第2話 私は負けない!

 …ベッドの上で金色の毛玉がもぞもぞと動いた。俺がベッドから降りたので俺の胸に寄りかかっていたものが安定を失ったと見える。


 しばらく良い姿勢を探していたようだが、やがて枕の上で安定を取り戻したようだ。動きを止めると、スカーっと気持ちの良い寝息を立て始める。


 エリュアー・マグダーネン・アクナイアス公爵閣下はとある安宿の固いベッドをものともせず、大の字で爆睡中であった。こっちは色々緊張している上にこいつの寝相が酷くてあまり寝られていないというのに。


 これでも寝る前には、


「こんなベッドで寝られるわけが無い!」


 などと憤慨していた筈なのであるが。大した順応力だ。


 もっともこの少女は、俺が調達した庶民の服(子供用)を着る様にと言った時も、


「こんな粗末な服など着たくない!」


 と叫んでおきながら、着てみれば「これも身軽で悪くないわね」とご満悦であった。


宿を取れば


「あんたと同室なんて、レディを何と心得ているのか!」


 と叫んだくせに、一度くつろげば平然と下着姿でうろつきまわっていた。


食事を買ってくれば、


「こんな固いパンは食べられない!」


 などと散々ごねたくせに、ライ麦のパンを一人で三つも喰ってしまった。


 まぁ、保護者としては余計な手間が掛らないのは良い事である。俺には考える事が山ほどあるのだから。




 俺とエリュアーはアザラン公国内をアーナエラ公国に向けて移動している最中であった。


 アザラン公国はさして大きな国ではない。騎馬で疾走すれば一昼夜でアーナエラ公国に辿り着くだろう。


 しかしそれでは目立ち過ぎる。追われる身としては目立たぬようにしたいのである。ごく普通の旅人として目立たないようにルートもメインの街道を外して選ぶとすれば、ここから二日程の行程になる筈だった。


 俺が恐れていたのは、ペラム王国がアザラン公国に対し「謀反人アクナイアス公爵」の逮捕を依頼し、アザラン公国の治安維持組織もしくは軍が大々的な手配を行う事であった。


 俺とエリュアーがペラム王国を逃げ出して丸一日。ペラム王国の動きが早ければ今日辺りから村々に伝令が飛び、関所が出来て手配が始まってもおかしくない。


 そうなれば街道を使うことは出来ず、人里にも近寄れず、旅路は困難を極める事になるだろう。ペラム王国の動きが遅いか、アザラン公国がペラム王国の依頼を真に受けないかのどちらかを祈りたいところであった。


 それでも、アーナエラ公国が逃避行の本当のゴールになるのであれば話はそれ程難しくないのである。どうにか捜査網を突破してアーナエラ公国に逃げ込めば良いのであればいくらでも方法は考え付く。


 しかし、問題なのはアーナエラ公国が本当に味方なのかどうかがやや怪しいということであった。


 アーナエラ公国に嫁いだというエリュアーの姉。摂政プリーシア・アクナイアス・アーナエラが果たして妹をどう思っているのか、事情を簡単に聞いただけの俺には分からなかったのである。


「ふ~ううあああああ、う」


 間抜けな欠伸をしながらエリュアーが目を覚ました。小さなお尻を天井に向けて振りながら伸びをすると、ベッドにぺたんと座り込む。一体ここはどこなんだと考え込んでいるように見える。


 俺を眇めた目で見ながら眉をしかめた。なんでここにあんたがいるのか?と視線が問いかける。


「おはよう。よく眠れたようで結構だ」


 俺は一応は形式上の主人であるところのエリュアーに挨拶をした。エリュアーは天井をぐるりと見回すと、目をごしごし擦った。次に目が開いた時には既に瞳は平常時の輝きを取り戻している。複雑に磨かれた青玉のような光を宿した大きな瞳が俺の目をしっかりと見た。


「お腹が空いたわ!」




 俺とエリュアーは宿を出ると厩でロールト号を受け取り、手綱を引きながら村の大通りを歩いた。


 丁度、市場が立つ日であったようで、大通りにはそれなりに人が歩いていた。今いるここは街道沿いにある大きめの村であり、そこに立つ市であるから近隣の村々から人々が集まってきているのだ。


 俺とエリュアーは既に目立たぬように庶民の服に着替えている。俺は茶色の上着と黒いズボン。エリュアーはやはり茶色の上着に青いロングスカートである。エリュアーは顔を隠すために白い大きなケープを被っている。こうしておけば特長的な金髪は見えないし、どう見ても童女にしか見えない。


 エリュアーは出店で買った得体の知れない肉を焼いた串焼きと、固いパンに交互に齧り付きながら皮袋から水を飲んでいる。しかも歩きながら。本当に貴族の娘なのか?と、疑いが表情に出てしまったのか、エリュアーは俺を睨みつつ言った。


「あたしは今まで何度も戦場に出ているのよ?中には半月も山岳地帯にいなきゃいけない事もあったのよ」


 だから食い物と寝床は選ばないわ。と彼女は言った。だが一応、文句は言うらしい。貴族の誇り的に。


 なるほど。俺もパンを齧りながら歩いていた。俺も戦場はもちろん、旅の最中に何度と無く泥水をも啜らなければならないような目に合った事があるので、理解出来ない話ではなかった。


 こんな風に行儀悪く歩き食いをしている者がまさか貴族とは思われまい。偽装としては悪くなかった。ちなみに俺とエリュアーは「アーナエラ公国の親戚を訪ねるために旅をしている兄弟」であるという事にしていた。妹役という事になったエリュアーはなぜか大層喜んで「ね、お兄ちゃんって読んであげましょうか!」などと言い出して俺を困惑させた。


 それは兎も角、警戒しながら村を歩いている限りにおいては、誰かを捜索している風の連中や、お触れを出している役人がいるというような事も無かった。単純に市のために村は賑わっており、人々は俺たちに注意を向けて来るような事も無い。


 まだしも警戒している俺に対して、すっかりエリュアーは市場を楽しむモードに入ってしまっている。並ぶ出店を見て歩きながら実に楽しそうであった。こうしてみる限りにおいてはまったくその辺にいる少女にしか見えない。


 俺とエリュアーは簡単な旅支度をした。日持ちのするパンと干し肉と水。夜露を凌ぐ事も考えて少し丈夫な外套。毛布。それを背中に積んでも、ロールト号は特に不満も無さそうに見える。いい馬だ。ちなみに、エリュアーの鎧は小さくたたんではじめからロールト号の背中に積みっぱなしだ。


 本当は本格的な逃避行用にもっと色々買い込みたかったのであるが、目立つのが嫌だったので断念した。まぁ、長くなっても3日の旅だと考えれば問題ない。


 市場を縦断しても、俺たちが注目を浴びる事は無かったし、役人らしい姿を見ることも無かった。村の外に関所でも構えているのではないか。俺はなおも疑ったが、エリュアーは「大丈夫みたいね~」とすっかり気を抜いてしまっている。


 エリュアーの言い分だと「あの国王がそんなに迅速に指示を出せるはずも無い」し「取り巻きどもも無能だから二三日は右往左往して決定を下せないでしょう」ということだった。俺よりも国王を良く知るエリュアーの言う事であれば、それが正解なのかもしれない。


 しかし、疑念は残る。


 そのように惰弱かつ優柔不断な王とその取り巻きであるにしては、エリュアーを問答無用で逮捕させようとするというのはずいぶん思い切った行動だったではないか。


 イルアローンの英雄として軍と国民の支持も厚いエリュアーを碌な証拠も無く風説に基いて逮捕するなど、一つ間違えば軍の離反と国民の不信を買う重大な失態になったかも知れないのだ。


 それを強行した国王がエリュアーの言うように、真から惰弱な男であるとは思えなかった。


 ペラム国王にエリュアーの知らない側面があるのか、それとも…。




 ロールト号に騎乗して村を出る頃には日はすっかり高くなっていた。村を出てすぐは他にも馬や人がいたが、しばらくすると街道を行くのは程なく俺たちだけになった。


 エリュアーは鞍の俺の前にちょこんと収まっている。頭のてっぺんが俺の顎以下であるのでまったく邪魔ではない。後ろに乗せるよりはこの方が駆ける時に安定が取り易いのである。


 ちなみにエリュアーには当然だが騎乗技術がある。それ程上手くは無いとの事であるが、ロールト号ほど訓練された馬で普通に街道を行くくらいなら造作も無いので、今はエリュアーが手綱を握っている。俺は馬を任せた分周囲を強く警戒出来る。


 もっとも、風景は実にのどかな農村のそれで、低い丘が連なる中に、良く耕された耕地が広がっているだけであった。追っ手のおの字も無い。


「拍子抜けだな」


「だから大丈夫だって言っているじゃない」


 エリュアーが俺を見上げ、歯を見せて笑った。


「あたしが言うのもなんだけど、王国はいつも何でも決めるのが遅いのよ。散々苦労したものだわ」


 ペラム王国にはいわゆる中央官僚組織というものが存在せず、王と王の側近のそれぞれの家臣たちがその代わりとなっているのだという。そのため職務配分がはっきり定められておらず、何をやるにしてもそれぞれの家臣団がまず話し合って、どこの誰が担当するかなどを決めてからでないと動けないのだという。


「軍だけはあたしが組織を掌握してから作り変えたから、あたしの命令がすぐに行き渡るようになっているけどね!」


 とエリュアーは胸を張る。その辺の手腕は実際大したものだ。俺の知る限りにおいても、エリュアーはペラム王国軍を完全に指揮下に置いていた。


 ペラム王国にはいわゆる国王代理の最高司令官(エリュアーの事だ)の下に六人の将軍がいた。つまり俺がエリュアーの前に最初に引き出された時にいたあの六人の男たちである。エリュアーはその六人を信服させる事に成功していた。


 そもそも、彼らはエリュアーが抜擢した比較的若い指揮官であった。


 ジョルジュ・エスタック。年齢は三十七歳。口ひげを生やした実直そうな男で、六人の中では最年長。


 ドルジ・バクチャ。東の異民族出身の騎兵隊長で、片言でしゃべる。年は二十歳位か。


 ホーン・ボルガン。三十歳。垂れ目で細身の男で、どちらかといえば参謀風。


 バーン・クロイニア。太り気味の大男で、目が細い。極めて無口だった。二十五歳。


 クルーシア・トルシェ。長身の色男風。髪が長い。二十歳。


 ラットリア・オファス。三十歳。角刈りと髭がいかつい。


 一応、エリュアーの屋敷で引き合わされたのだが、本格的な交流が始まる前であったのでこれくらいの事しか知らない。しかし、その態度から、単純にエリュアーの身分に従っているだけではなく、エリュアー個人に信服している事は感じられた。


 王国や国王ではなく、エリュアー個人に信服しているとすれば、エリュアーが王国から追われた現状でも、彼らがエリュアーの救出を考えてくれている可能性があった。そこまで行かなくてもペラム王国に帰還した時に彼らの助けが期待出来る筈であった。


 エリュアーが首尾良くこの事態を切り抜ければ逆転の可能性が残されているという事である。なんとかアーナエラ公国に逃げ込み、エリュアーの姉とやらの支援を取り付けてペラム王国内の彼らと連絡を取り合い、タイミングを計って内外から兵を挙げればエリュアーをペラム王国に凱旋させるのは不可能ではない・・・。かもしれない。


 まぁ、それは全てが上手く行けばの話である。何より、まずアーナエラ公国にまでたどり着かなければなにも始まらない。


 しかしまぁ、この分だとアーナエラ公国にたどり着くぐらいは何とかなりそうだ。問題は、そのアーナエラ公国摂政プリーシアが俺たちに対してどういう反応をするかだが・・・。


 と、頭をフル回転させて思考を巡らせていたせいで、それに気が付くのが遅れた。


「こら!トーラス・エムネ!」


 エリュアーの声にはっと我に返った。


「な、なんだ?」


「何だじゃないわよ。何度も呼んだのに!」


「え?いや、すまん。考え事をしていて・・・」


「何度も『お兄ちゃん!』って呼んだ」


「呼ばんでいい!っていうか、何事なんだ?」


 エリュアーは前方を指差した。俺はその指先を目で追った。細い街道の先。


 騎馬が二つ。立ち止まって俺たちの方を見ていた。嫌な感じがした。


 二騎は、俺たちが気が付いたと分かったのか分からないのか、さっと馬首を巡らせると馬を駆って街道を外れ、すぐに見えなくなってしまった。


「怪しいな。追っ手か?」


「違うわね。服装がペラム王国風じゃなかったから」


「ふうん」


 と、聞き逃しそうになって考えた。ペラム王国風?


「なんだ?そんなのがあるのか?」


「正確に言うなら、この地方風じゃなかった。どこか異国の服装ね。あれ」


 俺はそう言われてから改めて遠目に一瞬見た騎馬の服装を思い起こした。裾が長い上着と頭に何か被っていたな。それぐらいしか見えなかったし思い出せないが…。あと、馬に何か…。


「あ…」


「何?」


「思い出した!」


 昔、北の帝国に旅した時、何度かああいう姿をした民族を見た。彼らは馬の身体に何か染料でまじないの模様を描くので有名であり、その模様がさっきの騎馬にもあったのである。


「東の方の遊牧民族だ」


「ああ、バクチャと同じ民族ね?」


「そうだな。何十年か前にこの地方に略奪にやってきた連中がいて、中には居ついた連中もいた。バクチャ将軍もそうやって土着した連中の子孫なんだろう」


 そう。他民族の子孫自体はそれ程珍しく無い。太古の昔を思えば、この地方は様々な民族が収奪を繰り返してきたものである。その名残で様々な民族の子孫がいるし、互いに混血を繰り返している。しかし…。


「エリュアー。バクチャ将軍は馬に模様を描いていたか?」


「?いいえ」


 そう。バクチャ将軍のように子孫であれば、そのような異国の習俗を強く残している事の方が少ないだろう。つまり、さっき見た連中は「子孫」ではなく異民族そのものなのだ。


東との貿易も行っているという北の帝国の首都には様々な民族が来訪していた。しかしながら帝国から遠く離れ、交易路からも離れているこの地方にその姿を見ることは滅多に無い。


 もしもいるとすれば…。


 俺は結論に達して思わず天を仰いだ。そう。俺はペラム王国の追っ手や手配は強く恐れた。しかしながらもう一つ。大事な事を忘れていたのである。


 それは、旅をすることはそれなりに危険な事だという事である。嵐、野獣、怪我病気。そして盗賊。


「あ!」


 どうも俺よりも格段に目が良いらしいエリュアーが指差し叫ぶ。


 彼方の丘の上に騎馬姿が八騎。小さくてよく見えないがまずさっきの二騎の仲間だと考えて間違いあるまい。


「また異民族かしら?」


「そうだな…」


 俺はとりあえず手綱を引いて馬を止めながら思考を巡らせ始めた。


「異民族の、盗賊だ」




 遊牧騎馬民族は、十年に一度くらいのペースで民族ごと大強盗団を結成して北の帝国へ略奪にやってくる。おそらくは家畜の成育が悪かったとかそういう理由なのだとは思うが、一族郎党皆引き連れて、全ての物を劫略して行くのである。もちろん、北の王国の力が弱い年などは、遊牧民族は深く侵入してこの地方も被害に合う。


 そういう大略奪とは別に、小さな集団が北の帝国やこの地方にやってきて略奪行為を働くのは良くある事であった。俺もジューク王国内でそういう盗賊の討伐で初陣を踏んだ。


 つまり、前方に見える騎馬の連中はそうした盗賊集団である可能性が非常に高いのである。やつらは騎馬での戦闘に巧みで神出鬼没。盗賊に来ているくらいであるから強欲で残虐である事が多い。


 ある意味、ペラム王国の追っ手よりも厄介な相手であった。


 どう考えても見つかっており、手ごろな獲物と思われているに違いなかった。でなければあんなに堂々と姿を見せたりはすまい。


 八騎。完全武装であっても勝ち目が薄いと言わざるを得ない。ましてや俺は今、丸腰である。エリュアーの装飾過剰な剣はあるが、彼女のサイズに合わせてあるために短くて、とても使い物にはならないだろう。


 これでは勝負になるかどうか以前の問題だろう。そうなれば出来る事は一つ、逃げるだけだ。


 俺はロールト号を全力で駆けさせるべく手綱振ろうとして、止められた。


 エリュアーが俺の右手を抑えていた。強い力ではなかったが、強い意志を感じて俺は動きを止めた。


「…なんだ?どうして止める?」


「ちょっと」


 エリュアーは目を細めて盗賊たちを見ていた。


 ぞくっとした。


 エリュアーの表情が見た事も無いほど怜悧だったからだ。瞳には感情らしきものが感じられない。酷薄なまでな冷静さで全てのものを見通すかのようだ。幼さは剥がれ落ち、その影から何か得体の知れないものが覗いていた。俺は背中にひやりとしたものが流れ落ちるのを感じた。


 そしてエリュアーは左手で彼方を指差した。


「あの丘を目指して駆けなさい」


 俺は理由を尋ねることもせず、即座にロールト号を促して指示に従った。


 俺たちが動くのを見て、盗賊どもも動いた。土煙が散ってやや散開しつつ俺たちの行く手を遮ろうと動き出す。


 俺たちの進行方向に連中がいるわけであるから、少し街道を外れたとはいえ容易に先回りされてしまうだろう。俺としては馬首を巡らせて街道を逆走すべきではなかったかと思うのだが、エリュアーは続けて「次はあっち」「今度はその木の方」などと指示を出す。その確信に満ちた声を聞けば俺は逆らう気になれなかった。


 ロールト号は低い丘を越えて下り坂を一気に下った。盗賊たちは何か雄叫びを上げながら馬を励まして俺たちの前に回り込もうとしている。それ程慌てた様子も無い。明らかに俺たちを誘導している感じだ。俺は自分たちが連中の意図に嵌っているのではないかと危惧した。


しかしエリュアーの視線は揺るがない。時折、盗賊どもを見、それから周辺の状況を確認して透明な表情で何かを考えている。いや、企んでいる。


おそらく、イルアローンでの彼女もこうだったのであろう。俺はその姿に、イルアローンの英雄。ペラム王国軍総帥エリュアー・マクダーネン・アクナイアスの真の姿の一欠片を見た。


エリュアーは何度目かになる方向修正を指示した後、言った。


「川があるわよ。けっこう深い谷。飛び越えなさい!」


 何だと?俺がその指示を理解する前に突如、目前に谷が現れた。丘の連なりの向こう側にあったので見えなかったのである。俺は反射的に手綱を引こうとしてしまったが、エリュアーは更に叫んだ。


「飛びなさい!」


 俺は拍車を蹴り、ロールト号を全力で駆けさせた。谷の広さはここからでは分からない。もう運否天賦だ。瞬く間に迫り来る谷。俺は歯を食いしばってタイミングを計り、ロールト号を宙に舞わせた。


 ロールト号は名馬であり、その瞬発力は素晴らしいものがあった。


 しかしそれでも着地の瞬間、ロールト号の左後ろ足は宙を掻いた。残り三本の足と勢いでどうにか渡り切ったのを確認した時、俺が冷や汗をかいたとしても仕方が無いことだと思ってもらいたい。


 見ると川向こうで盗賊どもが何事か叫んでいる。おそらくはこの谷に追い込んで俺たちを捕らえるつもりだったのだろう。飛び越えるなど想定外だったのだ。


「へっへ~んだ!悔しかったらあんたたちも飛び越えて来なさいよ!」


 エリュアーが盗賊たちを指差しながら得意げに叫んでいる。こら、やめんか。本当に飛び越えてきたらどうするつもりだよ。


 俺はすぐにロールト号を促し、全速力でその場所を離れた。




「どうして、あそこに谷があると分かった?」


 どうにか盗賊を振り切ったと確信した後、俺はそう尋ねずにいられなかった。そんな質問をすればエリュアーが得意満面になるであろうと分かっていてもだ。


 実際、エリュアーは満面に自慢げな表情を貼り付けて俺を見上げた。


「地形から推理したのよ。後、盗賊たちの動きから見て私たちをあの方向に追い込んでいる事も確実だったから」


「地形から?」


「昨日泊まった村の近くに結構大きな川があったわよね。その川が途中から見えなくなったじゃない?でも、無いわけないのよ。ここの辺りからアーナエラ公国の方までだんだん山になるから、多分、谷になっていると思ったのよ」


 確かに、村の傍に川があったのは覚えているが・・・。


「そんで、盗賊どもは一見何も無いあんなところで待ち構えていた。なぜ?あの谷川に追い込む事が出来るからじゃないかしら?」


 そういう考え方も出来るのか。確かに、なんであんな何も無いところに盗賊がいるのかとは思ったのだが。


「まぁ、多分あそこで逆戻りしても、そっちにも待ち構えていたとは思うけどね」


 …確かに。逆戻りされたら逃げられてしまうようでは、待ち構えていた意味は無いわけだ。何らかの対策がしてあると考えるのが妥当である。


「で、逃げるんなら、連中の意表を突くしか無いと思ったわけ!上手く行ったでしょう?」


 恐れ入りました。言う代わりに俺は黙って頭を下げた。


 状況把握、観察力、頭の回転、発想力。どれをとっても俺よりも優れていたと言わざるを得まい。俺ならあの場で逆戻りしようとして先回りされていた事に気がつき、動きを止めてしまったところを包囲されて、そこで終わってしまっていただろう。


 流石にイルアローンでペラム王国軍を一方的に敗滅させた知略の持ち主であると言わざるを得まい。しかし…。


「もしも、谷が飛び越えられない程広かったらどうするつもりだった?」


「え?」


 エリュアーは俺のことをきょとんとした目で見上げた。


「どうやってあの谷がぎりぎり跳び越せる広さだって事を予測したんだ?」


 額に一筋汗が落ちる。彼女は一転してぼそぼそと小さな声で呟いた。


「…まぁ、勘で…」


 これだ。俺が半眼で見やると、エリュアーはそ知らぬ顔で視線を逸らせた。


 だが、物事全てをコントロール出来るわけも無い。戦場に何度か身を置いた者であればいわゆる勘とか運とかいうものが馬鹿に出来ないものだという事を知っている。エリュアーが優れた勘と豊かな運の持ち主であるならそれに越した事は無いのだ。何しろ俺は彼女を主君と仰ぐ身であるのだから。




 俺たちはそれから、用心して街道を使わずに進んだ。時折街道の進む方向を確認しつつ、点在する森や藪などに身を隠しながら騎行する。


 しかしながらそれからは夜盗にも合わず、追っ手と思しき連中にも遭遇しなかった。一晩野宿をし、次の日の夕方には俺たちはアザラン公国からアーナエラ公国への国境に達した。


 アザラン公国とアーナエラ公国は元々は一つの国であった。もっと大きな王国が跡継ぎ争いで分裂した時に、兄弟同士で領地を分け合ったのが始まりである。そのため、当時はかなり強い対立があったのだが、最近は友好的であるらしい。


 アーナエラ公国は山中の盆地にあり、アザラン公国は低地。耕作可能地帯が多いのはアザラン公国。ただし地味が良く水資源に恵まれているのはアーナエラ公国である。


 俺たちにとって問題なのは、以前に仲が悪かった頃の名残で街道の国境検問所は砦と言って良いほどの規模であり、こっそり通過する事は不可能であろうという事。街道以外を使ってアーナエラ公国に潜り込むには、かなり険しい(馬では無理そう)ルートを使わなければいけないであろうということであった。


 これは、困った。


 もしもアーナエラ公国が俺たちの味方でないのなら、あの砦にノコノコと入って行くのは自殺行為だというべきである。しかし、アーナエラ公国に行くにはアレに入らなければならないのである。


 考えた末、俺たちは国境の手前で待ち、検問所からアザラン公国に出てきた旅人や商人を何組か掴まえて、内部で特定の人間を捜しているような事が無いかどうか尋ねる事にした。なにしろ寂れた街道の事であるので、それだけで丸一日掛った。


 四組程の旅人や商人に話を聞くことが出来たが、それほど特別な警戒は無いとの事であった。


 その情報を得ても俺は逡巡した。エリュアーはもう野宿したくないらしく、さっさと行こうと文句を言っていたが。もちろん無視したが。


 アーナエラ公国摂政。プリーシア・アクナイアス・アーナエラはエリュアーの姉である。肉親の情を無条件で信用するのであれば彼女は味方であるはずだ。しかしながら、エリュアーとプリーシアの間にはやや複雑な事情があるのであった。


 エリュアーとプリーシアは腹違いの姉妹なのである。そして、プリーシアは庶子。正妻の子ではないのであった。


 そのため、プリーシアは姉でありながら、しかも同じ女の身であるのに、アクナイアス公爵家を継ぐ事が出来ず、他家に嫁いで行ったのである。もちろん、アーナエラ公国の国王の元に嫁いだのであるから玉の輿と言って良いほどの良縁であるのだが。


 しかし、もしもプリーシアがエリュアー並みの野心の持ち主であった場合、アクナイアス公爵家を継げなかった事を、妹のエリュアーに家督を譲らざるを得なかった事を恨んでいる可能性があるのだった。


 エリュアーに聞いた事情ではそういうことであった。ただ、エリュアーの態度を見た感じでは、どうもそれだけではない姉妹の複雑な事情がありそうでもあったが。


 いずれにせよ、あまり迷っている場合では無かった。そもそも目的地はアーナエラ公国なのであり、そのアーナエラ公国に向かう道がここしかない以上、ある程度のリスクは覚悟して飛び込むしかない。


 俺たちはそう結論付け、国境の砦に向かい、


 あっさり拘束された。




 国境の砦に入り、検問で検査員に顔を見られた瞬間、どこからとも無く現れた完全武装の兵士の一団が俺たちを取り囲み、瞬く間に縛り上げ、さっさと砦の奥へと連行した。抗議の声を上げる暇も無かった。


 なんともはや。その手際の良さに俺は唖然とした。俺たちが来ることを予測して、その対応を考えていたとしか思えない。これはやはり、俺たちがアーナエラ公国に向かうと予測したペラム王国が手配を回していたということなのだろうか。


 …いや。


 俺たちは砦の一室に押し込まれこそしたが、拘束されもしなければ、馬以外の持ち物を没収される事も無かった。犯罪者を拘束するにしてはどえらく寛大な扱いであるというべきであった。


 きちんとした食事(まぁ、ライ麦パンと肉が入ったスープでエリュアーは粗末だと文句を言ったが。しかし完食したが)も出たし、部屋は暖かく、ベッドも柔らかい。


 それでいて部屋には窓が無く、場所も連行された時に観察した限りでは奥深くであり、扉も頑丈。脱出は容易でない。そして、ここなら俺たちが多少騒いでも砦の外には聞こえまい。


 そして、扉の前を伺った限りでは見張りはいないようである。しっかり施錠してあるので不要という事なのかもしれないが…。


 なんというか、中途半端な扱いだと思える。これだけの砦であるのだから、ちゃんとした牢屋はある筈であり、俺たちを逃がさぬように捕らえておくのならやはりそこに入れるべきだろうに…。


 エリュアーは扉の前に見張りがいないと分かった時点で、早くも脱獄の方法を検討に入ったようであるが、俺は色々考えた末にそれを止めた。


「?なんで?」


「多分、明日は城へ向かう事になる。どうせ俺たちの目的地もそこなんだから、連れて行ってもらうとしよう」


「??なんでそんな事が分かるの?ペラム王国に引き渡されたり、殺されたりする可能性もあるのに?」


「大丈夫。それは無い」


 俺は首をかしげているエリュアーの頭を軽く叩いた。


「朝は早いぞ。早く寝てしまえ」


 俺はそう言うと、率先してベッドに潜り込んだ。




 案の定、まだ日が昇る前に起こされた俺たちは、十名もの兵士に囲まれて砦を出た。俺たちはロールト号に騎乗し、特に拘束される事も無かった。


 兵士たちは一言もしゃべらず、俺たちもしゃべらなかった。色々聞いてみたい事はあったのだが、返事があるとも思えなかったので。


 そもそも、こんなにあからさまに人目を憚って出立した段階で、俺は自分の考えが概ね正しいのだろうという確信を得ていた。エリュアーは、こんなんに暗いうちに引き出されるなんて、ひそかに処刑されるんでは?と心配していたが、俺はまったくそうは考えなかった。密かに殺すのであれば砦の奥深くで殺して死体をこっそり埋めた方が楽であるし確実だ。


 俺たちはそれから日が昇り切るくらいまで進み、アーナエラ公国の都に辿りついた。もっとも、首都とは言っても規模はそこらの村に毛が生えたようなレベルである。ただ、都の一番奥にある、天然の岩壁を利用した城は別だ。


 この都自体が山に囲まれた盆地にあるのだが、城はその中でもひときわ険しい山を削り取って造られている。かなり離れた都の入り口からでも首を真上に向けないと見えないような高さに城の最上部がある。もっとも、あそこは戦時にのみ使う砦らしく、公王の住まう屋敷部分は少し低いところにあるらしいが。


 アーナエラ城と呼ばれるこの特異な城はその険しさと美しさから、難攻不落の名城との誉れも高い。噂には聞いていたが俺も見るのは初めてで、感心した。


「あんたは来た事があるのか?」


「いいえ、姉の結婚式は家の方でやったから」


 エリュアーは俺の問いに言葉短く応えた。どうもかなり緊張しているらしい。


 その緊張は果たして、命の危機に関するものなのだろうか、果たして姉に再会するという事に関わるものなのだろうか。両方か。


 俺たちは城の麓まで辿りついた。岩山を刳り貫いて造られている大扉を入ると、馬で上れる大きさのトンネルが螺旋を描いて続いている。これはもしも軍勢で攻略しようという事になったら大変だな。俺は密かに思った。


 螺旋のトンネルを抜けると吹き抜けの広間がある。数百人以上の人間が並べそうな石畳を敷き詰められた広間というより広場であったが、ぐるりと岩山を削られた回廊に囲まれており、戦となれば当然そこには弓射手が配置されるだろう。


 俺たちはここで馬を下りるように促され、ロールト号から降りた。ロールト号は連れて行かれてしまったが、昨日も同じように連れて行かれたロールト号が、今朝再会したときにはブラシを掛けられてピカピカになっていたので、扱いを心配する必要は無いはずだった。


 俺たちはきちんとした身なりをした従僕に先導され、城の中へ入った。


 岩山を刳り貫いた城の中は、城内というよりは洞窟の雰囲気であった。白く漆喰で塗られているのだが、あまり窓が無いため薄暗いのである。何度か階段を上り、かなり上まで上った。こりゃ、年取ったら辛そうだなぁ。と、庶民感覚丸出しで俺は考えた。


 やがて、中庭に出た。


 燦燦と降り注ぐ太陽光に思わず目を細めた。なんというか、劇場的な効果だった。今まで薄暗い中を歩いてきて、突然の空中庭園だ。


 いや、比喩ではない。岩壁を大きく抉り取って造られた庭園からは、アーナエラ公国からアザラン公国全体からその先までを一気に一望出来たのである。それは凄まじい眺望で、俺もエリュアーも思わず言葉を失った。


「これは、凄い」


「凄いわね」


「お褒めに預かって光栄の至り」


 突然、三人目の声が割り込んできて、俺とエリュアーは呆けたように風景を見ていた顔を思わず振り向いた。


 そこに、一人の女性が立っていた。


 髪の毛を高く結い上げた、妙齢の女性だった。有体に言って美人。髪と瞳は黒く、肌は白く、背は女性としてはかなり高い。


 印象的なのは目付きである。顔は柔和に微笑んでいるようにも見えるのに、笑っていない。目が。怖い。超、怖い。


 エリュアーを見ると、完全に硬直していた。震え上がって、蛇に睨まれたカエル状態。ダメだこりゃ。俺も震え上がりたいところだったのだが。


 アーナエラ公国摂政、プリーシア・アクナイアス・アーナエラ女史は、恐るべき笑みを浮かべながら俺たちを視線だけで拘束してみせた。


「遠路はるばる、公国にようこそ。わが妹よ」


「…おねいひゃま…」


 噛んでる噛んでる。


「…とか、言うと思ったか?かわいい妹よ」


「…こ、これには、事情が、じじょうが!」


「私が何も知らないと思ったのか?私の情報網はペラム王国にまだ残っておる。そなたが何をしでかしたのか、やらかしたのか、とうに筒抜けじゃ」


「いや、ですから…」


「王に歯向かった挙句に逃亡。行くところが無くて国を追い出された姉を頼るとは情けない。おまけに考えも足りん」


「ひぇ?」


「ペラム王国も馬鹿ではない。この辺りで一番おぬしが頼りそうなところはどこかなど、とうにお見通しじゃ。昨日早朝に早馬が来て、手配を依頼されたわ!」


 それはまた、手早い対応であるというべきであった。俺もそこまでは予想だにしなかった。もっとも、エリュアーの人間関係に詳しければそれくらいの予想も立つのかもしれない。


「ペラム王国と我が公国の力関係は知っていよう?遺憾ながら、王国の依頼を肉親の情をもって拒絶するのは難しいと言わざるを得ない。よって、我はペラム王国の依頼を受ける。そなたを引き渡すだけで、ペラム王国に借りを作れるのなら安いものじゃ」


 エリュアーはひっ、と悲鳴を上げた。


「連れて行け。城内奥深くに幽閉して誰にも知られぬようにせよ!」


 プリーシアの合図と共にどこからとも無く従卒が三人現れ、エリュアーの両脇を引っつかむと、エリュアーの弁明の悲鳴を引き摺りつつあっという間に建物の中に消えてしまった。つまり、俺は残された。


 しばらくは風の音と鳥の声だけが聞こえていた。俺とプリーシアはしばらく無言で向かい合っていた。怖い。


「…そなた、何者だ?」


 プリーシアはそう言った瞬間、笑顔を取り払っていた。無表情。それも怖いが、笑顔より大分ましになった。俺は内心でホッとしながら、プリーシアの問いに答えた。


「トーラス・エムネと申します。現在はエリュアー様の奴隷です」


「…奴隷?あやつは奴隷を頼ってここまで逃げて来たというのか?相変わらずうかつな奴」


 プリーシアは苦虫を噛み潰したような表情をした。更に親近感が増す。


「それで?その奴隷がどうしてここまでエリュアーを普通に送り届けてきた?金か?自由か?」


 なるほど。このプリーシアの情報網には俺の情報は皆無であるらしい。そのため、判断に迷っているのだろう。


「いえ、どちらも求めません」


「ほう。大した忠誠心だな。それともエリュアーに惚れたか?」


 惚れたか?と聴いた瞬間、プリーシアの瞳が今までの何倍もの敵意を放った。


「…幼女趣味はありません」


 俺は両手で降参を示しながら言った。おいおい。もしかしてこの姉、妹が大好きだろう?


「なら、なんだ。ペラム王国なり、アザラン公国なりにエリュアーを差し出せばそれなりの金になっただろうに」


「という事は、あなたに差し出すのでは金には換わらないということですね」


 プリーシアは虚を突かれたような顔をした。


「あなたがエリュアー様を言った通りにペラム王国に差し出す気があるなら、エリュアー様を連れて来た俺にそれなりの褒美があってしかるべきでしょう」


「む…」


「それが褒美が無いという事であるのなら、あなたはエリュアーを自分の利益に変える気が無い。つまり、ペラム王国に引き渡す気が無いということです」


 プリーシアの表情がまた消えた。これは警戒心を表しているのだろう。


「…何が言いたい」


 俺は少し間を空けて、言葉を選んだ。これからの言葉の選択次第では、俺はこの摂政閣下に殺されかねないと分かっていたので。


「あなたは、エリュアー様をペラム王国に引き渡す気など無い。さりとて、表立ってペラム王国に敵対するのも避けたい」


「ではどうする」


「エリュアー様を密かにかくまい、ほとぼりが冷めるのを待ちます」


 プリーシアはここで薄っすら笑みを浮かべた。怖い怖い。この女性は、笑っている時の方が怖い。


「なぜだ。なぜ、そんな事をする必要がある?肉親の情か?この私が情だけで公国に危ない橋を渡らせるとでも?」


 まぁ、この姉ならそういう事を言い出しても不思議には思わないけどな。それを言っちゃあお終いだが。


「いえ、そうは思いません」


「では、なぜだ?」


「あなたがペラム王国を諦めていないからです」


 俺が言った瞬間、プリーシアは満面の笑みを浮かべる。首筋がちりちりする瞬間を味わいながら、俺は言葉を継いだ。


「エリュアー様は、あなたがペラム王国に進出するための大事な縁です。失いたくないはず。故に、あなたはエリュアー様を助けるでしょう」


 く、く、く。喉の奥でプリーシアは笑った。正直、生きた心地がしなかった。


「前言は取り消すこととしよう。流石は我が妹。面白い奴を連れてきたものだ」




 プリーシアは俺を建物の中に招いた。幾つかの部屋を抜け、日当たりの良い中庭に面した部屋に通される。プリーシアはソファーに寄り掛かるように腰掛け、俺は勧められたソファーに行儀良く腰掛ける。


「さて、エムネと言ったか?私がエリュアーをほとぼりが冷めるまで匿う気だとして、それで何が起こるのか?」


 相変わらず目が笑わない微笑。座り心地の良いソファーだったのだが、居心地は最悪である。


「我が公国は遺憾ながらペラム王国と正面切って敵対するのは難しい。もしもエリュアーを匿っていると疑われれば存亡に関わる。それならばむしろエリュアーを自ら捕らえて差し出した方が国益に適うと思うのだが?」


 俺は首を横に振った。


「そうは思いません」


「なぜだ?」


「あなたがエリュアー様の姉だからです」


 プリーシアが不快気に眉を細める。


「私が摂政の責任よりも肉親の情を優先させるとでも?」


「そうとも思いません」


「?どういうことか?」


 俺は少し息を整えた。これからやることは交渉である。プリーシアを味方に引き込むための。失敗は許されない。


「あなたはエリュアー様の姉です。それだけでペラム王国はあなたが『アクナイアス公爵の反乱』に加担していた、と断定する根拠にする事が出来ます」


 プリーシアは思わず目を丸くしたようだった。


「それはずいぶん乱暴な話ではないか?」


「そうですね。しかし、ペラム王国としては、失礼ながら、乱暴な話でアーナエラ公国を敵対側に追いやっても大した不利益ではない」


「ならばやはり私はエリュアーをペラム王国に差し出して、王国の疑いを解くべきだ、という事になるな」


「いえいえ。私がペラム王国なら言うでしょう『今更そんな事をしても遅い』と」


 む、っとプリーシアは唸った。


「ペラム王国の狙いは始めから、アクナイアス公爵家およびアーナエラ公国です。アクナイアス公爵に反乱の疑いを掛けて取り潰し、それを理由としてあなたを問責する」


 プリーシアの顔から笑みが消えた。


「ですから今からあなたが何をしようともう遅いのです。エリュアー様を逮捕して差し出しても『責任逃れのために妹を切り捨てようとしているだけ』と言うでしょうね」


「しかし、我が公国とペラム王国の関係はこれまで悪くなかった。そう利害関係も深くもない。それなのになぜ?」


「あなたはエリュアー様の姉であり、エリュアー様を討てば当然あなたが王国に敵対するだろうという予想がついたからでしょう」


 だからペラム王国は最初に、アクナイアス公爵家を取り潰すと決めた時点でアーナエラ公国とも敵対すると決めていたのである。だからこの後プリーシアがどのような行動をとろうとも、ペラム王国が当初の予定を断行すると決していれば同じ事なのである。


 プリーシアはふんと鼻を鳴らした。


「やっかいな。だが、それはあくまでそなたの予想だな?」


「そうですね。しかし、ペラム王国がアザラン公国には手配を回さず、アーナエラ公国に早馬を飛ばしたという時点でその予想がそれほど外れていない事を意味しているとは思いませんか?」


「どういうことか」


「ペラム王国としては、逃げ出したエリュアー様にアーナエラ公国に向かって欲しかったのです。できれば辿りついて欲しかった。それこそが『アクナイアス公爵が反乱時にアーナエラ公国と密約を結んでいた』という事の傍証になりますから」


 プリーシアは息を詰めたような表情で俺をまじまじと見やった。


「もしもアザラン公国内部でエリュアー様が捕まった場合、貴国は『わが国とは関係の無い話である』と言い切れたでしょう。しかし貴国で逮捕された場合、エリュアー様が貴国に向かったという事実そのものが『密約』の証拠になるでしょう」


 考えてみればおかしな話である。俺とエリュアーが国境を接しているアザラン公国にまず最初に逃げ込んだ事は当然ペラム王国も予想出来たはずだ。そして俺たちが数日をアザラン公国で移動しなければならない事も当然分かった筈である。


 それならばアザラン公国に手配を依頼すれば早い段階で俺たちを捕らえる事が出来たかもしれないのである。しかしペラム王国はアーナエラ公国にのみ早馬を差し向けた。俺たちの行動を読み切ったという事なのかもしれないが、それでもアザラン公国に手配を依頼しない理由にはならない。


「つまり、俺たちがアーナエラ公国に辿りついた時点で、あなたはもうペラム王国の意図に嵌っているわけですよ」


 もしも俺たちを捕らえて差し出しても『密約』の証明は俺たちがアーナエラ公国に辿りついた時点で証明されているとペラム王国は言うだろう。このまま俺たちが隠れ続け、ペラム王国から逃げ遂せても、ペラム王国は「アーナエラ公国が匿っているに違いない」と一方的に決め付けてくる事だろう。


 どっちにしても同じ事なのだ。


 プリーシアはやや目を細めて何事か考え込んでいるようであった。おそらくは俺の論理に隙が無いものか、捜していたのだろう。しかしやがて一度目を閉じ、ふぅと溜息を吐いた。


「…浅はかなのは私の方であったか」


 プリーシアは微笑んだが、その笑い方は先ほどのものとは違って無防備なものであった。


「そなた、私がエリュアーを匿って何をやろうとしていたか分かるか?」


 俺は特に考える事も無く答えた。


「エリュアー様を匿い、恩を着せ、その内エリュアー様をペラム王国に潜入させ、内部で上手い事クーデターを起こさせる。上手く行けばエリュアー様に恩を売れて、その後のペラム王国に強気に出る事が出来る。失敗してもペラム王国は混乱し弱体化するでしょう。どちらに転んでも悪い話じゃない」


 プリーシアは今度こそ驚愕というか、あきれ果てたような表情を見せてくれた。


「なんとも面白い奴を連れて来たものだ。奴隷だと?どうしてそなたのような者が奴隷になぞ堕ちているのだ」


 俺はイルアローンの戦いからの事情を掻い摘んで説明した。プリーシアは声を上げて笑った。




 俺とプリーシアはそれからしばらく話、というか取引をし、俺は満足すべき結果を得た。その後、侍従にエリュアーが先に入れられた部屋に案内された。ちなみに、同じ部屋で良いのかとプリーシアに尋ねたところ、


「出来るだけ目立たなくするためだ。仕方が無い。が…」


 と言って物凄い視線を俺に投げ掛けた。はいはい。俺は両手を軽く挙げて全面的に降参する。そもそも、俺には幼女趣味はまったく無いので特に問題は無い。


 部屋には大きな窓があり、明るく、そして広い。天蓋付きとは行かなかったが、大きなベッド。と、簡素なベッドがあった。うむ。贔屓だ。


 幽閉される身としては申し分ない部屋である。俺が部屋に入ると、ベッドに寝転がっていたエリュアーが飛び起きた。


「トール!」


 トーラスは言い辛いそうで、こいつは人の名前を勝手に縮めてしまった。まぁ、奴隷の身では異議も唱え辛いので容認している。


 エリュアーは駆け寄ってくると俺のことを下から上まで観察して、ほっと息を吐いた。


「良かった。五体満足で」


 どういう意味だよ。プリーシアは人を喰う趣味でもあるのか?


「姉さまならそれくらいやりかねないわ」


 エリュアーは一応は俺の身を案じていたらしい。感謝すべきだろうか?いやいや、どうせこいつのことだから、身勝手な理由からに違いない。


 俺は一応、プリーシアと何を話したのかをエリュアーに語った。もっとも、色々とはしょってだが。エリュアーは眉を顰めながら聞いていたが、プリーシアが俺たちを匿うつもりである事を知って、目に見えて安堵したようだった。


 俺は不思議に思った。あのプリーシアはエリュアーの事を妹として非常に可愛がっているように見えたからだ。まぁ、色々政治的な思惑があるせいで、素直に可愛がってると言い切れないところはあるのだが。


 しかしエリュアーの方は、あからさまにプリーシアを畏れている。あの様子なら、エリュアーを訳も無く虐待していた訳ではなかったようなのだが。俺がそう言うと、エリュアーは唇を尖らせながら言った。


「あんたはあの人の事を良く知らないからそんな事が言えるのよ。あたしは小さい頃に母親を亡くしていてね、代わりに姉様に厳しく育てられたんだから」


 なるほど。エリュアーにとってプリーシアは姉と言うより母親に近い存在であるらしい。それなら怖がっても仕方が無いのかもしれない。俺だって小さい頃は母親が怖かった。


 それにしても、母親代わりと言うからにはエリュアーとプリーシアの年齢はかなり離れているのだろう。というか、俺は未だにこいつがいくつなのかを知らない。まさか見た目通りに十歳前後のがきんちょであるとは、もう思っていないが。


「それで?姉さまは私たちに協力してくれるって?」


 エリュアーはやや表情を引き締めて問うた。なかなか鋭い。プリーシアが嘘を吐いていたと既に気がついているらしい。


「協力というより、お前を利用する腹だろう。まぁ、役に立っている間は協力してくれるらしい」


「それで十分よ」


 エリュアーは不敵に微笑む。調子に乗ってきたな。今頃、こいつの脳内では薔薇色の脳細胞が駆け巡り、悪巧みを始めているに違いない。まぁ、そうでなければ俺たちに未来は無いのだが。


「ただし、彼女曰く、兵は出せないそうだ」


 アーナエラ公国は人口が少なく、保有している兵力は多く無い。そもそも、騎士団や常備軍を編成するほど戦乱に明け暮れているような国でもない。そのためプリーシアは俺たちに支援をすることはやぶさかではないが、兵を貸すことは出来ないと言った。


 もっとも、俺たちに兵を貸し出すような真似をすれば、アーナエラ公国ははっきりとペラム王国に敵対する事になる訳で、その意味からも兵を貸し与えるような真似は出来ないという理由もあるのだろう。


 兵を貸せないのであれば後出来る事と言えば…。


「金なら貸してやるということだった」


「…幼い頃に姉さまにお金を借りて酷い目にあった記憶が蘇るわね」


 エリュアーはげんなりと顔を伏せた。その気持ちは俺にも分かる。プリーシアは、貸しを作れば一生恩に着せるタイプだ。ただ、今回だけは借りないわけにも行かないのだった。


 エリュアーがペラム王国に舞い戻り、復讐を果たす方法は道中にずいぶん考えた。


 エリュアーが単身でペラム王国に戻っても出来る事は少ない。こっそりペラム王国軍の信頼出来る部下たちの所を訪れて、協力を要請することぐらいしか出来ないだろう。これだと、その部下が協力してくれなかったらそこで終わりである。そもそも、エリュアーの部下たちは現在、おそらく監視されているだろうから接近も容易でない。


 ではどうするか。俺とエリュアーは熟考の末、一つの結論に辿りついた。


 軍勢を率いてペラム王国へと入り、ペラム王国軍との会戦を挑む。それしかない。


 間をかなりはしょって結論を述べてしまったので、突拍子も無い話に聞こえるかもしれないが、追々説明する事にする。


 兎に角、少なくとも百名くらいの手勢を率いてペラム王国に戻りたいのだった。アーナエラ公国が兵を貸してくれれば一番早かったのであるが、それが出来ないとなると方法は一つ。雇うしかない。


「傭兵ね。あんまり当てにはならなそうだけど」


「そうでもないさ。奴らは職人集団だから、盟約は守る。金さえ払えば」


 連中は空手形は一切受け付けない。欲しがるのは金。現金のみ。故にどうしてもプリーシアに金を借りなければならないのである。


 実はもう金を借りる話と、傭兵ギルドに話を通す事は決めて、プリーシアに頼んである。エリュアーにそう言うと彼女は大した事でもないように頷いただけだった。金を払うのも返すのもエリュアーなんだが。


「だが、傭兵は歩兵ばかりだ。数が集まっても戦力としては心もとない」


「それもそうね。やっぱり騎兵は欲しい」


「それについては一つ、考えがある」


 俺は提案した。




 十日後、俺は単身でロールト号の馬上いた。


 アザラン公国の街道をのんびりと騎行している。エリュアーはいない。微風が髪先を揺らす中を、ポクポクという蹄の音を聞きながら、ロールト号に揺られている。


 まぁ、ひさびさにのんびりしている訳である。


「いい天気だなぁ」


 誰もいないので仕方が無いのでロールト号に言う。


「このまま、どこへなりと逃げちまおうか?お前だって戦場で危ない目に合うより良いんじゃないか?」


 ぶふん!とロールト号が大きく鼻を鳴らした。なるほど。立場をわきまえろ、と言いたいようだ。ロールト号にとって主人はあくまでエリュアーであって、俺は荷物に過ぎないらしい。


 あんまり僭越な事を言うと振り落とすぞ、そういう意思表示だ。


「分かってるよ。言ってみただけだ」


 ロールト号は返事をしなかった。


 俺が街道でのんびりしているのは理由のあることであった。もちろん、今はのんびりしているがいつまでもそのままであるはずも無い。というか、そうだったら困る。


 それにしても不思議な状況だな。俺は感慨にふけった。


 ほんの数ヶ月前まで俺はジューク王国にいた。二週間前にはペラム王国にいた。そして今は居候中のアーナエラ公国からアザラン公国へ入っている。


 流転の運命というべきであった。今まで生きてきた十九年、それなりにいろんな出来事があったが、この数ヶ月ほど波乱万丈であった事は無い。主に、あの小さな主人のせいで。


 実は俺は、この状況を楽しんでいた。奴隷の身に落ちた事も、エリュアーに飼われた事も、ペラム王国から命からがら脱出した事も、アーナエラ公国に逃げ込んだ事も。楽しんでいたのだ。


 これが悲運に打ちひしがれ、苦労を嘆くような性格であったら今の俺の運命は色々違ったものになったかもしれない。幸い俺は、これから先にも様々な苦労が待っていると分かっていても、そこに苦労以上の楽しみがあるだろうと考える程度には楽天的だ。


 エリュアーに付き合っていれば、多分、これからも楽しいだろう。倍くらい苦労するだろうが、それは大した問題ではない。


 そんな事を考えている内に、遥か遠い丘の上にちらっと影が見えて、消えた。


「さぁ、おいでなすった。頼むぞロールト号」


 ロールト号は大儀そうに唸った。




 俺が騎行しているのは行きに通った街道で、場所はその時に盗賊どもと出会った辺りであった。つまり、先ほどの影は盗賊どもであろうと容易に予測出来る訳である。


 出ると分かって良く観察すれば、色々見えてくる。行きにはいきなり前方に奴らが現れた訳であるが、実際には遥か以前から、こっそりと観察されているのである。丘の上、木の影などに見張りがいる。その観察の結果、獲物に相応しいとなれば…。


 と、前方の丘の上に騎馬が現れた。行きと同じく八騎。


 ふむ。今までの見張り、おそらくは退路を断つべく回り込んでいるだろう奴らを含めて。合計で二十騎というところだろう。よしよし。手ごろな感じだ。


 俺とロールト号が進むと前方の騎馬から「ホウ!」だとか「ヤー!」だとかの囃し声が聞こえた。なるほど、獲物を挑発して走らせるためか。と二度目な俺はいたって冷静に観察した。


 しかしながら、とりあえずは連中の罠に掛ってあげないと話が進まない。俺はロールト号の手綱を引いて馬首を巡らし、駆けさせた。


 ロールト号はいつも通りの俊足を発揮して野を駆け、丘を越える。それに対して盗賊どもは奇声を上げながら追い掛けて来る。と、見せ掛けて回り込み、俺たちを誘導しようとする。連中の目的は俺の持っている金目の物、および多分ロールト号であるので、安易に弓矢を射掛けてきたりはしない。


 最終的な追い込み地点はどうやらこの間と同じ谷らしい。俺たちに飛び越えられるという失敗を犯しても変えなかったようだ。好都合である。


 丘を駆け降りると谷が見えて来た。なるほど、この突然に谷が現れるというのも計算されている事なのだろう。反射的に手綱を引きたくなる。ここであえて馬を加速させるなど、普通は出来ない。


 もちろん、俺は二度目であるから出来る。エリュアーという重石もいないのであるから今度は余裕でロールト号は飛び越えてくれるだろう。


 が、俺は馬を止めた。谷の手前で。


 二階家の上から見下ろすくらいの位置を滔々と流れる川を見た後、馬首を巡らせる。そこは谷が大きく湾曲した場所で、言うなれば谷に囲まれた袋小路だった。なるほどな。上手い場所だ。一度まぐれで逃げられたくらいで追い込み場所を変えなかったのも分かる。こうまで好条件の場所はなかなかあるまい。


 気がつけばもう囲まれていた。


 十騎。文様の描かれた馬に乗った如何にも異国風の男たちである。手には剣や槍を持っている。弓矢を持った者はいない。異民族の表情は読み辛いが、どこと無く優越感を漂わせる薄笑いを浮かべている者が多いようだ。


 ふむ、俺は連中をしげしげと見て、これは交渉の余地がありそうだ、と感じた。


 なぜなら、連中の服装は薄汚れており、ボロであり、人間はもちろん馬も痩せこけておいたからだ。つまり、困窮しているのだ。それはそうだろう。こんな人通りの少ない街道に巣を張っているのでは、獲物に出会える確立は低いに決まっている。


 俺は連中を一人ずつ確認し、中の一人に目を留めた。


 そいつは、えらく背が高く、肩幅も広いが、女性であった。長い髪を頭の高いところで結んで馬の尻尾の様に垂らしている。身体のあちこちに装飾具を付けている。


アレがおそらく、この盗賊どものボスであろう。その服装と態度から当たりをつけた俺は声を掛けた。


「言葉は分かるのか?」


 その女盗賊は虚を突かれたような顔をした。


「あんたが首領だろう?話がしたい。あんたたちにとっても悪い話ではないはずだ」


「なんだ貴様!変わった命乞いだな!」


 答えたのは女ボスではなかった。その脇に立っていた大柄な髭面の男だ。


「分かっていると思うが、一応言っておくぜ!死にたくなかったら有り金と食料と馬!置いていけ!」


 俺はそいつに向かって追い払うように手を振った。


「ああ、そういうのは良いから。そういう話をしに来たんじゃない」


 今度は髭面の口があんぐりと開いてしまった。なんだ?


「…ずいぶんと度胸がいいな」


 女ボスが口を開いた。訛りは強いが言葉は通じるようだ。


「だが、度胸だけで何でも済むと思ったら大間違いだ。我々はお前を殺して全てを奪うことも出来る。貴様に取引を持ちかける権利など無いことを忘れるな」


 俺は首を横に振った。


「俺を殺して全てを奪ったところでお前ら全員が食って行く事なぞ出来んぞ?無駄だ。それより俺の話に乗った方がいい。俺はその話をしに来たんだ」


「なんだと?」


 女ボスは表現し難い表情をした。なんというか、得体の知れないものを見ているような目つきである。?俺は何か変な事を言っただろうか?


「俺はお前らを雇いに来たんだ」


 俺は説明を始めた。


 要するに俺は、こいつらを勧誘に来たのであった。つまり、こいつらを傭兵に雇うべく。


 傭兵ギルドを通して雇える兵は歩兵ばかりである。しかしそれでは、これからペラム王国の正規軍と渡り合うことを考えれば兵力として不足である。やはり機動力にも突撃力にも勝る騎兵が欲しい。しかし、騎兵というのは専門職であり、育成にも維持にも金も時間も掛るのである。


 しかしここに、生まれた時から馬に乗り、しかも盗賊と生業とするくらいであるから人殺しを厭わない、傭兵としてうってつけの連中がいるではないか。


 そういうわけで、俺はこいつらを我がアクナイアス公爵私兵団に勧誘に来たわけである。俺は事情を説明し、払える金額を提示した。その額は連中全員を当分養うに十分な金額であるはずだった。


「払いは三分の一を前払い。成功報酬で残りを払う。作戦中の食料補給、武器の補給はこっち持ち。どうだ?悪い話じゃあるまい?」


 俺の言葉に連中の間にざわめきが起こった。良い反応だ。


 俺の提示した条件は、食い詰めた夜盗たちにとって、破格の待遇と言うべきだったろう。正直、時間を掛けて交渉すればもう少し安く雇う事が出来るのではないかと思わなくも無い。


 だが、俺たちには時間が無いし、失敗も許されない。


 故に俺は大盤振る舞いを承知で連中に好条件を提示して見せたのだ。まぁ、払うのはどうせ俺ではない。


 連中は隣り合った者同士で何事か話し合い、やがて視線は女ボスに集まった。女ボスは目を細め、怒った様な読みづらい表情で俺を睨んでいる。女ボスの隣にいる大男が大きな声で俺に向かって言った。


「信じられん、そんな話!貴様が俺たちを騙そうとしているのでない証拠がどこにある!」


「お前らを騙して何か俺に良い事があるのか?」


「俺たちをこの国の役人に引き渡せば手柄になるじゃねぇか!」


「俺とアクナイアス公爵の目的はそんな安いものじゃないんでね」


 俺は女ボスの視線を正面から受け止めると、噛んで含めるように言った。


「あんたも大将だろう?自分の部下たちの未来に責任があるんじゃないのか?今の自分たちを見てみろ。あんたたちの民族は確か騎射が巧みな事が有名だったな。なのになぜあんたらは弓矢を持っていないんだ?」


 む、っと大男が唸った。


「弓矢を失い、それを補充する事も出来ないほど困窮して、しかも国にも帰れない。そうだろう?野盗同士の縄張り争いにも敗れて、こんな人通りの少ない街道を巣にしなきゃならんのだろう?」


 俺は首を横に振った。


「このままでは近いうちに破滅する事になる。もちろん、俺の話に乗っても危険はあるが、このまま盗賊家業を続けるよりはずっと割りに良い選択だと想うが」


 俺はそう言い終えると女ボスを観察した。彼女は身じろぎもせず俺を睨んでいる。俺の口上に余計な口を差し挟まなかった事で、俺はこの女性が馬鹿ではないと判断していた。だとすれば、俺の持ちかけた取引の有用性も分かる筈だろう。


 しかし、しばらくしてから女ボスが言った言葉は俺にとって意外なものであった。


「気に入らん!」


 女ボスは吐き捨てるように言ったのだ。


「貴様のように得体の知れぬ者の言う事など信用出来ん!」


「?どういうことだ?」


「一体なぜ貴様は命乞いをせぬ!なぜ我々の事情を知っている!得体が知れぬ!信用できぬ!」


「いや、それはだな」


「やれ!殺してしまえ!」


 女ボスは叫んだ。考えの足り無そうな盗賊どもが、おう、と応じて武器を掲げる。


 これは困った。


「やめろ、話を聞けよ」


 が、盗賊どもにその気は無さそうであった。五騎程が進み出て、嫌な笑みを俺に向けた。嗜虐的な、自らの優位を確信した者の笑み。


 手加減は期待出来そうに無かった。


 仕方が無い。俺は右手を上げた。


 途端、俺の左右を風切り音が走り抜けた。そしてそれは今にも俺に向かって飛び掛って来ようとしていた盗賊の直前に突き立った。


 盗賊は思わず馬を竿立たせて、落馬する。同じく俺を狙っていた盗賊どもも馬を止めた。


 盗賊の女ボスは目を丸くしているが、俺は別に驚かなかった。川の対岸に兵を伏せていたのは俺自身だったからだ。いくらなんでも言葉が通じるかも怪しい盗賊と交渉するのに、何の備えもしないほど俺は度胸が良くは無い。


 今や姿を見せている弓兵たち。数日前に傭兵ギルドから雇った兵たちである。


 盗賊どもは大きく動揺したようであった。俺を追い込んだつもりで俺に誘い込まれたのだと言う事に気が付いたらしかった。すぐさま騎馬を反転させようとする。


 しかしその時には。


「動くな!」


 凛とした声が響く。馬は無いので徒歩である。絢爛豪華な鎧に身を固め、進み出てくる美しき女騎士。ただし子供。つまり、エリュアーは剣を掲げると女ボスに向けた。


「すぐさま剣を引き馬から降りるが良い!我はエリュアー・マグダーネン・アクナイアス公爵なり!」


 彼女の左右には弓を引き絞った状態の兵たちが数十人いた。矢が放たれれば盗賊どもは唯では済まない。


「安心せよ、我が望むのは殺し合いではない!しかしこの矢を放つに躊躇はせぬぞ!もう一度言う。馬を降りよ!そして我が前に膝を付くが良い!」


 その威厳と迫力に満ちた口上を聞きながら、内心俺は感心していた。俺にはこれは出来んな。確かにこういう連中には最初に、自分の方が強いのだ、上なのだと見せ付けてやった方が話が早いのかもしれない。だが、それには単純に兵力を見せ付けるだけではなく、将器で圧倒する必要があるだろう。


 小さい身体ながら、エリュアーの威厳は盗賊どもを圧倒している。俺は咳払いをして、女ボスに声を掛けた。


「あ~、そこなアクナイアス公爵閣下がお前たちの雇い主となる。分かったか?分かったら馬を降りろ。それから契約の話をしようじゃないか」




 女ボスに率いられた盗賊は合計十八人。それとその家族の女子供が二十人ほどいた。女ボスの名はイマーニといい、全員が彼女の一族だそうである。


 十年ほど前に大略奪にくっついて東の草原からやって来たのだが、実入りが良さそうなので大集団から離れてこの地に残った。


 しかし次第に盗賊に対する各国の備えが増し、おまけに一族の人間も病気で死んで減ってしまい、ボスだったイマーニの旦那も討たれて、二進も三進も行かなくなっていたところだったのだそうだ。


 実際、連れて来たイマーニの一族はボロボロであった。子供たちは痩せ、女たちの目は暗い。俺はそんなもんだろうと思ったがエリュアーはその境遇に同情したらしく、すぐに手持ちの食料から子供たちに分け与えるよう命令していた。


 イマーニは俺の事はあからさまに警戒しているようであったが、エリュアーに対してはすぐに服した。というより、目の色が変わっていた。


「なんて可愛いのかしら!」


 などと叫んでいたので、母性本能かそのあたりを刺激されたのかもしれない。…プリーシアの機嫌を損ねなければ良いのだが。


 とにかく、イマーニは俺の持ち掛けた話を受けた。そもそもイマーニたちにとっても悪い話ではない。イマーニは俺に対してはエリュアーに対するよりも十倍は無愛想であったが、しぶしぶながらこう言った。


「我が一族は名誉を重んずる。盟約を違えるような事はせぬ。アクナイアス公爵がそなたの言う事も聞くようにと命ぜられた。故にそなたの命にも服そう」


 そりゃどうも。俺は別に俺個人に忠誠を誓って欲しいとは思っていない。単に俺の命令を過不足分無い程度に実行してくれればいい。


 ギルドからの派遣とイマーニたちの加入で、アクナイアス公爵私兵集団は歩兵七十、騎兵十九(俺含む)という事になった。百人近い武装集団というのは戦術単位としてはそこそこである。もちろん、ペラム王国に正面切って喧嘩を売るには不足だが、もちろん俺たちはそんな事は考えていない。




 エリュアーはご機嫌であった。彼女はこう見えて根っからの将軍気質であり、配下の兵力出来た事が嬉しくてたまらないのである。


 イマーニたちの加入から半月ほど、出来るだけ人目に付かないように兵たちを訓練した。その結果、錬度も上がり、行動開始の目処も立った。それもエリュアーの機嫌が良い事の原因であろう。


「いよいよ復讐ね!」


 物騒な事を言う。


「このあたしを陥れたこと、必ず後悔させてやるわ!待っていなさいよあの馬鹿王!」


「馬鹿王ね…」


 俺とエリュアーは相変わらず最初に押し込められた部屋にいた。そもそも悪い部屋ではないので不満も無い。俺とエリュアーは向かい合って座っていた。食後のお茶を啜りながら今後について話し合っていたところだったのだ。


 俺の呟きにエリュアーは首をかしげた。


「何?トール」


「本当に、その馬鹿王の仕業なのか?」


 エリュアーの首の傾きが大きくなった。


「疑問に思っていたんだ。あのペラム王が全てを決めて、お前を陥れようとしたのだと思うか?」


 エリュアーの目が見開かれた。


「お前の言う通り、ペラム国王が惰弱であるなら、それにしてはお前を逮捕させようとした行為は思い切ったものだったぞ?あれか?惰弱を装っていたのか?」


「それは無いわ。私はあの王を昔から知っている。昔から馬鹿で有名だったもの」


「そうか。ならば、あの時だけ突発的に素晴らしい決断力を発揮したという事なのか?」


 俺の言わんとするところが分かったらしい。


「そうでないとすれば?」


「そうでないのなら、アレを計画したのは王ではないということになるな。王ではない誰か、だ」


 エリュアーはうう、っと唸った。


「王の取り巻きに、そういう事が出来そうな奴がいたか?」


「…いない、と思う。というか、王の取り巻きの力関係は複雑なの。だから誰か一人が強く王に進言しても、それに対抗している家臣が多分反対するでしょうね」


「全員が一致してお前の排斥に動いた?」


「その可能性も無くは無いでしょうけど、それなら調整中にあたしに情報が入ってきてもいい筈よ」


 ふむ。俺は少し考えた。王ではない。王の取り巻きでもない。とすれば、俺の、ペラム王国に対する少ない知識では一つしか可能性が思い浮かばないな。


 俺はエリュアーを見やった。エリュアーは真剣な目つきで俺を見つめていた。青い瞳がキラキラと輝いている。これは、曖昧にはごまかせないかな。俺は諦めて言った。


「ということは」


「は?」


「軍の奴だろうな」


 ぎりっとエリュアーが歯を食いしばった。


「有り得ないわ!ペラム王国軍は私が掌握していたもの。いえ、今私が帰還しても、きっと全軍が私に服してくれる。その筈よ!」


 そうだろうな。そうでないと困る。だが…。


「お前がそう思い込んでいたからこそ、あの奇襲が有効だったんだ、という事だろうな」


 エリュアーは恨みがましい表情をしたが、反論はしてこなかった。


「軍の内部、特にお前に近しい奴に裏切り者がいた、という事だろう」


 軍の内部に裏切り者がいたのだとしても、それがエリュアーと関係が深くない者であった場合、その行動はエリュアーの部下によって察知され、エリュアーの元に情報が齎されただろう。


 であれば、エリュアーの側近。特に彼女の信頼していた六人の将軍の誰かに裏切り者がいたと考えるのが自然だろう。そいつが密かに王と繋がり、王から密勅を引き出したのだ。


「さて、それは困ったな」


 俺は思わずぼやいた。


 はっきり言うと、俺たちはペラム王国国内に残る、エリュアーの部下たち。特に六将軍を当てにしていたのである。


 エリュアーと将軍たちは個人的な信頼関係を築いていた。それはエリュアーがペラム王国から追われた現在でも失われてはいるまい。そうであればエリュアーがペラム王国に帰還したならば、きっと呼応してくれるだろう。


 しかし、エリュアーの信頼が厚かった将軍たちである。エリュアーが反逆者扱いとなった現在では、軍権を奪われているか、軟禁されているか、悪くすれば殺されている可能性すらあった。エリュアーが接触するのは難しいだろう。


 だから俺とエリュアーは兵を集めたのである。兵を率いてペラム王国に侵入し(もちろんこの時は名を明かさない)、最初にやってきた討伐軍を打ち破る。すると慌てたペラム王国軍は精鋭たる六将軍を俺たちに差し向けてくるに違いない。そこが付け目である。


 討伐に向かってきた将軍にエリュアーが名乗り、説得して寝返らせる。つまり、それが俺とエリュアーが立てたペラム王国帰還作戦なのであった。


 ところが、ここで六将軍の誰かに裏切り者がいたとなると話が違ってくるではないか。


 六将軍の誰であってもエリュアーが認める名将であるらしい。それがそれなりの兵力でもって、本気で向かってきたなら、たかが百名の我が軍は一溜まりも無いだろう。


「…トール。本当に六将軍の内、誰かが私を裏切ったのだと思う?」


 エリュアーは小さな声で言った。俺はエリュアーを見た。俯いたエリュアーは泣きそうな表情をしていた。


 俺は、躊躇った。


「…そう、予想する」


「分かった」


 エリュアーは目尻を締めて顔を上げる。決意が見えた。


「でも、いまさら計画を変更は出来ないわ!六人の内に裏切り者がいるという前提で行動しましょう!」


 彼女は立ち上がり、暗闇に沈む窓の外をにらみ付ける。可憐な相貌に凛とした表情。


「私は、負けない!絶対に!」


 俺は半ば呆然とエリュアーを見上げた。







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