況に陥ってみるとそれは、全身の皮膚が粟立つような、脳が沸騰するような体験であった。


正直に言えば、僕は震えてさえいた。生まれて始めて肌で感じた死の恐怖。自分に向けて銃口、砲口が向けられ、敵意と共に銃弾砲弾が飛んでくる。その現実の前にはあらゆる理想も理論も無意味だ。それは初めて僕が見た世界の悪意だったかもしれない。


むき出しの敵意の前に、僕はなすすべを知らなかった。


その時、耳元で大音声が炸裂した。


「全艦隊!個別に回避運動をしつつ、旗艦を中心に密集隊形!」


驚いて振り向くと、そこには指令用マイクを掴んで叫ぶグレッグの姿があった。


「操舵手!10時方向の小惑星の陰に入れ!あれを盾にするぞ!」


戦艦「タリスマン」の操舵手はサンデという男であったが、彼はこの上なく戸惑った表情で僕のことを見上げた。グレッグの指示に従ってよいものか迷ったのであろう。


僕にも、咄嗟には判断がつきかねた。しかしグレッグは僕がパニックから立ち直るまで待ってなどいない。


「ぐずぐずするな!死にたいのか!」


凄まじい迫力であった。ブラウンの瞳が有無を言わせぬ眼光を放つ。強制力さえ感じる怒鳴り声。


「りょ、了解!」


今度はサンデは僕の了承を求めようとはしなかった。僕もそれを咎める余裕をとうに失っている。


戦艦「タリスマン」以下タリスマン艦隊はグレッグの指示に従って、密集隊形をとりつつ大きめな小惑星の陰に隠れ、それを盾にした。宇宙社会主義連盟艦隊の砲撃をどうにかやり過ごす事が出来た。グレッグの指示は的確だったということである。


グレッグはホログラムスクリーンの前で仁王立ちになり、何やら思案しているようだった。迂闊に声を掛けようものなら噛みつかれそうな表情だ。実際、誰も声を掛けようとはしない。しかし、彼が何を考えているのかを知るには、彼にそれを問わなければならない。どうやらその役目は、組織の長たる僕に科されているようであった。


僕は仕方無く、グレッグに声を掛けた。案の定彼は家出中の人喰い鮫のような視線を僕に向けた。僕は後退しそうになる足に踏みとどまらせて、更に彼に問う。


「いったい、どうするつもりなんだ?逃げるんなら早く逃げた方がいいんじゃないのか?」


「それができれはとっくにやっている!」


グレッグは唸るように言った。怒鳴るよりも更に怖い。僕にはグレッグの考えていることがよく分からなかった。まだ、宇宙社会主義連盟による包囲網は完成していないはずだ。一目散に逃げればなんとか逃げ切れるのではないのか?


「無理だ」


グレッグはホログラムスクリーンを示した。


「どう考えても敵の練度の方が高い。こっちの艦隊、さてはろくに艦隊行動の訓練もしてないな?こんな状態で逃げたら艦隊の統制が崩壊して、各個に補足、撃破されてしまう」


「じゃあどうするんだ?戦ってもとてもかなう相手じゃないだろう? 」


「人事みたいに言ってるんじゃない!そもそもお前が艦隊なんか繰り出すから、宇宙社会主義連盟が過剰に反応したんだぞ!」


そうなのか?僕にはよくわからない話だった。


「お前だって話し合いの席にナイフぶら下げて現れた相手は信用しないだろう?仲が悪い相手ならなおさらだ。なんでたかが俺を送り届けるのに全艦隊を繰り出した?」


なんでと言われても・・・。特に重大な思惑があった訳ではない。単にその方が勇ましくて景気が良いくらいに考えただけだった。ぶっちゃけて言うと、こういう時にでも使わなければ、せっかくの艦隊も使う機会がなくて、宝の持ち腐れになってしまうのである。


「軍隊や艦隊はおもちゃじゃないんだ!遊び半分で運用するんじゃない!」


そういう風に叱られればムッとしないではないが、現実に僕の無思慮がこういう現状を呼び込んでいる訳である。


グレッグは僕から視線を外してホログラムスクリーンを睨み付けた。そのまま微動だにしない。


何かを待っている?僕にはそう見えた。しかし、一体何を待っているというんだ?僕には皆目見当もつかなかった。




 まったくなんだって俺がこんな苦労をせねばならんのか。俺は密かに慨嘆した。


 分かっている。俺が、俺自身が死なないためである。この、名前だけは大層な素人集団に預けていたら、命なんぞいくらあっても足りはしない。自分が生き残るためには、自分がまず最善を尽くすべきだ。人任せにしてはいかんのである。


俺は、ラルフ及びタリスマン幹部連中は軍事に関しては丸っきりの素人であり、才能も無いようだと看破した。ならば現実に戦闘状態に突入してしまったという状態を何とかするためには、少なくとも未だマシであると思われる俺がタリスマン艦隊を指揮するのが生き残るための最善の方策だと考えたのである。


 それにしても、状況は最悪と言っても過言ではなかった。


 敵「宇宙社会主義連盟艦隊」の数は推定五千隻。それに対して「タリスマン艦隊は僅かに三百隻でしかない。


 しかも、敵艦隊は左右両翼を広げた陣形でこちらを押し包みつつあり、こちらが完全包囲されるまであと僅かであろう。そうなればひとたまりも無い。


 冗談じゃない。こんな間抜けな連中と心中するなんてごめんだ。俺はホログラムスクリーンを睨んだ。刻々と移り変わる状況。一つも見逃すまいと目を凝らす。


 ふと、なぜかアニスの姿が目に浮かんだ。しかも、白い髪赤い瞳、巫女服姿のバージョンだ。彼女はタリスマン本部で人質、というか留守番をしている筈だった。


 なんでまたあいつの姿を・・・。俺は疑問に思い、それから気がついた。


未来の事がある程度分かる筈のあいつが俺を運命の人と言うからには、少なくともあいつが生きている間は俺は死なないということだろう。俺は無意識にそう考えたらしかった。


馬鹿馬鹿しい。俺はそんな埒もない事を考えた自分に腹を立てた。しかし、考え直す。


今の最悪な状況を切り抜けるためには、俺ははっきり言って神仏にでも何にでも縋りたい気分だった。しかし今まで祈ったことも無い、いるのかいないのか分からないような神様に祈るくらいなら、帝国のどうも名が知れた巫女であるらしいあいつの言葉に縋ってみるのも悪くないのではないか。少なくともあいつは現実に存在するわけだし。俺はとりあえず縋ってみることにした。よし、俺はこんな所では死なない筈だから、きっとこの状況も切り抜けることが出来るはずだ。勝手にそう信じ込む。


「よし!行くぞ!」




 グレッグは右手を正面に突き出した。


「全艦隊、前進!小惑星を盾にしつつ、敵艦隊左翼方向へ!」


僕は驚いた。


「た、戦うのか?」


十五倍以上の敵と戦う。それは、眩暈が起こりそうなほど絶望的な事だと思えた。しかしグレッグの目に迷いは無い。


「当たり前の事を聞くな!戦って、包囲網を突破する以外に、生き残る方法があるのか!」


「交渉するとか・・・。あっちは僕らの考えを誤解しているだけなんだし・・・」


グレッグは鼻息で僕の甘さを吹き飛ばした。


「剣というものはな、一度抜き放ってしまったら、そのまま何事も無く収められはしないものだ!」


そう言うグレッグの目つきは最早普通では無かった。僕がそれまで他人の顔の上に見出した事がないような表情。思えばそれが、僕が最初に見た戦場の狂気だったかも知れない。


「敵艦隊左翼と交戦しこれを突破。離脱する。全艦隊、長距離砲撃戦用意!」


グレッグは張りのある声で指令を下した。最早誰もそれを不思議に思わない。


「何故、左翼なんだ?」


僕は問うてみた。すると、意外過ぎる答えが返ってきた。


「そこが、敵の陣容が一番厚い場所からだ」


なんだって?ならば、逆にそこは避けるべきなんじゃないか?何でわざわざ敵の数が多い場所に突っ込むんだ?


「理由は幾つかある。一つは、そこの陣容が厚いという事は逆に、敵はそこを突破されることを恐れていると考えられることだ」


ホログラムスクリーンを指し示す。


「敵左翼がいるエリアはこの宙域の中でも一際小惑星の密度が濃い。つまり俺たちがここを突破した場合、隠れ場所や弾除けには困らず、逆に敵は追撃が容易ではない。つまり、ここが敵包囲網のアキレス腱だ」


僕は唖然とした。そんな考え方があるのか?


「更に敵はそう考え、わざと左翼を厚く右翼を薄くして俺たちを右翼に誘導しようとしている。そして、連中はその誘導が成功する事を露ほども疑っちゃいない」


「なんで疑わないんだ?」


「おまえ等が素人だと侮っているからだ」


・・・一言もない。


「故にここであえて左翼に攻撃を仕掛ければ敵の意表を突くことが出来る」


「しかし、敵の数は一番多いんだろう?」


「問題無い。敵は数の多さを過信して艦隊を分散させ過ぎた。つけ入るとすればそこだ」


 グレッグはそこでグッと俺のことを睨みつけた。彼は僕より少し背が低い。やや上目遣いに見上げるような格好になる。


「俺のことを信じろ。ここからはそれだけが問題となる」


 僕は息を呑んだ。首筋がちりちりする。僕は機械的に頷いた。グレッグもそれを確認してから力強く頷く。そして、正面を見据えた。


彼はこの瞬間から戦いが終わるまで、僕のことを一顧だにしなかった。


「全艦隊、密集隊形を保ったまま前進。各艦に厳命。俺が命ずるまで撃つなよ」


 僕はなんだか置き去りになったような気分で、グレッグの後姿を呆然と見ているしかなかった。




 俺はタリスマン艦隊を前進させた。正面に展開するのは宇宙社会主義連盟左翼艦隊。数は約二千隻。


「策敵妨害開始。対電波対光波防御。全艦隊機関臨界!」


「了解!」


「駆逐艦全艦は艦隊最前列へ。哨戒作業をしつつ電波妨害を行え。以降の通信はレーザーで」


「了解」


「巡洋艦各艦は戦艦の左右両翼に並んで突撃隊形。旗艦と同期せよ」


「了解」


 タリスマン艦隊の錬度は目を覆わんばかりであったので、俺は細かなことまでいちいち自分で指示を出した。指示を出しながら自分でも大それた事をしているなと思う。俺はもともと歩兵であったので、艦隊指揮などした事も無い。というより戦闘の指揮自体したことが無いのである。その意味ではタリスマン幹部連中と変わらないといえた。ただし、俺は一応新兵訓練の時に戦術の授業は受けたし、暇つぶしに訓練所にあった艦船関係の教本も読んでいた。艦隊戦指揮のいろはくらいは理解していたのである。もっとも、それで実際の艦隊指揮がこなせるものなら本職は必要ないわけだが。


 突然、オペレーターが叫んだ。狭い艦橋の中に悲鳴が響き渡る。


「撃ってきました!」


 宇宙社会主義連盟艦隊が発砲を開始したのである。距離は長距離砲射程ギリギリ。それを見て俺は、敵の錬度もたいして高くないという感触を得る。歩兵戦でもそうだが、発砲を急ぐ奴は大抵新兵だ。発砲すれば自分の位置を敵に教えてしまうし、銃弾も減る。何より発砲するという行為は、慣れていても自分の精神と体力を削り取るのだ。


「全艦隊に改めて指令。旗艦の発砲があるまで全艦隊に発砲を厳禁する」


 俺は操舵手に指示を出す。


「なるべく小惑星を盾にしたまま敵艦隊に接近しろ」


 それから砲術長に、


「距離二万五千まで絶対に撃つな。その後は撃ちまくれ」


 そして機関長に、


「砲撃を開始したら全開だ!機関は臨界を維持」


 全員から了解の返答を得ると、俺は下唇を舐めた。


「よし、勝負だ!」




 宇宙空間には音が無い。なのでそれは音も無く起こる。


 戦艦「タリスマン」横に配置されていた戦艦「アルテ」が爆発した。それは閃光と光の雲が突然「アルテ」の中から吹き上がり、それが「アルテ」を瞬時に包み込んだようにしか見えなかった。一瞬遅れて「タリスマン」が激震し、ようやく「アルテ」が撃沈したのだと分かる。


 僕の体中の毛が逆立った。


 既にここは戦場なのだ。敵の悪意が届く場所にまで、我々は踏み込んできている。それが実感され、僕は膝の震えを止めることが出来ないでいた。


「距離、二万五千!」


「よーし!撃てぇ!」


 グレッグが右手を大きなアクションで振り下ろした。同時に「タリスマン」は鳴動し、全天スクリーンが真っ白に染まる。


 周囲の僚艦からもビームの輝きが放たれ、宇宙空間に吸い込まれて行く。それを見ていると、今度は体中が熱くなってくる。


「全艦隊全速力!」


 グレッグは叫んだ。僕はホログラムスクリーンを見る。


 我が艦隊は敵(この期に及んではそう呼ぶしかないだろう)左翼艦隊と相対していた。その数は約二千隻。げっそりすることに我が艦隊の七倍近い。しかし、その配置を注意深く観察していて、あることに気が付いた。


 敵艦隊は、一箇所に密集しているわけではなかった。数百隻の小艦隊に分散しているのである。これは、この宙域に幾つか浮いている大きな小惑星によって出来ている小航路を封鎖しようと試みているかららしかった。小航路の数は五つ。敵はその全てを塞ぐべく、艦隊を五つに分けているわけなのだ。


 あ、僕はグレッグの言ったことを理解した。彼は言った「敵は艦隊を分散させすぎている」と。このことだったのだ。


 敵は、まず艦隊を大きく三つに分け、しかもそれをこの宙域では五つに分散しているのである。グレッグはその中から一つの小航路に狙いをつけて、そこに突入したのだった。その小航路を封鎖している艦隊は七百隻。これでも我が艦隊の倍以上だが、十五倍、七倍よりはぐっと現実味のある数字になってきたといえるのではないか。


 我が艦隊が突入した小航路はこの宙域でもっとも広かった。そのため、敵分艦隊の中でも最も数が多い艦隊が守備についている。なぜグレッグはここに突入することにしたのだろうか。


 僕は落ち着いてスクリーンを観察した。僕はようやく、戦場に叩き込まれた時に最も重要なことを理解していた。それは、パニックを起こさないことである。パニックを起こせば見えるべきことも見えなくなるのだ。落ち着いて、冷静になって物事を見極めれば・・・。


 そうか、僕は思わず手を打った。


 ここの小航路は、七百隻で封鎖するには広すぎるのである。つまり、敵の戦力では完全に封鎖し切れはしないということなのだ。これであれば突破の可能性は高いのではないか。僕は絶望的だと思っていた状況に突然生じた希望に思わず呆然とした。


 我が艦隊の目的は、この星系からとりあえず逃げ出すことである。敵の包囲網から抜け出して、アジトの星系に戻る。それが当面の目的なのだ。敵に勝つことではない。その目的を理解していれば、グレッグのとった行動が理解できるだろう。


 グレッグはあえて敵がこちらの退路を絶つべく分散するまで待ったのである。その方が脱出しやすいと読んだのだろう。あの時慌てて逃げようと移動していたら、敵は現在のような配置にならなかったに違いない。驚くべくクレバーさだと言えた。


 僕は思わずグレッグの後姿を見た。彼はスクリーンに生じる爆光に晒されながら腕を組んで正面を見据えている。この男は、あの突然の事態に混乱することなくここまで考え、即座に行動したのだ。


 すごい。素直に感嘆すると共に、嫉妬めいた感情が浮かび上がる。同時に、なぜかアニス・フラミニアの赤い瞳が脳裏を過ぎった。彼女は、この男のことを運命と呼んだ。


 この男は、ここで排除すべきなのではないか。そう、思考が飛んだ。この男は危険だ。僕の中の暗い部分がそう警告する。この男は、いつかきっと僕の前に立ちふさがる。そういう予感だ。理性ではなく、直感。


 しかし、僕は頭を振った。戦艦「タリスマン」が大きく揺れて僕は足を踏ん張らなければならなかった。そんなことを考えている場合ではないだろう。僕はグレッグから無理やり視線を外して目の前の戦場に集中した。




 俺は状況を楽観視していなかった。


 敵が艦隊を分散させ過ぎていることは事実であったが、それも敵なりの思惑に基いてのことであったからだ。


 敵艦隊は分散しているとはいえ、互いの距離はそんなに離れていない。敵は少しの時間を稼ぎさえすればすぐさま援軍が期待出来るのだ。唯でさえ劣勢であるのに、背後に敵の援軍を迎えれば最早デッドエンド確定だろう。それだけは避けなければならない。ならば、敵の援軍が到着するまでにこの正面の敵を突破するしかないのだ。


 しかし、そこで俺の乏しい知略の種は尽きてしまった。後は正面に立ち塞がるこいつら、こっちの倍以上の敵艦隊を正面から貫くことしか考え付かない。もっとも、敵は小航路全体を塞ごうとして艦列を薄く延ばしていたので、正面の敵はこっちよりもむしろ少ないくらいだった。しかし、手間取れば敵も集中隊形をとるであろう。チャンスは今しかなかった。俺は壊れた機械のように連呼した。


「突撃!突撃!突撃!突撃!」


 俺の執念が乗り移ったのか、タリスマン艦隊は素人集団にしては上出来な猛砲撃を見せた。いや、素人だからこそ容赦が無かった。ほとんどゼロ距離に接敵した敵艦にビーム砲を放ち、諸共に轟沈してしまう艦、目前の敵艦に砲撃することに集中し過ぎて、他の敵艦に衝突してしまった艦もあった。


 しかし、敵もそう簡単には突破を許してはくれない。敵だって五千隻の艦隊を繰り出して目的を果たしえなかったでは済まないのだ。それこそ衝突も辞さない覚悟で封鎖に掛かる。


 だがその敵の強引な封鎖はこっちに味方した。


「全艦隊!近距離砲戦用意!巡洋艦各艦は光子魚雷装填!ぶっ放て!」


 タリスマン艦隊のほとんどは巡洋艦と駆逐艦、砲艦だった。これらの艦種は接近戦に強い。もしもここで敵が陣形を柔軟に変化させて、距離をとりつつこちらを砲撃したなら、こっちは打つ手が無かったのだ。敵の錬度ではそのように高度な艦隊運用は不可能だったのであろう。


 艦同士が接触して火花が散るような激しい接近戦。そして待望の瞬間が訪れる。


「先頭艦が敵隊列を突破しました!」


 オペレーターの絶叫に艦橋で歓声が炸裂する。


「よし!こじ開けろ!全艦隊、最大戦速!」




 タリスマン艦隊は宇宙社会主義連盟艦隊の包囲網を突破することに成功した。しかしながら、僕は懸念した。宇宙社会主義連盟は僕らの星系まで追撃しては来ないだろうか。


 僕は口に出してそう言ったのだが。グレッグからは甚だ頼りない返事が返ってきた。彼は戦闘終了と同時にへたり込み、椅子に身体を深く沈めたまま虚脱に近い状況であったのだ。


「そんなことは、知らん」


 そんな無責任な。


「俺はアニスを連れて逃げる。後は自分で何とかするんだな」


 まぁ、彼の立場ではそれが当然ではあろうが・・・。


 その時、俺は彼の後ろ頭を見下ろしながら、ふと、先程覚えた彼への殺意を思い出した。それは一度思い出すと、断ち難い誘惑のように僕の脳裏を周回する。僕は無意識に頭を振ってそれを振り払いながら、まったく逆のことを口に出していた。


「グレッグ、タリスマンに入らないか」


 グレッグは少し間を置いてから僕のことを見上げた。表情は良く見えなかった。


「今回のことで分かった。タリスマンはあまりにも軍事について無知で無頓着だった。タリスマンがこれから発展するためには、君のような軍事の専門化が必要だ」


 グレッグは上目でしばらく僕のことを見ているようだったが、やがて視線を正面に戻す。


「買いかぶりだよ。俺は別に専門家というわけじゃない」


「それにしても、僕よりもはるかに軍事的なセンスに優れていることは確かだ」


 悔しいが。とは言わなかった。


 グレッグは軽く足でなにやらリズムを刻みながら沈黙していたが、僕が再び口を開こうとした瞬間に言った。


「断ろう。義理というものがある。それに、まだ先のことを考えるには早すぎるんじゃないか?」


 僕は言い掛けた言葉を飲み込んだ。


「・・・そうか、では、仕方が無いな」


 確かに、この先のことを考えている場合ではなかった。しかし、宇宙社会主義連盟の艦隊は追撃してこなかった。彼等のほうがそれどころではなくなったのである。


「て、帝国軍です!」


 オペレーターが驚きの声を上げる。僕は慌ててホログラムスクリーンに取り付いた。


 画面の半分が真っ白になるほどの大艦隊であった。宇宙社会主義連盟艦隊は三千隻で、僕らにとっては大艦隊であったのだが、突如出現した帝国軍艦隊は二万隻。次元が違う。それがうねる多頭の蛇のように宇宙社会主義連盟艦隊に襲い掛かる。


 まったくの素人である僕の目で見ても、帝国軍の錬度が宇宙社会主義連盟のそれとは比較にならないレベルで高いという事が分かる。滑らかさが違う。勝敗は既に明白だった。


 僕らがあれほど恐れ、苦戦した宇宙社会主義連盟艦隊が、夏草を刈り払うような容易さで撃ち払われてゆく。それはなんだか馬鹿にされたように感じる光景であった。


「・・・グレッグ、君は知っていたのか?」


「いいや」


 グレッグはホログラムスクリーンを見ようともしない。僕は更に詰め寄った。


「タイミングが良すぎるだろう!一体どういうことなんだ!」


「予想は付く」


 その声色は思わず僕が足を止めてしまうほど不穏な気配を秘めていた。


「皇帝は、アニスを監視していたのさ。アニスが誘拐されたと判断した皇帝はアニスを救出することを指令。ついでに俺をも救出するべく艦隊を派遣。たまたま巡り合った反帝国軍を、ついでに撃破。・・・まぁ、そういうことだ」


 僕は思わずこぶしを握り締めていた。


「たまたま・・・?ついで・・・?」


「ついでだろうよ。帝国軍の保有艦艇数は九十万隻。二万隻程度は皇帝の身振りひとつで動かせる」


 グレッグは片目だけで僕を見た。


「自覚しろ。お前等は、宇宙社会主義連盟も含めて、まだその程度の組織なんだ」


 僕は震えていた。恐怖で、ではない。怒りに震えていたのだった。


 帝国の巨大さを、そしてその尊大さを、改めて見せ付けられたような気分だった。グレッグが呟いた。


「ラルフ、お前は、なんで反政府運動を始めた?帝国に何か不満があったからか?」


 不思議なことを聞かれたような気がした。


「そうだ。帝国の現行政治形態では、民意が政治に十分反映されない。民主政治に改めるべきだ」


「なら、帝国がお前の希望通りに政治を改めたら、革命は止めるのか?」


 僕は返答に詰まる。


「皇帝は、反政府組織と話し合う用意があると言っていた。悪いところは改めるともな。どうする?」


 忘れていたがグレッグは皇帝からの使者なのだった。確かに彼を通じて皇帝と接触し、皇帝を説得して帝国を民主主義政体に変えて行くという、平和的な革命もありではある。しかし・・・。


「いや・・・、それでは、目的が達し得ない・・・」


「なんで」


「僕は国が創りたいのだ」


 言ってみて、初めて自分の心の中身を覗き込んだ気がした。そう、僕が革命を志向するのは、新しい国を、自分の理想の国家を打ち立てたいからなのだ。自分は自分で言っておきながら、自分の言葉に感動していた。そうだ。僕は国が創りたかったのだ。目の前に大きな空が開けたような気分だった。


 突然、グレッグが哄笑した。僕は自分が笑われたのだと思って腹を立てた。


「なんだ!」


「いや、そうだろうなぁと思ってな。そうだろうよ。うん、分かるよ」


 どうも僕に向けた笑いではないらしい。僕には良く分からなかったが。




 タリスマン艦隊は、気が付けば帝国艦隊に完全包囲されていた。俺は通信を開かせ、俺がここにいることを伝えさせる。


 通信スクリーンに現われたのは意外すぎる人物だった。金髪をオールバックにセットした、端正な顔立ちの若者。


「無事で何よりです」


 思わず仰け反った。なんと銀河帝国皇帝シオス・フラミニア自らが通信に出たのだった。艦橋にいる全員が硬直する。


「すぐに迎えを出します。それから・・・」


「グレッグ!無事なの?」


 無礼極まることに皇帝を押しのけるように現われたのは、アニスだった。俺はさっきとは別な意味で仰け反った。


「ああ、無事だ」


「よかった・・・」


アニスはその瞬間ぽろぽろと涙を落とした。それを見て俺は不覚にも少し感動し、同時に、あいつがこんなに心配するということは、やっぱりあいつの予言をあてにした俺は間違っていたのだなと冷や汗もかいた。


 強襲揚陸艦が「タリスマン」に接舷し、海兵隊の大部隊がなだれ込んできた。艦橋の全員もホールドアップだ。俺は極めて丁重に、あたかもVIPででもあるかのように扱われた。


「お前も来いよ。敵の親玉の顔をちゃんと見ておくのも悪くないだろう?」


 ラルフは驚いた顔をしたが、同意した。


 シオスが乗っていたのは皇帝御座艦として有名な「アルケミスト」であった。濃緑色の流麗な戦艦である。つまりは、彼は行幸先からここに駆け付けたということなのだろう。律儀なことだ。


 艦橋は「タリスマン」の艦橋の三倍はありそうな広さだった。全天スクリーンもこの広さになれば本当に全天と言うに相応しい。降りそそぐ様に輝く星、その中に黒く影を落とす帝国艦隊の威容。その光景を背景に、シオス・フラミニアはごく自然な姿勢で立っていた。それは確かに彼が皇帝であることを無言で物語る光景であった。


「グレッグ!」


 アニスが駆け寄ってきた。着替えたのだろう、クリーム色の上着と緑色のスカートを着ている。髪は白い。真っ赤な瞳には涙を浮かべていた。


「よかった。どこにも怪我は無い?よかった・・・」


 アニスの言葉は途中で宙に消えてしまった。俺のすぐ前で、突然足を緩める。なんだ?彼女の視線は俺から外れ、俺の後ろに向けられていた。


 そこにはラルフが立っている。アニスは真紅の瞳を極限まで広げ、ラルフを凝視し、それから下唇を噛むような表情でもう一度俺を見、そして振り返って彼女の兄の姿を見た。白く長い髪が彼女の気持ちを表すように激しく舞う。




 グレッグ、


 ラルフ、


 そして、兄様。


 私は立ち尽くしました。三人の真ん中で。宇宙の、未来の中央で。


 螺旋を描くように、そして花開くように、光にも似た未来の断片が私の周りで踊り、吹き上がり、形作られてゆく。


 ああ、始まる。私は零れ落ちる涙を止めることができませんでした。始まってしまう。この時私は初めて、未来を見たいという欲求と同時に、それを見ることへの怖れをも感じたのでした。もしかしたら、それは私が望むような形を成さないかもしれない。悲しみだけが生まれて陽炎のように何も残らないかもしれない。


 それでも、私は・・・。




 突然、アニスが崩れ落ちたので、俺は咄嗟に彼女を受け止めなければならなかった。艦橋が騒然とする。


「どうしたのですか!」


 シオスまでが駆け寄ってきた。しかし倒れたとうの本人はと言うと、なんだか幸せそうな顔をして目を閉じていた。呼吸も平常のようだ。


「・・・心配無い・・・と思う」


 俺が言うと、シオスはあからさまに安心したようだった。


「そうですか」


 医者でもない俺の言葉をどうしてそうもあっさり信じられるのか。俺は内心彼の素直さに呆れた。誰も受け取りにこないので、仕方なく俺はアニスを抱きかかえた。彼女はえらく体重が軽いのだということに気が付く。


 シオスは改めてという感じで俺に言った。


「無事で何よりですグレッグ。例の反政府組織が艦隊を動かして不穏な動きをしているという報告があったので急遽駆けつけたのですよ。間に合って良かった」


「恐縮です」


 そうとだけ答える。シオスは僕の後ろに目をやった。


「そちらの者は?」


 俺が紹介するより先に、ラルフが口を開いていた。


「お初にお目にかかります。皇帝陛下。私は民主主義革命組織タリスマン代表、ラルフ・アイナムです」


 やや硬い声色だったが、ラルフははっきりと言い切った。なかなかこいつ、度胸あるな。俺は彼のことを見直した。


 シオスは青色の目を少し細め、ラルフのことを上から下まで見た。ふむ、と呟く。


「ではアニスを保護していた組織の長はあなたなのですね」


 保護ときたか。


「そうです」


「ではお礼を申し上げなければなりませんね。それと、グレッグを守ってくれたことに対しても」


「礼には及びません。皇帝陛下」


 ラルフは懸命にシオスから視線を逸らさないように耐えているようだった。ラルフにとってシオスは、いわば敵の親玉だ。なるべく堂々と対したいのだろう。現実には相手にもされていないとしても。


「アニスを救出する過程で、僅かにトラブルがあったようです。あなたの仲間が何人か怪我をしたとか。それにもお詫びを申し上げます。それと、十分な補償を・・・」


「必要ありません。革命組織にとって、帝国との闘争で負傷するのは逆に名誉なこと」


 気を張り過ぎだな。俺はラルフの態度に苦笑を誘われた。


 黒く長い髪を後ろで縛った、背の高いふけ顔の若者。せめて黒ぶち眼鏡は止めたほうが貫禄が付くと思う。どう見ても彼は革命組織の指導者というよりは、学校の先生の方が似合うと思えた。この時は未だ。


 その後、二言三言やり取りがあって、ラルフは艦を辞去してアジトに帰る事になった。そのアジトも帝国軍に襲撃されてしまっては、変えざるを得ないだろう。タリスマン自慢の艦隊も半減してしまっている。宇宙社会主義連盟は壊滅。タリスマンがいろいろなものを再建するのにはかなりの時間を必要とするだろうな。


 去り際。ラルフは俺に右手を差し伸べた。


「君のおかげで助かった」


 そして口の端で笑う。


「気が変わったら、いつでもタリスマンへ。歓迎するよ」


 俺は苦笑しながら彼の右手を握った。




 遠ざかる帝国軍艦隊。僕は戦艦「タリスマン」艦橋、帝国旗艦のそれとは比べ物にならないような狭くてぼろいそこで、誓っていた。


 いつか、あの男。シオス・フラミニアに対等な敵と認識されるようになってやる。と。


 あの、想像していたよりも遥かに穏やかなあの皇帝。彼は、僕が自分を「革命組織の指導者だ」と紹介したにもかかわらず、まったくそれを問題にしなかった。僕を逮捕しようとも、翻意させようとも試みなかった。無視したわけである。


 革命など出来るはずが無い。端からそう考えているのだろう。ましてや、こんな弱小戦力しか持たないタリスマン、そしてこの僕には。その無意識の尊大さ、それが帝国の有り様を端的に表している気がする。


 後悔させてやる。このラルフ・アイナムを侮ったことを。いつか力をつけ、帝国を脅かし、あのシオスという皇帝の前に立ってやるのだ。


 しかしなれるだろうか。彼の敵に。あの僕らにとっては巨大すぎる組織であった宇宙社会主義連盟でさえ、小指の先で粉砕されてしまったというのに。そう自問した時、あの瞳が、アニス・フラミニアの真紅の瞳が思い浮かんだ。


 そういえば、彼女に別れの言葉を言うのを忘れていたな。ふと、僕はあの時、彼女と会って話した際のワンシーンを思い出していた。月明かりに輝く白い髪と、闇の中で妖しく光る紅い瞳。彼女は言った。


「あなたは鍵」


 どういう意味だったのだろうか。この時の僕には知りようも無いことであった。僕が彼女の、その言葉の意味を知ることが出来たのはずいぶんと先の話になる。




 シオスは執務室で仕事中だった。銀河帝国数百億人の頂点にある者には膨大な仕事がある。戦艦「アルケミスト」の彼の執務室にはひっきりなしに人が出入りし、侍従数人に囲まれた机には書類が山と積まれている。俺はかなり待たされて入室した挙句、デスクの前でもしばらく待たされた。シオスが電話中だったのである。


「ではその件はそう頼みましたよ。ああ、分かりました。・・・っと、ああ、ラルフ。待たせてしまいましたね」


 彼は微笑んだ。邪気が無さそうな、実に人当たりの良い笑顔。俺は黙ってデスクに近寄り、彼の前にそれを置いた。一通の手紙。


 宇宙社会主義連盟へ届けるはずだった親書である。シオスはそれを見て首を捻り、俺のことを見上げた。


「届け先が無くなったものでね。これは返します」


「ああ・・・、そうですか」


 わざわざ返してくれなくても良いのに、と視線が語っていた。俺は言った。


「これで、頼まれた仕事は終わりました。契約は終了ですね」


 シオスは戸惑ったようだった。


「では、俺はこれで。いずれまたご縁があれば・・・」


「待ってくださいグレッグ」


 振り返りかけた俺をシオスが引きとめる。


「どこへ行こうというのです」


「あなたとに頼まれた仕事は、その親書を宇宙社会主義連盟に届ける事だけだったはずです。終わった今、俺がどこへ行こうと勝手でしょう」


「それはそうですが・・・、何を怒っているんですか?グレッグ」


 俺はため息を吐いた。本当は言いたくなかった。しかし、シオスに問われた以上、答えなければならないのだろう。


「二万隻の艦隊は、皇帝の身振り一つでは動かせない」


「は?」


 俺はシオスに向き直り、身体をかがめ、彼を正面から見据えた。


「なぜこうも手際良く、二万隻の艦隊が繰り出せたのかってことですよ」


 シオスの瞳に動揺の揺らぎがあり、俺はそれで自分の推測の正しさを知った。


「俺はタリスマンの連中にこの親書は最後通告書だって言ったものだよ。だが、それは単に俺の口からでまかせだったはずなんだ。だが、それは実は本当のことだったんだろう?」


 俺はもちろんこの親書の中身は知らない。だがおそらくこの中身は本当に最後通告書、即座に降伏しなければ武力討伐を行うなどと書いてあるのだろう。


 俺が宇宙社会主義連盟にこれを届ける。すると即座に帝国艦隊が宇宙社会主義連盟を急襲する手はずになっていたのだ。つまり俺はいわば宣戦布告の使者に仕立て上げられたのである。


 まったく冗談ではない。もしも俺が無事に宇宙社会主義連盟にこれを届けたとしよう。内容は最後通告文である。相手は激昂したであろう。なにしろタリスマン艦隊を誤解でいきなり攻撃してきたような血の気の多い連中である。俺はただでは帰れなかったのではないか。


 まてまて、ここまで考えて気が付いたが、宇宙社会主義連盟艦隊がタリスマン艦隊にいきなり攻撃を仕掛けてきた理由も違うのではないか?そもそも宇宙社会主義連盟が全力出撃してきた理由も帝国軍の出撃を察知したからなのではないか。帝国の親書を届けに来たタリスマン艦隊は、帝国艦隊の露払いに見えてしまった可能性がある。


「違うか?」


「違いません」


 シオスは即答した。悪びれた様子は無い。確かに悪気は無いんだろうな。なにしろ、そんな役目を託しておきながら、大事なアニスを同行させるくらいなのだから。


「あなたを欺いた形になってしまったことは許して下さい。もちろんあなたの身の安全には最大限注意を払うつもりでした」


「こっそり監視させて?」


「ええ」


 まったく、この無邪気な尊大さ。流石に、彼は皇帝なのだな。俺はようやくにして自分が帝国、ひいては皇帝に抱いていた良く分からない反発の原因がどこにあるのか分かった気がした。おそらくこの思いは帝国の民衆、特にラルフたちのような連中と共有できる考えなのだろうとも思う。


 俺は一度俯いた後、身体を起こした。


「では、これでお別れです。お元気で皇帝陛下」


「仕方がありませんね・・・」


 シオスは呟き、それからとんでもないことを言った。


「アニスは連れて行っても構いませんよ」


 俺は最早振り返らないつもりであったのに、思わず振り返ってしまった。さぞかし間抜けな表情をしていたことであろう。




 自分で言いながら、なぜそんなことを言ってしまったのか。後で考えても不思議に思います。ですが、口にしてしまえばそれが自明なことであるかのように、言葉は続きました。


「アニスもそれを望むでしょうから」


 グレッグは上半身だけを振り返らせて硬直してしまっていました。口が僅かに開いてしまって、それが彼の驚きを如実に物語っています。


「今度は、監視など致しません。どこへなりと、一緒に行ってください」


 グレッグはようやく自失から立ち直ると頭を強く振って、叫びました。


「とんでもない!」


「どうしてです?」


「だって、あいつは帝国の筆頭巫女で、あんたの妹なんだろう?どうしてそれを・・・!」


 それは当然の疑問でしょう。私はデスクの上に両肘を付き、顎を手の甲の上に乗せ、グレッグを見上げました。


「あなたになら、託してもいいかと思った。ただそれだけですよ」


 グレッグは私の言葉を聞いて、全身を緊張させました。


「それだけ?」


「そう。アニスのことは頼みましたよ。グレッグ」


 ・・・私はこの時の自分の言葉を後悔したこともあります。もしも、アニスを彼に託さなければ、歴史はおそらく変わっていただろうと思えるし、そうすれば幾つかの悲劇は生じなかった可能性があるからです。


 グレッグはしばらく固まってしまっていましたが、やがて決然と身を翻し、私の執務室を出て行きました。


 妹を頼みましたよ、グレゴリー・オルレアン。私は戸惑う侍従たちを無視して仕事に戻りました。




 そこにアニスが旅装を調えて待っていても、俺は少しも驚かなかった。ただ、ため息が出るだけだ。アニスは白い髪(宇宙船の中なので薬は必要ないのだろう)を払ってぶーたれた。


「なによ、女の顔を見てため息を吐くなんて失礼ではなくて?」


「やかましい」


 俺はアニスの頭に軽く拳固をくれた。


「いたい!」


「うるさい、いいか、俺についてくる気があるならお姫様扱いは期待するなよ!」


 俺が言うと、アニスは目を丸くした。彼女にしてはめずらしく、おどおどした口調で言う。


「・・・ついて行っても良いの?」


 ・・・俺はシオスに頼まれたのだとは言わなかった。ただ短く言う。何となく彼女の目は見られなかった。


「ああ」


 その瞬間アニスは俺の首に飛びついた。




「さぁ、行くぞ」


 歩き出した彼の後ろを追って私も歩き出しました。その時、彼の行く先に、柔らかな光が広がるのが見えました。それは更に広がって私たちを包みこみます。私は彼のことを見失いそうになって、彼の手を求めました。


「なんだ?仕方が無いな、ほら」


 暖かくて大きな手。不思議なことに、彼の手を握った瞬間に光の幻視は消えてしまいました。


 その代わり、彼の横顔が間近にはっきりと見えます。私は何となく頬が熱くなるのを感じました。何となくドキドキします。でも、グレッグは無造作に私の手を握りながらただ前を向いて歩いて行きます。私のことなど眼中に無いように。


 私はそれが腹立たしくなって、彼の手を握ったまま彼のことを追い越してみました。


「おいおい、どこへ行こうって言うんだ。そっちじゃなくてこっちだ」


 そこは分かれ道だったようで、グレッグは逆に私を引っ張りました。


「お前は俺についてくればいいんだ」


 グレッグは微笑し、私はまた顔を赤くしました。


 私は彼に歩み寄り、彼の腕を抱え込みました。私たちは寄り添いながら歩いて行きます。


 どこへ行くのか、私にもまだ見ることが出来ませんでした。












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